枯れぬ花編(四)
隠居した元家老の和田昭為に呼ばれた憲忠は、和田に告げられたことの重大さに、驚くしかなかった。
家老の川井伊勢守が、政光の暗殺を企んでいる。
義宣が政光を家老にしようとしていることは、家中ならば誰もが知っていることだ。憲忠は、自分と同じ浪人出身の政光が出世をするのを嬉しく思っていた。これで、少しは新参者である自分たちも日の目を見ることができるのではないか、と嬉しかったのだ。
だが、川井はそれが面白くなかったのだろう。譜代家臣を押しのけて、若い政光が家老になる。それは、頭の固い年寄りには耐えがたいことなのかもしれない。義宣の信頼が、譜代の老臣から政光や憲忠ら新参の家臣に移っていることは、誰の目にも明らかだった。そのことを川井は認めたくないのだ。
和田は甥の野上刑部左衛門に政光暗殺の企てを相談され、血気盛んなことだ、と笑って流したそうだが、川井や野上は本気のようで、笑って流せるものではないと判断し、憲忠に相談したのだそうだ。和田から義宣に告げてもよかったのだが、譜代と新参の問題なのだから、隠居した自分が口出しをせず、新参者が自分たちの力で解決するべきだ、と思ったらしい。
政光が暗殺されるのを黙って見ていることもできたはずなのに、憲忠にその企てを告げてくれたことを感謝し、憲忠はすぐに政光のもとへ向かった。
「内膳、大変だぞ。家老の川井伊勢がお前の暗殺を企てている」
「半右衛門、何を言っている。いくら私が家中の嫌われ者であり、譜代連中の頭が固いと言っても、そのような暴挙に出るはずないだろう」
「和田様に教えていただいた。和田様の甥の野上刑部が、川井伊勢に与しているらしい」
「和田様が。そうか。ならば、本当に私は命を狙われているのだろう。どうりで、最近は今まで以上に川井伊勢に睨まれるわけだ」
「この状況で、よく落ち着いていられるな」
憲忠は政光暗殺計画を知り、すっかり気が動顛してしまっているというのに、命を狙われている政光本人は、まるで他人事のように落ち着いている。
「半右衛門、このことを殿には内密にしてもらえないだろうか?」
「殿に内密にするだと? お前、死にたいのか?」
「逆だ。こんなところで死んでたまるか。まだ府城の普請も終わっていないのだぞ」
政光は何を考えているのだ。憲忠には政光の考えが分からなかった。死にたくないのならば、一刻も早く義宣に川井らの企みを告げて、義宣の判断を仰ぐべきだと思う。このまま放っておいては、川井らは本気で政光を暗殺するに違いない。
「いいか、ここで私が殿に伊勢の企みを告げるのは容易い。だが、伊勢が家老を辞めることになったり、切腹を言い渡されたりしてみろ。家中は、私が殿をたぶらかして目障りな伊勢を失脚させたと思うだろうよ。私がそう思われるだけならば、まだ我慢もできようが、私の命をお助けくださったせいで殿まで悪く言われるようなことがあっては困る。そうなっては、もう私は殿のもとで生きていくことなどできない。命は助かっても、死んだようなものだ。」
「それは、確かにそうかもしれない。俺たちはただでさえ、浪人上がりと侮られ、白い目で見られている。殿は俺たちの才を評価し、信頼してくださっているだけだというのに、譜代連中に文句を言われているようだしな」
「今はまだ、どうすればいいのか分からない。ただ、殿にお知らせするべきではないことだけは分かる。しばし様子を見るしかない。川井も馬鹿ではないのだから、明日明後日、私を殺すということもないだろう」
「分かった。では、殿には内密にしよう。だが、俺にお前の護衛をさせてくれ。川井は夜討ちをしかけるかもしれない。夜はお前の屋敷で宿直をする」
「しかし、それでは半右衛門に迷惑をかけてしまう」
自分の命が狙われていると分かっても動揺しなかったくせに、政光は憲忠が不寝番をすると申し出ると、慌てて憲忠の申し出を断ろうとした。独善的で尊大だと嫌われている政光とは思えない反応だ。政光は別に独善的でも尊大でもない。正しいと思ったことをそのまま口にしてしまうだけなのだ。それが譜代家臣には独善的だと思われる。義宣や憲忠らの前では、決して政光は嫌な人間ではなかった。
「いや、いいんだ。俺はかつて真崎孫三を殺してしまった時に、お前のとりなしで殿に命を助けていただいた。だから、今度は俺が内膳の命を守る。それだけのことではないか」
「分かった。よろしく頼む、半右衛門。譜代殺しと嫌われているお前が不寝番に立ってくれれば、譜代連中はお前を恐れて私のもとへは近づかないかもしれない」
政光が珍しく冗談のようなことを言うので、思わず憲忠は笑ってしまった。政光もかすかに笑っているように見える。その夜から、憲忠は政光を守るために、長刀を持って政光の屋敷に宿直をした。登城の際も、なるべく政光をひとりにしないように気を付けた。そうすると、今度は川井の方も政光を警戒し始めたのか、取り巻きを引き連れて登城するようになった。
ここまで川井と政光の対立が表面化してしまうと、さすがに義宣に政光暗殺の企てを隠しておくことは難しかった。異変に気付いた義宣に呼び出され、憲忠は和田から聞いたことをすべて義宣に話した。義宣は一言、分かった、と言ったきり、川井のことについて憲忠に話をすることはなかった。
家老の川井が政光を暗殺しようとしている。政光は譜代連中に嫌われており、特に川井は政光を嫌っていることは分かっていた。だが、政光を家老に任命しようと義宣が考えただけで、暗殺を企てられるほどだとは思っていなかった。最近、川井も政光も様子がおかしいと思い、憲忠を問いただしてみて分かったことだ。
これは、政光が悪い訳ではない。政光は譜代の老臣には嫌われているが、同じ浪人出身の者には好かれているし、譜代ではない下級家臣にも嫌われてはいない。政光は義宣が命じた仕事に対して期待以上の成果を残すし、義宣の考えを良く理解して手足のように働いている。政光は義宣にとって手放せない家臣だった。
家中の要職につけるに相応しい能力があると判断したからこそ、家老にしようと考えたのだが、それが川井らには分からないのだ。分からないのではなく、分かろうとしていないのかもしれない。この暗殺計画も、単に政光が憎いというだけではなく、譜代をないがしろにする義宣へのあてつけのつもりなのだろう。政光を殺せば、義宣が目を覚ますとでも思っているのか。目を覚ますのは譜代の老臣たちの方ではないか。いつまで、常陸の名門、佐竹家の譜代家臣という夢を見ているのだ。
二年前に死んだ東義久は、自分の死を義宣の粛清によるものにしてほしい、と言っていた。一門筆頭の義久を粛清し、一門や譜代が今までのように義宣に逆らうことを許さず、家中の権力を義宣に集中させようとしていた。おそらく、義久は川井と政光の対立のようなことが将来的に起きると分かっていたのだ。だから、義宣に自分の死を粛清によるものとさせようとした。
義宣も一門、譜代が力を持つことを苦々しく思ってはいた。当主である自分に権力を集中させたいと思っていた。秋田に入ったことによって、それが叶うのではないかと期待していたが、まさか譜代と新参の対立がこんな形で表面化するとは思っていなかった。
川井らはなぜ気づかないのだろう。政光を罵るということは、政光を重用している義宣を批判しているのと同じなのだ。義宣が政光にたぶらかされているとでも思っているのかもしれないが、そう思うことこそ義宣に対する侮辱以外の何物でもない。
関ヶ原の折、府城決定の折、譜代連中には頭を痛めてきた。もう限界なのかもしれない。いつまでも過去にすがりついて新たな可能性を認めようとしない連中は、家中に置いておくことができない。
義宣が重用する政光を川井が殺すつもりならば、義宣が川井らを粛清するしかない。
義久はこうして新旧の対立が表面化し、義宣が直接譜代家臣に手をくだすことを避けたかったのかもしれない。これは、義久が思っていた最悪の展開なのかもしれない。だが、新たな地で新旧交代を図るためには、川井らを犠牲にするしかないのだ。
仙北の守りを固めるため、六郷城に居を構えた父に書状で川井誅殺について相談すると、父は仕方のないことだと、義宣の考えに同意した。政光を殺されるわけにはいかないのだ。義宣が政を主導していくためには、仕方のないことなのだ。
政光の暗殺を企てている川井伊勢守、野上刑部左衛門、小泉藤四郎、大窪長介を鷹狩りと称してそれぞれ横手城、角館城、湊城、湯沢城に呼び出した。首謀者の川井は、家老でもあるので義宣の鷹狩りの供ということにしている。川井は、最近は新参者ばかりを重用する義宣が、やはり譜代のことも忘れていなかったのだと喜んでいた。
鷹狩りは口実に過ぎない。真の目的は、川井を誅殺することだ。切腹は許さない。川井は義宣が家老にしようとした政光を殺そうとした。それは義宣に対する反逆だ。たとえ家中に苛烈だと思われようとも、ここで譜代の力を削がなければ、義宣の思い通りの政は永久にできなくなる。
世は変わった。佐竹家も変わらなければならない。その変化に適応できない者は、排除するしかない。今が、佐竹家の変わる時なのだ。




