落月の秋編(十四)
上方の三成たちは順調に勝ちを重ねているらしい。上杉との同盟は成立し、来月にでも関東に攻め入る予定となっている。やはり三成に味方すると決めてよかったのだと義宣は思っていた。
だが、三成に味方している織田信秀の岐阜城が家康に従う諸将に落とされたという知らせを受け、義宣は動揺していた。岐阜城といえば、織田信長が築いた天下の名城である。その岐阜城が落とされたのだ。三成は勝てると信じてきたが、もしかしたら危ういのかもしれない。家康につけという父や義久の言葉が脳裏に浮かんだ。
二股膏薬を決め込んだ方がいいのか。どうすればいい。
迷っていても仕方がない。義宣は急いで家老の小貫頼久を呼んだ。小貫には上杉との同盟を結ぶために奔走してもらったが、今度は江戸まで行くように命じた。家康に祝勝の挨拶をさせるのだ。家康を刺激しないためには、あからさまに敵意を見せてはならない。祝勝の挨拶をさせれば、多少は家康の警戒を解くことができるかもしれない。上杉とともに攻め入る前に、こちらが攻められてはたまったものではない。
江戸から戻った小貫は、家康から刀を渡されていた。家康は義宣を悪く思っていないのだろうか。
義宣は家康の動きも気になるが、景勝の動きも気になる。来月関東に攻め入ろう、と書状では書いて寄こしているが、景勝にその気はあるのか。家康に祝勝の使者を送っているうちに、約束の来月になったというのに、景勝からは何の連絡もない。景勝は何を考えているのだ。まさか、佐竹だけで家康に当たらせるつもりなのか。兼続は援軍を約束したが、その援軍もまだ派遣されない。
家康は岐阜城を落とした。景勝は会津から動こうとしない。このままでは、勝機を逃してしまう。三成の勝利も危うい。
「殿、大変です」
「何事だ、よほど大変なことが起きたのだろうな」
義宣が焦燥に駆られているところに、政景がやって来た。どんな大変なことが起きたというのだ。
「江戸の内府が、去る九月一日に江戸を発し、上洛とのこと」
「何だと。内府が江戸を離れてしまえば、佐竹と上杉で内府を討つことができなくなるではないか。上杉は何をしているのだ。会津へやった憲忠は、何かお前に知らせていないか?」
「いえ、半右衛門からは何も」
「くそっ、上杉め。援軍を寄こすと言いながら結局寄こさぬ上に、家康を攻めるというのも虚言だったのか? これでは、俺はただ上杉のために半右衛門をやっただけで終わってしまう」
苛立ちのあまりに持っていた扇を畳に投げつけると、政景は驚いて黙り込んだ。家康は江戸を発った。今ならば、上杉と佐竹で家康の背に追討ちをかけることができる。だが、上杉が動く様子はない。上杉が動かない以上、佐竹だけで動くことなどできない。あまりにも危険すぎる。義宣は三成に味方し、上杉と同盟することで、常陸を守り領民を守ることができると思ったのだ。むざむざと常陸を危機にさらすわけにはいかない。
上杉はどう動くのか。上杉の動きの詳細を伝える知らせを待つ間、義宣はまんじりともせず夜を明かした。待ちに待った知らせが届いた。その知らせは、上杉の直江兼続は米沢へ戻り、主力を率いて最上へ向かったというものだった。
上杉は後方の伊達と山形の最上の動きが気になって動けなかったのだろう。それは分かる。だが、関東に共に攻め入るつもりだと言い、同盟まで結んだ結果がこれか。家康は上方へ向かった。追討ちはできない。三成の勝利は揺らぎだした。
義宣が頭を抱えていると、政景が慌ててやって来た。先日も政景は義宣に変事を知らせに来たが、家康が江戸を発ったという知らせ以上に悪い知らせはないだろう。
「どうした、主馬」
「はっ。御一門の御東殿のお姿が先日から見当たらず、何やら兵三百余騎を率いて信州上田の徳川秀忠殿のもとへ向かったとのことにございます」
「中務め、俺に内密で兵を動かしたのか」
義久は自分の裁量で動くと言っていた。これがそうなのだろう。義久は自分だけで徳川に味方するつもりなのだ。
家康に従う諸将が岐阜城を攻め落としたという知らせを聞き、義久は手勢三百騎余りを率いて信州上田へ向かった。三百騎は義久が自由に動かせる配下だ。義宣に断りを入れる必要はない。
義宣は石田方の勝利を信じて疑わないようだが、義久には三成が勝てるとは到底思わなかった。三成はかつて命を狙われるほど、諸将に嫌われていた人間だ。いくら総大将に毛利輝元を据え、宇喜多秀家やその他奉行衆の合力を得たとしても、三成の人望のなさから石田方の軍は崩壊していくに違いない。上方の寄せ集めの軍は脆く儚いものだ。義宣は上杉を頼りにしていたが、その上杉もどこまで頼れるか分かったものではない。後方に伊達や最上らが控えているというのに、上杉が本当に佐竹とともに江戸に攻め入るつもりがあるだろうか。
三成と違い、家康は老練の士で人望も厚い。天下の仕置きを任されるだけの大器である。家康の領地は二百五十万石で戦に動員できる兵の数は徳川勢だけでもかなりの人数になる。佐和山十九万石の三成とは大違いだ。三成のような小物が勝てる相手ではない。三成に味方してしまえば、家康が勝利した時に佐竹家は取り潰しとなるはずだ。
三成の力不足を証明するように、岐阜城はあっさり落とされた。義宣もそろそろ自分の置かれた状況と、三成の力不足を理解し始めたと思う。
義久が独断で兵を動かしたことは、家中ではよく思われないだろう。義久は佐竹家中では一門筆頭という地位も力も持っている。義久はそれに溺れて増長していると思われるかもしれない。義宣の性格を考えれば、義久に腹を切れと言いだすこともあり得る。
だが、義久はいくら家中に高慢だと罵られようと、義宣に不忠と責められようと構わなかった。義久はただ一心に佐竹家を存続させることだけを考えているのだ。佐竹家は義久の家でもある。義久は佐竹一門、佐竹義久だ。五百年以上血脈を繋いだ常陸の名門をこんなところで潰すわけにはいかない。
義久だけでも家康に味方したという事実を作れば、すべては義宣の命で動いたものであると言い張ることができる。義宣は家康に味方するつもりだったが、上杉が気になって動けなかったのだと言えばいい。義宣になぜか好意を持っているらしい家康の息子の秀忠にその通りだと思わせることができれば、家康の義宣に対する心証も悪くはならないだろう。
心は急いていたが、飛ばしすぎて馬を潰してはならない。駆足と並足を繰り返し、義久は秀忠の率いる真田討伐の軍を追った。今からでも真田攻めに加わるつもりだ。数日駆けて、秀忠の率いる軍に追いつくと、秀忠との会見を許された。
「江戸中納言様、佐竹義久、微力ながら真田攻めにお加えいただきたく、手勢を率いて参りました」
「佐竹義久、確か亡き太閤に気に入られた者と聞いている。常陸侍従殿の一門衆とか」
「仰せのとおりにございます。こたびは、主、義宣の命でこちらへ参った次第」
「何と。侍従殿は会津の上杉へ備えているというのに、この秀忠のことまで気にかけてくださったか。遠路はるばる、よう参られた」
「はっ」
秀忠は本気で義宣が秀忠を気にかけて、義久を派遣したと思っているのだろうか。それとも、父の家康に何か言い含められているのか。鷹揚に頷く人の良さそうな秀忠の顔からは、何も読み取れない。
「間もなく我らは真田誅伐を行う予定である。そなたが手勢を率いてここまで駆けつけて来たことは嬉しく思うが、早く常陸に帰り、景勝が動いた場合は、よろしくこれを遮ってほしい」
「我らを真田誅伐にお加えいただけませぬか?」
「侍従殿には会津の抑えという大事を引き受けていただいている。侍従殿が景勝を遮ってくださらなければ、私も父も安堵して眠ることもかなわぬのだ。そなたの三百騎もぜひ会津の抑えに回してほしい。秀忠はそなたが信州上田まで参ったこと、決して忘れぬぞ」
これ以上引き下がって秀忠に悪印象与えるわけにもいかないので、義久は手勢を率いて言われた通り常陸に帰ることにした。秀忠は会津の抑えのために帰ってほしいと言っていたが、体よく断られてしまったような気がする。もしかしたら家康は、今更になって佐竹が自分に味方をしようとすることを不快に思っていて、味方できぬようにしているのではないだろうか。考えすぎならばいいのだが、家康ならばあり得ないとも言えないだろう。
常陸に帰った義久を待っていたのは、義久の独断を怪しみ疑う家中の眼差しと、義宣の冷たい目だった。だが、それでいい。どんなに義宣や家中に白眼視されようと、義久は佐竹家を残すために、自分の信念に従って動いたのだ。すべては佐竹家のために、義久は全身全霊をささげる。それを思えば、白眼視すら心地よいと思えた。




