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道程  作者: 実川
四 開く花編
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開く花編(十三)

 膝をつきうなだれる義宣の肩に、祥の手がそっと置かれた。握り締めていなかった方の手が置かれたのだ。顔を上げると、祥は義宣の視線に合わせるようにしゃがみこみ、困惑の表情を浮かべていた。

「義宣さま、どうか落ち着いて。順を追って、わたしにお話しください」

 八重のことを思い出して、落ち着いてなどいられるか、と思ったが、祥の言うとおりだ。感情に任せて話すだけでは、祥に何も伝えられないだろう。落ち着いて話すために、その場に腰を下ろした。祥も向かい合ってその場に座った。手は、まだ握り締めたままだ。

「先の御台は、名を八重といった。俺がわずか三歳の時に決められた許嫁だった。家の問題で、実際に結婚したのは十六になってからだったが」

「お八重さまは、那須家の姫さまでいらっしゃいましたね」

「ああ、そうだ。家臣の中には、なぜ那須家の姫が俺の妻になるのだ、と反対している者もいたようだった。だが、俺はそんなことはどうでもよかった。年上の妻の美しさに、若かった俺は目を奪われたものだった」

 今でも八重の嫁入り姿が目に浮かぶ。白い打掛がよく似合っていた。その打掛は、六年後に八重自身の血で赤く染まった。そして、義宣の手で燃やしたのだ。

「八重は、妻として確かに俺に体は開いた。だが、心はいつまでも那須の女のままだった。俺に心を開いたことなど、一度もなかった。微笑みかけたことも、なかった。那須から同行している侍女には、いつも笑みを見せていたというのに。母が中務に命じて密かに政宗を救った時も、八重は慰めるどころか、自分の兄は戦に負けることなど無いのだと言っていた。それから数年経って、再び母が中務に命じて政宗を助けた時も、八重は俺を拒むだけだった。その憂さを晴らすために、俺は、奥の女たちに手をつけて、女の柔らかさを求めた。まあ、空しいだけだったがな」

 義宣が自嘲するように笑うと、祥は悲しそうに眉をひそめた。

「八重は、そんな俺を汚らわしいと言った。触れるなと言った。俺は結局佐竹という名門が何よりも大事なのだと、八重は言った。祥にも同じことを言われた」

 祥はかすかにうなずいた。祥も、まだあの時のことを覚えていたのか。義宣は、祥が八重と同じことを言うのだから、随分と衝撃を受けたのだ。

「俺は、八重を無理やり抱いた。なぜ、この女はここまでかたくなに俺を拒むのか、と頭に来たのだった。憎かった。たまらなく、八重が憎いと思った。だが、俺が無理やり抱いても、八重は誰よりも美しかった。むしろ、俺は八重が恐ろしくなった。それからしばらくは八重の顔を見なかった。あいつは、病と称して誰とも会おうとしなかったんだ」

 病と称していた八重だが、実際は仮病だった。侍女の吉野が不義密通を働き、子をなした。それを八重は隠そうとしていたのだ。その吉野は、父に出奔しようとするところを見られ、斬られた。吉野の子は、父がどこかに墓を建てたはずだ。

 祥は眉をひそめたまま、黙って義宣の話を聞いていた。義宣も、祥に返事を求めることもなく話し続けた。

「その後、八重の実家である那須家は改易された。妻の実家が改易され、俺は太閤殿下に離縁を迫られた。だが、不思議と、俺は八重を離縁する気には一度もならなかった。だから、俺は八重を太田城に謹慎させた。八重がいる間に、太田城で南方の館主を謀殺したこともあった。八重のいる太田城を、俺は血に染めた。それから二月後、今度は八重の血で、太田城は赤く染まったんだ」

 祥の手を握り締めたまま、義宣は俯いた。八重の血で赤く染まった打掛が脳裏に浮かぶ。義宣が最後に見た八重の顔は、怒りに燃え、義宣を憎むものだった。

「俺が、八重を追いつめたんだ。無理やり抱いて、屈辱を与えた。謹慎をさせた時、あいつは俺を憎んでいた。屈辱を感じていたのだろう。その上、寺へ幽閉しようとしたのだ。あの誇り高い女が、死を選ぶのは当然だ。だから、俺が八重を殺したようなものなんだ」

 ついに言った。他人に八重のことをすべて話した。義宣が八重に抱いていた思いも、何もかもすべて。祥はどのような顔をしているのだろうか。呆れているかもしれない。

「それから、今は茂右衛門と名乗っているが、金阿弥と出会った。俺は、俺だけを見つめる存在が欲しかった。だから、幼かった金阿弥をそばに置いて寵童とした。俺が名乗りを与えて、今はもうそんな関係ではなくなったが」

 俯いたまま、茂右衛門との過去の関係も話した。金阿弥は、八重を失った時に、ちょうど義宣の目の前に現れたのだった。義宣は、金阿弥の純粋さにどこか救われるような思いがあった。だが同時に、幼い子どもにそんなことを求める自分を、醜いとも思っていた。

 茂右衛門のことも話し終えると、義宣は目を瞑って口を閉ざした。祥が何と言うのか、それを待っていた。祥の言葉を待つ間の沈黙は、さほど長くなかったのだろうが、義宣には随分長く感じられた。

「義宣さま」

「何だ?」

「あなたは、お八重さまに恋をなさっていたのね」

「恋だと?」

 思いもしない言葉に驚き、思わず顔を上げた。祥は悲しげな表情のまま、義宣をまっすぐに見つめている。

「ええ。あなたは、お八重さまのことが誰よりも好きだった。だから、すべてを欲して、執着していたのだと思います」

「俺が、八重に惚れていた」

「けれど、お八重さまを欲した結果、あなたは奪うことしかできなかった。わたしは、そう思います」

「八重のことが、好きだったのか」

 自分が八重に惚れていたと言うことが信じられず、確認するように呟いた。呟くたびに、それは事実であるような気がしてくる。今まで見てきたどの女よりも、八重が美しいと思うのは、義宣が八重に惚れていたからなのか。八重に拒絶されて、無理やり抱いたのも、八重のすべてが欲しかったからなのか。

「義宣さまにとって、お母上との問題も大きいけれど、一番の問題は、お八重さまなのでしょうね。お八重さまに愛されなかったことが、お八重さまに自害されたことが、今でもあなたを苦しめている」

 惚れていたから、離縁しようとは思わなかったのか。自害されたことも、ここまで義宣を苦しめるのか。

 涙があふれ出した。八重のことを思うと、涙が流れ出す。その涙を、祥がそっとぬぐった。

「俺は、八重が好きだった。この世の誰よりも。今更、分かった。だが、どうすればいいのか、あの頃の俺はまったく分からなかった。自分の気持ちを、持て余していたんだろうな」

「お八重さまを失って、義宣さまはとても苦しまれたと思います。けれど、今わたしにこのお話をなさったのは、なぜですか?」

「祥に、俺のことを知ってほしかった」

「わたしに慰めてほしかったの?」

「違う。祥は、自分のことを俺に話してくれただろう? 話したくないことも話してくれたと思う。だから、俺も誰にも話せなかったことを祥に聞いてほしかった。俺は、祥の話を聞いて、祥のことを理解したと思った。俺のことも、理解してほしいと思ったんだ」

「今でも、わたしが御台さまに嫉妬して怒っているとお思いですか?」

「もう、思っていない。すまなかった、祥。俺は、これからどうすればいい? どうすれば、お前の言った、歩み寄るということができるのだろう? 分からないんだ」

 助けを求めるように、祥にすがった。義宣の頬に、あたたかいものが触れた。祥の手が、義宣の頬を包み込んでいた。

「分からなかった、という理由で、あなたがこれまでなさってきたことが許されるのか、わたしは分かりません。わたしはお八重さまや、義宣さまのお手がついた女たちではありませんもの。ただ、わたしは、今までの義宣さまを悲しいと思います」

「悲しい?」

「はい。これからどうすればいいのか、それはわたしにも分かりません。わたしも、独りよがりな考えで、あなたを傷つけたのかもしれませんし」

 祥が目を伏せる。そんなことはない、と言いたかった。だが、言ってはいけないような気がした。

「義宣さまの問いに、わたしは答えを持ちません。ただ、望みを申し上げることはできます」

「何だ?」

「奪う恋ではなく、与える愛を知ってください。悲しい過ちは、繰り返さないで。わたしがあなたを愛すわ。だから、あなたは、お母上や御台さま、生まれてくるお子、茂右衛門のことを愛してください。できれば、わたしのことも愛していただけると嬉しいのですけれど」

 母に愛されなかったと嘆いた夜、祥は同じ言葉を義宣に与えた。あの時から、祥は義宣に愛を与えていたのだ。胸が詰まる。祥が義宣に与えているものを、義宣も人に与えられるのだろうか。分からない。だが、努力をする。今まで、八重や手をつけた女たちだけではなく、母にも茂右衛門にも祥にも、自分は何も与えることはせず、ひたすらに求めていただけだったのだろう。それは、ただ空しいだけだったのだ。

 八重に抱いた気持ちが恋だと言うのならば、祥には八重とは同じ恋という感情は抱いていない。だが、八重に抱いた暗く激しい感情とは違う、あたたかい感情を祥には抱いている。これが、愛するということなのだと思う。

「祥」

「はい」

「好きだ」

「わたしも、義宣さまが好き」

 祥の目からも涙がこぼれた。今度は、義宣が祥の涙をぬぐった。祥の腕を引くと、祥は義宣の胸に体を預けた。腕をまわして、抱きしめる。

 あたたかさが、体の奥までしみ込むようだった。

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