第18話 生きて帰る
野草をひとしきり噛むとシンは唾を吐いて、野草を口から吐き出す。
気休め程度だが、全身に感じていた痛みがマシになったような気がしないでもない。
洞穴の入り口にはマンイーターが食べた老夫婦のものと思われる、大きさの違う、しわくちゃな手が二つ転がっていた。
少しだけシンは吐き気がしたものの、グッとこらえ、もう一度軽く唾を吐きだした。
老夫婦の遺体はそれ以上は見つからない。
外でマンイーターが老夫婦を食べたときにでも残しておいたのか、食い散らかして捨てたものなのだろう。
シンはその二つの手を古く汚い革袋に放り込む。
魔力袋を購入できるようになるまで使っていた素材入れであり、いつ捨てても構わないと思っていた革袋の中に。
「汚い革袋だけど我慢してくれ。身体の一部だけだけど、ちゃんと村に連れて帰ってやるからよ」
シンは小声で老夫婦に祈りを捧げた。
マンイーターの住処には二人の男女が横たわっていた。
まだ30になるかならない程度の年齢だろう。
「おい、待たせたな」
シンは何とか力強い声を腹の底から捻り出す。
大きな声を出すと口の中いっぱいに血の味が広がる。
「助けか?マンイーターは?」
足が折られた痛みで苦痛に顔を歪ませてる男性がシンに尋ねる。
ロコ達の父親だ。
「ああ、そうだ。マンイーターは俺が一人で倒した」
「あの化け物を一人でか」
シンの返事に男は驚いて目を丸くした。ベテランが何人もいる冒険者パーティーのうちの一人だとでも思っていたのだろう。
「そうだ、いちいち聞くな。正直俺も今はボロボロの状態なんだ」
今は疲労と痛みでいちいち聞かれるのすら正直シンには鬱陶しい。
男もシンの様子があまりにもボロボロなのに気づき、それ以上細かいことを聞くのは避けた。
「帰るぞ」
「えっ?」
母親と見られる女性が驚いたように声をあげた。
「だから帰るって言ってんだ」
「でも私たちはどちらも足を折られていて」
帰ると言われても歩けない。
何人もの冒険者が救出に来てくれたのなら、運び出すこともできるかもしれないが、シンは一人。
それもボロボロな姿だ。
とても二人を連れて帰れるようには見えない。
「知るか、引きずってでも二人とも連れて帰る」
「一度、村の方に戻り、他の者たちを呼んできては?」
男はシンに提案する。今のシンの疲れきった姿では自分たち二人を連れて帰れるようには到底見えない。
「正直な、俺も一度はそう思ったんだよ。でもな、あんたらここにいて1時間後とかも無事か?少なくとも村の連中が来るまで一時間以上はかかるぞ。あんたら、まともに立ちあがることすらできねえのに。それに俺は一人で村に戻れば、疲労と安堵でそのまま寝ちまう自信があるぞ」
ロコ達の両親は絶句した。
すでにマンイーターは死んでいるのだ。
マンイーターの遺体を求めて、肉食の魔物が集まってくる可能性もある。
そうなれば当然のように二人も狙われることになる。
マンイーターに攫われ、一度は生を諦めはしたもののマンイーターはすでに冒険者が倒した。
助かるという希望が生きたいという希望に変わる。
「わかった、幸い俺は両腕が無事だ。這ってでもあんたの後ろをついていくことにする。だが、妻は無理だ。右腕も折られている。頼む、妻を背負ってくれないか」
男はシンに頼み込む。
「駄目だ。……あんたが這う速度にいちいち合わせてられるか、引きずるって言ったのは嘘だ。二人とも抱えて帰る」
男が這う速度に合わせれば、何時間かかるか予想もできない。
すでに疲労がピークを超えているシンにそんなダラダラした余裕はない。
酷く眠い。
無意識的に目蓋を閉じようとしまうため、シンは目を見開き、その表情は険しい。
「臭いだろうが、我慢しろ」
シンは二人の意見も聞かずに腋に肩を入れ、腕をもう片方の腋へと入れ、二人を抱えて洞穴から出る。
二人はシンの顔や鎧から酷い血の匂いがするのに顔を歪めた。
「無茶だ、あんたが持たないぞ」
「あんたの意見は聞いてない」
シンは残ってる魔力をフルに使って、少しでも身体能力をあげながら、力強い歩みを続ける。
「おい、あれを見とけ」
シンはそう言って足を止め、マンイーターの首を刎ねられた遺体を見るように二人に指示する。
「討伐証明を切り取る余裕がないから、あんたらが証人になってくれ」
二人はマンイーターの遺体を見て絶句しながらも、これだけのことができる冒険者なのだから、たとえボロボロであっても自分たちを村まで連れて帰れるかもしれないと思った。
シンは二人が確認した後、またすぐに歩き出す。
(ジル、魔物を警戒してくれ。魔物が近づいてきたなら、すぐに俺に知らせろ)
ジルは心配そうにシンを見つめるが、コクリと頷くと少し高い位置にまで飛び、周囲をグルグルと見回しながら、魔物が現れないかを警戒している。
「魔物が来たとき、俺は来たぞ、離せってあんたらに言うからあんたらも俺から手を放せ。この状態のままじゃ戦えない。三人とも死ぬだけだからな」
シンは魔物が来た時のために二人に注意事項を話す。
村への道をなるべく歩きやすそうなルートで歩く。
魔力で大きく身体能力を底上げしているため、二人を抱えながらでも一般人の早歩き程度の速度にはなる。
「くっ」
抱きかかえられて少しすると女性の方が痛みで声を漏らす。
肋骨にヒビが入ってるのに無茶な姿勢で抱きかかえられているため、激しい痛みに耐えられなくなったのだろう。
「痛いなら別にかまわねえ。声を漏らそうが、悲鳴を上げようが。だけど我慢しろ。ロコ、ターニャ。あんたらの子どもだろ。子どものことでも考えて我慢しろ」
1時間かけて半分程度の距離を稼げた。まだ幸いなことに魔物とは出くわさない。
(マンイーターの血の匂いが意外と魔物除けになってるのかもな)
シンはさらさらと流れる小川と腐って根元から倒れたと思われる大木を見つけた。
「少し休憩する。このままだとさすがに持たない」
シンはそう言って小川の前で二人から手を離す。
そして、小川の水を一口飲んで確認する。疲れた体に沁みこむような美味い水だ。
二度三度、水を飲みこむと満足したシンは二人にも勧める。
「あんたらも飲め。朝攫われてから何も飲み食いできてねえだろ」
シンは二人が小川に口をつけたのを見届けると剣を抜いて、腐った大木の前まで行き、剣で木の皮を剥ぐ。
木の皮を剥ぐと、木には白い虫の幼虫が大量についていた。
シンはそれを口に放り込み、噛みしめる。
甘い味が口に広がる。
これまでにも食べたことがある虫であり、今のシンにとっては貴重な栄養源だ。
4匹、5匹と口に放り込むと、10匹ほど捕まえて、二人の元へと戻る。
ジルは黙ったまま、周囲を警戒し続けている。
「あんたらも食うか?」
そう言って、シンは幼虫を差し出すと男は4匹摘まみ、女の方も3匹を口に放り込んだ。
シンも残りの3匹を口に放り込むと、どしりと腰を地面に下ろす。
「なあ、あんた。どうしてここまでしてくれるんだ?」
「あんたじゃねえ、シンだ。冒険者のシンだ。お前らがこれから一生感謝することになる男の名だ」
「シンか。それでどうしてここまでしてくれるんだ?マンイーターを倒した後に村に戻ってもあんたを責めるような奴はほとんどいねえだろ。仮に俺たちがあそこで魔物に食われたとしてもな。うちのガキはまだ小せえから逆恨みするかもしれないが」
男はあまりにも献身的なシンの行動に疑問を持ったのだろう。
少なくとも彼が想像していた冒険者の姿とは大きく異なる。
男は腰を下ろし休憩するシンに向かってそう尋ねた。
「せっかく助けてやったのに、お前らに死なれたら俺に取っちゃ大損よ」
「大損か?」
「ああ、お前らには一生感謝してもらわないと大損よ。お前らの家族、ガキ達からも感謝してもらわねえとな」
「一生か、重てえな」
「命の恩人だからな」
「くふ、くはははは」
「ふ、ふはははは」
シンもその男も大声で笑い出した。女の方もその姿を見て、口元を押さえながら笑っている。
「さてと、そろそろ行くぞ。三人で生きて帰る」
「ああ、生きてえ。ロコにもターニャにももう一度会いてえ」
「お願いします、私たちを助けてください」
シンは女の頼みに大きく頷く。
「ああ、助けてやるよ。だから、一生な」
「そうだな。一生だな」
三人はまた笑い声をあげる。
シンは再び二人を抱える。
苦痛で声を漏らしていた女も少しでもシンの負担を減らそうと黙って我慢している。
(もうすぐだ、もうすぐ村が見えてくる)
シンはそれから一時間ほど二人を抱えて歩く。
内臓の損傷が激しくなったのか、また口から少し血が垂れ流される。
すでにジルドガルドでは相当高いはずの魔力も底をつきそうだ。
自分でも何が自分をここまで突き動かすのか、シンにもさっぱりわからない。
二人を見捨てていれば、シンは今頃村でゆっくり眠れていたことだろう。
なんとか森を抜け、遠くの方に薄らとダラスの村が見えた。
(あと少し。もう少しだ)
すでに足はふらつき、疲れで何度も目蓋が閉じられそうになる。
二人を抱える腕も震えている。
(こんなところでぶっ倒れていられるか)
もしシンがここで倒れても、運が良ければ村人に発見してもらえる可能性がある。
だが、気づいてもらえなければ、救助される前に野犬にでも襲われれば、命を落とす可能性がある。
「シン、無理するな。ここからなら何とか俺が這って村までたどり着ける」
男はシンにそう提案するが、シンは首を振る。
男は両手が無事だと言っていたが、シンはその嘘に気づいていた。
おそらく左腕を骨折、いやヒビでも入っているのだろう。
男が無意識に左腕を庇う姿にシンは気づいた。
「黙ってろ。もう少し、もう少しなんだ」
シンはその時閃いた。
(ジル、500ポイント捧げるから力を寄こせ)
500ポイントを捧げたときの全能感、痛みや疲れを忘れたあの時間を思い出し、シンはジルに要求した。
「駄目なのですよ~そんなことすれば持たないのです。もう無茶苦茶なのですよ~」
ジルは涙目になりながら首を振る。
ジルは何度も森の中で二人を置いて、シンだけでも村に帰るように勧めようとした。
だが、シンの決意の深さがわかるために口には出せなかった。
(いいから、つべこべ言わずさっさと力を寄こせ)
シンは涙目になっているジルに再度要求する。
「絶対、絶対死んじゃ駄目なのですよ。ジルと約束なのですよ」
(俺がこんなところで死ぬかよ)
ジルは戸惑いながらもシンからポイントを受け取り、力を授ける。
シンの身体から痛みは消え、身体中に力がみなぎる。
シンはこれまでふらついていた足取りを確かなものとし、徒歩から駆け足に変えて、村へと近づいていく。
シンも村にたどり着くまで持つとは思えない。
だが、村の手前のすぐ近くまで行けば、マンイーターをまだ警戒しているだろう村人たちも気づいてくれるはずだ。
(もうすぐ、もうすぐだ)
シンの目にも村人の姿がはっきり見えた。
村人の一人がシンたちを指さしているようにも見える。
(これならきっと見つけてくれるはず)
シンが安堵すると急に身体中から力が抜け、シンはそのまま意識を失った。