第4話 山吹色のお菓子をどうぞ
シラガイの村はボルディアナの北西30㎞に位置する。
シンの足ならそこまで急がなくても4時間程度あれば、十分に到着できる。
シンがボルディアナを出発したのは朝の4刻(8時)前だ。
昼の12時頃には到着するだろうし、ゴブリンの巣程度なら1時間もあれば余裕を持って一掃できる。
それに7月(向暑の月)は日が暮れる時刻が遅いこともあり、シンにとっては30㎞という距離であっても、日帰りで魔物討伐ができる場所に過ぎない。
シンはジルと会話しながら、シラガイへの道のりを進んでいく。
時折距離を稼ぐために軽く走ることもあるが、ダラスの村の時とは違い、そこまで急ぐ必要もない。
たかが十数匹のゴブリンだ。
いくらゴブリンが繁殖力が強いからと言って、ほんの数日で倍の数に増えるわけではない。
村の近くまでゴブリンがやってきても、村に大きな被害が出るような可能性は低い。
シンはボルディアナとシラガイの中間くらいの位置に差しかかった時、一頭のグレイトホーンブルを発見した。
池の水べりで草をもしゃもしゃと食し、シンにまるで気づこうともしない。
本来なら、魔物討伐依頼を受ける時は自分に向かってきた魔物以外は相手にしないシンだ。
だが、先月から不意打ちができれば、功徳ポイントを使わずともグレイトホーンブルを倒せるようになったシンにとって、無防備なグレイトホーンブルを見逃すのはさすがに惜しかった。
(ゴブリン退治だと村からの報酬は少ないことだし、行きがけの駄賃代わりにグレイトホーンブルも狩っていこう)
今日はついているなとシンは思いながら、剣を構える。
シンは先月、剣を新調した。
功徳ポイントをなるべく使用せずに魔物討伐するためには、威力ある剣を使用したほうがいい。
新調した剣の材質は前の剣と同じだが、一回りほど大きく、使ってみたところ切れ味も鋭い。
以前使っていたのは普段魔力袋に放り込み、いざという時の予備にしている。
剣に魔力を注ぎ込み、丁寧に剣の刃先に集める。
今までは剣全体に魔力を注ぎ込んでいたシンだが、ガルダの教えで衝撃波を放つときは剣の刃先に魔力を凝縮するように心がけている。
まだこの技法に慣れていないシンだが、相手が気づかず、不意をつけるなら時間がかかっても何ら問題ない。
シンはグレイトホーンブルの首を狙い、上手く首を刈り取った後、丁寧にグレイトホーンブルの遺体を解体し、素材を剥いでいく。
池が近くにあるのも好都合だ。
素材を剥ぐ時に鎧などについた血を水拭きして、血糊を落とす。
ジルはシンが素材を剥ぐ間、暇なので池でバシャバシャと水遊びに興じている。
欲しい部分の素材を剥ぎ、魔力袋に収納し終えたシンは、そろそろ出発しようとジルに声をかけようとしたが、それよりも一足先にジルが少し興奮気味でシンに飛びついてきた。
「シンさん、ジルはやったのです。ジルはやっぱりできる子なのです。褒めてもいいんですよ」
何の話をしているのか、いまいちわからないシンは首を傾げる。
それに気づいたジルは大きな声で説明する。
「アルメなんとかです。お婆さんが言ってたアルメなんとかです!」
「アルメドビアか」
「そうです、そのアルメドビアですよ。ジルがさっき甘い香りに誘われて行ってみたら発見したのですよ」
シンは薬師の老婆の説明を思い出す。
確かにこの池の周辺は老婆の説明していた群生地の条件に当てはまる。
「ジル、でかしたぞ」
シンは大喜びでジルの頭をワシャワシャと強く撫でる。
シンが喜んだのも当然だ。
強い睡眠性の煙を出すアルメドビアがあれば、ゴブリン退治も格段に楽になる。
シンはゴブリンといえども、油断はしない。
不意を突かれて露出した喉などの急所を狙われれば、いくらゴブリンと言えども、大怪我を負いかねない。
最悪の場合、死ぬこともあり得る。
リスクは少なければ少ない方がいい。
ジルに連れていかれて、その場所に行くとジルの言葉通りアルメドビアが多数群生している。
シンはアルメドビアを根っこの方から丁寧に抜いていく。
ジルもシンを真似てウンショ、ウンショと必死になって抜く。
根こそぎ抜いていくのはさすがに拙いかとシンが思った時には、すでに手当たり次第引っこ抜いてしまっていた。
「まあ、いっか。もう一度埋めなおすのも大変だしな。こんなところを俺が通ることなんてめったにないし、しばらくしたら見落としてるやつとかで増えそうだから気にしないでおこう」
シンは池の水で手についた土を洗い落とすと、ジルに恭しくお菓子を差し出す。
「御代官様、これは私どもからのほんの気持ちです」
「うむうむ、ジルが山吹色のお菓子を好きなのを良く知っているのです。褒めて遣わすのです」
ジルが差し出されたカステラを食べている間に、シンは魔力袋の中にアルメドビアを収納していく。
アルメドビアを収納し終えるとシンはあることに気づき、大声をあげた。
「しまった!」
「どうしたのです?あう、敵襲、敵襲なのですか?あっ」
シンの大声に驚いて、カステラを地面に落としてしまったジルは悲しそうな顔でそれを見つめた。
が、すぐにそれを拾い、土を払うと口に放り込む。
「まだ落としてから3秒経ってないのでセーフ、セーフなのです」
「お前なあ」
シンは地面に落ちたものを口にしたジルを呆れたように溜め息をつく。
「それより、何なのですか?」
「ジル、太陽を見ろ」
「今日もお日様の照り付けるような日差しがジルの美白を真っ黒にしようと企んでいるのです」
「どんだけ自意識過剰なんだよ。ちげーよ、時間、時間だよ!このままだと日帰りできなくなるぞ」
すでに太陽はほぼ真上まで来ており、ジルの正確な腹時計が昼食を所望しなかったことを考えれば、まだ6刻(12時)にはなっていないだろうが、このままだと帰りは走って帰らなければならなくなる。
「シンさん」
「なんだよ」
「そろそろお昼ご飯の時間なのです」
「俺の肩にでも乗っかって食べとけ」
シンは大きめのパンの切れ目に肉が挟まれたものを渡し、自分も同じものを食べながらシラガイの村へと進む。
そして、食べ終わると大急ぎでシラガイの村に向かって走り出した。
シラガイの村は開拓者が作った人口40人に満たない小さな村だ。
若い男性が多く、年長者でも30そこそこに過ぎず、開拓者の村ができたばかりでは嫁取りも難しく、この村には女性が二人しかいない。
その数少ない女性の一人、ダリアは石の前で姉への祈りを捧げる。
肩甲骨付近にまで伸ばした銀髪を束ねた、まだ10代半ばの少女だ。
その身体はまだ細く、大人の女性のような色気を感じさせないものの、見る人が見れば、将来への期待を抱くことだろう。
日焼けしにくい体質だということもあり、その肌は開拓者の村の女性に似つかわしくない白さだ。
ダリアはボルディアナの方向から黒髪のレザーアーマー姿の男が村にやってくるのに気づいた。
「姉さん……」
何と姉に呼びかければいいのかわからなかった。
「……また明日も来るね」
ダリアは姉の墓にそう告げると自分の獲物になるだろう、もう村の入り口にまで近づいている男の方へと歩き出した。
「小さい村だな」
シラガイの村に到着したシンは小声で呟く。
ゴブリン退治で、しかもこの人数。
さらにはギルド職員から聞いた厄介事の予感。
(あんまりポイント稼げなさそうだし、さっさと終わらせて帰るべきだよな。今から急いで退治すりゃ、なんとか日暮れまでにはボルディアナに帰れそうだし)
シンは入り口の近くで畑作業に精を出している男性に声をかける。
「すいませーん。ボルディアナから来た冒険者です。村長さんはどこにいますか?」
男性はジロジロとシンの身なりを確認すると、笑顔でシンに話しかける。
「お、冒険者かい。助かるよ。まだ小さな村だからゴブリンの巣くらいでも大事なんだよ。えーっと、村長の家な。おっ、いたいた。あの子が案内してくれるからついてってくれ」
そう言って男性はこちらの方に向かってくる少女を指をさす。
シンは男性の指の方向を見ると、こちらに歩いてくる少女の姿が見えた。
夏の暑い日差しが少女の銀髪を照らし、シンの目にはその髪がキラキラと光り輝いて見える。
(うわ、細いな。ちゃんと飯食ってんのかな。村長の娘でも厳しい生活してんのかな)
少女の細い身体を見て、シンは少女が開拓者の村の過酷な環境でやっていけてるのかと少し心配しそうになる。
身長はシンの口元くらいの高さなので160㎝くらいだろう。
(やっぱ、大変なんだろうな。でも、こんな場所で暮らしている割には肌の色が白いな)
シンは少女の容姿に少し疑問を持ったものの、その思考はすぐに止まる。
「冒険者様、よくお越しくださいました。私はこの村の村長の娘、ダリアと申します」
銀髪の少女がそう言って、恭しくシンにお辞儀をしたからだ。
シンもこれまでに何度も色んな村で魔物退治をこなしてきたが、冒険者様、などと呼ばれたのは初めてだ。
魔物退治に来たことで歓迎の言葉をかけられたことや討伐後にねぎらいの言葉をかけられたことはある。
だが、これほど村に着いたばかりの一冒険者に恭しく対応する人に出会ったのは、この村が初めてだ。
「冒険者様なんて呼び方しなくていいよ。ボルディアナからきた6級冒険者のシンだ。シンと呼べばいい」
「そんな。魔物討伐に来てくださった冒険者様を呼び捨てになんてできません。そうですね、シン様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
ダリアは少し困った顔をして、首を振る。
シンとしては殿付けはともかく、様付けともなると居心地の悪さを感じるが、こんなところで言い合いするのも馬鹿らしい。
「まあ、君の好きなように呼んでくれればいいよ。それで君の家はどこ?」
シンがダリアに尋ねると、ダリアはシンに身を寄せ、手を握る。
「それではご案内しますね」
「て、手なんか急に握るなよ」
急にダリアに手を握られたシンは慌てて、手を振りほどく。
シンの取った対応にダリアは表情を曇らせると、少しだけシンに罪悪感が沸いた。
「ほら、冒険者って武器を手にする職業だから、人と握手するのはちょっと」
「そうですか。……じゃあ、案内しますのでついてきてください」
シンは自分でもよくわからない言い訳をしたものの、一応ダリアも冒険者はそういうものなのかと納得したようで、シンを先導し、村長の自宅に向かって歩き出す。
シンのその反応を見ていた男性は軽く表情を歪め、唾を吐き捨てた。
(なんかこの子、ちょっと気味が悪いんだよな。様付とか妙に恭しい態度とか、表情もなんかぎこちない、作り物っぽい感じがするし。それに、急に、て、手なんか握ってきたりとかさあ。なあ、ジル?)
シンはダリアの後ろを歩きながら、ジルに対して話しかける。
だが、ジルの方から返事は返ってこない。
本来であれば、シンがこういった反応を取ったりすると、面白おかしく茶化すのがジルだというのに。
(ジル?)
シンが辺りを見回しても、ジルはシンの傍にはいなかった。
ジルはシンから離れたところを飛び回り、何かを確認するように外に出ている村人の姿をジロジロと見ては、また別の村人の姿を見るために移動している。
そして、今、シンの方に猛烈な勢いで近づいてくる。
「大変です!大変なのです!」
ジルが真っ青になりながら、慌ててシンの方へと飛んでくる。
「シンさん、大変なのです!」
(何が大変なんだ?)
「ジルが見た限り、村人さんはみんな、功徳ポイントがぶっちぎりでマイナスの悪人さん達なのです」
どうやらギルド職員の疑いは正しかったようだ。
(一度戻ってきた冒険者が行方不明になったのとかって、やっぱりこの村のせいなんだろうなあ)
厄介事の予感が増していく中、シンは大きく天を仰いだ。




