第10話 そろそろ悪い人のお家に行くのです
「妹が村長の家から一番離れた家に隔離されているの」
冒険者や行商人が村に来た場合、村長のところに訪れる。
村長の家から一番離れた家に隔離しておけば、仮に妹が泣いたとしても、訪れた者たちの耳には聞こえないからだ。
シンとダリアは様子を見に来るかもしれない村の者から不審に思われないように一つのベッドに入り、ある程度身体を密着させている状態だ。
ダリアがしゃべると息がシンの顔に当たり、少しくすぐったい。
「あの子を、アイリスを絶対に助けてあげて。シン、お願い」
「ああ、任せろ」
「でも、シン。村の男たちに気づかれないようにあの子を助け出すことなんてできるの?助ける前に気づかれたら、あの子が殺されてしまうかもしれない……」
「できる。俺を信じてほしい。絶対に助ける」
シンは村の者たちが皆寝静まってる1刻(午前2時)ごろに、ダリアの妹であるアイリスを救出するつもりだ。
ジルがいれば家の中から鍵を開けることも、アルメドビアで家の中にいる村の者もより深い眠りにつかせることも可能だ。
そして、ダリアとアイリスの両方を抱えて、日が昇る少し前にこの村を抜け出し、ボルディアナへと帰る。
ダリアは15歳、アイリスは8歳。
アイリスは栄養状態がダリアよりも良くないらしい。
さすがにシンも二人を抱えてボルディアナに戻るのは大変だ。魔物の警戒もしなければならない。
村からある程度離れたら、できるだけダリアには自分の足で歩いてもらうつもりだ。
だが、8歳で栄養状態も悪いアイリスがボルディアナまで歩けるとは思えない。
ずっとアイリスを抱える、もしくは背負って街まで戻ることになるだろう。
日が昇れば、村の者たちもシンがダリアとアイリスを連れて逃げたことに気づく。
その後、彼らがどう動くか、シンの予想は二つだ。
一つはシンたちを追う。足手まといが二人いる以上、気づいた時ではそこまで距離が離れていない。小さな村だが、何頭か馬もいる。その馬に乗り、ボルディアナの方向に向かえば、いずれはシンたちを発見できるだろう。そして口封じだ。
もう一つはシンたちを追うのをやめ、村を捨て、山賊や盗賊にでもなることだ。シンがダリアたちを連れ、ボルディアナでこの村のことを報告すれば、冒険者ギルドや騎士などが動くことは奴らにも予想できるだろう。そのままシラガイの村に残れば、待っているのは単なる破滅だ。
シンとしては村の者たちに二つ目を選んでもらいたい。
それがシンにとっては一番楽な展開だからだ。
いくら開拓者の村の者とはいえ、シンが恐れるような実力者がいるとは思えない。
それなら、こんな美人局強盗をするより冒険者でもしている方がよっぽど稼げるからだ。
せいぜい8級の冒険者くらいの実力の者が数名入ればいい方だろう。
侮るわけではないが、7級以上の冒険者の実力を持った村人がいるとは思えない。
ただ、それでもダリアとアイリスの二人を守りながら戦うには骨が折れるかもしれない。
場合によっては功徳ポイントも使用しなければならないだろう。
それに、あまり子どもや女性に血なまぐさい光景を見せることは、シンにとっても好ましく思わない。
シンの口封じをしたところで、冒険者ギルドからの疑念が増すだけなので、賢い判断ができるのであれば、2つ目を選ぶはずだ。
上手く逃げることができれば、命が助かる者も出てくるかもしれない。
考え事をしているシンに対して、ダリアは申し訳なさそうに謝罪を口にする。
「シン、面倒なことになってごめんね。あの、私、お金も持ってないから、シンがもし望むなら……」
シンとしてもダリアが言わんとしていることはさすがにわかる。
俯いてしゃべるダリアに対して、シンの顔も赤みをさす。
「シンさん、もしジルを気にしているなら問題ないですよ。ジルはシンさんを軽蔑しないのです。天界としても産めよ増やせよの精神で子作りは推奨しているのですよ」
ジルは茶化しているわけではない。
本当にそう思っている。
シンにもそれはわかるが、さすがに同意するわけにはいかない。
シンの考えに反するし、何より、助けてやる代わりに身体を差し出させるような下種なことはしたくない。
損得を考えるシンだが、そこまで堕ちた覚えはない。
(ジル止めろ。そういう話、俺は聞きたくない)
「ダリア、俺はお金もそういうことも望んでなんかいない。俺はダリアから感謝してもらえれば、それで十分なんだ。言っただろ、俺は感謝されるのが大好きな男なんだって。そんなこと気にするより、俺にずっと感謝していてくれ」
シンの言葉に安心したのか、ダリアは安堵の溜め息を漏らした。
そしてシンの顔をまじまじと見つめる。
「ダリア……あのさ、この距離で見つめられてるとちょっと恥ずかしいから、目を瞑ってろ。寝たとしても、俺が起きてるから。ダリアの妹、アイリスを助けに行く前にはちゃんと声をかけてやる。アイリスを助けた後、ダリアにはボルディアナへ歩いてもらわなくちゃいけねえから身体を休めておけよ」
シンがそう言うと、ダリアはこれまで気を張り詰めて疲れていたのか、目を閉じて、しばらくするとすうすうと小さな寝息をたてはじめた。
(ジル、ダリアの妹を助ける時にはジルにも手伝ってもらうから、ジルもしばらく寝ていていいぞ)
「はいなのです。ジルもあいつら嫌いなのです。お灸をしっかり据えてやるのですよ」
ジルはそういうとダリアと同じくすうすうと寝息を立てはじめた。
(ちゃんと助けてやらないとなあ)
シンはダリアの顔を眺めながらそう思った。
今、何時くらいなのか正確な時間はシンにもわからない。
ただ、シンはダリアとジルが眠った後、何度か窓から空を眺めた。
星の位置からして、おそらく1刻(午前2時)頃だろう。
そろそろ動き始める時だとシンは判断すると、ダリアやジルを起こす前に、レザーアーマーを身に着け始める。
それを着終わり、いつでも行ける準備を整えるとまずはジルを揺すって起こす。
「うーん、シンさん……お代わりなのです。もっとたくさんお願いするのですよ……」
ジルの寝言は決まって食べ物だ。
「ジル、朝食の時間だぞ」
シンがジルの耳元でぼそりと呟くと、ジルの目はぱっちりと開き、シンをまじまじと見つめ、その後ぷんぷん怒る。
「シンさん、ジルを騙したのですね。まだこんなに真っ暗で朝食の時間ではないのですよ」
「ばーか。ダリアの妹を助けに行くんだぞ。もう忘れちまったのか」
寝起きでボケてるジルに対して、シンは呆れたように話しかける。
「あっ、そう言えばそうなのでした。それでシンさん、ジルは何をすればいいのですか?」
「おう、さすがに今の時間帯に起きてるなんて思えないが、アルメドビアを持っていけ」
「ふむふむ、シンさん。つまりジルは悪い人の家に行って、そのアルメ……で、すやすやと眠らせればいいのですね」
「アルメドビアな。まずは家の中でダリアの妹と村の奴を確認する。そしてその後、家の扉が閉まっているようなら鍵や板なんかを外しておいてくれ。そして最後にアルメドビアを少量燃やして、煙が出たのを確認したらすぐに戻ってきてくれ。ジル、くれぐれも煙を吸うんじゃないぞ」
シンはジルがこの作戦を覚えているかどうか、ジルに復唱させる。
シンとしては少し不安だったが、見事にジルは復唱に成功した。
「ジル、よく言えたな。賢いぞ」
「へへへ、ジルも実は賢いのですよ」
褒められて鼻高々なジルはシンからアルメドビアを受け取ると、「では、行ってくるのですよ」と手をあげ、煙突部分から外へと出る。
そして、ダリアが話をしていた村長の家から一番離れた民家の煙突部分から同様に侵入する。
「えーっと、あのお姉さんの妹さんは……」
布をかけたランプから、薄らと零れる光を頼りにアイリスの存在を確認する。
ダリアの言った通り、この家にアイリスがいた。
眠る時だというのに、手足を縄で縛られ、床でシーツも与えられずに寝かされている。
万が一にも逃げたり、この家の村人に抵抗したりしないようにするためだ。
ジルの目からしても、アイリスは孤児院の他の同い年くらいの子達よりも、かなり小柄に見えた。
「よく眠っているがいいですよ。夢から覚めるころにはきっといいことがあるのです」
ジルはアイリスの頭を優しく撫でる。
そして、ベッドでぐうぐう暢気にイビキをたてる男を確認する。
この男に何か辛辣な悪戯をしたい気持ちに駆られたが、今はそんなことをしている場合ではない。
ジルはその気持ちをグッと抑えた。
そしてシンの指示通り、家の扉にかかっていた木の板を抜き、口や鼻を押さえながら、いまだに燃えているランプの中にアルメドビアを投入した。
布を取ったせいで、家の中の光は少し強くなったものの、このアルメドビアの煙でさらに深い眠りにつくのであれば、特に問題にならない。
シンたちがこの家に侵入する際にも明るい方が便利だろう。
ジルはアルメドビアから煙が出始めたのを確認すると、急いでシンの元へと戻った。
ジルがシンの元へと戻った後、少し経ってからシンはダリアを起こした。
ダリアはジルと違い、寝起きの良い方なのか、シンが軽くダリアを揺するとダリアはその大きな瞳をぱちりと開けた。
「シン、これからアイリスを助けに行くの?」
「ああ、だから俺は後ろを向いてるから、服を着替えてくれ。俺の服じゃ動きにくいだろ」
ダリアはシンの服を着ている。
こんなぶかぶかの男性の服では、まともに動けない。
ダリアはシンの指示にコクンと頷き、それに応えた。
シンが後ろを向くとダリアは着替えはじめる。
「シン、終わったよ」
シンはダリアの方を向いて話をする。
「ダリアが寝ている間に上手く準備を進めた。今からアイリスを助けに行くのに支障はない。詳しいことはアイリスを助けてから話をするぞ」
ダリアはまさか自分が寝ている間にシンが準備を進めていたとは思いもよらず、目を丸くしている。
ただ、疑問があってもアイリスを助ける方が先だ。
ダリアはシンの言葉に大きく頷いた。
静かにシンとダリアは家の扉を開け、外に出る。
月と目的の家である家から零れる光程度しか、明かりはない。
どこか遠くで狼の遠吠えが聞こえる。
なるべく足音すら立てないように気を付けながら、シンとダリアは目的の家へと向かっていく。
シンがアイリスのいる家の扉を引っ張るとギギィと少し音を立てながら、家の扉が開いた。
ダリアにはシンが魔法で家の扉を開けたようにさえ見えた。
ジルがランプにかかっていた布を外したおかげで、中に入ると明かりがあり、室内の様子がよくわかる。
アイリスを隔離する役目を負っている男は、シンとダリアが入ってきたことにも気づかず、眠りこけている。もちろんアイリスもだ。
シンは男の手足をがっちり縄で縛る。
起きそうになったら、魔力で強化した拳をお見舞いするつもりだったが、シンが手足を縛ろうと起きる気配がない。気持ちよさそうに眠ったままだ。
この男が起きたときの反応を想像するとシンは少し笑い出しそうになった。
シンは男を縛った後、ジルが外したランプの布をもう一度かけて、部屋の中を薄暗くする。
二人を抱え、暗闇の中、魔物を警戒することなどさすがにできない。
ダリアに松明を持たせて、アイリスだけを抱えるのも良いかもしれないが、それでも魔物に対する警戒は疎かになるだろう。
それならば、日がのぼる直前まではここで待機をした方が安全だとシンは判断した。
そして、ランプに布をかけなおさず、他の家よりも明かりが強ければ、早くに目を覚ました村人の中に不審に思う者が出てくるだろう。
ダリアはアイリスの手足の縄をほどいた後、アイリスを抱きしめている。
軽く揺すっても起きないアイリスを少し心配しているようだ。
「この家で催眠性の煙を少し焚いただけだ。薬師の人も眠りが深くなるだけで身体には害がないって説明してたから大丈夫だ」
シンはダリアにそう説明した。
(それにしても酷いことをしやがる)
シンはアイリスを見て、この村の連中に対する強い怒りが湧きあがる。
アイリスがかなり痩せ細っていたからだ。
ダリアも細いと感じたが、アイリスはさらにだ。
同業の冒険者4人を金銭目的で殺害したことに対してはそれほど怒りは湧いてこない。
まずシンにとって、赤の他人であることが大きい。
そして、その冒険者達には何の罪がなかったとはいえ、単なる魔物討伐くらいで村長の娘なんかが身体を簡単に委ねるはずがない。
ある意味では色香に惑わされたことが非なのかもしれないとシンは考える。
だが、幼い妹を人質に取り、妹を想う姉を言いなりにする。
さらには食事すら満足に与えていないことは、シンの感情を逆なでする。
(縄で縛るんじゃなく、手足の骨でも砕いてやりゃ良かったかな)
シンは男を睨み付け、そう思った。
シンはダリアに今後の予定を説明する。
後はもう少しこの家で待機し、村人たちが起きるより前に村から抜け出し、ボルディアナへと向かう。
幸い、この家は村の外れにある。
上手くいけば、村の連中に気づかれずに村を抜け出せるだろう。
シンは窓から村の様子を確認する。
「でも、そう上手くはいかないか」
この家で待機しはじめ、しばらく経った後、いくつもの松明の炎がこの家に近づいてくるのを確認したシンはそう呟いた。
シンとダリアがあの家から抜け出したことに誰か気づいたのだろう。
シンは腰に帯びていた剣を握ると、ダリアに声かけた。
「ダリア、どうやら村の連中が気づいたらしい。俺はちょっとあいつらを懲らしめてくるから、ここにいろ」
村の連中が近づいてきたことを知ったダリアは強くアイリスを抱きしめ、シンに尋ねる。
「シン、一人で大丈夫なの?」
「何も問題ない。俺はこの村の連中なんかより、ずっと強いんだから。でもダリアやアイリスが一緒だと戦いづらい。俺が家の外に出たら、扉に木の板をかけて静かにここで待っていろ。何、大して時間はかからないと思うよ。アイリスが夢から目覚めるまでに終わらせてくる」
シンはダリアを安心させるかのように力強く答えた。