第15話 お馬さんにはまだ乗れないのですよ
シンは宿屋に戻って魔物討伐の準備を整える。
朝からのんびり惰眠を貪っていたジルだが、部屋の中で準備を整えるシンの気配を気づいて目を覚ました。
「むむ~シンさん、今日は便所掃除の日じゃなかったのですか?」
ジルは目をこすりながら、遠出の準備を行うシンを見て尋ねた。
シンが朝から魔物討伐に出る日以外は枕でゆっくりと惰眠を貪るのがジルの中での正義だ。
特に最近暖かくなったため、
「春眠暁を覚えずなのですよ」
とシンと共に朝食を済ませた後は二度寝するのがジルの習慣となっている。
冬なら冬で寒さのため布団から出るのを嫌がり、なかなか出てこようとはしないが。
食っちゃ寝、食っちゃ寝のジルに対してシンは一度だけだが、
「働きもしないで食べて寝てばかりいると太るぞ」
と皮肉を言ったところ、ジルはその凹凸のない胸を張り、
「ジルのパーフェクトボディーなら食べた栄養は全部胸に行くから問題ないのですよ」
と自信たっぷりに反論した。
栄養が全部胸に行くのなら、余分な栄養など何一つも出ていない燃費の異常に悪い欠陥ボディーだろうとシンは突っ込みを入れたくなったが、それを口にするとジルが泣き喚きそうなのでシンは決して口にしない。
日本人特有の武士の情けの精神である。
以前はシンと共に便所掃除の依頼に出かけることもあったが、涙目になりながら
「臭いのです!臭いのですよ!」
と喚くジルを見て、シンは便所掃除の依頼をこなす場合にはジルを放置して依頼をこなすことにしている。部屋の机の上にジルの昼飯代となる幾ばくかの金銭を置いた上で。
「ジル、これから緊急依頼だ。村が魔物に襲われているからついてきてくれ」
「はいなのです!」
ジルはシンの言葉に勢いよく頷いた。
ダラスの村までボルディアナからは20km。
一般的な冒険者や騎士などであれば、徒歩ではなく何らかの移動手段を用いる。
代表的なのは馬だ。
金銭的な余裕のある騎士ともなれば、単なる馬ではなく、レッドホースと呼ばれる燃えるような真っ赤な鬣をした馬の魔物を子どものうちから飼いならし、それを愛馬としている者もいる。
馬を常から維持する手間と費用を嫌う冒険者の場合は乗合馬車などで村から村へと移動したり、急ぐ場合には保証金を払って馬を借りるのが一般的である。
この世界においては魔力で身体能力を強化することができるため、瞬間的な速度は馬に勝るとも劣らない冒険者や騎士がいるが、魔力で身体能力を長時間強化し続けるのはよほどの魔力がない限り不可能だ。
仮に魔力が多く目的地まで身体能力を強化できたとしても魔力が尽きてしまえば元も子もない。
身体能力が人間よりはるかに高い魔物を討伐する際に魔力切れを起こせば、間違いなく餌食になるだけだ。
シンは馬に乗れない。
これまで一度も乗馬の練習をしたことがないのだから当然だろう。
ただし、シンは有り余る魔力をその身に有している。
シンであれば20㎞程度の距離であるなら、身体能力を強化し続けても魔力切れや魔力不足を起こす心配はない。
鞣したグレイトホーンブルの革で鎧鍛冶師に作ってもらったレザーアーマーを身に着け、腰には愛用の剣をぶら下げ、しっかりと魔物討伐の準備を整えたシンはジルを肩に載せて走る。
シンがのんびりと歩いている時などは羽をパタパタとさせながら間食できるものを探したり、物を食べながらシンについてくるジルもシンに振り落とされないようにしっかりと掴まっている。
ダラスの村で最初の犠牲者が出たのがいつ頃なのか正確な時刻はシンにはわからない。
ただ、犠牲者が出た後すぐにボルディアナの冒険者ギルドへ緊急依頼を出したのであるなら、まだ次の犠牲者は出てない可能性が高い。
(最初の犠牲者には悪いが)
シンは村に到着したとしても、マンイーターの住処までは行かないつもりだ。
マンイーターが再びダラスの村を狙ってきたときに討伐する予定だ。
食人鬼であるマンイーターの住処と言っても実際に家があるわけではない。
大きめの洞穴を自らが入れる大きさにまで上手く広げ、その洞穴が崩れないように接着性を持った樹の樹液で固めた寝床だ。
マンイーターはその中に足を潰して身動きが取れなくなった人間を放り込み、腹が減ったらそれを食べ、再び人間を狩るため、餌場に舞い戻るのだ。
シンの身体能力を強化した身体で急いでも20km離れたダラスの街へは1時間以上は優にかかる。
街から街へとつながる街道ならともかく、それほど人口の多いわけではない村への道はほとんど整備されていないからだ。
せいぜい荷馬車を走らせるために大きめの石は意識して除けられているといった程度だ。
村からの冒険者ギルドへの依頼までの時間と冒険者ギルドから依頼を受けた後のシンの準備なども合わせると、シンが村に到着する頃には少なくとも最初の犠牲者が出てから4時間以上経過しているだろう。
それだけの時間が経っているのなら、すでにマンイーターの腹の中に納まっているはずだ。
一刻も早い村人の救出の必要性がないのなら、わざわざマンイーターの住処の近くで他の魔物も警戒してまだ戦ったことのない強敵と戦うよりは村の近くの見通しのいい場所などで戦う方が望ましい。
(まあ、そういう戦いやすさって利点だけじゃないけどな)
村の近くの見通しのいい場所などで戦う理由は、村人にその姿を見てもらうためでもある。
マンイーターの住処の近く、誰もいない場所で危険を冒して討伐するよりもマンイーターが村に再び現れたときにマンイーターを倒した方が村人から感謝を集めやすいとシンは考えるからだ。
村を襲った大きな岩のような巨体のマンイーターを一人で退治する若き冒険者の姿は村人の目に焼き付き、そして記憶に残るだろう。そうすればシンに多くの功徳ポイントが獲得できる可能性が高い。
(どうせやることは同じなんだし、それなら少しくらい俺の都合のいいようなやり方でも問題ないよな?)
シンはこれから獲得できるはずの功徳ポイントに期待を寄せ、それまで以上の速度でダラスの村へと駆け出した。
ダラスの村はシンが予想していたマンイーターからの襲撃に怯えてひっそりとする姿からはほど遠かった。
まだ年若い男性や壮年の男性がそれぞれの手に槍や弓、また一部の武器を有しない村人は手に鍬を持ち、物々しく集まっていたからだ。
(なんかあったのか?)
シンはそう思いながらも、丁寧にリーダー格と見られる男に声をかけた。
「ボルディアナの街から来ました。冒険者のシンです」
その男はシンを見ると何やら疑わしそうな視線を向け、周囲にいた年下の者に指示を出す。
「おい、こいつを村長のところへと案内しろ」
案内を指示された男がシンに頭を下げ小声で謝る。
「すまんな。今、みんな気が立ってるんだ」
シンは男と共に村の中で一番大きな家へと向かった。
村長の家では多くの村人がごった返していた。
マンイーターに襲われたために村人が避難してきたのだろう。
「村長、ボルディアナから冒険者が来てくれたぞ」
シンを案内した男が心労で顔色の悪くなった高齢の男性に声をかける。
「そうか、来てくれたか。それで他の方々は?」
村長はシンに対して軽く会釈をするとシンに尋ねた。
「ボルディアナから来た冒険者のシンです。残念ながら今は騎士団の魔物退治に多くの冒険者が同行しているため、ここに来たのは俺一人です。明日になれば他の冒険者も救援にやって来るでしょうが」
シンは村長の問いに答える。
村長はシンの答えに肩を落とし再度シンに尋ねた。
「そうですか……随分とお若いですな。ギルドの階級はお幾つですか?」
「7級です。今朝、この村から緊急の連絡が入った時に対応できる5級以上の冒険者はおらず、6級の冒険者もいなかったので私が来ることになりました。先ほども述べたように明日になれば5級や4級の冒険者の救援も見込めますが」
「7級……」
シンがギルドカードを提示すると村長は深くため息をつき、首をがっくりと項垂れた。
シンはようやく村長やリーダー格の男性の反応の理由に気づいた。
シンの年齢からして、リーダー格の男はシンの階級が少なくとも5級には届いてないと予想できたのだろう。
そして、5級のマンイーターから自分たちを守ってくれる冒険者が7級なのだ、村長も溜め息の一つもつきたくなるだろう。
シンは村長の不安をかき消すように明るい口調で説明した。
「俺がこの村にやってきたのはこの村からの依頼と言うより、ギルドからの依頼が理由です。ギルドに他の4級5級の冒険者が来るまでの村の防衛を主目的として依頼をされました。俺はまだ7級ですが、普段から6級上位のグレイトホーンブルも狩っているので、足止めくらいなら十分にできる自信があります」
村長はシンの説明に少し安心したのか、血色の悪かった顔から希望を持ったように顔に血の気を取り戻す。
6級の魔物と5級の魔物の間には脅威度に隔たりがあると言っても、一人でやすやすとグレイトホーンブルを狩れるだけの実力を持った冒険者であるのなら7級の冒険者であっても多少は期待できると判断できたためだろう。
「そうですか、よろしくお願いします。再びマンイーターが襲ってくるまでにはまだ時間があるでしょうし、マンイーターを追い返すには力不足ですが我々でも警戒くらいはできるでしょう。しばらくはここに来るまでに急いで来られてお疲れでしょうし、何のおもてなしもできませんが身体を休めてください」
村長はシンを見直したのかシンに村を守ってくれるように頼みこむ。
(マンイーターが襲ってくるまでに時間がある?)
シンが村長の言葉に対して疑問を持つ。
最初の犠牲者が出てから4時間以上は経過していることを考えるともうしばらくすればマンイーターが現れてもおかしくないはずである。
「通せよ!そこを通してよ!」
幼い声を張り上げ、村長の家に集まった村人の人混みをかき分けようとする少年の姿がシンの目に留まる。
まだ7歳か8歳程度に見える小柄な少年だ。
「ロコやめなさい!」
ロコと呼ばれた少年を叱り、シンの前に行こうとするのを押さえつける少女の姿も目に留まる。
「なんでだよ!冒険者が来たんだろ?父ちゃんと母ちゃんを助けてもらうんだよ!」
ロコの悲痛な叫び声にシンは村長がなぜマンイーターが襲ってくるまでに時間があると述べたか理解した。
すでに二度目のマンイーターの襲撃があったのだと。




