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道程  作者: 実川
五 落月の秋編
82/120

落月の秋編(十七)

 家康から何の沙汰もないまま年が明けた。年始の挨拶のために家臣たちは水戸城に集まっていたが、正月とは思えないほど暗い雰囲気だった。挨拶を受ける義宣の表情も暗い。義重も自分の表情が明るいとは思えなかった。

 年が明け、多賀谷重経は下妻を没収、追放されることになった。重経の養子になっていた息子の宣家は、妻を連れて常陸に帰って来ている。重経は義宣に家康を襲撃することをすすめていたはずだ。家康に敵対的だったことが咎められ、領地が没収されたらしい。領地没収、追放処分となった重経だが、その知らせを受ける前に下妻から姿を消していた。妻子も家臣も領民も捨て、重経は家康の咎めを恐れて下妻から逃げ去りどこかに身を隠していたのだ。どこにいるのかは義重も分からない。

 重経が消えた後の下妻は悲惨だった。領地没収の知らせを受けた重経の妻女や城内の女たちは、辱めを受けることを恐れて自害したと聞いている。自分の身だけを救うために何もかも捨てた重経は領主に相応しくない。なぜ、あのような男に宣家を養子に出したのか、今となっては不思議でならない。伏見にいる琳も、徳寿丸を失った上に実家がこのようなことになっては、酷く落ち込んでいることだろう。

 佐竹家は多賀谷家のようになってはならない。義宣が姿をくらますことはないだろうが、伏見にいる芳や御台、水戸にいるなすや女たちが自害して果てるようなことは何としても避けたい。

 義宣は水戸に残し、義重は上洛して家康に頭を下げることにした。家康はすっかり天下人気取りで、上方で大名たちから新年の挨拶を受けたと聞いている。家康に戦勝祝いの使者は送ったが、直接会って頭を下げたわけではない。少しでも家康の心証をよくするために、謝罪した方がいいだろう。だが、義宣が上洛するにはまだ早い。義宣は水戸で謹慎という形にして、隠居の義重が上洛する。

「父上、ご面倒をおかけして申し訳ありません」

「気にするな。隠居でも役に立つのならば、いくらでも頭を下げよう」

 義宣は三成が関ヶ原で負けてから、顔色が悪い。自分の選択を悔やんだり、家康の考えが分からず頭を悩ませたりしているのだろう。義重が当主だとしても、このような状況では疲れが顔に出るに違いない。

「この上、更にご面倒をおかけするようで申し訳ないのですが、内府殿に江戸に寺を建立することをお許しいただきたいのです」

「ほう。何故江戸に寺を?」

「亡き妻、八重を供養するためです」

「八重の供養。なるほどな」

 八重は十年前に自害している。義重も八重のことは忘れていなかった。八重の兄の那須資晴が家康に気に入られているらしいということも聞いている。義宣が徳寿丸の死や佐竹家の危機を、八重の恨みのせいだと考えていてもおかしくはない。義重も同じことを考えていた。義重は義重なりに八重の供養をするために、京の燈明寺に帰依し寄進もしている。領内の寺社の整備も行った。江戸に新たに寺を建てるというのは八重の供養にもなる上に、人質を江戸に置くためにも便利だ。家康も悪い気はしないだろう。

「では、内府殿にはそのように願い出ることにしよう」

「よろしくお願いいたします」

 雪解けを待ち、三月末に義重は常陸を発って上洛した。伏見屋敷の様子を見るよりも先に、家康のもとへ向かった。家康は義重の姿を見て相好を崩したが、それは人のいい笑顔というよりも、佐竹を屈服させたことを喜ぶ笑顔のようだった。

「これは、坂東太郎殿ではないか」

「此度のご勝利おめでとう存じます。また、愚息が内府様へ失礼を働き、まことに申し訳ございませぬ」

「常陸侍従殿が儂に礼を欠いたと? さて、何のことだろうか」

 義重は深々と頭を下げているため家康の顔は見えないが、どんな顔をしてとぼけているのだか。義宣が家康にはっきりと味方をしなかったことを、家康が恨みに思っていないわけがない。特に人質を差し出さなかったことについては、今でも怒っているとしてもおかしくはない。だが、何のことか、ととぼけられては、こちらもどう謝罪すればいいものか困ってしまう。

「先年、内府様より人質を求められた際、義宣のせいで内府様は大層ご不快になったことと思います」

「ああ、そのことか。しかし、あれは侍従殿の申し分がごもっとも。秀頼様へ人質を差し出している以上、儂への人質はご不要でしょう」

「いえ、違うのです。あれは義宣の言い方が悪かったのでございます。義宣は内府様に人質を差し出したいが、秀頼様に母と妻子を差し出している以上、それに勝る人質を差し出すことはかなわぬ故、人質は差し出せぬ、と申し上げたかったのです」

「ほう、そうでござったか。とんだ勘違いをしていたようですなあ」

「つきましては、江戸に寺を建立することをお許しいただきたく存じます。伏見の屋敷に置いているそれがしの妻と義宣の妻を、江戸に移したいと考えておりますので」

「そういうことでしたら、侍従殿のよいようになさるといい。ところで、その寺の開基は?」

「義宣の亡き妻、那須資晴殿の妹姫が眠る耕山寺の住職に」

「なるほど。亡き奥方の供養も兼ねるということか。侍従殿はお優しいことよ」

 義重が顔を上げると、家康は何度も頷いていた。この顔を見ていると、佐竹家には何の咎めもないように思えてくるが、油断してはいけない。この顔の下で、家康が何を考えているのか分かったものではないのだ。義宣は先年の戦で何をしていたのだ、三成に味方したのだろう、と責められた方がかえって弁明もしやすい。

 江戸に寺を建てることは許されたが、その他には特に成果がないまま家康との面会は終わった。家康は義重の弁明をのらりくらりとかわし、結局人質を江戸に置くことに同意しただけだった。これでは、何のために上洛したのか分からない。だが、家康は多忙を理由にそれ以上義重と会おうとはしなかった。

 食い下がったところで家康は義重に会わないだろうから、仕方なく義重は伏見屋敷へ向かった。伏見屋敷は変わりないように見える。少なくとも、芳とその侍女の小大納言は変わりなかった。だが、義重も義宣も不在の間に、この屋敷で徳寿丸は死んだのだ。義重に酌をする芳に御台の様子を聞くと、芳は眉をひそめた。

「御台は徳寿丸を失ってから塞ぎこんでしまいまして、床に就いているのですよ。何でも気鬱の病だとか」

「そうか。子を失うということは、母には辛いことなのだろうな」

「しかし、もう半年も床に就いている。武家の女として情けないとも思いますけれど」

「芳、子を失ったことのないお前は、御台に何も言えぬよ。それに、御台は実家も失っている」

「ええ、分かっております。ですから、御台には言っておりません」

 芳は少し他人の痛みに鈍感なところがある。それはこの女の悪いところだ。義宣の代わりに琳を慰めようとも思っていたが、塞ぎこんでいる琳にかける言葉が義重にはみつからなかった。

 義宣の子が夭折してしまうのは、やはり八重の恨みのせいに違いない。もしかしたら怨霊となっているのかもしれない。義宣の業がそうさせるのだ。義重の業も関係しているとも思う。琳が気鬱の病にかかったのも、八重の怨霊が琳に憑いていることが原因と考えられる。

 上洛中に義重は京の燈明寺へ足を運んだ。八重の供養のために義重が帰依している寺だ。家中では、義重が上洛のたびにこの寺へ足を運ぶため、寺に離れでも建てて女を置いているのではないかだの、離れはないとしても女と密会するための場所だの噂があるらしい。その噂は真実ではないが、思い当たらないことがないわけではなかった。

 寺の片隅にある小さな墓石に手を合わせていると、背後で足音が聞こえた。振り返ると、女が目を丸くして立ち尽くしていた。

「久しぶりだな。息災のようで何よりだ」

 義重が声をかけると、女ははっとして慌てて頭を下げた。

「北城様、お久しぶりでございます。まさか、北城様とここでお会いするとは」

「うむ。那須御台の鎮魂を考えてな。だが、わしもお前に会うとは思わなかったぞ」

「今日は、姫様の祥月命日ですから」

「そうか、そうであったな」

 女と墓石を見つめ、義重は燈明寺を去った。あの女と寺で鉢合わせすることがあるため、家中では義重が燈明寺で女と密会をしているという噂が流れたのだろう。あの女は義重の女ではない。ただ、八重の弔いを一人静かに行い続けているだけの女だ。

 燈明寺から戻った後、家康に大した弁明もできないまま義重は常陸に帰った。義重と入れ替わるように、今度は義久が上洛して家康のもとへ向かった。義宣は義久の上洛にも同道せず、家康から許しを得た寺の建立に取り掛かっていた。

 江戸に建立する寺の名は正洞院。八重の法名からとったものだった。

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