落月の秋編(七)
上方では、景勝は会津で謀反を企てているのだともっぱらの噂だった。上杉家老臣の藤田信吉や、越後の堀秀治の老臣らが、会津の動きを家康に報告していた。
家康は景勝に対して、会津の動きは謀反の嫌疑を免れ得ないこと、事実無根であるならば誓書を提出してただちに上洛することを伝えた。新たに入った国で築城をしたり、道路の整備をしたりして謀反だと言われてはたまったものではないだろう。隣国の義宣ですら上杉家の動きを脅威とは思わないのだから、家康言いがかりをつけているに過ぎないと思う。だが、新たに浪人を多数召し抱えているという話は、謀反を疑われる原因になったのかもしれない。
景勝は家康の要請を拒絶し、むしろ上杉の謀反を讒訴した者たちの糾明を先にするべきだと返答した。景勝の重臣直江兼続も返書を送り、景勝の上洛不可を伝え、景勝に罪はないことを長々と述べている。
兼続の書状の内容は、伏見あたりでも謀反の噂は絶えないのだから遠国会津ならばなおのことである、心配はいらないということ、国替えをしたばかりで上洛し、帰国してまたすぐに上洛をしていては国の仕置きはできないということ、いくら誓書を出したところで反故にされるのだから意味がないこと、など十五カ条に渡っていた。家康は兼続の書状に激怒し、上杉には謀反の心あり、と断じて上杉討伐を決めた。諸将に上杉討伐を指令し、みずから出陣して指揮を執るとまで宣言している。
それに対して増田、長束ら奉行衆と中村、生駒、堀尾の三中老は家康の出陣を思いとどまらせようと、連名で家康を諌めた。家康の怒りはもっともである、上杉は田舎者なのだから多少の無礼は仕方がない、会津へ出陣すれば秀頼を見捨てたと人々は思う、などと必死に家康を説得しようとしたが、家康の決意は固く、上杉討伐は決定された。
大坂城に諸将が集められ、上杉討伐の編成が発表された。家康は豊臣恩顧の大名などの主力を率いて白河口から会津を攻める。義宣は仙道口を任された。家康は秀頼の名代として上杉討伐を行うという形をとっているため、義宣はおとなしく家康の指示に従い、仙道口へ出陣することにした。仙道口は義宣だけではなく、与力の相馬義胤、多賀谷重経、弟の蘆名盛重、岩城貞隆も配置されている。佐竹勢すべてで仙道口から会津を攻めることになる。ほかの大名も、家康が秀頼の名代であるために家康に従うのだろう。秀頼の名代と言われては、逆らうことはできない。
内心では、できれば景勝と戦をしたくはない。長年の誼もあるが、それ以上に上杉がもし江戸攻めを行うのならば、江戸の前に常陸が攻められるのだ。先代上杉謙信のもと、最強を誇った上杉軍と戦うことは避けたい。だが、上杉討伐の指令を拒絶し、家康に攻められるのも困る。ここはしばらく、家康の指示に従うしかない。
上杉討伐の指令を受け、義宣は慌ただしく帰国した。今回の上洛では、ゆっくり琳と徳寿丸の顔を見る暇もなかった。だが、何も知らせがないということは、問題がないということなのだろう。
帰国してすぐに、家臣たちに上杉討伐に向けて準備をするように命じた。気は進まないが仕方がない。佐和山に隠居させられた三成はどうしているのだろうか。三成は息子を大谷吉継に預け、上杉討伐に向かわせるという話を聞いたが、それは事実なのだろうか。一年以上前に見た三成の姿からは、とても想像はできなかった。
政景は義宣とともに水戸へ帰国していたが、許嫁のはなとはまだ顔を合わせていなかった。去年のうちに政光を烏帽子親として元服を済ませ、茂右衛門から新たに主馬政景と名乗るようになっていたが、今の世の混乱を考えると、祝言を挙げている場合ではない。
義宣が上杉討伐で仙道口から攻め入ることを命じられたため、政景は政光、宣政、兄の憲忠とともに兵糧の準備に追われていた。義宣は金山の管理や兵糧の管理など、頭を使う仕事は譜代家臣ではなく政景たちのような浪人出身の新参者に任せている。
「最近、私は美しく着飾ろうとする女の気持ちが分かったような気がする」
帳簿をめくりながらぽつりと呟かれた政光の言葉に、政景は驚いて手を止めた。憲忠も宣政も、政光は何を言っているのだ、という顔をしている。
「何だ、その顔は。私は本気で言っている。ふざけているわけではない」
「いや、それは分かる。生真面目な内膳がふざけて言っているのではないと分かるから、驚いているんじゃないか」
「まったくですね、内膳殿。半右衛門の言うとおりです」
「私たちは、殿のご寵愛あってこそ、譜代家臣どもが幅をきかせている佐竹家の中で、浪人上がりと罵られながらも出世することができた。私たちの進退は、すべて殿のお心次第。着飾り媚びを売って、男の気を引こうとする女の気持ちが分かるというものではないか」
確かに政光の言うとおりだ。女が自分を美しく見せようとするのと同じように、政景たちは自分の才能を磨き、義宣に示し続けなければならない。浪人出身の政景たちは、一門衆や譜代家臣たちのように代々続いてきた佐竹家との関係も、家柄も持ち合わせていない。ただ自分たちの才能だけで義宣の信頼を得て重用されているのだ。それも、譜代家臣にはない算用や検地の能力を買われている。政景たちにも佐竹家に仕えているというよりは、己を見出してくれた義宣への恩を感じ、義宣に仕えているという気持ちがある。
「殿に才を示し、殿の意を汲み、殿の手足として動く。そして、時には殿をお諌めする。私たちは、頭の堅い譜代の老臣どもにはできないことをしなければならない」
「それは分かった。だが、なぜこの忙しい時にそんな話をするんだい?」
「右近殿、殿は上杉討伐に参加なさいます。しかし、佐竹家と上杉家は親交が深い。殿は本当に上杉家を攻めるおつもりなのでしょうか? それに、上方には殿とご昵懇の治部様もいらっしゃる。このまますんなりとことが運ぶとは思えません」
「もし、ことが起こった時、殿は必ず俺たちに相談なさるに違いない。内膳は、そう言いたいのか?」
「そうだ、半右衛門。その時、私たちは殿の信頼に誠心誠意お応えせねばならない。殿の信頼にお応えした上で、譜代の家臣どもも黙らせることができればいいのだが」
浪人出身の政景たちは、自分たちを信頼し、重用してくれている義宣に深い恩を感じている。自分が出世をしたいという気持ちもあるが、それ以上に義宣のために働きたいのだ。義宣の役に立ちたい。そのためには、譜代の家臣たちは目障りだった。だが、このままではいくら政景たちが努力をしたところで、家柄では到底譜代に及ばないのだから、重臣になることは難しい。佐竹家は古い名門の家系だ。亡き太閤のように当主である義宣が絶大的な力を示すことはできなかった。義宣がいくら政景たちを重用してくれたとしても、義宣の一存で新参者が大出世することはできないのだ。
もし騒動が起きた時には、譜代家臣も認めるほどの働きをしたい、と政光は思っているのだろう。政光は四人の中では誰よりも譜代家臣に嫌われている。だが、誰よりも義宣への恩を感じ、忠誠を誓っているのも政光だった。義宣に対する政光の忠義は、政景も尊敬している。子どもの頃から、いつか政光のようになりたいと思っているのだ。
「しかし内膳、あまりお前が目立ちすぎると、治部様のように命を狙われるかもしれん。気をつけた方がいい」
「大丈夫だ、半右衛門。豊臣家とは違い、殿はまだお若い。殿がご存命の間、家中であのようなことは起こるまいよ」
「内膳殿、私も気をつけられた方がよろしいと思います。混乱が起きれば、いくら殿がいらっしゃっても、その混乱に乗じて、ということもあり得ます」
「分かった。気をつけよう」
話を終えると、再び黙々と兵糧の準備に取り掛かった。政光が言うように、混乱は起きるのだろうか。起きるとしたら、どのようなことが起きるというのだろう。佐和山に蟄居しているはずの三成が挙兵でもするだろうか。政景にはまったく予想できなかった。だが、いざという時に義宣のために働く覚悟はできている。義宣との間には、ただの主従とは言えない様々なことがあったが、今の政景は、ただ義宣の役に立つ側近でありたいと思っている。そして、いつか妻に迎えるはなときちんとした家を築きたい。
兵糧の準備が終わると、義宣は家中に、喧嘩の禁止や、下知に背いての功名は認めないこと、行軍は勝手に休まず、勝手に進まないことなど、指揮、統率に従って行動するように厳しく義務づけた軍法を十一カ条発した。それらを破った者は成敗する、と書かれており、義宣のどこか潔癖なところがあらわれているような気がした。
政光は何かが起こるのではないか、と考えていたが、その軍法が発せられてから六日後、義宣は兵を率いて仙道口へ向かった。政景も政光も、宣政も憲忠も水戸に留め置かれることになった。残念だが、功名は立てられそうになかった。




