第7話 ほら、やっぱりジンクスってあるでしょ?
シンがシラガイの村に戻ると、少し予想外なことにライアスは村長宅でシンを待っていた。
時間稼ぎのために、村の外に出かけていることまでありえると予想していたシンにとっては肩すかしになった形だ。
シンがゴブリンの耳の確認をライアスに頼むと、ライアスは無駄話をすることもなく、ゴブリンの耳の数を数えはじめる。
「……予想以上に数が多いですな。22匹ですか。シン殿申し訳ございません」
ライアスは依頼書に書いていた数よりも多かったゴブリンの巣の討伐依頼について、深々と頭を下げ、詫びを入れる。
「いや、ゴブリンってすぐに繁殖するし、巣の中に入って、いちいち数を数えるわけにもいきませんから。この程度の誤差なら気にしないでください」
これまでにもゴブリンの巣で依頼書の数よりゴブリンが多いこともあった。
シンとしてもゴブリン十数匹という依頼だったのに、40や50といった数なら苦情を入れるかもしれないが、元々の依頼書の倍にも満たない数のゴブリンなら特に気にしない。
「一応ゴブリンの巣の洞穴は入り口を崩しておきましたから、もしも残りのゴブリンが巣の外に出ていたとしても、あそこに住み着くことはないでしょう」
「そうですか、実に見事な仕事ぶりですな。しかし、20匹を超えるゴブリンともなれば、時間がかかったでしょう」
「いえ、ゴブリンの巣程度であれば、それほど時間もかかりません。さすがに5㎞という距離には多少骨が折れましたが」
「5㎞?」
「ええ、体感ですが5㎞ほどゴブリンの巣まで距離があったので巣を探し、往復するのに時間がかかりましたし」
ライアスは肩をプルプルと震わせると大声を出した。
「ダリア!イアンを呼んで来なさい!」
目の前にいるシンは突如激怒し始めたライアスに驚く。
雷鳴のような大声にシンは思わず耳を塞ぎたくなった。
「申し訳ありません。イアンから話を聞いて、せいぜい2~3㎞程度とばかり思っておりました」
ダリアがイアンを呼びに行くのを確認したライアスはシンに謝罪する。
村長の言った2~3㎞という距離は一般的なものだ。
村からそのくらいの距離に魔物の巣を見つけた場合に、討伐依頼を出すケースがほとんどだ。
ダリアはすぐにイアンを連れてきた。
イアンはライアスに呼び出され、顔を真っ青にしている。
「貴様!5㎞のゴブリンの巣で依頼を出すように言うとはふざけているのか!……いや依頼を出すように私に進言したこと自体はいい。将来的な脅威の芽を潰しておくことも必要だし、具体的な位置を聞かなかった私にも責任がある。それよりも、シン殿を一人でそんな離れたゴブリンの巣に行かせるとは何事だ!どうして案内をしない?」
ライアスはイアンの胸倉を掴み、問いただす。
「だ、だってよ。村長、俺にも弓の整備とか用事が色々とあんだよ……」
ライアスの剣幕に怯えたイアンはぼそぼそと言い訳を述べる。
「そんなもの後回しにしろ。大した用事でもないだろうが!とっととシン殿にお詫びしろ」
「冒険者さん、すまなかった。迷惑かけたな」
イアンはシンに対して詫びの言葉を述べる。
「いえ、気にしないでください」
シンとしては別に謝罪をしてほしいわけではない。
基本的にシンが嬉しいのはごめんなさいより、ありがとうという感謝の気持ちだ。
ゴブリン退治を終えても、このライアスからは功徳ポイントがもらえなかった。
つまり、シンのゴブリン退治を感謝していないということだ。
「シン殿、うちの村の者が迷惑をかけて非常に申し訳ない」
「いえ、本当に気にしてないので謝罪も必要ありません。それよりも依頼書の方に完了のサインをお願いします」
ライアスはシンに促され、依頼書にサインを行い、シンに手渡す。
「シン殿、お詫びというほどのものではありませんが、今日は御馳走を用意しますので是非我が家に泊まって行ってください。さすがにシン殿と言えども、この時間からボルディアナに帰るのは困難でしょう」
(そういうことか)
シンは思わず舌打ちをしたくなった。
ライアスの剣幕に騙されてしまったような気分だ。
ライアスの言うとおり、今の時間からだとボルディアナに帰るのは困難だ。
街道に灯りなどないこのジルドガルドでは、日が沈めば、辺りは真っ暗となる。
ライアスはシンの魔力量や身体能力強化の技量を把握してないので、最初から今日は泊まらせるつもりだったんだろうが、シンとしてはこのやり取りがなければ、帰れる可能性がまだあったかもしれない。
今日は日帰りで仕事をこなす予定だったから、野営の準備もあまり十分ではない。
(どうする?泊まったとしても、今日すぐに危害を加えられる可能性はかなり低い。他の冒険者たちも皆無事に帰ってきていることだしな。だけど、こいつと一緒に食事をするのは危ないかもしれない)
「……俺としてもさすがにこの時間からボルディアナに帰るのは無理ですね。村長のお言葉に甘え、今日はこの村で一泊させていただきます」
「おお、それはよかった。私としてもこのままシン殿を帰してしまうのは心苦しかった」
「ですが、御馳走は必要ありません。ご好意を無駄にすることになってしまいますが、実はジンクスなんです」
「ジンクス?」
ライアスは怪訝な顔をして、シンに尋ねる。
「ええ、ジンクスなんです。やっぱり冒険者なんで縁起を担ぐんです。俺、実は冒険者として依頼を受けている間は人からもらったものを食べないことをジンクスにしているんです。ほら、帰るまでは完全に依頼を終えたわけじゃありませんし」
万が一にも食事で薬物などを盛られるわけにはいかない。
シンとしてはそんなジンクスを持っていないが、そんなこと村長にはわからない。
こちらに来てから、水やお茶などの飲み物すらもらって飲んだわけではないのだから。
ライアスはしばらく考えるが、溜め息をつく。
「無理強いはできませんな。冒険者に縁起を担ぐものがいるということは私も知っております。そうですな、シン殿が私どもと食事をなさらないなら、我が家にいるのも居心地が悪いかもしれません。幸い、この村には新しく村民が入ってきた場合を考え、いくつか空き家を用意しております。大して家具などはありませんが、ベッドと粗末な机や椅子程度は置いてありますので、そこをお使いください」
シンとしてもライアスの提案は好都合だ。
ライアスの家で一夜を過ごすよりは、人の使っていない空き家を使う方がいい。
空き家に何か仕掛けがないかどうかも、入ってすぐに調べれば、おそらくわかるだろう。
「ダリア、シン殿をご案内しなさい。シン殿、何もお持て成しできず大変恐縮ですが、せめて一晩ゆっくり身体をおやすめください」
ライアスはダリアにシンの案内をするよう指示を出す。
「わかりました、お父様。では、シン様。空き家の方に案内しますので、私についてきていただけますか?」
シンが頷くのを確認したダリアは村長宅の扉を開け、外に出る。
シンもダリアと共に外に出たが、すでに日は沈みかけようとしている。
あと1時間ほどもすれば、夜の闇がシラガイの村を覆い尽くすだろう。
ダリアは黙って、シンを案内する。
空き家は村長宅から40mほど離れた場所に、村の端の方にあった。
空き家のサイズは単身者を想定したものであるため、こじんまりとした小さな小屋だ。
「シン様、こちらが空き家になります。時折掃除はしておりますので、そこまで汚くはありませんが……」
「別に雨や風をしのげれば十分だ。冒険者なら場合によっては一晩外で過ごすこともあるわけだし」
申し訳なさそうに言うダリアをシンはフォローする。
「そう言っていただけるとありがたいです。中にはランプと蝋燭も置いてありますのでどうぞ遠慮なくお使いください」
「ああ、助かるよ。じゃあな、ダリア。もう大丈夫だから」
「はい。それと中から木の板で扉を開けないようにすることができますので、眠る際にはそれもお使いください。それでは私はこれで」
ダリアはシンに対して、説明が済むと一礼して、自宅へと戻る。
シンはダリアが帰ったのを確認すると恐る恐る空き家の扉を開けた。
中には簡単な調理器具や、椅子、机、そして簡素ながらベッドもある。
小さいながらも窓もあり、ベッドの上には2枚大きめのシーツが折りたたまれ、置かれている。
シンは慎重に家の中を調べる。
特に不審な様子は見当たらない。
少なくともシンを捕らえたり、危害を加えるような仕掛けは見つからない。
(考えすぎかな?)
空き家に罠がしかけられている可能性も少し考えていたシンは溜め息をつく。
ギュルルルー
ギュルルルー
どうやら9刻(18時)をとっくに過ぎているようだ。
自己主張の激しいジルのお腹が鳴る音がシンにも聞こえた。
「シンさーん……」
「情けない声を出すな。簡単なものだけど、今から夕食を作るよ」
「はいなのです」
「できたら呼ぶから。ジルは夕食ができるまでこの家に人が近づいたり、監視してないか確認しといてもらえるか?」
シンの料理と言っても簡単な物だ。
今日狩ったばかりのグレイトホーンブルの肉を一塊取り出し、ステーキサイズに5枚ほど切り取る。
それをナイフでとんとんと叩いて、引き伸ばし、肉の上に血の臭みを取る香草を乗せ、軽く揉んだ後にさらに細かく切り、太めの串を肉に通していく。
10本ほどのグレイトホーンブルの串焼きをメインにするつもりだ。
そして傷の消毒に普段は使う、度数強めの果実の蒸留酒をかけて、後は肉に酒や香草が染みこむのを待つだけだ。
その待ち時間の間にシンは鎧を脱ぐ。
暑いこの時期は、鎧を脱ぐだけでほっと一息ついた気持ちになる。
汗臭い服も脱ぎ、魔力袋から予備の服を取りだし、それに着替える。
(そろそろ焼こうかな)
本来ならもう数十分は酒に浸しておきたいところだが、ジルのあの腹の虫の音からして、そこまで我慢できるとは思えない。
シンは空き家にあった調理器具などをよく水で洗い、フライパンを熱し始める。
フライパンから煙が出ると脂身を落とし、油を引く。
その後、串に通した肉をフライパンで焼き始める。
そして、片面ずつ塩をぱらぱらと振りかける。
ジュー
肉の焼けるいい匂いが部屋いっぱいに広がる。
肉の焼ける音も心地よい。
「シンさん、とりあえず今のところは見張ってる人とかいないのですよ」
肉の焼ける匂いに誘われたのだろう。
ジルはシンが呼ぶ前に家の中に入ってくる。
「ジル、ご苦労さん。もうちょっと待ってくれ。もうすぐ焼き上がるからな」
シンは相変わらずのジルを見て笑った。
ジルはシンの後ろで、うずうずと肉が焼き上がるのを待つ。
「まだなのですか?まだなのですか?」
「まだだぞ。もうちょっと待てよ」
「むー、ジルはちょっと生でも大丈夫なのです」
ジルは早く夕食を食べたいようでシンを急かす。
「焼き上がったぞ」
なるべくこの家にある食器などは使いたくない、シンは清潔な布をテーブルに一枚広げると、その上に焼き上げた串焼きを置いていく。
そして、魔力袋からパンと果実水の入った革袋を取り出し、果実水を携帯用のコップに注げば、シンプルながら夕食の完成だ。
「こんなもんで悪いけど、さっさと食うか」
「ジルはシンさんの焼いてくれるお肉が屋台のお肉よりも好きなのですよ」
ジルのその一言にシンは口元を緩ませる。
「ジルは6本食べていいぞ」
「わーい、シンさん太っ腹なのです」
本当なら5本ずつで分けるつもりだったが、ジルの一言で気を良くしたシンはジルに一本多く譲る。
そして、シンは手を合わせると果実水で喉を潤した後、串焼きを口に運ぶ。
シンプルな串焼きだが、肉の旨味が濃厚で、相変わらずグレイトホーンブルの肉は美味い。
ジルも一心不乱に肉を頬張る。
時々パンも口に運ぶが、ジルはやはりパンよりも肉の方が好きらしい。
あっという間に10本の串焼きがシンとジルの腹の中に消えた。
夕食が済み、満腹感でのんびりしていたシンとジルだが、しばらくすると家の扉を叩く音がした。
シンは警戒して、傍に置いていた剣を右手で持つ。
「誰だ?」
シンは少し大きな声で、家の外にいる来訪者に声をかける。
「シン様、ダリアです。シン様に少しお話を聞きたいと思って来ました」
10刻(20時)を過ぎたころにシンのいる空き家に訪れたのは村長の娘ダリアだった。