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道程  作者: 実川
六 多賀谷の姫編
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多賀谷の姫編(三)

 徳寿丸の葬儀が行われてから、琳はずっと床に就いている。葬儀の間も、昌が支えていなければ、琳は立っても座ってもいられないような状態だったのだ。

 徳寿丸の死を聞いた時、琳は何も言わなかった。何も言わず、徳寿丸の顔にかけられた白い布を取り、徳寿丸の頬に触れていた。涙が徳寿丸の顔に落ちる。琳は溢れる涙をぬぐおうともせず、じっと徳寿丸の枕元で泣いていた。徳寿丸のそばから離れようとせず、ひたすら涙を流していた。その姿があまりにも痛々しくて、昌も一緒に涙を流した。

 大御台も徳寿丸の死を悲しんでいたが、琳とは違い声をあげて泣き、嘆いていた。言葉を発することさえできず、涙を流す琳の前で嘆き悲しむ大御台は、人の心が分からないのだろうか、と思った。大御台も悲しいのは当然だろうが、琳の前で大袈裟に嘆いていては、琳は自分を責めるに決まっている。そのことを大御台は分かっていない。

 徳寿丸の葬儀が終わり、琳は高熱を出して倒れた。それからずっと床に就いている。熱はなかなか引かず、琳はうなされていた。徳寿丸の夢を見ているのか、何度か徳寿丸の名が呟かれ、眠りながら琳は涙を流していた。

 このまま琳も死んでしまうのではないかと、昌は不安でたまらなかった。琳のそばから離れず、つきっきりで看病し、神仏に祈った。たまに、琳はうわ言で昌を呼ぶ時もあった。その時は琳の手を握り締め、昌はここにおります、と声をかけた。早く目を開けてほしい、琳まで死なせないでほしい、と願い手を握り締めたのだ。

 二日後、琳はようやく目を覚ました。弱々しい視線が昌に向けられる。

「お昌」

「御台様、お目覚めですね。ああ、よかった。喉が渇いておいででしょう。すぐに水を持って参ります」

「いらない」

「しかし」

「飲みたくないの。徳寿丸は、もっと苦しかったはずだもの」

 琳の目に涙が浮かぶ。瞬きをすると、涙は琳の頬を流れた。

「徳寿丸、さぞ苦しかったでしょうに」

「御台様」

 堪らなくなって、昌は琳を抱きしめた。琳の涙が昌の胸にしみ込む。琳は昌にすがり、ようやく声をあげて泣いた。

「私のせいで、徳寿丸は死んでしまった」

「そのようなことはありませぬ、御台様」

「いいえ、私のせいよ。私が徳寿丸から目を離してしまったから。お屋形様だってきっとお怒りだわ」

「御台様が何をなさったというのですか。御台様のせいではありませぬ」

 徳寿丸、と何度も呟きながら泣きじゃくる琳の背中を撫で、慰めることしか昌にはできなかった。琳は徳寿丸の死を自分の責任だと感じ、自分を責めている。小さな肩を震わせ、悲しみと喪失感に打ちひしがれながらも、義宣に怯えているようだった。

 徳寿丸はもともと病弱な体質だったのだろう。よく体調を崩し、熱を出していた。そのことを義宣も知っていた。義宣が帰国する時に、徳寿丸を頼むと言い残したことを、琳は義宣の留守中に世継ぎを死なせるな、と命じられたと思っているのかもしれない。琳は常に義宣のことを恐れている。義宣がどう思うか、それが琳にとって一番重要なことのようだった。それは恐らく、幼いころに父である重経に、佐竹家の人間の機嫌を損ねてはならない、ときつく言われていたからだと思う。

「徳寿丸も、私を恨んでいるかもしれない」

「御台様、どうかこれ以上、ご自分をお責めにならないで。昌が代わって差し上げられたらいいのに。存分にお泣きください。昌はずっと御台様のおそばにおります。御台様」

「徳寿丸」

 琳が泣きやむまで、昌はずっと琳を抱きしめ背中を撫でていた。昌の小袖は、琳の涙でぐっしょりと濡れ、重くなっている。琳は泣き疲れたのか、気を失うようにまた眠ってしまった。熱はもう下がっている。そのことに少し安心したが、琳の心の痛みを思うと、昌の目にも涙が浮かんだ。

 熱が下がってから、琳は食事を取ろうとしなかった。膳を運んでもまったく手をつけない。部屋からも出て来なかった。昌は琳のことが心配でならないが、大御台は琳を心配しつつも、情けないと呆れているようだった。そんな大御台に腹が立った。

 琳が悲しみに暮れている間に、世の情勢は大きく動いたらしい。大坂城には石田三成の仲間である毛利輝元が入っていたはずだが、今では徳川家康が入っているらしい。美濃の関ヶ原で大きな戦があり、家康はその戦に勝利したらしい。佐竹家の伏見屋敷でも、表の男たちは慌ただしく動いていたが、琳にも昌にも表の情勢は関係なかった。表の情報は大御台のところで止まってしまうのだ。大御台が琳にも告げた方がいいと判断した情報だけが、琳と昌のもとまで届く。

 毎日食事を持っていく際に、今日はいい天気ですよ、今日は雨ですよ、など他愛ない話を昌はするのだが、琳は生返事をするだけだ。まともに琳の声を聞いたのは、徳寿丸の死を嘆いた時が最後だ。それ以来、琳と会話らしい会話をしていない。他の侍女が声をかけても、食事を運んでも、それは変わらなかった。琳は誰とも話をしようとしなかったし、食事をとろうともしなかった。部屋から出ることもなかった。

 だが、しばらくして琳はようやく食事を取るようになった。昌はそのことが嬉しかったが、琳は食事を取りながら涙していた。

「お昌、私は徳寿丸が死んでしまってから、もう生きている意味などないと思っていた。でも、私は人質としてここにいるんですもの、勝手に死んでしまってはいけないのよね。私のせいで、徳寿丸は死んでしまったというのに、私は徳寿丸の元へ行くこともできない」

「御台様、徳寿丸様が亡くなられたのは、御台様のせいではございませぬ」

「そう言ってくれるのは、お昌だけ。でも、きっと本当に私のせいなのよ。父上は、佐竹家の中で私がうまく立ち回らなければならない、ときつくおっしゃったけれど、結局私は何もできていない。それどころか、いつもお屋形様のご不興を買うようなことばかり。私が悪いの」

「御台様」

「私はうまくやらなければならないのに、何もできない。きっと、また私はお屋形様や父上のご不興を買ってしまう。部屋の外に出なければ、人に迷惑をかけることもないでしょう。それに、気が滅入ってしまって、こうして起きているだけでも頭が重くて仕方がないの」

「では、具合がよくなられるまで、お休みになった方がいいですね」

「でもね、私が床に就いていることを、お屋形様は何とお思いになるだろう、とも思うのよ」

「御台様、ここにはお屋形様はいらっしゃいませぬ」

 まだ自分を責めようとする琳をなだめ、涙を拭き、食事をとらせた。わずかしか琳は食べなかったが、その日から少しずつ食べる量が増えていった。だが、琳は塞ぎこんでしまい、部屋から出ることはますます難しくなっているようだった。

 義宣から何の音沙汰もないことも、琳の心を苦しめているのかもしれない。義宣には徳寿丸の死を伝える書状を送ったが、義宣からの返事はない。どうやら義宣は石田三成に味方すると決めていたようで、国許は随分と混乱しているらしい。それならば、返事が送れないのも仕方がないのかもしれないが、義宣が徳寿丸の死は琳のせいではない、と言わない限り、琳は自分を責めることをやめないだろう。

 いくら昌が言葉を尽くして琳を慰め、励ましても、琳にとっては義宣がどう思うかの方が重要なのだ。

 音沙汰のないまま年が明けた。二月に入り、大御台から呼び出された昌は、衝撃的な知らせを受けた。琳の実家の多賀谷家が領地を没収された。重経は家康の急襲を企てていて、それが発覚したために領地を没収されたというのだ。重経は家康にことが露見したと知った途端、城も家族も領民も捨てて、ひとり下妻から逃げ去ったらしい。あの重経ならばやりかねないことだった。重経の養嗣子になっていた義宣の弟の宣家は、琳の妹である妻を連れて佐竹家に帰った。

 そこまでは、まだよかった。多賀谷家が失われてしまったことは、昌も悲しかったが、それ以上の悲しみがあった。重経に見捨てられた奥方や姫たち、城内の奥女中たちは、行く末を案じ、ある者は懐剣で喉を突き、ある者は館沼へ身を投げたのだそうだ。恐らく、昌の母も自害したのだろう。琳の母である奥方の供をしたに違いない。

 琳に下妻で起きた悲劇を伝えたくなかった。これ以上、琳の心を苦しめたくない。だが、昌が伝えずともいずれは伝わってしまうだろう。それならば、昌の口から伝えた方がいいと思う。

 琳の部屋へ行き、多賀谷家が領地を没収されたこと、重経がすべてを見捨てて逃げ去ったこと、城の女たちが自害したことを告げた。もともと顔色のよくなかった琳の顔からは血の気が引き、昌が背中を支えなければ倒れてしまいそうだった。

「父上、母上、何ということ」

 両手で顔を覆い、琳は嗚咽を漏らした。下妻を離れて以来、琳は十年間母親と一度も会っていないが、母の死が辛くないわけがない。昌も母のことを思うと苦しい。恐れている父も零落の身となれば悲しいのだろう。

「御台様、お気を確かに」

「お昌も辛いのに、いつも私のことばかりで、ごめんなさい」

「いいえ、昌は御台様にお仕えすることが喜びなのです。ですから、お気になさらず」

「いっそ、尼になって徳寿丸や母上の菩提を弔って生きていけばいいのかもしれない」

 ひとりごとのように呟いた後、琳は自らの言葉を否定するように頭を振った。

「私は佐竹家の御台ですもの。そんなこと、お屋形様はお許しにならないわね」

 義宣はどう思うか、義宣の機嫌を損ねないか。琳は何年もそのことばかり考えている。あわれだ。仏に祈って少しでも救われると言うのならば、琳の代わりに昌が仏に祈って来る。

「御台様、昌は高野山へ参ろうと思います」

「お昌?」

「北城様は高野山にご自身と大御台様の御霊屋を建てられたそうです。御台様も逆修供養をなされば、お心が少しは安らぐのではないかと」

 昌の提案に琳の表情は少し明るくなったが、すぐに、でも、と口ごもった。義宣がどう思うか気にしているのだろう。だが、義宣はここにいないのだ。大御台さえ説得することができれば、侍女の一人にすぎない昌が高野山へ詣でたところで、何も問題はないだろう。大御台には、佐竹家の安泰を祈願する、と言えば喜んで許可を出してもらえるはずだ。

 言葉を尽くして説得すると、琳はようやく昌の提案に同意した。大御台に話をすると、昌が思ったとおり、あっさりと許可が出た。

 高野山へ登り、昌は義重が建立した御霊屋に琳のための印塔墓を建てた。それには琳の死後の冥福を祈るだけではなく、夭折した徳寿丸の冥福を祈る意味もこめている。

 昌が伏見屋敷へ戻っても、留守の間に義宣からの返書はなかったようだ。琳の体調も悪化することはないが、よくなることもなく、琳はまだ床に就いている。変わったことは、一度義重と東義久が上洛して来たことくらいだが、琳には関わりのないことだった。

 徳寿丸が死んで二度目の年明けを迎えた。近々、義宣が上洛するという知らせを受けた。ようやく、義宣がやって来る。義宣が上洛すると聞いた琳は、怯えるような表情をしていた。琳をこんなにも苦しめる義宣を、昌は憎いと思った。義宣は佐竹家の当主であり、つまりは昌の主なのだが、そんなことは関係ない。昌の主は、昔から琳だけなのだ。昌にとって、琳が誰よりも何よりも大切なのだ。

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