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道程  作者: 実川
五 落月の秋編
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落月の秋編(十五)

 江戸城で家康は焦燥のあまり爪を噛んでいた。家臣たちには悪癖と思われているようだが、意識して噛んでいるわけではないのだからどうしようもない。

 反転して上方の三成を討つと決めたはいいが、上杉と佐竹が連合して家康の背後を突くかもしれない。義宣の考えを確かめようと人質を要求したのだが、色々と理由をつけられて断られてしまった。あの時、島田ではなく本多正純を派遣していたら結果は少し違ったのかもしれない。正純は父親の正信とともに、家康が最も信頼している家臣である。今も正純は家康のそばにじっと控えて、家康が親指の爪を噛んでも眉一つ動かさずにいる。

 上杉を抑えるために最上と伊達を配置した。背後が気になり、上杉は動くに動けないだろう。佐竹の抑えとして宇都宮に置いた息子の結城秀康もいる。上杉のように背後を脅かす存在を配置することはできなかった。佐竹の背後が上杉なのだから仕方がない。

 景勝が動くかどうかも重要だが、それ以上に家康は義宣の方が気がかりだった。景勝に味方するようにも見えるが、家康に表立って逆らっているわけでもない義宣は、不気味で非常に不快だった。人質を拒んだだけでは家康に対して敵対しているとは言い難い。義宣の主張は一応筋が通っているのだ。

 しかも、家康の頭を悩ませるのは義宣や景勝、三成だけではなかった。一足先に上方へ向かい、清州城へ集結している諸将が、家康はまだ江戸を離れないのかと不満を言いだした。特に福島正則がひどく怒鳴り散らしているらしい。

「さて、どうしたものかな。お前はどう思う、弥八郎(やはちろう)?」

 正純に問いかけてみると、正純はしばし考えた後、何か思いついたようで、口を開いた。

「確か、宇喜多家旧臣で佐竹家預かりとなっていた花房職之(はなぶさもとゆき)が、此度の会津討伐では殿に従っておったはずにございます。その者に、常陸侍従は背信せぬ、と誓書を書かせてはいかがでしょうか?」

「なるほど。そして、その誓書を江戸留守居の者たちに披露すれば、多少の気休めにはなるか」

「御意の通りにございます」

 正純の進言を聞き、家康はさっそく花房職之を呼び寄せた。

「そなたが身を預けておる常陸侍従殿だがな、いまだ去就がはっきりとせぬ。よもや江戸に攻め入ることなどなかろうな?」

 家康が問うと花房は眉を寄せて首を傾げた。

「おそらくは、なかろうかと存じます」

「まことだな。では、一筆したためてもらおうか」

「武士に二言はござらん。故に誓書など無用。また、先のことは誰にも分かりませぬ故、誓書を以て常陸侍従殿に背信の疑いなし、とは言い切れませぬな」

 花房の返答を聞いた家康の顔は、おそらく苦虫を噛み潰したようだっただろう。花房は家康の意図をまったく理解していない。何とも使えない男だ。こんな男にこれ以上用はない。たとえ義宣が動かない、という言葉が結果としては嘘になったとしても、ここでは誓書を書くべきなのだ。それが徳川の士気を上げるのに役立つ。表面上は花房を労いつつも、家康は花房をすぐに帰した。花房の顔を見ているのも不快だった。

 江戸に留まっている間、家康は上杉が動くことはないだろう、と信じ込めるようになった。上杉に対して敷いた包囲網はそう簡単に破れるものではない。それに、もともと会津討伐は家康が景勝を討とうとしたもので、景勝はただ家康の挑戦を受けただけだ。こちらがこれ以上刺激しない限り、景勝の方から攻め入ることはないだろう。義宣はどうするつもりか今一つ読めないが、岐阜城を落としたという知らせが入り、これ以上江戸に留まるわけにもいかなくなった。上杉が動かない以上、佐竹も動けないに違いない。そう見切りをつけるしかなかった。

 秀忠には徳川本隊を率いて中山道を進ませ、美濃国あたりで合流することと決め、家康はついに江戸を発った。岐阜城攻めに成功した諸将には、家康父子の到着を待つようにという指令も出した。

 家康は順調に軍を進め清州に到着したが、秀忠は未だ木曽路にもかかっていないことが判明した。秀忠には本多正信や徳川譜代の家臣たちをつけたというのに、何をやっているというのだ。またしても爪を噛みそうになったが、正純の申し出で家康は冷静さを取り戻した。

「殿、若殿様の遅参、責任は我が父にありましょう。父には死を賜りたく存じます。私も責任を取り、腹を切りとうございます」

「いや、お前の父だけの問題ではない上に、お前には何の過失もないのだ。お前たち父子に死なれては、儂が困る」

 進軍が遅れているものはどうしようもない。ここで家康が立ち止まっているうちに、三成が秀頼を戦場に担ぎ出してきたら、家康に従っている豊臣恩顧の諸将は三成側に靡くに違いない。それだけは避けなければならなかった。

 家康は赤坂まで進むと、三成の籠る大垣城へ向けて金扇馬標と旌旗を掲げた。三成側は余程動揺したのか、小競り合いで勝ちを収めたかったらしく、杭瀬川で中村一栄と三成の家臣の島左近との戦いが起こった。結果として三成らの勝利に終わったが、三十人ほどを討ちとられただけだった。

 その後、三成が大垣城を出たという知らせを受け、家康も動き出した。雨がひどく泥に苦しめられながらの行軍だった。夜明け方、三成らは関ヶ原の西側一帯に軍を展開し、家康を迎え撃つ構えを整えていると伝えられた。だが、濃霧のせいで様子はよく分からない。ここで家康は行軍を停止し、各々戦闘態勢につくこととした。家康は桃配山を本陣とさだめた。

 無言の対峙が続く。霧は徐々に薄くなり、桃配山から三成の本陣の旌旗がちらちらと見えるようになった。三成も家康の本陣を見ていることだろう。

 さまざまな思惑と殺気に満ちた静寂を突き破り、銃声が響いた。それとほぼ同時に狼煙が上がる。戦闘は開始されたのだ。もう後戻りはできない。天下を分ける大戦の火蓋が切られた。


 霧の中、銃声が響き戦闘は開始された。関ヶ原に布陣した宇喜多、小西、大谷らの兵はよく戦っている。今のところ、戦況は互角といったところか。だが、いずれ家康側の諸将は攻撃の限界を迎えるだろう。その時、前もって決めていた通り、毛利と小早川を動かせばいい。上杉が家康に追討ちをかけなかった以上、この関ヶ原で家康を討つしかないのだ。

 景勝は三成に宛てた書状では、九月には義宣と相談して関東に乱入するつもりだと言っていたが、結局関東に攻め入ることはなかった。景勝が動かなかったため、当然義宣も動かなかった。関東に攻め入ることができなかったのならば、せめてもう少し家康を江戸に釘づけにしておいてほしかったのだが、今更そんなことを思ってもどうなるものでもない。

 田辺城と大津城は家康に味方した。三成はそちらにも兵を割かなければならなかった。できれば、この城攻めに出ている兵たちを関ヶ原にも終結させたかった。特に立花宗茂は戦力的にも、士気を上げるためにもこの場に欲しかった。家康がもう少し長く江戸にいたならば、城攻めを中止させて関ヶ原に呼べたかもしれない。寄せ集めの武将たちの士気は高いとは言えず、こちらが危ういと見れば家康に寝返りそうな者も多い。

 毛利輝元が秀頼を擁して大坂城を出て、関ヶ原に向かっていれば諸将の気持ちも違うものになっていただろう。それは三成側の者たちだけではない。家康に味方した者たちは余計に、秀頼の威光にひれ伏すに違いないのだ。だが、三成が再三出馬を要請しても、輝元は大坂城を動こうとはしなかった。何も三成は輝元と秀家に武器を持って前線に立てと言っているのではない。安全な場所に陣を構えるだけよかった。それだけでこちらは輝元と秀頼を中心にまとまることができ、家康は秀頼に仇なす奸賊となる。

 三成は輝元を松尾山の城に入れるつもりだったが、そこには小早川秀秋が入ってしまった。秀秋は三成側についているが、どう動くか分かったものではない。秀頼が十五歳になるまでは秀秋を関白にする、筑前はそのままにして播磨一国も与える、などという餌をちらつかせてみたものの、秀秋がその餌に本気で食いついているかどうかは分からない。

 関ヶ原に堅陣を敷いて家康を討つ。三成の戦略通りにことは進んでいるようでいて、細かい点は少しずつ狂っていた。だが、この期に及んで愚痴を言っても仕方がない。戦うしかないのだ。信じるしかないのだ。秀吉から受けた恩に報いるために、豊臣の世を守るために、家康を討つ。三成は勝利する。己の信念と勝利を信じ、戦うしかない。

 石田隊には黒田長政、細川忠興、加藤嘉明らが迫り、島左近が前線で指揮を執り奮戦した。一時は鉄砲隊の勢いに押され、左近は後退してきたが、もうひとりの先陣の蒲生郷舎の踏ん張りもあり、石田隊は群がる大軍に勇戦している。宇喜多、小西、大谷も奮戦しており、家康側の諸将はこちらの防御線を突破することができない。

 今が勝機だ。三成は狼煙を上げた。総攻撃の合図だ。これで長束、安国寺、毛利、それに小早川が動く。総攻撃で膠着状態を破り、家康らを一気に踏み潰す。

 だが、南宮山の毛利らは動かなかった。なぜ動かないのか三成には理解できない。今が絶好の機会だということが、南宮山の連中には分からないのか。松尾山の小早川も動かない。何をやっている。三成は秀秋の出陣をうながすために使者を遣わしたが、それでも小早川は動かなかった。

 島津も動かない。島津には家臣を遣わし支援を求めたが、家臣は無礼を理由に追い返されてしまった。

 なぜだ。関ヶ原で家康らと膠着状態に持ちこむ。そこで新たに兵力を投入して勝利を掴む。輝元と秀頼の出馬がなくとも、この戦略で勝てると軍議でみなは納得したのではなかったのか。

 苛立ちながら采配を握り締めていると、小早川が動き出した。ようやく動いたのか、と胸を撫でおろしかけたが、様子がおかしい。小早川とともに脇坂、朽木らも動き出したが、連中は膠着状態の戦場へ向かって動き出したのではない。

 小早川は雪崩のごとく山を駆け下り、大谷吉継へ向かっている。

 何が起きているのだ。大谷は小早川の大軍勢に呑みこまれ、側面は脇坂らに突かれている。その様子はまたたく間に戦場全体に伝わったようだ。小西も宇喜多も動揺しているのが分かる。膠着状態だった戦況は、一気に家康側の優勢となった。小西隊は総崩れ、宇喜多隊も壊滅。

 家康らの兵が三成の本陣めがけて迫る。大谷隊、小西隊、宇喜多隊壊滅に浮足立った石田隊を立てなおすことはできなかった。三成がいくら叱咤しても、声はまったく届かない。

 負けた。三成は家康に負けた。なぜ負けたのか。戦略が間違っていたのか。どこで間違えたのか。なぜ豊臣家のための戦だというのに、豊臣恩顧の武将たちは三成に味方しようとしなかったのだ。なぜ小早川秀秋は裏切ったのだ。

 分からなかった。一瞬で戦況は変わり、三成は勝機を逸してしまった。それだけは理解できた。

 だが、まだすべての勝機を失ったわけではない。佐和山城へ籠り家康と戦うこともできる。大坂には無傷の毛利輝元もいる。秀頼は未だこちらの手の内にあるし、田辺城と大津城を攻めている諸将を集めればまだ戦えるはずだ。佐和山城に入れなかったとしても、大坂城へ入ることができれば、今度こそ家康に勝てる。

 再起を期し、三成は戦場を離脱した。関ヶ原では負けたが、まだ三成の戦いは終わっていないのだ。

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