落月の秋編(十一)
城内の様子が慌ただしい。上杉討伐に出陣したはずの義宣が水戸へ帰り、評定を開いているということは、城の奥で養母の看病をしている祥の耳にも入っていた。
阿南は年齢のせいか、伏見から水戸へ戻って以来、床に就くことが多くなっている。医者の話では、何か重い病にかかっているというわけではなく、年齢のせいで疲れやすくなっているだけらしい。だが、体が以前よりも弱っているため、病にはかかりやすくなっており、周りにいる者たちも気をつけなければならないとも言われた。阿南は床に就いていても元気そうに見えるが、こんなに小さな体だっただろうか、とはっとする時がある。
「お祥、表は随分騒がしいようですね。奥でのんびりとしている婆にも、騒がしさが伝わってきます」
「お養母さま、ご自分のことを婆などとおっしゃらないでください。確かに、表は騒がしいです。お屋形様がお帰りになっていて、評定を開かれているようで」
「義宣殿がお帰りに? 義宣殿は、会津へ向かわれたのではなかったのですか?」
体を起こそうとする養母の背中を鏡田が支えた。やはり、養母は以前よりも小さくなった。
「上方で、お屋形様とご昵懇の石田治部様が挙兵なさったらしく、お屋形様は内府様と治部様どちらにお味方なさるか迷っておいでなのでしょう」
鏡田の説明に阿南は頷き、小さくため息をついて目を瞑った。阿南は、伊達家に降伏するか、須賀川城に籠城するか二つの選択を迫られ、家中が割れたことを思い出しているのかもしれない。阿南は伊達家に降伏せず、籠城の道を選んだ。今の義宣は、かつての阿南と同じように選択を迫られている。
「義宣殿は、さぞ苦しい思いをなさっていることでしょう。どちらにつくことも正しいことのように思えます。あの時も、そうだった」
「お養母さま」
「お祥、こんなところで何をしているのですか。こういう時にこそ、お前が義宣殿をお支えしなければならないのですよ」
「しかし、わたしはお養母さまのお体が心配なのです」
「私には鏡田がおります。それに、私は病というわけではない。さあ、義宣殿のもとへお行きなさい」
「姫様、後室御前のおっしゃる通りです。ここはわたくしにお任せくださいませ」
「分かりました」
阿南のことは心配だが、義宣のことも心配だった。義宣には、どこか暗い部分がある。家中の意見が割れ、義宣の意見に反対する家臣が多かったら、その暗い部分が表に出てくるかもしれない。落ち込んだ義宣を慰め、心の支えになりたいと思う。
阿南のことは鏡田に任せ、義宣への取り次ぎを侍女に頼みに行こうとすると、阿南に呼び止められた。
「お祥」
「はい」
「お前は、あの時の私の選択は間違っていたと、恨みに思ってはいませんか?」
「どうしてそのようなことをお尋ねになるのですか? わたしにとって、お養母さまのご選択は常に正しいのです。須賀川でも、岩城でも、常陸でも、お養母さまがいらっしゃってこその祥なのですから」
祥が微笑むと、阿南も小さな笑みを浮かべた。祥の言葉は真実だ。阿南がいなければ、祥はここにはいられなかった。阿南の選択を恨んだことなどない。
「その言葉、義宣殿にもお伝えするとよいでしょう」
「はい」
阿南の部屋を出ると、ちょうど表への取り次ぎを頼もうとしていた侍女に会った。義宣への取り次ぎを頼もうとすると、今夜は義宣の渡りがあると伝えるよう頼まれていたらしい。評定が終わったため、祥のもとへ足を運ぼうとしていたのだろう。待っている、と伝えるように頼もうとして、祥は侍女の持ち物に目をやった。この持ち物は、風呂の世話をするためのものだ。
「もしかして、お屋形様はお風呂に入られているのかしら?」
「はい。岩瀬御台様のもとへお渡りになる前に、お風呂に入られるとおっしゃっておいででしたので」
それで、この侍女が世話をするように言われたのだろう。だが、風呂の世話をするのならば、何もこの侍女でなくてもいいはずだ。祥がやっても同じことだ。はしたないと思われるかもしれないが、たまにはそんなことがあってもいいと思う。
義宣が心配で、義宣の支えになりたいと思う気持ちは強いが、義宣との間に少なくとも二人は男子が欲しいと思う気持ちも強いのだ。阿南が床に就くようになってから、ますます強まっている。阿南にひ孫の顔を見せたい。二階堂家を継ぐ男子の顔を見せたい。側室になって二年以上経った。もしかして自分は石女なのではないか、という焦りや不安もある。
侍女から持ち物を一式預かり、祥は風呂場に向かった。風呂場にはまだ義宣の姿はなかった。少しの間待っていると義宣がやって来た。久しぶりに見る義宣の顔には、疲れがありありと浮かんでいる。
「どうして、お前がここにいるんだ?」
「侍女の代わりに参りました。いけませんか?」
「いや、いけなくはない。だが、驚いた」
義宣の許しも得たので、一緒に風呂に入った。顔だけではなく、体にまで義宣の疲れがあらわれているようだった。よほど、評定は揉めたのだろう。
「昨日、重臣を集めて評定を行った。今日、俺の決断を伝えた」
「はい」
「俺は治部殿に味方する。内府にはつかん」
「治部さまにはご恩がおありですし、義宣さまは治部さまとはご昵懇ですものね」
「正直な話、治部殿への恩は命を救ったことでお返ししたと思っている。まあ、治部殿への恩も確かに関係はしているのだがな。それより、俺は本気で上方についた方がいいと思ったんだ。勝てると思っている。家康についたところで、父祖伝来の地である常陸を守れるかどうか。佐竹家のためには、これが一番だ」
義宣はため息をついた。祥はじっと義宣の話に耳を傾けている。
「しかし、家臣たちの多くは家康につくのが勝つための道だと言う。父上もだ。一度決めたことだが、これで本当によかったのか、とも思う。今更になって、伏見にいる母上と御台、それに徳寿丸のことも気になってきた」
「お母上に御台さま、お世継ぎの若君なのですから、当然だと思います」
「どんな母でも母上は俺の母上に違いない。御台もそうだ。俺の妻だし世継ぎの母だ。徳寿丸も、いつまで生きられるか分からないが俺の子だ。大事な後継ぎだ。俺は、もう俺のせいで女が自害するのを見たくはない。生まれた子を俺のせいで死なせてしまうのも忍びない。伏見に残した者たちを思うと、俺の選択は正しいのかと思ってしまう」
「義宣さま」
「家臣たちの言うことも分かるんだ。奴らも、佐竹家のため、自分たちのため、家族のためを思って家康につけと言っているのだろう。治部殿に味方して、家康に常陸を踏み荒らされてはかなわない、という気持ちにならないでもない。俺は伏見にいる御台たちも心配だが、水戸にいる祥の身に何かあっても困る。俺が水戸にいる限り、祥のことを守れるとは思うが、万が一ということもあるしな」
義宣は少し変わったと思う。以前の義宣ならば、伏見にいる母や妻が心配だとか、家臣の言うことも分かるだとか、そんなことを口にしただろうか。義宣は以前よりも人を思いやれるようになったのだろう。だが、その分今までとは違う苦悩が増えたようだ。
いつもならば大きく逞しいと思える背中が、急に小さく疲れたように見え、祥はたまらなくなり、義宣に寄り添った。義宣の手が、祥の手に重ねられる。義宣は祥の手を強く握りしめた。
「お前は、俺の選択をどう思う?」
「わたしは表の政や戦には詳しくありません。でも、わたしは義宣さまの選択を信じています。義宣さまがお決めになったのならば、それはきっと正しいに違いありません。少なくとも、わたしにとっては正しいのです」
「祥」
握られた手を引っ張られ、祥は義宣の腕の中に収まった。義宣に抱きしめられ、祥も義宣の背に腕を回し、ひしと抱き合う。
「もし、俺の選択が誤りで、俺がすべてを失ったとしても、お前は俺のそばにいてくれるか?」
「義宣さまがお許しくださるのならば、この玉の緒の絶えるまで」
「俺がお前を離すものか。祥、俺のそばにいてくれ。俺はお前がいなければ駄目なんだ」
「おそばにおります。わたしはずっと、義宣さまのおそばにいるわ」
祥は義宣のそばにいる。義宣の望む男子も産む。何より、義宣の心に寄り添い、支えていくのだ。祥がいなければ駄目、と言う義宣が愛しい。義宣にこうして弱い面を祥にさらけ出されると、祥は愛しくて堪らなくなるのだ。
死が二人を別つまで、祥は義宣とともにいる。
その夜、義宣の不安を打ち消すように抱き合い、義宣の頭を胸に抱いて眠った。祥の寝所を出て表に戻る義宣に、祥は一心に武運を祈ることしかできなかった。




