落月の秋編(十三)
義宣が家康からの使者である島田利政を追い返すと、琳の父親である多賀谷重経が義宣のもとへやって来た。確か、重経は病と称して上杉討伐には加わらなかったはずだ。義宣の弟で重経の養嗣子となった宣家が多賀谷の兵を率いていた。病のはずの重経の顔は覇気に満ち溢れている。
「侍従殿、内府の使者を追い返したと聞きましたぞ。これで、内府とは手切れですな」
「これで手切れとなったかは、まだ私には判断できません。しかし、内府はよく思わないでしょう」
「そこで、わしの考えを聞いていただきたいのです」
「考えとは?」
妻の父であるため、義宣にとって義父にあたる男だが、義宣は重経にあまりよい印象を持っていなかった。重経は結城家についてみたり、佐竹家についてみたり、去就が決せずふらふらとしていて、いまひとつ信用できない。今のところは、進退を佐竹家と同じくすると決めているようだが、戦況が変わればどうなるか分かったものではない。多賀谷家にとって第一の功臣を、己の疑心で自害に追いやったことがあるとも聞いている。そんな重経が、何を考えたというのだろうか。
「小山の内府を襲撃しようと思うのだが、どうだろうか?」
「内府を襲撃ですか?」
何を言い出すかと思えば、家康の襲撃とは思いもしなかった。義宣が重経と共に家康を襲撃すれば、家康は上杉よりも三成よりも、まず先に常陸の義宣のもとへ兵を進めるに違いない。義宣が三成に味方するのは、父祖伝来の地である常陸を守るためと、建前としては豊臣家のためである。家康を襲撃することは、豊臣家のためになるのかもしれないが、そんなことをしては常陸が守れなくなる。
「小山は江戸とは違い、守りはそう堅くないはず。今が絶好の機会と存ずるが」
「修理殿のお考えは分かりました。しかし、それはあまりに危険です。どうか、お考え直しください。私としては、そのような危険な賭けに佐竹の兵を出すわけには参りません」
「そうですか。確かに、危険な賭けだ。分かり申した、多賀谷は下妻城にて内府に睨みをきかせることといたしましょう」
「そうしていただけると、大変ありがたい」
とんでもない考えを言い出した重経だったが、諦めもはやかった。下妻城で守りを固めると言うので義宣も安心した。なぜ父は、この重経と二重に婚姻関係を結んだのだろうか。
重経が去ると、今度は義久が血相を変えて義宣のもとへやって来た。重経とは違い、義久は家康への人質を拒んだことを諌めに来たのだろう。
「お屋形様、内府殿からの使者を追い返し、人質の要求をお断りなさったとは、まことにございますか?」
「ああ。蘆名の盛重か岩城の貞隆、もしくは妹を寄こせと無理を言って来たからな。伏見に母と妻子を置いているのだ。これ以上の人質は必要ない」
「此度の戦はお家の大事。お屋形様は治部殿にお味方なさるとお決めになりました。しかし、私は今でも内府殿にお味方すべきと考えております。どうしても内府殿へお味方なさらないのならば、お家のためにせめて二股膏薬を決め込んでいただきたい」
「俺に二股膏薬を決め込めだと? そのような卑怯な真似ができるか。俺は治部殿にお味方すると決めた。それが、勝てる道だと思ったからだ。俺はこれから上杉と同盟を結ぶぞ」
「では、もう内府とは手切れということですね」
「ああ、そうだ」
重経に対しては、手切れとなったかどうか分からないと答えたが、義久には手切れだと断言してしまった。義久と話をしていると苛立ってしまう。十年以上前から、義宣は義久が嫌いだった。義久の表情がますます険しくなる。義宣を睨みつけるような表情は、とても主に対して向けるものとは思えなかった。
「お屋形様にお聞きしたいのですが、奉行職を失い佐和山に蟄居しているはずの治部殿は、一体だれの許しを得て、いつの間に上方へ復帰なさったのでしょうか」
「そんなことは、関係ないだろう」
「私は、治部殿が復帰なさったと聞いたことはございません。つまり、治部殿はみだりに入洛し幼君の命と称して諸将を唆し、内府殿を征伐することこそ己の任とした。おそらくは、先日も申し上げました通り、内府殿に天下を補佐する賢才あることを忌み、幼君の補佐にかこつけ諸将を欺き、内府殿を誅した後は、遂に天下を奪わんと欲するに違いありません」
「治部殿が秀頼様をないがしろにし、天下を奪うなどありえん。治部殿に大義がある」
「ならば、内府殿が天下を欲することもありえないとは言えませんか? 内府殿も秀頼様の命で会津征伐に向かわれたのでは?」
義宣は義久に反論することができなかった。義久の言うことは間違っていない。筋が通っている。ただ、義宣の考えとは相容れないのだ。どちらが正しい、間違っている、という問題ではない。だが、義宣が決めた佐竹家としての判断に、未だに従わないことは間違いだ。
「お屋形様、私は内府殿のような方をほかに知りません。今、内府殿にかなう者はおりません。どうか、早く内府殿とともに上洛し、内府殿にお味方ください」
義久は深々と義宣に頭を下げた。今まで遠回しに家康につけと言ってきた義久が、ついにはっきりと家康に味方しろと言った。
義久が義宣に頭を下げている。義宣に諌言ばかり繰り返す一門筆頭の義久が。義宣は決してかなわない才智をそなえ、古老の家臣たちからも信頼されている義久が。その行動に驚いたが、義宣の気持ちは変わらない。むしろ、義久に諌められれば諌められるほど、自分の気持ちがかたくなになっていくような気さえする。
「俺は既に決めたんだ。くどいぞ、中務」
義宣の方から議論を打ち切ると、義久は義宣をしばし見つめた後、おもむろに立ち上がり背を向けた。
「待て。どこへ行く?」
「お屋形様には関係ございません」
「関係ないはずはない。お前は、佐竹東家の当主だぞ」
「ええ、その通りです。私は亡き太閤殿下より鹿島六万石を与えられた佐竹義久にございます」
佐竹義久。そうだ、義久は家中では東義久と名乗っているが、本来は佐竹義久なのだ。義久は何を考えている。今さら、なぜ秀吉に領地を与えられたことを口にするのだ。
「殿下の遺品も、お屋形様とともに私も賜りました。私は、佐竹家中にありながら豊臣家に認められた大名でもあったのです。お忘れですか?」
「まさか、中務」
義久がゆっくりと振り返った。その目に、義宣は背筋が寒くなった。何なのだ、この目は。まるで幽鬼のようだ。
「これより、私は私の裁量で動きます。お屋形様はお屋形様のお考えを貫かれればよろしい。私も、私の考えに従うまでです」
「そんなことが許されると思うのかっ」
義宣の叫びを無視して、義久は再び振り返ることはなく、義宣の前から去って行った。義久は義久の考えで動く。家康に味方をして、佐竹東家を残すつもりか。どこまで義久は勝手なのだ。今から十年以上前、母の命で偽書を作ったことも、政宗の命を助けたことも義宣は忘れていない。だが、いくら宗家の当主といえども、力尽くで義久を支配できるだけの圧倒的な権力を義宣は持っていなかった。義久がそのつもりならば、義宣も自分の考え通りに動くだけのことだ。
義宣は上杉家の直江兼続に援軍を要請する書状を書いた。自分は家康からの人質の要求を拒んだため、家康とは手切れになった、それ故に加勢を申し受けたい、という内容だ。その書状を家老の小貫頼久に持たせて会津に派遣した。兼続からは返書とともに、結城朝勝が使者として送られてきた。結城朝勝は、先年改易された宇都宮国綱の弟で、義宣の従兄弟にあたる。朝勝は会津討伐が決まった頃から、密かに上杉方へ身を寄せていたらしい。
兼続は返書で、景勝が援軍の派遣を許可したと書いていた。また、佐竹との同盟を確かなものにするために、使者を会津まで送ってほしい、とも書いてあった。それを見て、義宣は再び小貫頼久を派遣した。小貫は一度兼続に会っている上に、佐竹家の家老であるから、上杉との同盟の使者には相応しいと思ったのだ。
それと同時に、家康を刺激しないように、義宣の名代として弟の蘆名盛重を赤館に置くことにした。これで形の上では、上杉を牽制しているように見えるはずだ。
小貫と兼続の会見は成功したようで、小貫は兼続からの書状を携えて戻って来た。会見には景勝も参加しており、結城朝勝の立ち会いのもと同盟は成立した。義宣が派遣した憲忠も会津で奮戦しているようで、景勝は喜んでいたらしい。もう上杉に攻められることを危惧しなくてもよくなった。まずは一つ不安がなくなった。だが、まだまだ不安は残っている。
兼続の書状には、佐竹と上杉が無二の昵懇となったことに我らも満足している、とあった。更には、佐竹とよく相談したうえで関東に攻め入りたいと景勝が言っている、とまで書いてある。佐竹と上杉による関東攻め。家康が三成を討つために江戸を空ければ、それも夢ではない。
三成からも、大坂西の丸の徳川留守居の者を追い出したこと、伏見城の留守居も残さず討ち果たしたこと、真田も味方であること、家康がうろたえた場合には尾州、三河の間で討つこと、毛利輝元が兵一万を率いて出陣したこと、などが知らされた。少し景気がよすぎる気もするが、三成にも勝てるという自信があるということだろう。
義宣の選択は間違っていない。三成は勝てる。勝つのだ。




