第4話 大赤字なのですよ
「うう~大赤字なのです。契約違反なのですよ。うう、このままだと上司に怒られちゃいます~」
真田慎一が意識を取り戻すと慎一の側でふわふわと浮いてる少女が冷や汗を垂らしながら、考え事をしていた。
「うわっ!なんだお前は?」
宙をふわふわと浮いた少女に驚いた慎一は声を上げる。
背中から可愛らしい真っ白な羽を生やし、手には大きな漆黒の鎌を持った少女は不機嫌そうにぷくーっと頬を膨らます。
「お前じゃないです。ジルです~ジルヴィアです~」
お前扱いされたことが不満なのかジルはプンスカと慎一に怒る。
頬をプクリと膨らませ鎌を持った右手をブンブン振るうが、慎一から見てジルの容姿が10歳前後であるため、さほど怖くない。
「なんだじゃないです。あわわ、契約違反です~酷い累積大赤字なのですよ、慎一さん」
慎一にはジルが何を言ってるのかよくわからない。
何が契約違反なのか、何が赤字なのか。
そもそもまだ高校生になったばかりの慎一は誰かと契約らしい契約などしたことがないし、人から借金もない。
何よりとふわふわと宙に浮かぶ羽の生えた少女などあまりにも非現実的すぎる。
ああ、これは夢か。
10歳程度の少女の夢を見るとか自分はロリコンじゃないはずなのになと口にし、再び慎一は横になり、眠りにつこうとした。
「ジルはロリじゃないですよ~立派なレディーなのですよ。これは夢じゃないです、無視しないでください」
ジルは早く夢から戻ろうと横たわった慎一の顔を抓る。
「止めろよ。俺は羽の生えた少女の知り合いなんていないし、セールスの押し売りにもお断りできるNOと言える日本人だ。ジルと契約した覚えはないぞ」
「うう、でもでも契約したのですよ。すでに人間転生10回分で契約したのに功徳ポイントがほとんど貯まってないってどういうことなのですか?」
転生?功徳ポイント?
ジルに抓られた痛みから慎一はこれが夢とは限らないと思うようになった。
これが強面の羽のついているおっさんだとかよくわからない怪物が目の前にいたのなら、慎一も慌てふためいたり、絶対にこれを現実だとは認めようとしなかったかもしれない。
だが、目の前にいるのが10歳前後の姿をした、とぼけた少女であったので、少しばかり落ち着くことができた。
「転生?功徳ポイント?もう少し詳しく話をしてもらえないか?正直何の話なのか全然理解できないんだ」
「どうして覚えてないんですか~きちんと魂に刷り込んだはずなのに……ってあれ?」
だらーっと額から汗を垂らし、ぐるぐると慎一の周りを回るジル。
「す、刷り込まれてないです……どうやら刷り込み失敗のまま送り出してしまったようです……うう、このままだと300年はもやし生活決定です」
あわわわわと焦るジルを慎一は少し微笑ましげに眺める。
「ってことはよくわからんが、契約成立してなかったってことじゃない?話が済んだのなら俺を現実に送り返してよ」
よくわからないまま契約を押し付けられるという事態は避けられそうだと判断した慎一はジルに自分を返すように頼む。
300年のもやし生活がどうだとかは慎一にとっては関係のない話なので無視することに決めた。
「へっ?」
ジルは不思議そうに慎一を見つめる。
「それは無理なのです。慎一さん、あなたすでに死んでいるのですよ」
「えっ?」
ジルに指摘され、少しずつ記憶が戻る。
中間テストのための追い込みで睡眠不足だった慎一は通勤途中の男性とぶつかり、駅の階段から転落して地面に頭をぶつけ、そのまま意識を失ったという記憶だ。
「あんなので死んだ?階段から転落くらいで死んだ?」
「はいです。打ち所が悪かったようです。幸い慎一さんがふらふらとしてたのを他の人が目撃してたので、ぶつかった男性はさほど咎められはしないようです」
「ちょっと待て!本当に俺はあんなので死んだのかよ!」
いきなり自分の死を告げられ、その記憶を取り戻した慎一は慌ててジルに詰め寄る。
「ふぇええ、ジルに怒らないでくださいよ。怒りたいのはジルの方なのですよ」
ジルは慎一に詰め寄られて、ふわふわと高く宙に浮かびあがり、慎一の手から逃れる。
「だって、あんなので……なあ、これってお前のミスじゃないのか」
おとぼけ天使?死神?少女は先ほども魂の刷り込みに失敗したとか言ってるくらいだし、ひょっとして自分の死はジルのミスによるせいじゃないかと慎一は疑った。
仮にジルのミスによるものなら精一杯ごねてやる。
「ジルは関係ないのですよ。慎一さんがどう考えているかはわかりませんが、生き物は世界に産み落とされた時点から独自の意思で運命を切り開いていくのです。たまに運命論者の方とか相手にすることもありますが、未来は決まらずどういう生き方をするかはそれぞれなのだからこそ生命は尊いのです」
ジルの言葉からは一片の嘘も感じられない。
この少女なら自分に非があれば、冷や汗を垂らすなり、ごまかそうと慌てるはずだ。
「つまり焦って夜更かしした俺の自業自得ってことか……」
「はいなのです、ジルとしては慎一さんにもっと頑張ってほしかったのですが」
しょんぼりと肩を落とす慎一に対して、ジルは慎一の近くに降り立ち、優しく慰める。
「これから俺はどうなるんだ?」
「もうしばらくすれば慎一さんは輪廻転生の輪に加わるのです」
幼い容姿ながらも慎一を慰めるジルからは清浄な雰囲気を感じさせる光が溢れ出る。
「そっか輪廻転生かあ。できればまた日本人で、親父やおふくろの近くで生まれたいなあ」
ろくに感謝もできずに短い人生を終わらせてしまったのだ。
両親の年齢からして新たな生命を宿すことは期待できなくても、彼らの近くで産まれていつかどこかで巡り会うことくらい望んでも罰は当たらないだろう。
「それは無理なのです」
ジルは無慈悲にもきっぱりと断言した。
慎一とて、それがどれほど天文学的な低い確率なのかは理解している。
それなのにきっぱりとそれを否定する少女に腹が立った。
「可能性がほとんどないことくらい俺だってわかっている!でも、どんなに可能性が低くてもそれを夢見るくらいは許されるはずだ!」
「うう、ジルだってこれから輪廻転生の輪に加わる人にくらい夢見させてあげたいですよ~でもでも、それを慎一さんにするにはあまりにも残酷なのです」
声を荒げた慎一に対し、あくまで自分の主張を貫くジル。
「なんでだよ……」
「だって、慎一さんの功徳ポイントは大赤字なのです」
功徳ポイント
先ほどもジルが口にしたものだ。
「なんだよ、それ功徳ポイントって……」
「功徳ポイントはその生きている間にどれほどの善行をし、周りから感謝されてきたかをポイント化したもので、天界での担当者のお給料になるものなのです!」
えっへんと平らな胸を張り説明するジル。
「でも、慎一さんは10回も人間に転生したのに功徳ポイントがほとんど貯まってないです。人間として産まれそして生きたいと願った前世の慎一さんが10回分の人間転生のための功徳ポイントを借りてたので、大企業も真っ青の大赤字を出しちゃってるのです。そして慎一さんに功徳ポイントの前貸ししたのに大赤字だってことに加えて、魂への刷り込みに失敗しちゃったから罰として私もお給料引かれちゃいます。これから300年はもやし生活なのですよ、よよよ」
そう言って、今後のもやし生活を思い浮かべたのか地面にのの字を書きながらジルは落ち込む。
シュークリーム、肉まん、アイス、モンブラン、チョコレートケーキ
だらーっと涎を垂らすジルの口からは慎一にも馴染みの深い食べ物の名前が吐き出される。
ずいぶんとまあ俗っぽいことだ。
「そんなの魂に刷り込むのに失敗してたんだから、俺には関係ねえよ」
10回分の人生を前借していたとはいえ、ジルのミスがある以上は自分に責任はないと思うのは慎一からすれば当然の主張だ。
「私にミスがあったから私も処罰されますが、それでも慎一さんの使い込んだポイントが慎一さんが使ったものなので残念ながらそういうわけにはいかないのです。慎一さんのポイントが大赤字なのでしばらくはその生涯を送るだけでポイントのつく人間よりも下のランク付けされてる生物へと転生が続くのです」
「下のランクの生物って次に俺はいったい何に生まれ変わるんだよ」
ジルにミスがあったからジルも処罰される。
そしてポイントを使い込んだのは俺なのだから、俺も下位の生物へと転生させられる。
慎一は納得しきれないものの、次に自分が生まれ変わる生物について尋ねてみた。
ごねたところでどうにもならないのなら、その生物次第ではある程度納得して転生の輪に加われるかもしれない。
鳥になり、自由に空を生きるのもある意味では素敵だし、猫や犬に生まれても飼い主に恵まれれば、ストレスの少ない生涯を送ることができるかもしれない。
ジルはどこから取り出したのか、分厚い手帳をめくり、そして呟いた。
「サナダ……さんです」
「ん?ジル、今俺の名前を呼んだのか?」
「違います~慎一さんの来世はサナダムシさんです」
慎一は声にならない悲鳴を上げた。
「ふ、ふざけんなあ!!真田とサナダを掛けたいための冗談だろ。なあ、冗談だって言ってくれよ」
「慎一さん、大丈夫なのです。サナダムシさんに転生する際には人としての記憶を失っているので辛くはないのです。活き活き寄生虫ライフを楽しむといいのですよ」
「そういうのを今言うなよ、もっとオブラートに包みこんで来世への期待を持たせくれよ。サナダムシが来世とか絶望しかないじゃないか!」
「そんなこと言われてもジルが困ります。ジルは嘘をつけない子なのですよ」
来世がサナダムシと告げられ、絶望のままジルに声を荒げる慎一に対して、ジルはポンと手を叩き、笑顔で提案した。
「本当に仕方のない人なのです。ジルじゃなければ、とっくに慎一さんのような方は有無を言わさず、輪廻転生の輪に蹴り込んでいたのです。ジルの慈愛の深さに感謝してくれていいですよ」
「マジかよ」
「マジなのです、そんな我儘な慎一さんに希望を持たせれるようにジルが特別出血大サービスなのです」
少なくとも来世は活き活き寄生虫ライフを送らずに済みそうなジルの笑顔を見て、慎一はほっと溜息をついた。
「慎一さんの要望にある程度沿った来世を送らせてあげるのです」
「ありがとう、ジルはマジで女神様みたいだわ」
「ふふ、褒めてもこれ以上はジルもサービスしてあげれませんよ」
「特別に……」
「特別に?」
ジルは答えるのを焦らす。
ジャジャジャジャーン、どこからともなくベートーヴェンの交響曲「運命」の冒頭のフレーズが流れ出す。
「慎一さんを慎一さんのお父さんのサナダムシにしてあげるのですよ」
親父のサナダムシ?
慎一の頭の中は真っ白になった。