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道程  作者: 実川
五 落月の秋編
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落月の秋編(三)

 琳は男子を出産した。待望の世継ぎの誕生だった。奥の女から男子の誕生を告げられた時、義宣はなかなか実感がわかなかった。家中は世継ぎの誕生に喜んでいたが、自分が父親になったのだと思っても、実感がわかない。まだ赤子の顔を見ていないからだろうか。

 産褥に横たわる琳と赤子のもとへ足を運ぶと、琳の顔色はよくなかった。奥の女から、難産だったと聞いてはいるが、男の義宣には難産がいかに大変なものかはよく分からなかった。だが、琳の様子をみると、義宣の想像以上に出産というものは命がけのものなのだということが分かった。母の言うとおり、まさしく女の戦いだったのだろう。

 琳の隣で眠っている小さな赤子が、義宣の子だ。年の離れた弟たちが生まれた時の様子と比べると、この赤子は一回りほど体が小さいような気がする。それとも、赤子とはこのようなものなのだろうか。

「琳、よくやってくれた。若子の誕生に、俺だけではなく家中も喜んでいる」

「まことですか。よかった。姫ならば、どうしようかと思っていたのです。お世継ぎを産まなければならないと」

「たとえ姫だったとしても、佐竹の子に変わりはないではないか。それに、生まれた子は若子だ。今は体をいとえよ。世継ぎの母なのだからな」

「はい」

 琳は話をするのも辛そうだった。だが、横たわる赤子を見つめる目は、今まで義宣が見てきた琳の目とはまったく違っている。母の顔だった。

 そばに控えている昌にすすめられ、義宣は赤子を抱いた。小さいが、確かな重みがある。義宣の子だ。佐竹家の世継ぎなのだ。

 赤子を抱いたのはいいが、どうすればいいのか分からず、ただじっと顔を見つめた。生まれたばかりでは、義宣に似ているものか、琳に似ているものか、まったく分からない。

「お屋形様、若君様の目のあたりなど、お屋形様に似ていらっしゃるとは思いませんか? 全体的なお顔立ちは、御台様似でございますね」

 昌はそう言うが、果たしてそうなのだろうか。まじまじと見つめていると、そんな気もしてくる。義宣の腕の中で、赤子がもぞもぞと動いた。落とさないようにしっかり抱くと、赤子は目を覚ましてしまったらしく、むずかりだした。慌てて昌に赤子を渡すと、琳と昌は小さく笑っていた。

 義宣が琳のもとを去ると、医師が義宣を待ちかまえていた。

「お屋形様、申し上げなければならぬことがございます」

「人に聞かれてはまずい話か?」

「御台様には、お聞かせしとうございません」

「分かった」

 琳に聞かせたくない重要な話とは何だろうか。嫌な予感がする。人払いをして医師と二人部屋の中に入ると、医師は深々と義宣に頭を下げた。

「此度は、若君のご誕生、まことにおめでとうございます。祝着至極に存じます」

「うむ。ところで、話とは?」

「はい。まことに申し上げにくいのですが、若君様と御台様のことにございます」

 やはりそうか。生まれた赤子だけではなく、琳のこととなると、義宣が思った以上に深刻な話なのかもしれない。

「御台様は非常に難産でございまして、体が出産に耐えられぬのではないか、と一時は危惧したほどでした。今は、だいぶ体調も回復なされたご様子ですので、ご安心ください。ただ、もしご懐妊なされた場合、次も無事に済むとは申せませぬ」

「そうか。まずは、此度御台が無事でよかった」

 琳はまだ十七歳だ。今後、もう少し年を重ねてからならば、体も出産に耐えられるかもしれない。だが、次も難産で、今度こそ琳の命が危うくなるかもしれない。琳は子を身ごもれる体だったが、子を産める体かどうかは分からないということか。医師は、正室である琳との間に、これ以上子が望めない可能性が高い、と言いたいのだろう。

 だが、琳は世継ぎを産んでくれた。今は、それでよしと思うべきだ。

「しかしながら、若君様の方は、何とも言い難いのでございます」

「何だと?」

「お生まれになってから数日、ご様子を拝見しておりましたが、私が今まで見てきた赤子より、お元気ではないのです。お体も小さく、おそらくは生まれつき蒲柳の質なのではないかと」

「つまりは、虚弱児ということか?」

 義宣の言葉に、医師はただ深く頭を下げただけだった。生まれた赤子は、義宣の言ったとおり虚弱児なのだろう。確かに、琳にはこの話を聞かせられない。赤子の誕生を誰よりも喜んでいるのは、おそらく琳なのだ。

 医師を帰してから、義宣はひとり考えた。生まれた子が男子であると分かった時から、赤子の名は徳寿丸にすると決めていた。佐竹家の嫡男が代々名乗ってきた名だ。義宣も父の義重も、祖父の義昭も徳寿丸だった。だが、赤子が虚弱児となれば、義宣の後を継いで佐竹家をまとめることに耐えうるか分からない。そもそも、義宣の後を継げるくらいの年まで生きられるかも分かったものではない。

 世継ぎの誕生に喜んだと思ったら、その世継ぎが虚弱児か。義宣は落胆したが、先のことは分からないのだ。もしかしたら健康に育つかもしれない。何より、生まれた赤子は正室の産んだ嫡男だ。赤子の名は徳寿丸以外にはない。

 赤子が生まれてから七日の祝いの席で、義宣は赤子に徳寿丸と名付けることを家中に伝えた。まだ産褥にある琳にも、徳寿丸と書いた紙を見せると、琳も昌も喜んでいた。琳の隣で眠る徳寿丸は、やはり小さい。

「佐竹の世継ぎだ。大切に育ててほしい」

「もちろんです。お屋形様の大事なお世継ぎですから」

「ああ。頼んだぞ、琳」

「はい」

 虚弱児だと言われた徳寿丸だ。奥の女たちで大切に育てられれば、病気にかかることも少ないかもしれない。目の前で眠る小さな赤子を、義宣は期待と諦め相半ばする気持ちで見つめていた。祥にも若子が生まれれば、仮に徳寿丸の体が武家の当主に耐えられないほど弱かったとしても、世継ぎを心配することはないのだが。帰国したら、祥との間にも子ができるように励まなければならない。二人若子が生まれれば、一人には二階堂家を再興させてもいい。

 そんなことを考えながら、祥に若子が生まれたことを知らせる書状を送った。祥が帰国してもう半年以上経ったのだ。秀吉が死んでからというもの、時の流れがはやく感じる。

 家康が私婚の禁止を破ったことに対して、前田利家は激怒していると三成は言っていたが、それは本当のことだったようだ。事件から一月ほど経って、利家は伏見の家康を訪問して、ことの真相を問いただすことにした。利家は、家康に斬られに行くのだ、とまで行って屋敷を出たとも聞いている。その利家に同伴したのは、細川忠興、加藤清正、浅野幸長らである。家康の対応次第では戦が起こってもおかしくはない。

 だが、家康は終始にこにこと笑顔を浮かべ、利家を手厚くもてなしたらしい。悲壮な決意を胸に家康を訪ねたはずの利家は、拍子抜けしたことだろう。家康の丁寧な態度に安心して大坂に戻って来ていた。その返礼に、今度は家康が大坂の利家を訪問することになった。

 家康が大坂へ入った日に、義宣は三成に呼ばれて小西行長の屋敷を訪れた。小西行長は三成と親しい大名である。行長の屋敷へ行くと、そこには三成と行長のほかに、秀吉の猶子だった備前の大大名である宇喜多秀家、毛利家の使僧だった安国寺恵瓊、上杉家の直江兼続、三成と同じ奉行の増田長盛、長束正家らが揃っていた。

「内府が大坂に入った。これはまたとない絶好の機会と存じます。内府めを亡き者とするには、今しかござらん」

 三成は家康を暗殺すべきである、と熱弁をふるったが、集まった者たちの反応は鈍かった。義宣も、今ここで家康を暗殺することが得策であるか判断できない。

「治部殿、確かに今は好機と思えますが、我らにとっての好機を内府殿が見逃されているとは思えません」

「しかし増田殿、内府は連れている者も少ない。いくら用心しているとはいえ、供の人数が少ないことはどうしようもないだろう」

「備前宰相殿の言うとおりにございます。前田殿はもうあてにならん。今、この時に我らが動くべきなのだ」

 宇喜多秀家の一言で自信を増したのか、三成は家康暗殺のために動くべきだと、小西屋敷に集まった者たちを説得しようとした。三成の家康暗殺計画に乗り気なのは秀家だけで、義宣を含めほかの者たちは賛成ではないが反対でもなかった。

 話し合いは結論が出ないまま長々と続き、利家との対面を終えた家康はそそくさと伏見へと帰ってしまった。結局、家康暗殺計画は話し合いだけで終わり、計画の詳細が考えられることもなく見送りとなった。

 三成は冷静を装いながらも、絶好の機会を逃したことを悔しがっているようだった。家康が伏見へ戻ったと聞いた時、三成は拳を握りしめ、肩を震わせていた。

 家康を暗殺して除くことが豊臣家のためだと考える三成の気持ちも分からなくはないが、今の状況では軽々しく動けない。そのため、秀家以外の者は賛成することも反対することもできなかった。

 家康の利家訪問から二十日ほど後、前田利家は大坂で息を引き取った。三成が言っていた、一番危ない時がやって来たのだ。

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