多賀谷の姫編(五)
失礼いたします、という声と共に、昌が部屋に入ってきた。
「琳は眠ったのか?」
「ようやく落ち着かれたようで、お休みになりました」
「そうか」
義宣と昌の間に沈黙が訪れる。義宣がいない間の琳の様子を聞かせてほしい、と昌を呼んだのは義宣だが、どう聞き出していいものだろうか。昌に嫌われている自覚はある。何を聞いても答えてくれないような気がする。琳が眠る前も、昌は琳を義宣に会わせようとしなかった。
「御台様は、この一年半以上ずっとご自分を責めていらっしゃいました。そのため、お部屋から出ることも難しかったのです」
義宣が何も言わずとも、昌は呟くように話し始めた。それはまるで独り言のような呟きだったが、それでも義宣には十分だった。
「お屋形様もご覧になってお分かりでしょうけれど、ずっと、ああしてご自分を責めていらっしゃいました。ちょうど、世が石田様と徳川様の戦になると大騒ぎになっていた頃にございます。徳寿丸様は、突然お亡くなりになりました。それから、わたくしは御台様のために高野山へ詣でました」
「高野山」
「御台様は逆修供養をなされたのです。北城様が建立された御霊屋には、御台様の印塔墓もございます。御台様が自らの供養をなされたのです」
知らなかった。琳が高野山の御霊屋に自分の印塔墓を建てていたのか。
「その後、ご実家の多賀谷家が改易され、御台様は更に悲しみの底へと沈んで行かれたのです。御台様はお心を痛められ、お心を擦り減らされていきました。わたくしは、ただ御台様のお側にいることしかできませんでした」
どん、と畳を叩き昌が体を乗り出した。その目には怒りだけではなく、憎しみも込められているようだった。実際、昌は義宣が憎いのだろう。琳だけが自分の主だと言った昌だ。
「それなのに、お屋形様は今更何をなさろうと言うのですか? 御台様がこうしてお心を痛められているのは、どなたのせいかお分かりですか? お屋形様はご自分が今まで御台様に何をなさったか、いいえ、何をなさらなかったかお分かりですか?」
「ああ、俺のせいだ。俺が何もしなかったせいだ。俺が何もしなかったために、琳を怯えさせていた。俺は琳に無関心だった。そうだろう?」
「徳寿丸様がお亡くなりになったとお知らせしても、何のお返事もくださらなかった。その間、御台様はお屋形様のお怒りをずっと恐れておいでだったのですよ」
徳寿丸の死の知らせを受けたのは、ちょうど三成が関ヶ原で敗れたという知らせを受けた頃だった。あの頃の義宣は、今後の佐竹家のことを考えるだけで精一杯で、伏見の琳のことまで考えていられなかった。返書など書いていられなかったのだ。だが、そんな言い訳は昌に通用しないだろう。
義宣を睨んでいた昌は、突然畳に手をついて頭を下げた。突然の行動に、義宣は驚いた。昌が義宣に頭を下げるとは思わなかったのだ。
「先ほどから、散々無礼を申し上げていることは重々承知しております。わたくしはお手打ちとなっても構いせぬ。その覚悟の上で申し上げるのです。どうか、お屋形様から、佐竹というお家から、御台様を逃がしてください。お屋形様が御台様のことを思ってくださるのならば、お屋形様にできる唯一のことは、髪を下ろすのを許されることのみにございます」
「髪を下ろす? 琳は、尼になりたいと望んでいるのか?」
「尼になるのもいいかもしれない、と呟かれたことがあります。それが、御台様がお心安くいられる唯一の道だとわたくしは思います」
義宣からの解放。佐竹家からの解放。確かに、それは琳を救う道の一つではあるかもしれない。琳が尼になることを望んでいるのならば、その望みどおりにしてやりたいとも思う。今まで琳を苦しめてきた罪の償いにはならないだろうが、琳が望むのならば離縁して尼になるのもいいだろう。
天下分け目の戦があった。お家の存続をかけた緊張状態が続いていた。そんなことは言い訳にすぎない。琳を放っておいて、心を痛めさせたのは義宣だ。今だけではない。妻に迎えてから、ずっと蔑ろにしてきた。その間、琳は苦しみ続けていた。だから、琳の望みはかなえてやりたい。
だが、それで琳は救われるのだろうか。尼になって、生涯子どもと一族の菩提を弔って生きることが、琳の救いになるのだろうか。
「琳が望むのならば、尼になるのもいいだろう。離縁してくれと言われたら、それも考えよう。琳と話し合って、最後は琳が決めることだ。琳の今後は、お前が決めることではない」
「今更、分かったようなことを仰らないでください」
昌の叫びの後、再び沈黙が訪れた。どんなに昌に睨まれても、義宣は昌から目をそらさなかった。もう二度と、琳から目をそらさないと決めたのだ。
「お怨み申し上げます。たとえ御台様が貴方様をお許しになられたのだとしても、わたくしはお屋形様をお怨み申し上げます」
義宣を正面から見据え、昌はきっぱりと義宣への怨みを口にした。以前の義宣ならば、昌の無礼に烈火のごとく怒ったことだろう。
「そうか」
だが、今はただ、この一言しか言えなかった。無礼かどうかを考慮しなければ、昌の言い分は理解できるのだ。
「御台様を苦しめたのはお屋形様です。御台様を悲しませたのもお屋形様です。御台様を追い詰めたのもお屋形様です。何もかも、お屋形様が悪いのです。全て、お屋形様のせいにございます」
「ああ」
「お屋形様は、御台様の全てを奪ったも同然なのです」
昌はそのまま泣き崩れた。昌の主張は理解できる。昌にとって、義宣は琳を苦しめる元凶なのだろう。昌は手打ちになっても構わない、と言っていたが、義宣は昌をそのまま琳の侍女にしておくことにした。琳はそれを望むだろうと思ったからだ。
翌日、再び琳のもとを訪れると、琳は昨晩のように取り乱すことはなかったが、義宣がなぜ自分のところへ来るのか理解できない、という顔をしていた。琳の隣に座り、義宣は琳の手を握った。琳の手は冷たく、緊張が手から伝わってきた。
「琳、すまなかったな。今まで、俺はお前を蔑ろにしすぎた。すまなかった」
「いいえ。私が悪いのです。父からも、お屋形様のご不興を買ってはならない、ときつく言いつけられておりましたのに。今の私を見たら、父が何と思うことか」
「重経殿は、ここにはいないぞ」
「それでも、父はきっと私のことを怒っています。お屋形様も、お怒りでしょう」
「俺は怒ってない。徳寿丸は体が弱かった。琳のせいではない。むしろ、俺が悪かった。琳、今まで何もせずにいて、すまなかった」
「でも」
琳はなぜ、義宣と話をしているのに、重経のことを話題に出すのだろう。重経はここにいない。下妻を逃げ出して、どこへ行ったか行方知れずのままだ。なぜ、そんな重経に怯えるのだろうか。昨晩も、琳は重経のことを気にしているようだった。
「なあ、琳。俺はお前が尼になりたいと言うのなら、そうしてもいいと思う。昌から、尼になるのもいい、と言っていたと聞いた。お前は、どうしたい? 琳の好きなようにさせたいんだ」
「私は、お屋形様と父がその方がいいと思われたのなら、そうしたいと思います」
「いや、俺はお前の考えを聞いているんだが」
「でも、私が勝手にものを決めたら、父がきっと怒ります。それに、私はお屋形様の子を産まなければなりません」
まただ。琳の意見を聞いているのに、義宣や重経の意見を気にする。特に、琳は義宣よりも重経のことを気にしているように思える。義宣の子を産まなければならない、と考えるのは分かるが、なぜこうも重経のことばかり気にするのだろうか。
「琳、重経殿は今の話に関係ないだろう?」
「でも」
義宣の言葉に、琳は俯くだけだった。昌は、琳は義宣を恐れていると言っていた。義宣も、琳は義宣に怯えているのだとずっと思っていた。だが、琳が真に恐れているのは父親の重経なのではないか。義宣が都合よく解釈しているだけなのかもしれないが、琳の恐怖のもとは重経にあるような気がする。
それから、義宣は毎晩琳のもとへ足を運んだ。手を握り、琳に今まで何もしてこなかったことを謝った。琳は相変わらず義宣を怯えた目で見ているが、握る手は徐々にあたたかくなってきた。




