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道程  作者: 実川
七 枯れぬ花編
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枯れぬ花編(一)

 佐竹家が秋田に転封が決まったと、祥のもとに義宣からの書状が届いた。

 家中は転封の準備で大忙しだった。突然の決定に家中が混乱状態に陥っている中、阿南は早々に佐竹の皆とともに秋田へ移ることを決め、常陸を発った。間もなく常陸は徳川へ明け渡される。その混乱の中、自分たちが水戸城にいては迷惑になると判断したのだろう。阿南は数年前から体調を崩していて、床に就くことが多い。祥も阿南と共に常陸を発った。鏡田も、阿南と祥にどこまでもついていくと言ってくれた。

 佐竹家中の者たちよりも先に常陸を発ち、懐かしい須賀川まで至った時、阿南の体調は悪化した。阿南はもう六十歳を超えているのだから、無理をさせてはならない。それに、伏見の義宣からは何の連絡もないため、義重も八槻に留まっているのだから、祥たちも須賀川で指示を待った方がいい。そう思い、二階堂家の菩提寺である長禄寺にしばらく泊まることにした。

 阿南は、十数年ぶりに訪れた須賀川を懐かしんでいるようだった。だが、須賀川は阿南が治めていたころとはすっかり変わってしまっている。幼かった祥は、昔の須賀川の様子をはっきりと覚えているわけではないが、城下町だった須賀川は、今は宿場町となっていた。須賀川城も祥の記憶にあるものとはまったく違う。

 二階堂旧臣たちの姿も変わってしまった。須賀川の町を歩いてきた鏡田は、二階堂旧臣を何人も見かけたのだそうだ。旧臣たちは武士ではなく、商人や農民に姿を変え、二階堂家の家臣であったことを伏せ、慎ましやかに暮らしているらしい。そんな旧臣たちのことを思うと、祥の心は痛んだ。阿南もひどく心を痛めているようで、目にはうっすら涙が浮かんでいるように見えた。

「お祥」

「はい」

 床に就いた阿南の枕元に座り、祥は阿南の手を握っていた。

「私の判断は、誤っていたのでしょうか。伊達と戦った十三年前、私に降伏を勧めた家臣も多かったのです。それを、私が戦うと決めてしまったから、こうして須賀川は変わり、家臣たちも変わってしまいました。お祥、私のせいでしょうか」

「お養母さま、いつものお養母さまらしくありませんよ。何をおっしゃるのです。前もそのようなことを聞かれましたね。その時も申し上げたではありませんか。わたしにとって、お養母さまのご選択は常に正しいのです。お養母さまのせいではありません」

 祥が慰めても、変わり果てた旧臣たちのことを思うと、阿南の心は晴れないらしい。病のせいもあって、すっかり弱々しくなってしまっている。

 須賀川に到着して数日が経つと、長禄寺に阿南を訪ねてやって来る者が現れ始めた。取り次ぎに出た鏡田の悲鳴のような声に驚いて、鏡田のもとへ行くと、阿南を訪ねてやって来たのは、商人や農民の男たちだった。

「姫様? 二階堂の姫様でいらっしゃいますか?」

 二階堂の姫とは、懐かしい呼ばれ方だ。もしかして、この男たちは二階堂旧臣なのだろうか。鏡田が声を上げたのは、懐かしさに驚いたからだったのか。

「はい、わたしは二階堂後室の養女(むすめ)です」

「ああ、お懐かしうございます。お父上に似てお美しくおなりでいらっしゃる。しかし、そのお声は幼き頃とお変わりない。生きて姫様にお会いできる時が来るとは、思いもしませぬことにございます」

「あなたたちは、二階堂の?」

「そうですよ、姫様。焼け落ちる須賀川から、何とか逃げ延びた者たちにございます。わたくしも、こうして懐かしい二階堂の者に会えるとは思っておりませんでした。さっそく、後室御前にもお知らせして参りますね」

 鏡田は涙を拭いつつ、阿南のもとへ行った。男たちは祥の前で溢れる涙を拭おうともせず、懐かしい、と何度も呟き泣いていた。鏡田の案内で阿南のもとへ男たちを通すと、阿南も男たちも再会に涙した。須賀川落城から十三年経っても、いまだに二階堂家を慕って泣いてくれる旧臣たちに、祥も涙を袖で押さえた。

 旧臣たちは商人や農民として慣れぬ生活を送っているが、ひとつだけ変わらないことがある。二階堂家への忠節だけは、どんなに姿を変えても変わらない。旧臣たちは、須賀川が焼け落ちてから、毎年十月十日に松明を手にし、東の丘に集まっている。十三年前のその日その場所で、かつて二階堂家の家臣たちは、松明を手にして集まり、打倒政宗を誓い合ったのだった。今は、むじなを狩るため、と偽りの理由をつけて集まっているが、本当の理由は伊達との戦で失われた命を弔うためだ。

「そう、そうだったのですか。私はお前たちに恨まれてもおかしくはないと思っておりました。それなのに、何と嬉しいことでしょう」

「後室御前、誰が御前をお恨みしましょうや。我らは、我らの意志で戦うと決めたのです。後室御前と姫様のために。恨まれるのは、むしろ我らにございます。御前と姫様をお守りできず、できることは死者の弔いだけ」

「いいえ、恨みに思うものですか。ありがとう、本当に。私は果報者です」

 それから毎日、二階堂旧臣は阿南のもとを訪れた。毎日違う者が訪れ、昔話をしたり、今の生活の話をしたりして、阿南は嬉しそうに聞いていた。

 だが、阿南の体調は悪化する一方だった。もしかしたら、阿南は死期を悟り、この須賀川で最期の時を迎えようとしているのだろうか。眠る阿南を見つめながら、置いて行かないで、一緒に秋田に行きましょう、と祥は阿南に泣きつきたくなった。

 目を覚ました阿南が、ゆっくりと目を開け、視線をさまよわせた。急いで阿南の手を握り締めると、阿南の目が祥に向いた。

「お養母さま、どうなさったの?」

「ああ、お祥」

 祥と目を合わせて、阿南は微笑んだ。だが、その笑みは昔に比べれば弱々しく、別れの時が迫っているのだと祥にも分かった。

「盛義殿が、先ほどまでいらっしゃったのですが、どうやら夢の話のようですね」

「まあ、そうだったのですか」

 まさか、亡き夫の二階堂盛義が、阿南を迎えに来たのだろうか。長禄寺は二階堂家の菩提寺だ。盛義が現れてもおかしくはない。阿南は、夢の中に夫が出てきたことが嬉しいようだった。

「お養母さま、米沢が恋しくはありませんか?」

 夫の夢を見たと言っている阿南に聞くことではないような気がしたが、須賀川に来てから疑問に思っていた。いくら政宗が嫌いだと言っても、米沢は阿南の生まれ故郷だ。恋しくないはずはないだろう。祥は、政宗に攻められてすっかり変わってしまったが、須賀川が恋しいと思う。会津もできることならば、見てみたかった。阿南も米沢が恋しいとは思わないのだろうか。一度聞いてみたかったのだ。

「何故、米沢が恋しいでしょうか。私は二階堂の女。この須賀川が、私の帰る場所です」

 昔のようにきっぱりとした口調で、阿南は言った。その答えを聞いて、祥は自分がした質問が恥ずかしくなった。そうだ。阿南は須賀川の、二階堂の女なのだ。

「お祥、お前も同じですよ。お前が帰る場所は、義宣殿のところです」

「お養母さま」

「私はこの地で眠ります。お前は、義宣殿と共に秋田へ参るのです。この婆のことは置いて行きなさい」

 そんなことを言わないでほしい。死期が迫っているのは分かるが、そんなことは言わないでほしい。

「嫌です、お養母さまも一緒でなくては、祥は秋田へ参りません。お養母さまがいてこその祥ではありませんか。わたしも須賀川に残ります。鏡田と一緒に、下河辺の館で暮らしていた頃のように三人で暮らしましょう」

「私は、お前をそんな聞き分けのない娘に育てた覚えはありません」

 阿南の声は、祥を叱りつける時の厳しい声だった。その声に祥ははっとした。阿南は悲しそうな顔をしている。こんなことを言って、困らせるべきではなかったのだ。阿南も祥と別れることを望んでいるわけではなかったというのに。

「お養母さま、申し訳ございません」

「いいのですよ、お祥。しかし、よく心得ておきなさい。お前には、実家などありません。帰る家などありません」

「はい」

 阿南の言葉に、祥はしっかりと頷いた。阿南の目は、厳しく祥を見つめている。

「義宣殿がお前の全てです。愛し抜きなさい。夫を、夫の愛するものを。守りなさい。夫が守ろうとしたものを」

「はい」

「女は、男が思っているほど弱い存在などではありません。女は強いものです」

「はい」

「女は、男の都合で振り回され、ただ泣き寝入りするだけの、弱い存在ではありません。男に守られるだけの、か弱い存在ではありません」

「はい」

 阿南が言うと、すべてのことに説得力があった。阿南は実家の伊達家に、甥の政宗に領地を攻められても、亡き夫が残した領地を少しも奪い取られることなく、守り抜いた。政宗に城を攻め落とされるその瞬間まで、夫が残したものを守り抜いた。夫が愛した須賀川を愛した。須賀川の民を愛して、守った。その姿を、幼い祥は見て、ともに体験した。だから、阿南の言うことが分かる。

「いいですか、お祥。女は強いもの。もしかしたら、男よりも強いのかもしれません」

「はい」

「お前も、義宣殿を愛しなさい。義宣殿を守りなさい。お祥、忘れてはなりませんよ。強く生きなさい。女は、愛する男のためならば、いくらでも強くなれるのです。二階堂の女としての誇りを忘れず、佐竹の女であるということを胸に刻み、強く生きるのです。義宣殿のためにも」

「はい、お養母さま」

 祥が大きくうなずくと、阿南は満足そうにほほ笑み、鏡田に命じて何かを持って来させた。鏡田が持ってきたのは、阿南がいつも身につけていた懐剣だった。

「お養母さま、これは」

「お祥に譲ります。私が二階堂家に嫁ぐ時に持って来たものです。もし、お前が義宣殿のご迷惑になった時には、これで胸を突いて死になさい」

 阿南の手を握っていた祥に、阿南は懐剣を握らせた。この懐剣は、須賀川城が落城となった時、阿南が自害しようとして鞘を払った懐剣だ。万一の時には、阿南と同じようにこの懐剣の鞘を払う。その覚悟を持て、と養母は祥に言っているのだ。

「しかし、そのようなことにはならないことを、私は強く願っています。お前が懐剣の鞘を払うことなどないよう、どうか幸せに。義宣殿の子を産んで、幸せにおなりなさい。今となっては、お祥の幸せだけが私の望みです」

「はい、お養母さま。大丈夫、わたしはお養母さまの娘です。幸せに生きて、必ずお養母さまに孫の顔を見せて差し上げます」

「ありがとう、お祥。お前は本当に優しい子。私はお前が愛しくて仕方がありませんよ。だから泣かないで。鏡田も、今まで尽くしてくれてありがとう。これからも、お祥をよろしく頼みます」

「お養母さま、ありがとうございます。わたしも、お養母さまのことが大好きです。お養母さまの娘で、本当によかった。お養母さま」

「後室御前、姫様はわたくしがお守りいたします。わたくしの方こそ、御前にお仕えできて、まことに幸せにございました」

「二人とも嬉しいことを言ってくれます。夫を亡くし、息子を亡くし、城も失った私を、人は不幸だと思うのかもしれません。けれど、私にはお祥がいた。鏡田もいた。そして、須賀川で命を終えようとしている。私は果報者です。本当ですよ。私は、夫の眠る須賀川でともに眠れることを、心から嬉しく思っているのですから」

 数日後の六月十四日、養母は眠るように息を引き取った。葬儀は長禄寺で行い、二階堂家の菩提寺である長禄寺に阿南の墓を建てた。阿南が言っていた通り、阿南は二階堂の女として須賀川に眠ることができて、喜んでいるだろう。別れは辛く悲しかったが、阿南は十分に生きたのだと思う。いつまでも泣いていては、養母に怒られるに違いない。

 八月に入り、ようやく義宣が須賀川にやって来た。阿南から貰った懐剣を胸に、祥は鏡田を連れて義宣とともに秋田へ向かった。二階堂の女として、佐竹の女として、阿南に恥ずかしくないように、義宣とともに生きていく。秋田の地で、義宣とともに幸せを掴むのだ。

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