第20話 女騎士と打算的な冒険者
チチチチチ……
チチチチチ……
外で元気よく鳥の鳴く声がシンの耳にも届く。
眠りから目を覚ましたシンだったが、目を開けても辺りは真っ暗だ。
そして、妙に顔に圧迫感がある。
呼吸がしづらい。
理由は簡単だ。
ムギュー
寝ぼけたジルがシンの顔にへばりついたまま寝ているからだ。
軽く開いた口元から涎が流れ、シンの額にかかる。
「ジル、起きろ。起きろって。うわっ、クサッ、おいこら」
シンの顔を抱きしめるジルの両手を外し、シンはジルの頭を軽く小突く。
「むう~」
ジルはシンに小突かれてもまるで起きようとはしない。
朝食の時間だぞと声をかければ起きる可能性もあるが。
「あれっ?」
シンは不思議そうな顔をして、ぺたぺたと自分の腕や胸、脇腹など軽く触る。
昨晩感じていた痛みがほとんどないのだ。
寝すぎたためか、少しばかり気怠さや筋肉痛と思われるものが感じられるものの体調も悪くない。
「なんで?なんでだ?」
ガチャッと扉が開く音が聞こえ、シンはその方向を振り向くと修道服によく似た衣服、本来なら自らが信仰する神の紋章が刻まれる部分に軽くバツ印をつけた衣服を身に纏った若い女性が部屋の中へと入ってきた。
シンはその女のことを知っている。
癒しのミーシャと呼ばれていた青髪の若い女性だ。
ジルドガルドにおいて、治癒魔法と呼ばれるものが存在する。
魔力を身体に流し練り上げることで身体能力を著しく向上させるのとは異なり、その練り上げた魔力を身体能力向上ではなく、治癒力を高める方向へと昇華させる技術だ。
身体能力を向上させるよりもはるかに難易度の高い技術であり、それを自分ではなく他人に対して行うには、よほどの才能と努力が必要となる。
癒しのミーシャはその技術に長けた冒険者だった。
若くして5級になった才能豊かな彼女のことをシンは知っていた。
「どうして、あんたが?」
シンは一瞬冒険者ギルドからの救援かと思ったが、すぐにその考えを否定し、首を振った。
ミーシャは数か月前に冒険者を引退していたからだ。
「そうか!騎士団が来たのか?」
癒しのミーシャと呼ばれた5級冒険者だった彼女は、去年の暮れ頃、その治癒魔法を見込まれ、魔道騎士として騎士団に引き抜かれたはず。
それならば、ここにやってきたのは騎士団のはずだ。
「正解。君、私のこと知ってるみたいね」
ミーシャはにっこりとシンに微笑みかける。
「それよりも君、せっかく治療してあげたのにいきなり女性に対してあんたは酷くない?」
ミーシャは笑顔のままシンを問い詰める。
「いや、あの、その」
「人に助けてもらったら、まずはお礼。大怪我を治してあげたんだから、一生私に感謝するように」
シンはポカーンと大きく口を開けて驚く。
「えっ、治してくれてありがとうございます」
「感謝の気持ちが篭ってない。あはははは、なんてね。偽善者、感謝狂いのシン君、体調はどう?」
「はい、すっかり痛みはありません」
「そう、それならいいわ。ちゃんと私に一生感謝してね」
ミーシャはニコニコと笑いながら、シンがよく聞くと言うより、よく口にする言葉をシンに対して言う。
ミーシャもシンのことを知っていた。
変わったことをする冒険者。
神殿とトラブルになったシンを面白い子だなって思っていた。
ミーシャは神殿の連中を良く思わない。
たとえ、子どもの頃からの癖で神に祈りを捧げることはあっても。
2年ほど前からミーシャは自分以外の者に対しても治癒魔法を使えるようになっていた。
そのことを知った神殿の者たちが1年ほど前から何度も何度もミーシャを訪ねるようになった。
「その力は神に与えられたものだから、神殿に所属し、人々に奉仕しなさい」
太った司祭から偉そうに自分の努力で得たものを神に与えられたものだと言われ、これまでほとんど関わりのなかった神殿に所属しろとかわけのわからないことを勧められる。
ミーシャの中で神殿の連中への不信感が芽生えた。
どうしてお前こそ、神を信仰し人々に尽くす司祭であるのにそんなにぶくぶくに肥えているのだ。
お前の食べる食事を貧しいものにでも回すべきじゃないか。
ミーシャはそう思った。
さすがにそれを言うと神殿から、この司祭から恨まれかねないので、さすがにミーシャも口にはしなかったが。
ミーシャは謝罪と共に自分は冒険者を続けるとはっきりと断った。
それでもその太った司祭は何度も何度もミーシャを訪ねて、神殿に入るように勧めた。
神殿でも治癒魔法を使えるものは数少ない。
単に才能だけではなく、努力が必要な治癒魔法を使いこなせる神殿関係者などボルディアナでも両手で数えられるほどに過ぎない。
一度目を付けたミーシャが断ろうとも、簡単にそれを認めはしない。
いくら見目悪かろうと司祭は司祭だ。
様々なところに影響力を持ち、一冒険者と比べて社会的な信用ははるかに高い。
ミーシャが断ると、冒険者を続けられないようにすればいいと安易に考えた司祭は、まず冒険者ギルドに圧力をかけようとした。
当然冒険者ギルドは司祭の圧力を突っぱねたが、今度はミーシャの所属していたパーティに嫌がらせを始めた。
パーティメンバーもミーシャをかばってくれたが、嫌がらせは執拗に続き、ミーシャは自分の意思でパーティから離れ、ソロで活動するようになった。
腐っても当時5級冒険者だったミーシャにとって、5級の魔物はパーティでなければ討伐できないものの、6級であれば、得意の戦棍で一人でもなんとかすることができたのだから生活する上では何ら問題ない。
そんな時、自分と同じくソロで活動し、神殿とトラブルになったことのあるシンのことを知ったのだ。
「神様だけに感謝じゃなくて、俺にも感謝しろよ」
食事をとりながら神殿や神様への不満を漏らす、ミーシャよりも年下の男の子。
シンの言葉に共感を感じた。
自分のこの力は自分自身で得たもの。
そう考えていたミーシャにとって、シンの漏らした言葉は自分にも納得のいくものだった。
男の子のことを少し周囲に尋ねると、周囲はシンのことを知っている者が意外と多かった。
孤児院に寄付やスラムでの炊き出しや人気のない雑用の依頼を進んでこなす男の子。
誰かを助けたりすると「俺に感謝しろよ」と口にする男の子がミーシャには妙に可愛らしく思えた。
あまり魔物退治をこなさないため、ゆっくりとしたものだがそれでも6級並みの力はあるだろうシンは、きっと近いうちに自分と同じ5級に上がってくるかもしれない。
もしもそれまでお互いにソロだったら、声をかけてみるのもいいかもしれない。
さすがにそれまでにはきっと神殿の連中も諦めていることだろうし。
ミーシャがそう思い始めた矢先、10月(夜長の月)に参加した騎士団の魔物討伐で隊長格の一人に声をかけられた。引き抜きだ。
ミーシャは迷ったものの、すでに半年以上太った司祭が強引な勧誘を続けていたのにうんざりしていたこともあり、騎士になれば神殿からの強引な勧誘もなくなるだろうと判断し、その引き抜きに応じた。
バツ印をつけた修道服によく似た衣装を式典以外で纏う許可はその交渉の際に認めてもらったもの。
神の紋章に対するバツ印でないならと許可をもらえた。
ミーシャにとって神殿との関わりを拒むという意思表示だった。
そしてミーシャは魔道騎士の一人として騎士団に入った。
心の中ではあの男の子とパーティーを組んでみたかったかなと少しばかり後ろ髪を引かれる思いだったが。
4月(花薫の月)になるとミーシャは騎士団に入って初めての魔物討伐に出た。
シンもそろそろ7級になっているはず。
ひょっとすると騎士団の魔物討伐に参加してくるかもしれない。
騎士団への配属が違っていても、参加者とは顔を合わせる機会がある。
シンと会えるかもしれないと少し楽しみにしていたミーシャだが、冒険者時代の知人と何人も顔を合わせたものの、シンと会うことはできなかった。
ちょっと残念かなって思ったミーシャだったが、気持ちを切り替えて魔物退治をこなす。
引き抜かれたと言えどもミーシャは新人に過ぎない。
さぼるわけにはいかないのだ。
魔物討伐も後半に差し掛かったある日の日が暮れたころ、ミーシャが所属する第4騎士団の隊長のところにシルトバニア辺境伯から連絡が入った。
一度使えば高額の魔石を交換しなければならないが、遠方の者と短い時間会話することができる通信の魔道具で。
ダラスの村がマンイーターに襲われ、犠牲者が出たらしい。ダラスの村長はボルディアナだけではなく、シルトバニア辺境伯の元へも連絡を出していたのだ。
ボルディアナよりも遠方に位置した辺境伯領シルトバニアの領都グランズールに、半日以上の時間をかけて、村の者がマンイーターに村が襲われていることを伝えた。
最寄りの街であるボルディアナの冒険者の多くがこの魔物討伐に参加しているため、マンイーターを倒すことのできるような冒険者がいるかどうかは疑問だ。
シルトバニア辺境伯は即断即決を旨とする武人でもある。
すぐに貴重な通信魔道具をためらいもせずに使い、ダラスの村にもっとも近い位置で魔物討伐を行っている第4騎士団に連絡を行い、救援を出すように命じた。
隊長は自分の信頼するグラス副隊長と少数精鋭の騎士を選び、ダラスの村へと救援に向かうように命じた。その中には治癒魔法を使えるミーシャもいた。
ダラスの村へ救援に行く一行はすでに日も暮れていたため、馬で早駆することはできなかったが、魔物に警戒しつつ着実に村への距離を縮め、太陽が昇りだし、明るくなると全力で村へと駆けつけた。
到着するとほとんど被害が出てなさそうで、早くから農作業などを行っている村人がいた。
グラスがマンイーターについて尋ねると、村人はすでにボルディアナから一人の冒険者がやって来て、マンイーターを倒し、攫われた夫婦を助け出したと言う。
それも信じがたいことにまだ7級の冒険者らしい。
ミーシャもグラスの傍で村人が話すのを聞いていたが、その冒険者に心当たりがあった。
まだマンイーターを一人で討伐するような実力はないはずなのに、ミーシャはその冒険者がシンであると思った。
夫婦も冒険者も大怪我を負っているということを聞いたグラスはミーシャに治療を命じ、自らはマンイーターが本当に倒されたのかを確認するため、数人の供を連れて、マンイーターの足跡からマンイーターの住処の方へと向かった。
グラスに命じられたミーシャはその夫婦を治療すると、急いで冒険者の元へと向かった。
その冒険者はミーシャが予想した通り、シンだった。
ミーシャは慌ててシンに治癒魔法をかける。
折れてはいないが、色んな箇所にヒビが入っているようだった。
内臓も傷ついているようだ。
「7級のくせに、本当に無理する男の子だね。まったく君は」
ミーシャはシンの頭をくしゃくしゃと軽く撫でると起こさないように静かに部屋から出た。
そして、その後すぐ、部屋の中からシンがしゃべる声が聞こえたため、部屋に入っていったのだった。




