無垢の子ども編(五)
どこまでも続く海が目の前に広がる。その海に大きな夕日がゆっくりと沈んでいく。夕日を映した海は赤く輝いて、とても美しかった。
「殿、すごいです。ご覧ください。夕日が海にのまれていくようです。すごい、すごい」
この感動を義宣に伝えたいのだが、うまく言葉が出てこない。どの言葉も、この景色を表すには相応しくないように思えてくる。それに、感動で胸がいっぱいになって、言葉が出てこないのだ。
「そんなに身を乗り出したら、海に落ちるぞ」
「申し訳ありません」
海の美しさに興奮して、ついはしゃぎすぎてしまったようだ。義宣に言われたとおり、身を乗り出しすぎていた。義宣に心配をさせてしまった申し訳なさと、幼子のようにはしゃいでしまった恥ずかしさから金阿弥は俯いた。その金阿弥の頭に、ぽんと義宣の手が載せられた。
「謝るな。俺は、お前にこの景色を見せたいと思って連れてきた。お前が喜ぶのなら、俺は嬉しい」
「ありがとうございます、殿。とても嬉しいです」
「そうか、それは良かった」
義宣の優しさに応えるように、金阿弥は思いをこめて義宣を見上げた。わざわざ名護屋まで連れてきてくれて、こんなにも美しい景色を見せてくれて、本当に嬉しいのだ。その思いが伝わったのか、義宣は頭に置いた手で頭を撫でてくれた。
「常陸では海から朝日が昇るのに、ここでは夕日が海に沈むのですから、面白いです」
「金阿は物知りだな」
「半右衛門から聞きました」
金阿弥が義宣のもとへ来てから、最初の年が明けた。年が明けてから、義宣は秀吉の命に従って名護屋へ来ていた。金阿弥も一緒に連れてきてもらった。まだ幼い金阿弥は、自分は常陸に置いて行かれるものだと思っていたので、義宣と一緒に名護屋へ来られて嬉しかった。
義宣が名護屋へ来たのは、秀吉の唐入りのためだと聞いている。その唐入りのために全国から大名たちが名護屋に集まり、朝鮮へ戦をしに渡っているのだとも聞いた。
義宣にはまだ渡海の命は下されていないが、名護屋にいる以上、いつかは義宣も朝鮮へ渡ってしまう。そのようなことはないと思うのだが、渡海したら、もしかしたら義宣はもう二度と帰ってこないかもしれない。それを思うと、いつまでも義宣に渡海の命が下らなければいいのに、と思う。
今は名護屋で特にすることがないので、茶の湯や蹴鞠などをして義宣は過ごしている。常陸にいるときよりも義宣と一緒にいる時間が多く、こうして海に連れてきてもらうこともある。海を渡れば戦が待っているというのに、穏やかな日々が続いているような気がしていた。
こうして過ごす日々を楽しいとか、幸せだとか思ってしまうのは、朝鮮で戦っている人たちに失礼だと思うのだが、金阿弥は幸せだった。それでも、義宣が渡海することを考えると不安で仕方がなくなる。複雑な気持ちになって、思わず義宣の袖を握りしめてしまっていた。
「どうした、金阿? 船に酔ったのか?」
「いいえ」
義宣の言葉に首を振り、周りを見渡した。義宣が今日供として連れて来たのは、金阿弥のほかに兄と政光と宣政の三人だった。だが、三人の姿はいつの間にか見えなくなっていた。船の上のどこかにはいるのだろうが、姿は見えない。ということは、三人から義宣と金阿弥の姿も見えていないはずだ。そのことを確認して、金阿弥は義宣にぴったりと寄り添った。
「殿」
「どうした?」
「私は、殿とお会いすることができて、本当に嬉しいと思っています。殿のお側にいられて、嬉しいのです」
義宣が朝鮮に渡って、もしものことがあったら、と思うと金阿弥は自分の思いを義宣に伝えておかなければならないと思った。だから、日ごろ思っている自分の気持ちを、真心をこめて口にしたつもりなのだが、義宣は驚いた顔をした。もしかしたら、こんなことを言うのは失礼だっただろうか。
「それは、俺がこの海のように珍しいものをお前に見せたり、お前の興味を引く話を聞かせたりするからか?」
「違います。それは、それも嬉しいですけど、そうではないのです」
「では、何だ?」
義宣に問われて、金阿弥は言葉に詰まった。この気持ちをうまく伝える言葉が見つからない。いろいろな言葉を頭に浮かべてみるのだが、どれもしっくりこないのだ。
「あの、殿は違うのです。今まで出会った誰とも、殿は違います」
「どう違うんだ?」
「うまく言うことができないので、子どもの言うこととお笑いになって構いません。ただ、殿とお会いすることができて嬉しい。その気持ちばかりなのです。誰に対する気持ちとも違います」
そうだ、義宣はほかの誰とも違う。この気持ちをどう表現すればいいのだろう。義宣と会えてよかった。誰にも、こんな気持ちを抱いたことはない。それをうまく伝えられなくてもどかしい。
「金阿」
俯いていると、頭上から義宣の声が聞こえた。顔を上げようとしたのだが、一瞬で義宣に抱き上げられていた。義宣の顔が目の前にある。なんだか恥ずかしかった。
「ありがとう、嬉しいよ」
真剣な眼差しで見つめられ、恥ずかしかったが、それ以上に嬉しくて義宣に抱きついた。義宣が笑った気配がした。
「殿」
「ん?」
「お慕いしております」
この言葉は事実だが、金阿弥の気持ちを表すには少し違う気がする。それでも、言葉にして義宣に伝えたかったから、口にした。
「俺のことが好きか?」
「大好きです」
素直に思ったままを口にしたら、義宣に強く抱きしめられた。その腕の温もりが嬉しかった。心地よかった。
耳元で小さな声がした。とても小さな声だったが、金阿弥にはしっかり聞こえた。
俺も金阿が好きだよ。
この日を、この言葉を、絶対に忘れないと金阿弥は強く思った。




