第2話 死屍累々、生きる屍なのです
今、現在は7月(向暑の月)。
シンがマンイーターを討伐した4月(花薫の月)と同じく、騎士団の魔物討伐が行われる月だ。
前回のダラス村でのマンイーター襲撃事件を教訓にしたのか、今回は各街に騎士団から数名ずつ騎士を配置した。
少人数ではあるものの、何か問題が起こってもすぐさまその場所に出向ける体制をシルトバニア辺境伯は築き上げたのだ。
大規模な人員はさすがに割けないので、騎士団から割かれた人員は5級以上の脅威度の高い魔物にだけ対応するようにとシルトバニア辺境伯は冒険者ギルドと協議をした上で彼らに命じている。
7級、6級冒険者でも対応できる依頼も騎士団が持っていくことになれば冒険者の仕事を奪うことになりかねず、また、いざ脅威度の高い魔物が村を襲った場合に騎士が対応できない可能性があるからだ。
それにラドソル王国貴族の中では魔物討伐を定期的に行い、税率は低くないものの善政を敷いていると言われるシルトバニア辺境伯領でも、常に各村からの頼みを聞けるわけではない。
冒険者のレベルを上げることで、将来的には騎士団に引き抜くことになるかもしれない人材の育成も兼ね、冒険者ギルドと上手く連携し、領内の治安を高めるというのが、シルトバニア辺境伯の方針だった。
このボルディアナにも4級、5級の冒険者の数が少なくなるということで、騎士団から5名の人員が派遣され、冒険者ギルドに残っている冒険者では対応しきれない事態に備えている。
そして、今、ボルディアナの冒険者ギルドの訓練場では多くの冒険者が倒れていた。
そんな中、短い赤髪の男が元気そうに動き回り、多数の冒険者たちを叩きのめしている。
「はっはっは!手ごたえないぞ!そんなことじゃ、騎士には推薦してやれん。もっと気合を入れろ、気合を!」
シルトバニア辺境伯領第4騎士団副隊長のグラスだ。
グラスは木刀で冒険者たちを叩きのめし、楽しそうに笑っている。
その後ろの方では心配そうに冒険者を見つめるミーシャの姿があった。
第4騎士団でもトップの実力を誇るグラスが魔物討伐に同行していない理由は、いたって単純な話だ。
前回の魔物討伐でグラスはシン以外にも目を付けた冒険者数人を騎士に勧誘し、最終的には勧誘に成功した。
だが、グラスの冒険者に対する勧誘方法が強引過ぎたことに怒った総団長が、今回グラスには魔物討伐の同行を許さず、街での待機人員として扱ったからだ。
グラスは生粋の武人だ。
そのグラスが魔物討伐の同行を許されないからと言って、そのまま街で問題が生じるまでじっと待機しているはずがない。
退屈を持て余したグラスは、他の待機している騎士たちに稽古をつけてやると言って、扱いた。
「ふむ、鍛錬が足りんな。そんなことじゃ栄誉あるシルトバニア辺境伯領騎士団の一員は名乗れんぞ」
本来、待機している騎士たちを動けなくなるまで扱くというのはありえない。
いざという時に対応できなくなる可能性があるからだ。
グラスに物怖じせず、注意できる逸材としてグラスと共にボルディアナに派遣されたミーシャが何度注意しても、グラスはまるで聞こうとはしない。
「俺一人でも4級の魔物ごときなら問題ない。何か問題が起きれば、俺が一人で向かい、こいつらにはしばし休息を取らせて、他の問題が起きたときに対応できるようにしておけばよかろう」
実際グラスの言い分も間違いではない。
5名しかいないのに、問題が起きたときに数人、もしくは全員でそこに向かえば、運悪く、すぐに新たな問題が生じた際には対応できないかもしれない。
問題が起きれば5名の中で、ずば抜けた実力を誇るグラスが一人で赴き、他の人員は新しい問題に備えて待機しておくのも一つの手段だ。
グラスも扱くとは言ってもさすがに大怪我を負わせたりはしていない。
せいぜい打撲、大きな痣ができる程度に手加減している。
中には運悪く、骨にヒビの入った騎士もいるが、そこは治癒魔法の使えるミーシャに治療させればいい。
グラスの中では十分に手加減をして扱いているつもりだが、それでも通常の訓練をはるかに超える、きつい扱きだ。
怪我の治療要員でもあるため、さすがにミーシャを扱きぬくことはできない。
せいぜい軽い立ち合いを何度か繰り返す程度だ。
騎士たちを扱くと言っても、ミーシャを除けば、たったの3人。
グラスの扱きについては行けず、あっさりと騎士たちは地面に蹲ってしまう。
「うーん、暇だ。……そうだ、あそこなら人はたくさんいるだろう」
グラスはそう呟くと、騎士たちの治療を終えたミーシャを引っ張って出かける。
「ちょっとグラスさん、まだ治療が済んでいないですよ」
グラスの基準では痣や擦り傷程度は怪我のうちには入らない。
すでにグラスの中では十分な治療がなされたと判断されているのだ。
グラスが赴いたのは冒険者ギルドだ。
グラスが身に纏う鎧に入れられている、騎士であることを示す紋章を見た冒険者たちは色めき立った。
グラスはずんずんと冒険者ギルド内を進み、受付の前に立つ。
「第4騎士団副隊長のグラスだ。ギルド長か、副ギルド長に取り次ぎを頼む」
グラスは受付嬢に対して、ギルドの幹部との面会を申し込んだ。
(さすがに許可を得ず、無茶をして、次も待機に回されるのはごめんだからな)
グラスはボルディアナでの待機を命じられ、この街にやって来た当日、一度ギルド長と面会している。
挨拶ともう一度自分たちの役割確認のためだ。
副ギルド長の役割はギルド内の実務だが、ギルド長の役割は領内の貴族や国との交渉役だ。
時には神殿との交渉を行うこともある。
冒険者が自由な存在であり、冒険者ギルドの指示に従うわけではないと言っても、そこに所属している冒険者の数や、上位の冒険者の質を考えれば、貴族や国に脅威に思われかねない。
そのため、ギルド長は普段から貴族や国の役人たちと面会し、そういった不安を抱かれないように心がけている。
第4騎士団の副隊長ほどの人物が何か用事があって、自分との面会に来た。
(厄介ごとじゃなければいいが)
ギルド長は頭を悩ませる。
挨拶に来た際に、グラスの人となりはそれとなく把握している。
騎士団の中でも剛剣使いとして名高いグラスだ。
こういった豪の者に多い、少し強引な性格をしているものの決して悪い人物ではない。
それはギルド長としても理解している。
だが、それでも不安は消えない。
「ギルド長、失礼するぞ」
軽くノックの音がすると、ギルド長がどうぞと言う間もなく、グラスは入室してきた。
グラスの後ろでは去年まで有望な冒険者として活躍し、ギルド長とも面識のあったミーシャが申し訳なさそうに頭を下げている。
「これは、これはグラス殿。騎士団の方から何か御依頼ですかな?」
副ギルド長よりは若いが、それでもグラスより10歳以上年上のギルド長はグラスの対応にあまり気を留めることなく、訪問の理由を尋ねた。
「いや、今日は騎士団の方の依頼ではなく、俺の個人的な頼みだ。訓練場を使わせてほしい」
(はて、訓練場?騎士団の方たちが駐留してる施設にも簡易なものとはいえ、それなりの広さのある訓練場があるはずだが……)
ギルド長はグラスの意図がわからず、返答に詰まる。
「いや、ちょっと頼みが不適切であったな。訓練場を使って、鍛錬している冒険者を少しばかり扱かせてほしい」
グラスは自分が冒険者ギルドを訪ねたわけを話す。
ギルド長の嫌な予感は的中した。
グラスの実力を考えれば、グラスにとっては軽い扱きのつもりでもまだ実力の不十分な冒険者が潰されかねない。
だが、グラスはボルディアナにいる冒険者の中では最高位である4級冒険者にも勝ると思われる実力者だ。
若い冒険者にとっては、人がどこまで強くなれるかの高みを知る良い機会にもなるだろう。
単に断ってしまうのは簡単だが、少しばかり惜しい気もする。
ギルド長は頭をペコペコと下げているミーシャを見て、この条件なら冒険者が潰されないだろうとグラスに提案した。
「条件はありますが、許可を出しましょう。条件は4つです。まずグラス殿は全力を出さず、できるだけ手加減をすること。また、当たり前のことですが、嫌がる冒険者を扱くのは禁止です。次に怪我をした冒険者にはミーシャさんが治療をすること。そして最後の条件ですが、仮に冒険者を続けられなくなるような大怪我を負わせた場合、グラス殿がその冒険者の生活のために就職できるところを紹介するか、生活できるように金銭的な援助を行うこと。これが飲めるなら許可を出しましょう」
グラスはその提案に大きく頷き、その後ギルド長が書き上げた書面にサインを行った。
その結果が訓練場に横たわる、死体のような数多くの冒険者たちだ。
冒険者たちも最初はグラスに扱かれるのに乗り気ではなく、ちらりと一瞥はしたものの、基本的には自分たちの鍛錬を行っていた。
だが、グラスの口にした言葉が冒険者たちをグラスに向かって殺到させた。
「そこで鍛錬を積んでいる小僧ども!俺は第4騎士団副隊長のグラスだ!何人同時でもいいから、この俺にかかってくるがいい。一撃でも俺の身体に当てることができれば、騎士に推薦してやるぞ。たとえ俺に深手を負わせても誰にも咎めさせん。遠慮なくかかって来るがいい」
一撃当てれば。
そして何人同時でも。
その言葉を聞いた冒険者たちは自分が騎士になっている姿を想像する。
村では畑を継げなかった、親の仕事を兄たちが継ぎ、冒険者をするくらいしか将来に選択肢がなかった自分が騎士になれる……
7級以上の冒険者たちはかなりの数が騎士団に同行している。
訓練場にいる冒険者の多くは8級9級だ。
騎士団の魔物討伐に同行するには、もうしばらく時間がかかるだろう。
そして騎士団に同行しても、勧誘される者はそれほど多くない。
それなのに、ここに一撃当てれば騎士に推薦してくれると約束する男がいるのだ。
しかも単なる騎士ではない。
第4騎士団副隊長という騎士の中でも上位の存在だ。
その推薦をどれほどの冒険者たちが欲しがっていることか。
冒険者たちは立身出世への千載一遇のチャンスだと思い、目の色を変えた。
「シンさん、シンさん。まさに死屍累々なのです。生きるゾンビの屍なのですよ」
「いや、死んでないだろ」
シンはジルに突っ込みを入れる。
しかし酷い光景だ。
自分は木刀で、相手は真剣や槍、戦棍などで対峙しているにもかかわらず、何人一斉にかかろうが軽々と打ちのめし、何十人もの冒険者たちをものともしないグラス。
大きな笑い声を立てるグラスがシンには地獄の悪鬼のようにも見える。
「はわわわ、大変なのです。この死体さん、まだ息があるのですよ」
ジルは地面に横たわっている冒険者をつんつんと触り、生存確認を行う。
「だから、死んでないって」
ガルダの指導に加えて、グラスの扱きなんかを受ければ、それこそ倒れかねない。
マンイーターの時に面識がある以上、下手に訓練場で鍛錬していれば、グラスに絡まれる可能性は高い。
シンはしばらく訓練場に行く時にはグラスがいないか確認することを心に決めた。
幸い、無理やりの扱きはできなさそうなのもシンにとっては好都合だ。
(ご愁傷様)
シンは横たわる冒険者たちを尻目に、グラスに気づかれないよう早々に訓練場から立ち去る。
ギルドの受付嬢に、ガルダが自分が来てないのか尋ねられたら、「グラスがいなくなるころを見計らってまた来ます」と伝えてくれるように頼み、ギルドの外に出る。
「ジル、ちょっと時間を潰すけどどっか行きたいところあるか?」
「市場に行くですよ。ジルと一緒に屋台通りを散策するのですよ」
「飯食ってから、まだそこまで時間経ってないぞ。大銅貨1枚分だけな」
ジルは大銅貨1枚で何を食べようかとウキウキしながら、シンの肩に掴まって、市場の方向を指さすのだった。




