落月の秋編(四)
前田利家が死に、大坂は騒がしくなった。伏見にまでその騒々しさが聞こえてくるような気さえする。
黒田長政、浅野幸長ら七人が石田三成の旧悪を声高に訴えているそうだ。七人は利家が死んだその日の夜に、利家の子である前田利長に三成の悪行を挙げて訴えたと聞いている。利長は父の喪が明けていないことを理由に、その訴えを聞き入れなかった。七人の将は激怒し、自分たちの手で三成を殺さなければ気持ちは収まらない、と騒ぎだした。その知らせを受けた時、義久は信じられなかった。利家の死の直後、その息子に三成の悪行を訴えるものだろうか。しかも、それが入れられなかったとなると、兵を挙げたという。確認をしたが、その知らせは確かなもののようだった。三成は命を狙われている。
義宣は三成と親しい。義宣が秀吉の配下になった頃から、義宣は三成と通じ、豊臣家の支配を生きてきたのだ。宇都宮家が改易された時も、三成のおかげで難を逃れた。義宣は三成にいたく感謝し、恩を感じているらしい。義宣が三成に近い存在であることが、義久は少し気がかりだった。この知らせを聞いたら、義宣は三成を救出すると言うだろう。まだ三十歳だからか、義宣にはどこか自分の感情に従うところがあるように見える。だが、義宣にこの情報を知らせないわけにはいかない。
義久が義宣のもとへ行くと、義宣のもとには佐竹家の与力大名である相馬義胤が訪ねてきているところだった。
「これは相馬殿、失礼いたします」
「いや、中務殿お構いなく。それがしはそろそろお暇しようと思っていたところにて」
「中務、何かあったのか?」
義宣に促され、義久は三成が窮地にあることを知らせる書状を差し出した。書状に目を通すうちに、義宣の表情が険しくなっていった。それを見てただごとではないと思ったのか、義胤もこの場に残っている。
「愚かな連中よ。今治部殿を殺して何になると言うのだ。中務、急ぎ大坂へ向かい、治部殿をお助けしろ。俺もすぐに向かう」
「お待ちください、お屋形様」
義久の思ったとおりだ。三成の窮地を聞いて義宣が黙っているはずがない。義宣に軽率な行動を取らせてはならない。
「何だ? 急がねば、治部殿の命が危ない。はやく大坂へ行け」
「治部殿を襲わんとする者の中には、先日内府様と婚約を結ばれた加藤清正殿、福島正則殿もおられます。ここでお屋形様が治部殿をお救いになれば、内府様の心証を害するのではありますまいか」
「何を言っているのだ、中務。奉行である治部殿を襲うという輩の方が、責められるべき立場にあるのではないか。なぜ、俺が内府の心証を気にしなければならない」
「しかしながら、お屋形様が治部殿をお救いになれば、七人の諸将はお屋形様を恨むことでしょう。今度はお屋形様のお命が危うくなることと存じますが」
「うるさいぞ、中務。俺が行けと言っているのだ。はやく治部殿をお救いせぬか」
義久の諫言に腹を立てたのか、義宣は声を荒らげた。帰る機を逸した義胤は、義久と義宣のやり取りを聞きながら体を小さくしている。
「いいか。もし、治部殿を狙う愚か者共が、今度は俺を狙って来たのだとしたら、その時は我が家中の剛の者たちが黙ってはいないだろう。そうなる前に、まずは屋敷の大小すべての門を開き、何も用心をしていないように見せればいい。奴ら、かえって何かがあると思うかもしれぬし、不用心な屋敷を襲うことに抵抗を覚えるかもしれぬ。そもそも奴らには、治部殿を襲う正当な理由もなければ、当然俺を襲う理由もないのだ」
ここまで言われてしまえば、義久にはどうすることもできなかった。義宣の言うことも分かる。三成を助けたい気持ちも分かる。だが、ここで義宣が動いてもいいものか、義久には疑問なのだ。
「佐竹殿、それがしも治部殿には恩を感じております。何と言っても、我が息子の烏帽子親は治部殿。それがし、微力ではありますが中務殿とともに参りましょう」
「相馬殿、それはありがたい。よろしいか?」
「ええ、もちろんです」
「それではお屋形様、大坂へ参ります」
義胤の一言ですべて決まった。義久はわずかな供を連れ、義胤とともに大坂へ向かった。大坂では七将の旗指物がひしめき合っていた。まるで戦のようだ。七将は戦をも辞さないつもりなのだろうか。秀吉が死んだ途端に問題が次々と起こるとは、豊臣家の内部は随分ともろかったのかもしれない。
だが、これは他人事ではない。佐竹家中でも、一門や譜代の家臣たちは、義宣が渋江政光、向宣政、梅津兄弟を重用することを面白く思っていない者が大半だ。特に渋江政光の嫌われようは、石田三成に匹敵するほどだと義久は感じている。義久も口に出したことはないが、内心では義宣が浪人出身の新参者を重用することには、あまり賛成できなかった。
七将よりも前に三成の屋敷に到着すると、屋敷の中にはすでに宇喜多秀家がいて、三成と密談をしているところだった。義久と義胤が義宣の意向でやって来たことを伝えると、三成は喜んで義久と義胤を招き入れた。
「佐竹侍従殿が来られるのならば、治部殿も安心だ。わしは屋敷に戻り、兵の準備をする。連中が戦をしかけてきた場合は、宇喜多家が黙ってはいないぞ。治部殿、安心するといい」
「備前宰相殿、なにとぞ今後もよろしくお願い申し上げます」
「分かっている。豊臣家はわしの家のようなもの。何としても守らねば太閤殿下に顔向けできない」
会釈をして去って行く秀家に、義久と義胤は深々と頭を下げた。秀家を見送った後、急に咳が込み上げてきたため、義胤から顔を逸らして義久は咳き込んだ。最近、よく咳が出る。体調もよくない状態が何日か続いていた。
「中務殿、いかがなさいました?」
「ご心配には及びませぬ。感冒でしょう」
「そうですか。いやに激しく咳き込まれたように感じたのだが」
「伏見に戻りましたら、しばらく安静にいたします」
義久と義胤が石田屋敷の門を守っていると、騎馬にて義宣がやって来た。義宣は輿を用意している。義宣の到着を告げると、三成は喜んで門まで義宣を迎えに出て、そのまま義宣を奥へと招いた。義久と義胤も招かれ、義宣とともに奥へ行った。
「佐竹殿、よく来てくださった。ありがたい。諸将は私党を結び、私を殺そうとしているのです。何を考えて、このような暴挙に出たのやら」
「まったくですね。太閤殿下が亡くなられて、まだ幾ばくも経っていないというのに、これは秀頼様を軽んじてのことなのでは? 何という驕逸か」
「しかし、奴らは内府に私のことを悪しざまに言っていると聞いております。内府は奴らを利用し、私を排除しようとしたに違いない。大坂も伏見もところどころに七将の兵が警備にあたっており、とても逃げられる様子ではないとも聞いている。道中で奴らの手にかかるくらいならば、いっそこの屋敷で腹を切ろうとも思ったのですが、佐竹殿のおかげで私は救われました」
「何を仰せか。私は石田殿に恩があります。いま旧恩に報いずして、いつそのような機会があるでしょうか。さあ、輿にお乗りください。伏見の治部少丸までお送りします。中務、輿の用意を」
「承知いたしました」
三成を義宣が用意した輿に乗せ、石田家中の者には扇紋の装いをさせ、佐竹家中として三成の警護にあたらせた。義宣は大坂までやって来た時のように、自ら騎馬で輿の周りを守り伏見まで向かった。義久はその義宣を守るように、義宣に寄り添って進んだ。三成を無事に治部少丸まで送り届けると、安国寺恵瓊が三成を待っていた。これから、三成と密談でもするのだろう。義宣も参加するのかと思ったが、義宣は佐竹屋敷へ帰るようだ。
義宣とともに佐竹屋敷へ向かいながら、義久は再び咳き込んだ。先ほどの咳よりも酷い。口許を手で押さえたが、なかなかおさまらない。
「中務、大丈夫か?」
「申し訳ありません。問題ありませんので、お進みください」
あまりに義久が咳き込むせいで、義宣は馬を止めて義久を振り返ったようだ。感冒にしては酷い咳だ。近頃、様々なことがあって疲れているのかもしれない。義久ももう四十六歳だ。若くはない。義胤に言ったように、しばらく安静した方がいいのかもしれない。
口許を押さえていた手に、ふと目をやった。手には、真っ赤な血が付着していた。




