第13話 ジルの分をあげてくださいなのです
ダリアの返事を聞いてからシンが村長の家に入り、中を進むと機嫌良さそうに料理をしているダリアの姿が見えた。
野菜を煮込む香りがシンの食欲をくすぐる。
「ダリア、もうすぐ朝飯できる?」
「すぐに食べたければ、お肉とパンなら出せるわよ。でも、スープは野菜をもっとトロトロになるまで煮込みたいから、もうちょっと時間がかかると思う。お肉だけでもこれから焼こうか?」
そんなに急がせる理由はない。
お腹は多少減っているが、それよりも徹夜で起きていたせいか、軽い睡魔がシンを襲っている。
もう村人たちも骨を折られて、身動き取れないだろうし、今頃はアルメドビアで夢の中だ。
いつまでも警戒している必要はない。
ダリアたちをボルディアナへ連れて行くのだ。
村人の追手がないため、後ろを気にせずにゆっくりと帰れるが、それでも魔物と遭遇した時のことを考えれば、少しでも寝ていた方がいい。
「ちょっと眠いから、少しだけ寝ることにする。ベッドとかは別にいいや。ここで座って寝てるから、できたら起こしてくれ」
「それじゃあ、できたら起こすね」
シンはダリアにそう言うと、椅子に腰をかけ、テーブルにうつ伏せになりながら目を閉じる。
シンの耳にダリアの優しい鼻歌が聞こえてくる。
まるで子守唄でも聞かされているような気分になり、シンはウトウトと微睡んだ。
シンが眠りについて数十分後、この村で目を覚ました者がいた。
アイリスだ。
お腹をいつも減らしているアイリスがスープの良い香りで目を覚ましたのだ。
普段、眠る時に自分を縛っていた縄がない。
それに床ではなく、知らない部屋のベッドで寝かされている。
アイリスはおそるおそると部屋の扉を開けた。
そして、良い香りのする方に進んでいくと、そこには料理をしている姉の姿が見えた。
走り回れるほどの元気さはないが、それでもしっかりとした足取りで、他に村の男がいないか、警戒しつつ姉の元へと向かう。
シンの姿を見て、少しだけビクッとなったものの、眠っているのを確認すると安心した様子を見せた。
「お姉ちゃん」
ダリアのすぐ後ろまで近づいたアイリスは、小声でダリアに声をかけた。
ダリアは振り返ると、そこには自分の足でしっかり歩いているアイリスがいる。
思ったより大丈夫そうなアイリスを見て、安堵から薄ら涙を浮かべたダリアはアイリスを抱きしめた。
「アイリス、おはよう」
ダリアは、アイリスにもわかるように簡単な説明をした。
もうアイリスを殴ったりするような人はいないこと。
そこで寝ている冒険者のお兄さんに自分たち二人が助けてもらえたこと。
これから、二人でボルディアナと言う街で一緒に暮らせるということ。
そして、最後にアイリスにはまだ伝えていなかったことを伝える。
姉であるカトレアの死だ。
アイリスはカトレアの死を告げられた時には、少しだけ暗い表情を見せた。
少しだけだったのは、死んでいることを前々から知っていたからだ。
アイリスを見張る男が時々、カトレアの死を残念がっていた。
まだ幼いアイリスにはよくわからない下卑たことを独り言のように言っていたため、あまり内容はわからなかったが、カトレアがおそらく死んでしまっているのはアイリスにも理解できた。
「大丈夫よ。アイリスはつよい子だもん。私が泣いたら、カトレアお姉ちゃん心配するでしょ。だから、お姉ちゃんも泣かないで」
アイリスは泣くどころか、逆にダリアを慰めた。
アイリスに説明を終えたダリアはシンの肩を揺すって起こす。
シンも眠り自体はまだ浅かったようで、すんなりと起きた。
ダリアはシンが起きたのを確認すると、鶏肉を焼くため、調理場へ戻る。
シンが重みを感じて自分の膝の上を確認すると、ジルがシンのお腹を枕にする形で膝の上に座り、すやすやと眠っている。口元からはいつものことだが、少しだけ涎が垂れている。
シンはジルの頭を軽くポンポンと叩きながら、ジルに声をかける。
「起きろ、ジル。朝食の時間だぞ」
ジルもスープの匂いを嗅ぎ取ったのか、すぐに目を覚ます。
「むう、シンさん、おはようなのです。お腹減ったので朝食が楽しみなのです」
口元をこすりながら、ジルはシンに挨拶をした。
ダリアはしばらくするとシンの目の前のテーブルに朝食を持ってきた。
ダリアの隣にはぴったりとダリアにくっついているアイリスもいる。
シンはアイリスが思ったよりも元気そうなのでホッとした。
シンがアイリスを背負って、ボルディアナに行くにしても、やはりアイリスの体調が心配だったからだ。
「おう、アイリス。俺は冒険者のシンだ。思ったより元気そうだな」
シンは立ち上がって、孤児院の子やマックスに普段しているように頭を撫でようとしたところ、アイリスはさっとダリアの後ろに隠れる。
子どもから最近慕われていると自覚していたシンとしては、その反応は少しばかりショックだ。
ダリアはアイリスの反応を見て、慌ててシンに謝ろうとするが、シンはそれを遮った。
「ダリア、謝らなくていい。こんなところで長いこと虐げられてきたんだ。男の俺にちょっと怯えるのは仕方ねえ。ダリアが申し訳なさそうに頭下げてちゃ、余計アイリスが不安になるぞ」
アイリスはそんなシンをちらちらとダリアの後ろから見ていた。
シンはダリア達と同じテーブルを囲んで朝食を取る。
ダリアが用意してくれた朝食は並みの男性の3人前程度にはなろうかというボリュームだが、ジルがダリアやアイリスには気づかれないように上手く食べていっているので、十分に食べきれる量だ。
味は普段シンが泊まっている宿屋やリリサの手料理に比べれば劣るが、美味しいと言えるレベルだ。
しばらく料理をしてこなかったことを考えれば、上出来だろう。
女の子の手料理ということを加えれば、喜ばない男はほとんどいない。
シンは時々アイリスの方を見るが、アイリスは卵入りの野菜スープとスープでふやかしたパンをしっかり食べている。
肉も少しは食べたようだが、あまり食事をとらせてもらえなかったせいで肉はあまり受けつけないようだった。
朝食を摂り終えると、シンはアイリスをあまり怯えさせないように、距離を取りながら尋ねる。
「なあ、アイリスとダリアって甘いものって好きか?」
そう言って、シンは魔力袋からカステラを取り出した。
アイリスは初めて見るカステラに興味を持ったようだ。
「ぐへへへ。お嬢ちゃん、甘いものは好きかい、なのです」
(人を変態みたいに言うんじゃねえ!)
相変わらずくだらないネタばかりを言い出すジルの頬をシンは強く抓った。
「あいたたた、痛いのです。やめるのですよ。ジルは昨日から頑張ったのだから、これくらいは多めに見てほしいのです」
ジルは頬を擦りながらシンに抗議する。
確かに今回のシラガイの村での出来事でのジルの活躍は大きい。
だが、それとこれとは話は別だ。
「卵や牛乳、蜂蜜、砂糖なんかが入ってるし、栄養たっぷりだし、甘くて柔らかくて美味しいぞ。これから行くボルディアナでも人気のお菓子だ。まだ食べれるかな?」
「食べる!」
シンを少し警戒しているようだが、アイリスは元気よく返事をし、カステラを受け取ると匂いを少し嗅いだ後、勢いよく、頬張った。
「それじゃあ、私も」
ダリアもシンから受け取ると少しずつ食べていく。
この村でお菓子を食べたことなど記憶にない。
アイリスもダリアも美味しそうに食べている。
ダリアは半分ほど食べると、アイリスの方を見る。
「アイリス。お姉ちゃんはお腹いっぱいだから、アイリスが食べて」
そう言って、アイリスに自分の分まで与えようとした。
シンはそれを見て、止めるか止めないか迷う。
魔力袋の中にまだ多少カステラが残っている。
それをアイリスにあげればいい話だが、これはジルにとっても大切なおやつだ。
おそらくアイリスとダリアを連れて、ボルディアナに戻るにはおそらく6~7時間程度かかるだろう。
ダリアが途中で歩けなくなり、シンが二人を抱えて、歩くことを計算した時間だ。
そうなると昼食の時間を挟む必要が出てくる。
その時にジルが食後のデザートを要求した場合に、ジルが食べる分がないのだ。
(あんなに美味しそうに食べてたのに、お腹いっぱいだとか嘘だろう。うーん、ジルをどうすれば説得できるかな……)
シンとしてはせっかくなのでダリアにもカステラを食べきってもらいたい。
そしてアイリスにカステラのお代わりをあげたい。
悩むシンに対して、ジルは言った。
「シンさん、あの子にジルの分をあげてくださいなのです」
食い意地の張ったジルの言葉とは思えず、シンは驚いてジルに視線を向ける。
(ジル、お前……さてはジルの偽物だな!それとも誰かに操られているのか!?)
シンの考えにジルはプンプンと怒る。
「ジルはそこまで食い意地張ってないのです!あの子が痩せてて可哀想なのです。ジルは帰ってから、また買ってもらえばいいだけの話なのですよ」
(ジル、お前……偉いぞ)
ジルはシンに褒められ、てへへと照れる。
シンはジルの成長に涙を浮かべそうになったが、そこはグッとこらえる。
ジルの許可を得た以上、躊躇う必要はない。
「ダリア、それは自分で食べろよ。まだこの魔力袋の中に結構余ってんだ。アイリス、もっと食えるか?」
「食べる」
ダリアの分をもらっていいか悩んでいたアイリスだが、シンの言葉に嬉しそうに頷いた。
ダリアとアイリスがカステラを食べ終わると、アイリスはちょこちょことシンの前までやってきて、ぺこりと頭を下げる。
「お兄ちゃん、さっきは怖がってごめんね。助けてくれてありがとう。お菓子もすっごく美味しかったよ」
シンに対する警戒心が少しは解けたようだ。
このままだとアイリスを抱える時に怯えられたらと心配していたシンだが、これならダリアと一緒なら背負わせてもらうことくらいはできそうだ。
「別に気にすんな。それとボルディアナにはまだまだ美味しいものがあるからな。そのうち、俺が二人を連れて御馳走してやるよ」
アイリスはシンの言葉を聞いて、「絶対だよ」と喜ぶ。
「むむむ、お菓子で子どもを誘うなんて犯罪の臭いがするのです。衛兵さん、こいつなのです」
ビシッとシンを指さしながら、また余計なことを口にしたジルはシンに小突かれた。
「それで、これからどうするの?」
カステラを食べ終わり、一息ついた後、ダリアはシンに尋ねる。
「ボルディアナまで歩いていくことになるな。俺は馬に乗れないし、ダリアは乗れるか?」
「村にいたころには何度か乗ったことがあるけど、乗馬ってほどではないし」
「まあ、ボルディアナに馬持って行っても処分に困るしな。アイリスは俺がおんぶなり、肩車するし、ダリアも疲れたら遠慮なく言えよ。二人を担げるくらいには俺も鍛えてるから」
そう言って、シンは力瘤をダリアに見せた。
「それより、ダリアの姉ちゃんの墓はどうするんだ?ボルディアナに移ったら、なかなかこっちには来れねえし、骨の一部とかを持っていくのか?」
「そんなことしないわよ。あっちに行ったら、これの一部を埋めてお墓代わりにするわ」
そう言って、ダリアは紐でまとめた銀色の髪をシンに見せる。
カトレアの遺髪だ。
ダリアがカトレアが死んでいるのを発見した後、いずれアイリスのお守りでも作ろうと思い、彼女の長い髪の一部を切り取ったものだ。
「せっかく、これから姉さんも静かに過ごせそうなのに、墓を掘り返すなんてできないわよ。それに姉さんの墓は、姉さんが好きだった冒険者の遺体が埋められた場所のすぐ側だから、きっと寂しくはないわよ。その人、最後まで姉さんを憎まなかったようだし、きっと……この村を出る前にアイリスを連れて、最後にお祈りだけはしていくつもりよ」
ダリアはアイリスの頭を撫でながらそう言う。
「そうか。じゃあ、パンの残りを袋の中に入れたら、出発しよう。もう日は昇ってきているし、お祈り済ませば、ちょうどいい時間になるはずだ」
シンはそう言って、パンの残りを魔力袋の中に入れていく。本当ならスープの残りも持っていきたいところだが、空の革袋なんかはないし、そのまま魔力袋に流し込むのには抵抗がある。
アイリスはさほど大きくもない魔力袋にパンがどんどん入っていくのを不思議そうに見ている。
初めて魔力袋を見たのだろう。シンはその気持ちがよくわかる。
魔力袋を購入して、すぐの時はシンもアイリスと同じ表情を浮かべていたと思う。
「その袋って、たくさん入るんだ。お兄ちゃん、まるで魔法使いみたいだね」
その言葉を聞いて、即座にジルは反応する。
「そうなのです。奥手なシンさんが将来魔法使いにならないのか、ジルは心配で心配で夜も眠れないのですよ」
(子どもの言った言葉を下ネタにするな!まだ12年以上あるからな!それにお前は普段から熟睡してんだろが!)
その後、何度言われても懲りないジルはシンに拳骨で殴られた。