第9話 どうしてこんな状況になったんだ
思わず果実水の入った革袋を落としたシンは慌てて、後ろを向く。
「服を着ろ、服を。俺は後ろを向いてるから」
ジロジロと見たわけではないのに、はっきりとシンの目にはダリアの裸が焼き付いた。
痩せて少しあばら骨が浮き出てはいるが、胸は小ぶりながらも膨らみ、少女から女へと成長しつつあることが見て取れた。
さながら、女として花開きかけた蕾のようだ。
ごくり
シンの耳には自分が喉を鳴らす音がはっきりと聞こえた。
心臓はドクンドクンと大きく鼓動し、顔もはっきりと紅潮しているのがわかる。
シンとしては初めて女性の裸を見たのだから仕方がない。
冒険者の中には娼館を日頃から利用する者がいるが、シンはこれまで娼館を利用したことがない。
金銭的な余裕ならあるが、シンは他の知り合いの冒険者に誘われても娼館を利用する気にはなれなかった。
娼婦を侮辱するわけではない。
他の男の冒険者が楽しそうに馴染みの娼婦の話をしゃべっているのを耳にしたこともあるが、日々殺伐とした生活を送る冒険者にとっては癒しとも言える存在だろう。
シンも男だから当然女性には興味がある。
でも、初めては互いに好きになった相手としたい。
少年特有の青臭さかもしれないが、シンはそう思っている。
「シン様……」
ダリアの声が先ほどより、近くで聞こえた。
床が軋む音から、ダリアがシンに近づいてきているのがわかる。
シンは慌てて、ベッドの上に置かれているシーツを広げ、薄目を開き、ダリアのいる位置を確認するとシーツでダリアの身体を包み込んだ。
「シン様、私の身体は見るに堪えない物でしょうか?」
ダリアは今にも泣きだしそうな震えた声でシンに尋ねる。
「いや、なかなか綺麗な……ってそういう問題じゃないんだ。……ダリア、君と話がしたい。君が裸のままじゃ俺は君と話ができない」
ダリアはこくんと頷き、シンの指示に従う意思を示した。
ジルは「あわわわわ」と両目を手で隠しながらも、そんな二人をチラチラと見ていた。
ダリアが服を着る間、シンは再び後ろを向いていた。
シーツでダリアの身体を包み込む際、軽くダリアを抱きしめるような形になったため、シンはいまだに心音を激しく鳴らしていた。
まさか自分がダリアが脱いだだけでここまで慌てるとは思わなかった。
(相手は年下の女の子なんだぞ)
シンは自分で自分を殴りたいような気持ちに襲われた。
ダリアはシンとは違い、逆にほっとしていた。
シンを騙さずに済んだことへの安堵感なのかなんなのか、ダリアにもそれはよくわからない。
服を着終わるとダリアはシンに一声かける。
薄目を向けて服を着ているか確認し、こちらに振り返るシンを見て、少しダリアは笑ってしまいそうな気持ちになった。
自分の痩せた身体なんかで、シンがこんなに慌てるなんて思いもしなかった。
シンはダリアが服を着たのを確認すると、先ほど落とした革袋から果実水を取りだし、それを火で軽く温める。
自分とダリアの分の二人分だ。
ダリアの顔色は先ほどよりも血の気を取り戻していたが、それでも温かいものを飲んだ方がいいだろうし、自分も飲んで気持ちを落ち着けたい。
温めた果実水を注いだコップをダリアに渡すと、シンは自分の分を先に口に含む。
ダリアもシンが口にした後、自分も温められた果実水を口に運んだ。
「美味しい……」
ダリアの口にもどうやら合ったらしい。
シンもダリアも黙ったまま果実水を飲む。
どんな風に話を切り出したものか。
シンは頭を悩ませる。
シンとしてはダリアを救わないということは既に頭からない。
今回のゴブリン退治ではまったく功徳ポイントが獲得できなかった。
シンとしては一日かけたにもかかわらず、ほとんどメリットがない。
せいぜい功徳ポイントを使用せず、無傷でグレイトホーンブルを倒せたことと、アルメドビアの効力を確認できたことくらいだ。
この村から得られたものなどないに等しい。
それならば、ダリアを救って感謝を得たほうが無駄にはならない。
それにダリアをボルディアナに連れ帰り、ギルドで証言させれば、ギルドが報復に乗り出すか、シルトバニア辺境伯の抱える騎士らが対処してくれるだろう。
自分は労せず、ギルドや騎士たちに恩を売れる形になる。
さらには金銭的な褒賞なども期待できる。
そして、ダリアにはボルディアナの生活に慣れるまで援助をしてやればいい。
「どうして、あんなことをしたんだ?」
「……」
シンはすでにダリアの事情を知っている。
だが、ジルのことを話すわけにもいかず、ダリアが事情を説明してくれるのを期待した。
ダリアはシンに本当のことを話そうかと迷う。
助けを願えば、この人は本当に助けてくれるのか。
話したところで助けてくれなければ、自分も妹も待っているのは絶望と破滅だけだ。
ダリアは黙ったままだ。
シンは話を作ってでも、ある程度事情を知っているように装おうと決めた。
自分がある程度事情がわかっていることを、相手もわかれば、自然と口が軽くなると思ったからだ。
そして、冒険者ギルドでこの村の情報を教えてくれた二人の職員のことを思い出す。
「実は俺、ここに来たのは冒険者ギルドからの依頼でもあるんだ」
「えっ」
ダリアは小さく驚きの声を上げた。
「この村の依頼を受けた冒険者パーティがボルディアナに帰ってきてから、数か月以内に各パーティから一人ずつ行方不明になっていることに冒険者ギルドは気づいた。さらに調べてみたら、行商人とかが、この村に来るはずだった、来たはずだった人が行方不明になっている。だから、この村には何かがあるってわかったんだ。そして、この村からのゴブリン討伐依頼を受けた俺にギルドが依頼を出した」
ダリアは黙ってシンの話に耳を傾けている。
「そして、この村に来てからの出来事でだいたいのことは俺にも理解できたよ」
(ああ、この人はすべて知ってたんだ)
シンに色仕掛けを仕掛けようとしたことに対する罪悪感と、それがばれていたことへの羞恥心でダリアの顔は真っ赤になる。
(私の知っていることを話そう。そして、私のできることならなんでもして、助けてくれるように願おう)
ダリアはそう思い、口を開こうとした。
村の男たちに何度も殴られた恐怖がフラッシュバックした。
裏切れば殺す、裏切れば妹も殺す。
何十回、何百回と呪詛のように聞いたその言葉がダリアの口を塞いだ。
声が出ない。説明したくても説明できない。
ダリアは口をパクパクと動かすも上手くしゃべられず、目にうっすらと涙を浮かべる。
シンはダリアのその様子を見て、提案した。
「俺が推測したことを話すから正しいなら首を縦に振れ。間違っているなら首を横に振れ。しゃべれないならそれでいい」
ダリアはシンの提案に頷く。
「まず、この村は強盗のようなことをしているな?」
「やり方としては冒険者なんかの場合、御馳走を振る舞ったり、女を抱かせたりして、この村に再び訪れる、訪れたいようにする」
ダリアは2回首を縦に振った。
「そして時機を見計らって、酒や薬物を使って冒険者の意識を奪い、拘束して金品などを奪う。そして魔力袋の中身の物を取り出させるために、場合によっては単なる殺害じゃなく、拷問にかけて奪った後に殺害している」
ダリアはもう一度首を縦に振った。
「ダリアは餌だ。俺を釣り上げるための。ダリアは自分の意思で俺に抱かれようとしたか?」
ダリアは頷き、そして一度首を横に振った。
「よくわかったよ。ダリア、夜が明ける前になったら、一緒にボルディアナへ行くぞ。村から距離を取るまでは俺がダリアを抱えて走る」
(シン、ありがとう。助けてくれるのね。ありがとう……でも)
シンは気づいていない。
これは私が言わないと。
私はあの子のお姉ちゃんなんだもの。
震えた声でダリアはしゃべる。酷く聞き取りづらい声だ。
それでもシンの耳にははっきり聞こえた。
「ありがとう。でも妹が人質に取られているの、あの子を助けて」
シンも人質に取られていることについてまでは気づかず、少し面倒くさいことになったとは思ったが、それ以上にここで功徳ポイントがついてしまったことが惜しかった。
(できれば、助け終わってからもっと大きな功徳ポイントが欲しかったな)
だが、まだ助けたわけでもないのに、一人で50もの功徳ポイントがついた。
助けた後、長期間にわたって功徳ポイントを得られるならかなり美味しいかもしれない。
少し気落ちしたシンだが、そう思うと元気が湧いてくるし、絶対に姉妹一緒に助けようという意欲も強くなる。
シンはダリアの願いを頷き、それに応える。
ダリアは妹のことを話した後、少し迷っている素振りを見せたが
「シン様、これからはシンって呼ぶね」
そう言って、笑顔を見せた。
シンはこの村に来た当初、ダリアに対して、自分のことをシンと呼べと言ったことを思い出した。
(これがダリアの本来の性格、そしてしゃべり方なんだろうなあ)
そう思ったシンはダリアに対して頷いて見せる。
「それでシン、これから妹のことについてもう少し話すわ。だから……」
そして、その後ダリアの放った一言でシンの思考が完全に停止した。
ダリアが再びシンの元へと向かった後のライアスの機嫌は最悪だった。
今回来た冒険者に対する試みが上手くいかないからだ。
あんな若造相手にお世辞を言うのは正直ライアスにとっても不本意だが、そのお世辞を喜びすらしない。
酒や御馳走でも振る舞っていい気分にさせてやろうとしたのに断った。
ダリアはあの男をベッドで誘ったようだが、それも上手くいかない。
それらに加えて、頭を激しく椅子でぶつけたというのも不機嫌の一因だ。
(ダリアが裏切ったとは思えん。今まで散々俺たちの言うことを聞くように、暴力を振るったり脅したりしてきたのだから)
ライアスは暴力の信奉者だ。
昔から村でも腕っぷしが強く、それで同世代や年下の男共を従えてきた。
普通に戦えば自分たちよりも強いはずの冒険者であっても、薬や酒で寝込みを襲われれば、赤子の手を捻るも同然だ。
連中が自分たちに怒り狂い、最初は強がっていたとしても、さんざん痛めつけ、拷問にでもかけてやれば、最後には自ら死を望むようになる。
「殺してやる!殺してやるぞ!」とさっきまで喚いていたのが一転して、「殺してくれ」と懇願する姿は何度見てもライアスを楽しませる。
ダリアは俺たちを恐れ、服従しているはずだ。
そのためにこちらに引き取った頃から食事もまともに与えず、暴力を振るい続けてきたのだから。
もっとも憂さ晴らしで殴ることもあったが。
(ひょっとして冒険者ギルドに勘付かれたか?)
一瞬嫌な予感がライアスの頭の中に浮かんだが、首を振り、愚かにもその考えを遠ざけた。
村長宅の玄関の扉を開ける音がライアスの耳に届く。
(失敗したか?)
だが、もしもダリアであるなら扉を開ける時はノックをするはず。
だからダリアではないはずだ。
シンではないことを祈りながら、ライアスは玄関へと向かう。
違った。シンではなかった。
ライアスはほっと息をつく。
村長宅に入ってきたのは猟師をしているイアンだ。
イアンはにやにやと愉快そうな表情を浮かべている。
「村長、ダリアのやつ上手いことやったみたいですよ。さっき確認したら、あの男のところに行ってベッドで一緒に寝てますぜ」
(ほら、見ろ。やっぱりあの年頃の冒険者なんて、女のことしか頭にない猿同然だ。女に誘われれば簡単に抱く。ダリアは肉付きは薄いが、顔はあの姉譲りだ。ましてや男を知らないんだ。いくら馬鹿で鈍くても、はっきりと誘えばイチコロだろう)
ライアスはイアンの報告を聞き、ニタニタと下品な笑みを口角に浮かべた。
(どうしてこんな状況になったんだ)
シンは同じベッドで横になるダリアの顔を見て、そう思った。
いや、大して深い理由もない。
ダリアがその後に言った言葉が原因だ。
「だから、一緒にベッドで横になって」
ダリアはシンに抱かれようと思って、そんなことを言ったわけじゃない。
どうやら部屋の中からは気づかれないようになっているが、外にのぞき穴があるらしい。
そんなのぞき穴には気づいてなかったシンは、少し焦り気味でダリアにもう一度村の者の手口を確認する。
酒や食事に身体を麻痺させる野草をすり潰した物を混ぜることがあっても、アルメドビアのような催眠性の煙などを部屋に流し込むようなことはないらしい。
ダリアが言うには、今回シンを一旦ボルディアナに帰すことは決まっているということもシンにとっては安心材料になる。
ダリアは軽く背伸びして耳元で囁いた。
「いつまでも私がシンのところに行って、灯りがついていると不審に思われるの。灯りを薄暗くすれば、夜目の利く村の連中がシンと私が一緒に寝ているか確認するはずよ。詳しい話はベッドの中でするわ。それと何か羽織るものがある?」
「シン。少しの間、後ろを向いてて……」
シンが魔力袋から予備の服を一着渡すと、ダリアはそう言って、シンが後ろを振り向くと男性用のぶかぶかな服に着替える。
そして、ダリアは自分の服をベッドの横に散らかし気味で置く。
シンもダリアの指示に従い、ゴブリン討伐の時に来ていた服をダリアの服の横に置いた。
その後、ランプに布をかけ、部屋の中を薄暗くすると二人で一つのベッドに入り、服を着ていることを気づかれないようにシーツを被って話をしているのが今の状況だ。
それがわかっていても、同じベッドで女の子が横になっている状況に落ち着かないシンは思う。
(どうしてこんな状況になったんだ)
「シンさん。やましいところがないなら、そんなに焦るべきではないのですよ」
ジルはそんなシンの隣で同じようにベッドで横たわり、ニシシと笑った。




