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電子の妖精

作者: 宇多瀬与力

「ネットに潜む幽霊?」

 酒と肴の皿と共に、メニューや箸、醤油などが置かれている狭いテーブルの上に肘を突いたまま、ケンジは聞き返した。向かいに座る酒飲み仲間である同僚は頷いた。彼は、学生時代の様に痩せてはいない中肉中背のケンジだが、それでもまだ細いと思ってしまう体型だ。狭いテーブルが更に狭く見える。

 生ビール一杯300円で飲めるこの居酒屋の狭い店内は、彼らと同じ世代のスーツの男女でひしめき合っている。皆、まだ管理職への昇進をしていない安月給の会社員達だ。

「ネット上で噂になっているんだ。一部のイラスト投稿サイトじゃ、本物の電子の妖精だって、盛り上がっているみたいだぜ? なんでも、突然パソコンの画面に女が現れるらしいぞ」

 ネクタイを緩め、ワイシャツの袖を捲くりながら彼は言った。

「呪いのビデオでも見たんじゃないのか? ……あー、生のおかわり一つ頂戴!」

「はーい!」

 ケンジが言うと、バイト店員の女の子が元気良く返事をする。大学生だろう。ケンは思わず若いと思った。

「若い娘を目で追うなよ、おじさんの証拠だぜ?」

 同僚は枝豆を摘みながら笑った。

「うるせぇ。目の保養だよ」

「何を言ってんだ。お前、美人で人気のある新人が直属の後輩にいるじゃないか」

「あれはないな。まるで使えない」

 彼は手をヒラヒラと振って言う。

「厳しい先輩だなぁ」

「だったら、お前が世話しろよ」

「遠慮よ」

 友人は苦笑混じりに答えた。そこへ先ほどの店員が生ビールを持ってきた。

「ありがとう。………あぁ、例のセキュリティーソフト、入れてみた」

「ん。どうだ? すごいだろ?」

「あぁ、しかし少し動作が鈍くなった」

「そこが問題なんだよな。……ウチのはもう古いから、まるで動かない。来月には新しいパソコンを買って、そいつに入れる予定なんだけどな」

 彼は一言、一言を発する度に軟骨の唐揚げを口に運ぶ。

「喰いすぎだぞ。これ以上太ってどうする?」

「なぁに、メタボ対策はカミさんに任せているよ」

「他力本願だな、お前」

「そういうケンジこそ、最近腹回りがヤバくなってきただろ? 彼女、いい加減に作れよ」

 しかし、ケンジは彼の言葉がさも耳に入っていない様に、高カロリー高タンパクである一口サイズのピザを口に運ぶ。

「全く。その寛容というか鈍感というか、何事にも動じない図太さはどうにかした方がいいぞ?」

「いいじゃねぇか。俺は俺。お前はお前。お互い、自分に合った生き方をしてるんだ。無理に他人に価値観を押しつけるもんじゃないぜ?」

 ケンジは諭すように彼に言ったが、ビールジョッキと枝豆の殻を両手に持った姿に、全くの説得力はなかった。

「まぁ、いつかケンジに見合った女が現れる事を祈っているよ」

「おう、そうしてくれ! ……お姉さん、生おかわり!」

「はーい!」

 適当な返事を返したケンジが手を上げて言うと、バイトの女の子は笑顔で元気に答えた。

 結局、その夜ケンジがアパートに帰宅したのは、2時を過ぎていた。



 翌、ケンジが起床したのは昼を過ぎていた。土曜日休暇は彼の救いであった。

「流石にビールでも飲みすぎたかぁ。頭いてぇ。……ん? パソコン、電源をつけていたか?」

 ケンジは水を飲みながら、六畳の部屋の隅に置かれた机の上にある、電源が入ったままのパソコンを見つめた。マウスを動かすが、カーソルが動かない。

「フリーズか?」

 キーボードを叩くが、やはり反応はない。

「なんだ? 故障かよ………」

『貴方は誰?』

 突然、スピーカーから若い女性の声が聞こえた。

 ケンジは黙って水を口に流し込んだ。美味しい。酔いが醒めていないらしい。

「酒、飲みすぎたな」

『飲みすぎはいけないわね』

「………。誰?」

『ヤヨイ』

「ケンジだ。メッセとかは開いていないはずだが……」

『ネット通信が出来れば十分なのよ』

「そりゃ便利だな」

 ケンジは椅子に腰掛けると、頬杖をしてモニターに向って話しかける。

『そうでもないわ。私、体が無いから』

「人工知能とか?」

『違うわ。死んじゃったのよ。よくわからないんだけど、死ぬ瞬間に私の心はネットの中に入った。それからもう半年かな? こうやってふらふら世界中を遊んでいるの』

 得体の知れない声を聞きながら、ケンジは似た話を昨日聞いた記憶があるなとか考える。

「あー、噂の幽霊か。……最近の幽霊は随分ハイテクになったんだな」

 ケンジは笑い混じりに言った。しかし、同僚の話とは違い、モニターはデスクトップ画面のままで、スピーカーから彼女の声が聞こえるだけだ。

『否定できないけど、幽霊は酷いわ。ヤヨイって呼んで』

「わかったよ。……弥生。三月生まれ?」

『正解。……ケンジはいくつなの?』

「34になる」

『おじさんじゃん』

「おじ……お兄さんと呼べ。ヤヨイはいくつなんだよ」

『16だよ』

「高校生か」

 ケンジがしみじみとした声で言った。

『そう。……もしかして、ロリコン?』

「違うわ! 若いなと思ったんだ」

『やっぱりおじさんじゃん』

「うるせぇ」

『……不思議な人だね。ケンジって』

「そうか?」

『普通、突然パソコンから声が聞こえたらびびるよ?』

「びびられたの?」

『殆ど100%でね。この前は幼稚園の子が泣いちゃって大変だった。一度、お寺のパソコンだったことがあって、悪霊退散! って和尚さんが叫んで、パソコンぶっ壊しちゃったし……』

「災難だな」

『まぁ、慣れちゃったら平気よ。そういう存在なんだって、わかるし。生まれつき体が弱くて、外出なんてした事もなかったから。外の世界を自由に見られる今の方が幸せかな』

「大変だったんだな。生きていた頃のヤヨイは」

『まぁね』

「皆、そういう反応ばっかりなのか?」

『2ヶ月くらい前に、一度違うのもあったよ。でも、アレは嫌だったな。完全なオタクの引き篭もりで、○○ちゃんが来てくれたぁ~って叫んで画面にへばりついてきたから』

「………いるんだな。そういう奴」

『少数派だけどね。でも、ケンジだって、かなり変わっているわよ』

「いいだろ? こうして会話が成立するんだから。……それに、幽霊に驚くほど俺は暇な人間じゃないんだ」

『本当? こうしてお喋りしてるし、さっきは飲み物飲んでいたみたいだけど。……ってゆうか、また幽霊って言ったぁ!』

「そう怒るなよ。………そういや、音は聞こえても見えないのか? やっぱりカメラがないとダメとか?」

『そうじゃないのよ。どうも、セキュリティーソフトの中に私が入れないものがあるみたいで』

 ケンジは同僚が薦めたソフトの性能の高さに改めて驚く。

「へぇー。このソフト、本当に優秀なんだな。幽霊もガードできるのか」

『だから幽霊っていうなぁ!』

「悪かった。……セキュリティーレベル下げると見えるのか?」

『そうなんじゃないの? 私はコンピューターとか苦手だからわからない』

「ネットをさまよう幽霊が何をいう」

『また幽霊って言ったぁ!』

「まぁまぁ、喚くなよ。今プロテクト外すから、ちょっと離れろ。マウスが操作できない」

『はーい』

 返事がした後、スピーカーから声が聞こえなくなった。試しにマウスを動かす。モニターの中でカーソルが動く。

 ケンジは少し思案したが、約束通りセキュリティーのレベルを下げた。そして、カップ麺を食べようとお湯を沸かしに台所へ行くと、ヤヨイの声が聞こえてきた。

『あれ? ケンジ、どこぉ? おーい』

「はいはい。お湯くらい沸かさせ……ろ」

『どう? 結構容姿には自信あるんだけど?』

「あぁ」

 モニターの中にいたヤヨイの姿は、アイドル顔負けの美少女であった。ケンジは机の前で思わず立ち尽くしていた。

『ふーん。ケンジって思ったよりも若そうね。もっとおじさんをイメージしてた』

「だから、お兄さんって言っただろ? ……それ、本当なのか?」

『顔?』

「あぁ」

『まあ一応。もう死んじゃってるから、別に顔なんてどうでもいいんだけどね』

「生きている間に会いたかったな」

『やっぱり、ケンジってロリ……』

「違う! 断じて違う」

『ま、そういう事にしておきましょう!』

「なんだよ。その言い方」

『ごめんごめん。……それにしても、暇そうね』

「突っ立ってるからか?」

『だって、だらしなさ過ぎよ。レディの前でシャツとトランクスだけって』

「! す、すまん! 忘れてた!」

 少し頬を染めたヤヨイに言われ、ケンジは慌ててシャツとズボンを着る。丁度、台所からお湯が沸いた音が聞こえてきた。

 手早く台所でカップ麺の中にお湯を注ぎ、タイマーを3分にセットすると、部屋に戻った。ヤヨイはモニターの中から部屋の中をきょろきょろと見回していた。

「あんまり独り暮らしの男の部屋の中を見るなよ」

『エッチな本とかあるの?』

「バカ」

『彼女いないの?』

「残念な事にね」

『へぇ。ケンジって結構モテそうなのに』

「そこまで興味がないんだよ」

『えっ! ……それって、ホモ?』

「違う! なんでヤヨイはそう極論ばかり言うんだ」

『まぁ、私も一度も彼氏できなかったから同じだけどね』

「待て。俺は一言も彼女が一度もいないとは言っていないぞ」

『じゃあ、いたの?』

「高校の時に。向こうから告白してきて、付き合った。一ヶ月で別れたけど」

『どこまでしたの?』

「おい、思春期女子高生! そういう事は聞くんじゃない。……キスまでだ」

『言ってるじゃん』

 丁度、タイマーの音が鳴った。ケンジは立ち上がると、台所から箸とカップ麺を持って、机に戻る。

『太るよ』

「人の食生活に文句をつけるな」

『太ったらモテないよ』

「それこそ言われる筋合いはない」

『あっそ。………ねぇ』

「あん?」

『しばらくここにいてもいい?』

「なぜ?」

『居心地いいし、何よりもケンジは普通に私と接してくれる』

「………別に構わないが、パソコンが使えないのは不自由だな。それをどうにかできるなら、好きなようにしろ」

『ありがと! これでも結構さじ加減がわかってきたんだ! ………これでどう?』

 ヤヨイは画面の中で小さくなり、デスクトップのアイコンと同じ大きさになった。不思議と解像度は先ほどと大差がない。更に、きょろきょろとデスクトップ上を見回し、ポインタを見つけるとそれにしがみついた。

『……よし! これで大丈夫よ、多分』

「ポインタにくっついたのか」

『これを習得するのに4ヶ月以上かかったのよ』

「おーすごいすごい。問題は操作ができるかだ」

 そう言うと、ケンジはマウスを動かす。ヤヨイがそれに合わせてスライドされる。

『あんまり乱暴に操作しないでね。酔うから』

「注文が多いな」

『いいじゃない。美少女が手元にいるって、そうそうない経験よ?』

「いや、多分。絶対にない」

 こうして、奇妙な居候が彼のパソコンに居ついた。



「ただいまー」

『おかえりー♪』

 2週間後、ケンジがドアを開けて帰宅すると、部屋から明るい女の子の声が返ってきた。正直な感想として、彼はその瞬間が嬉しい。

『仕事、ご苦労様。ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し?』

「コンセント抜くか?」

『やめてぇー!』

「まぁ、冗談はさておき。実際、まずお前からだ。ちょっと、メールをチェックしなきゃいけない」

『はい。このメールでしょ? 取引先との会合時間とかの』

 ヤヨイは勝手にデスクトップ内を動きまわり、メールボックスを開く。

「勝手に開封したのか?」

『まだ未開封よ。タイトルに書かれてたし、会社の同僚の人からのメールでしょ? 簡単な推理よ、ワトソン君』

「はいはい。じゃあ、開封して印刷してくれ」

『はーい』

 ヤヨイの元気のいい返事を背に受けつつ、ケンジは台所で手早く着替える。ヤヨイとの不可思議な同居生活が始まってから、彼は着替えをモニターからは見えない台所で行うようになった。風呂上りもちゃんと服を着てから部屋に戻るようにしている。1Kの部屋ではしかたない。

『印刷終わったわよ』

「ありがと」

 部屋に戻ると、ヤヨイは汗を流して言った。印刷などの外部機器への作業は運動になるらしい。プリンタを見ると、確りとA4用紙にメールが印刷されていた。最近彼が頭を悩ませているミスの多い例の新人女子社員よりもよっぽど優秀である。

『ご飯は?』

「外で食べてきた。………別にお前が作るわけじゃないだろ?」

『体調管理よ。今日見たブログに載ってたんだけど、偏食による高血圧で死んじゃう人って多いみたいよ。貴方も気をつけてね』

「………お前、いくつだよ」

『ぴちぴちの16歳よっ』

「だが、発言は三十代の主婦だ」

『だって、日中ケンジは仕事で家にいないし、退屈なんだもん。それにパソコンの使い方も結構わかってきて、面白いんだもん』

「……もしかして、ネットってブラウザを使っているのか?」

『当然よ』

 ヤヨイは画面の中で胸を張る。

「ネットに潜む幽霊が、パソコンのブラウザ使ってブログ巡りするなよ! 所帯臭ぇ!」

『だって、迷子になって帰れなくなると嫌だし……。変なウィルスとかにかかるのも嫌だし』

「ネット内ってそんなに危ないのか?」

『まぁ、インフラ整備だっけ? あれも完全じゃないからね。……縦横無尽にデータが行きかってるところとかもあるから。データを壊すウィルスにでもぶつかったら服のデータとか壊されちゃうかもしれないわ。そんなの、うら若き乙女に………ケンジの変態!』

「こら! 俺はそこまで細かい質問はしてないぞ」

『………ケホっ!』

「なんだよ、今の。咳か?」

『咳よ。悪い?』

「変な咳だから」

『うるさい! 変な事言うから、アレルギーが出たのよ』

「死んでもアレルギーに悩まされる事ってあるのか?」

『知らない! もう、明日も仕事あるんでしょ! 寝なさい。私はもう寝るから! おやすみ!』

 どうやら機嫌を損ねたらしい。ヤヨイはパソコンを休止モードにしてしまった。

「完全に俺のパソコンを部屋にしているな………」

 休止モードにされてしまっては仕方ないので、彼もシャワーを浴びた後、就寝する事にした。



 翌朝、ケンジが家を出るまでヤヨイは遂に起きてこなかった。その為、彼の機嫌は出社しても、悪いままであった。

「おい。彼女、泣いてたらしいぞ」

 昨晩メールを送った例の飲み仲間の同僚が、机で仕事をするケンジの元にやってきた。彼女というのは、新人の女子社員の事だ。今朝は、機嫌が悪かった事もあり、いつもよりも注意が厳しいものになってしまった。

「そうか。泣いてたか……」

「お前も頭冷やせよ。一応、彼女、人気あるんだから。無駄に敵を作る事ないぞ」

「そう……だな」

 ケンジは反省して、小さく頷いた。後で謝ろう。

「それで。お前、わざわざそれを言いにきたのか?」

「あ、そうだった。お前んちのパソコン、俺が薦めたセキュリティー入れてたよな?」

「あぁ」

「それならよかった。……実は、うちにパソコンにウィルスが入ってて。今朝パソコンがクラッシュしちゃったんだよ。調べたら、あのセキュリティーソフトなら大丈夫みたいなんだが、念の為な。………どうした?」

 彼の言葉がケンジの頭の中で何度もリピート再生されていた。そして、メール開封をしてからのヤヨイの様子が脳裏に浮かぶ。

「ど、どうした?」

 突然立ち上がったケンジに彼は驚く。ケンジは押し殺した声で言う。

「セキュリティー、解除していたんだ。そのウィルス、どうすれば退治できる?」

「え? あぁ、確か普通にスキャンして隔離ないし削除すれば大丈夫。……ただ、気がつく頃には殆どOSまで壊されるから性質が悪いらしい」

「ありがとう。……俺、早退する。課長に伝えておいてくれ! 家族が危篤になった!」

「え? おい、ちょっ……!」

 彼が呼び止めようとするが、ケンジは鞄と上着を引っ掴み、慌しく部屋を出て行ってしまった。



「ヤヨイ!」

 ケンジは部屋に駆け込むと、靴も脱がずにパソコンにかじりついた。相変わらず、休止モードのままだ。ケンジはキーボードを叩いた。

 パソコンのモニターにOSのマークが浮かぶ。休止モードが解除され、デスクトップ画面が現れた。既にヤヨイの影響が殆どなくなっているのだ。

 ポインタは元の矢じり型になっており、デスクトップアイコンの中に、弱々しく倒れたヤヨイの姿を見つけた。本当に服がボロボロになっており、半裸状態になっていた。

「ヤヨイ!」

『うぅ……ケンジ。何か、体の調子が悪い。また、病気になったのかな? 一度死んだのに……』

「大丈夫だ! お前は死なない!」

『本当?』

「ウソついてどうする? すぐにまた元気になるさ」

『そう……かな? じゃあ、元気になったら、モニター買って。今のよりも大きいの』

「あぁ! 買ってやる! だから頑張れ!」

『約束、だよ? ………』

「しっかりしろ、ヤヨイ! …待ってろ! 今助ける!」

 ケンジは素早くパソコンを操作し、セキュリティーソフトを起動させる。スキャンが始まる。ウィルスを削除するかの質問が表示される。ケンジはエンターキーを叩いた。

 パソコンが再起動の為に、電源が落ちる。すでに2週間も電源がつきっぱなしになっていたパソコンは久しぶりに、電源が切れた。

 再びパソコンが唸りを上げ、PC起動画面が現れ、OSのマーク、そしてデスクトップ画面が表示された。

「ヤヨイ、もう大丈夫だ。………ヤヨイ? おい、ヤヨイ! どこだ? 返事をしろ!」

 しかし、ヤヨイの声は返って来ない。

「もしかして、セキュリティーソフトが、ヤヨイをウィルスと一緒に削除したんじゃ……」

 ケンジはその場に崩れた。視界が涙で揺らめく。嗚咽と共に、声が自然と漏れてくる。

「ヤ……ヤヨイ。………こんな、こんな別れってあるかよ! ………バカ。………ヤヨイ、ヤヨイ、ヤヨイ、…ヤヨイ!」

 しかし、いくら叫んでも、ヤヨイの声は聞こえて来なかった。



 いつの間にか、ケンジは泣きつかれて眠ってしまった。日は落ち、部屋の中も暗くなっていた。

 ケンジは赤くなった目を擦った。痛い。

『……ンジ………』

「え?」

 彼はパソコンのモニターを慌ててみた。しかし、デスクトップ画面の中にヤヨイの姿はない。幻聴を聞いてしまったらしい。

「全部、夢や幻だったのかもな。………パソコンの画面の中に、女の子の幽霊がいるなんてな」

『………幽霊じゃないって、何回言えば気が済むの!』

「ヤ、ヤヨイ?」

 突然のヤヨイの声に驚きつつも、ケンジは画面の中を見回す。しかし、ヤヨイの姿はない。

『ケンジのバカ! 勝手に電源落とすし、セキュリティーレベルは元に戻すし! お陰で、ネットの中に投げ出されて、迷子になっちゃったじゃない。10件よ、10件。そんなに、空振りしたんだから。しかも、その内6件は家に人がいて、大騒ぎになったんだから! 早く、元に戻しなさいよ!』

「あ、あぁ。ちょっと待ってろ。」

 ケンジは素早くセキュリティーを解除する。すぐさま、画面上一杯にヤヨイの顔が現れた。

『フー。全く。………こっちの苦労も考えなさいよね』

「ヤヨイ……、よかった」

『あぁ……。その、ありがとう。助けてくれなかったら、多分あのまま壊されてたわ。私も、これからはメールの開封とか気をつけるようにする』

「ヤヨイ!」

 感極まったケンジは薄型液晶モニターを抱きしめた。

『ちょっ! 離れなさいよ、変態! 貴方、パソコンの画面を抱きしめてるのよ?』

「あぁ、そうだ! 変態で構いはしない! ヤヨイがいてくれれば、俺は構わない! ヤヨイ、好きだ。愛してる!」

『………ケンジ』

 モニターを元に戻すと、ケンジは画面に指を当てる。ヤヨイもそこに手を当てる。

「俺達は触れる事すら叶わない。……このガラスが憎い」

『仕方ないわ。……でも、貴方はそれでも構わないんでしょ?』

「あぁ。ガラス越しの恋でも構わない。俺は、ヤヨイが好きだ。ずっと、一緒にいよう」

『うん。私も好きよ、ケンジ』

 画面を挟んで、二人の唇が重なった。

『……平らだね』

「そりゃ、歪んじゃ役に立たないからな」

『約束、守ってね』

「あぁ。窮屈な思いはさせない。この壁一杯の大きさの画面を買ってやる」

『嬉しい』

 ヤヨイは22インチの画面の中で、最上級の笑顔をした。

 その時、ケンジは不意に居酒屋で同僚が言っていた彼女の別の呼称を思い出した。幽霊と言うと怒る恋人。彼は、彼女に愛情を込めてこう言った。

「我が愛し、電子の妖精」



【FIN】

~あとがき~


読了ありがとうございます。

書いた当人が一番読み返して悶えている自己満足作品です。



尚、今作も私の運営しているサイトからの転載です。

そして、私の参加している企画布教用の作品でもあります。ヒロインの少女のより深い物語、さらに他の人々が織り成すSF物語に関心をお持ちでしたら、当サイトへアクセス下さい。トップページのリンク、「ABJDS」より更なる物語をご覧頂けます。

キーワードは、「G」です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 厳しい言い方になるかもしれないが、平凡な電脳SFである。何の斬新さもない。 「ネットの幽霊」それなら、呪いがかけれるぐらい非現実的な展開の方が面白いかもしれない。画面を見た人が呪われていく話…
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