開く花編(十一)
はなとの婚約が成立した時、はなからもらった文に返書を出すと、はなからまた文がきた。はなの文は、字がのびのびとしていて、紙いっぱいに書いても、まだ書き足りないというほどに、たくさんのことが書かれている。内容は、どれも幼い少女らしく、日常の些細な出来事や近況なのだが、そこから読み取れる天真爛漫さに、茂右衛門は微笑ましい気持ちになっていた。
はなからの文はまだ二通目だが、たった二通からでもはなの人柄が見える。はなは、まだ見ぬ許嫁である茂右衛門を慕ってくれているようだ。はやく会いたい、と結びには書かれている。そんな文を見ると、何だかむず痒い。もしかしたら、幼い金阿弥だった頃の茂右衛門を見る義宣の気持ちというのは、このようなものだったのかもしれない。今思えば、金阿弥だった頃は、おかしいくらいに義宣を慕っていた。
お前だけ、という言葉を信じて、金阿弥にも義宣だけだと思っていた。何と幼く盲目的で、愚かだったのだろうか。
「茂右衛門」
「兄上、何かご用ですか?」
はなからの文を懐にしまい、茂右衛門は顔を上げた。憲忠にはなの文を見られると、冷やかされるのだ。自分も妻には惚れぬいているくせに、許嫁ができた茂右衛門を冷やかして楽しんでいる。
「いや、俺ではない。殿がお呼びだ」
「殿が、私を?」
「うん、お前を呼んで来いと仰せだった」
何か茂右衛門に言いつける仕事があるのだろうか。義宣は、茂右衛門を突き放した後も以前と変わらずに、茂右衛門を重用してくれている。だから、突然呼び出されることは珍しくない。だが、憲忠に茂右衛門を呼ぶように頼むくらいならば、憲忠に仕事を言いつければいいはずだ。何か、別の用事のような気がする。
呼び出しに応じて義宣のもとへ行くと、茂右衛門が声をかける前に義宣に手を引かれ、部屋に引き入れられた。突然引っ張られ、茂右衛門は転びそうになってしまった。だが、義宣の腕に抱きとめられたため、茂右衛門が転ぶことはなかった。
なぜ、義宣は茂右衛門の手を引き、抱きとめるのだ。まるで、金阿弥だった頃のようではないか。義宣は、何を考えている。
「失礼いたしました、殿」
頭を下げ、義宣の腕から抜け出そうとしたが、義宣は茂右衛門を放そうとしなかった。驚いて顔を上げると、義宣は思い悩んでいるようだった。
「殿」
「何だ?」
「なぜ、私をお放しにならないのですか?」
「放したくないからだ」
「なぜ、私をお呼びになったのですか?」
「やはり、俺にはお前だけだからだよ」
そう言って義宣は、茂右衛門を抱きしめようとする。茂右衛門は何とか腕を突っ張り、義宣の腕から抜け出した。一体、何なのだ。義宣は何がしたい。
俺にはお前だけ。その言葉を信じてきた金阿弥を捨てて、はなの許嫁である茂右衛門にしたのは誰だ。今更、何を言っているのだ。義宣の理解できない言動に、茂右衛門の心は乱れた。
「もう、私のことは呼び出さないと言ったのに」
「ああ、そう言った。だが、それは寝所に呼ばないと言っただけのことで、ここに呼ばないと言っていない」
「それは、屁理屈というものです」
声が震えそうになるのを必死に堪えた。こみ上げてくる気持ちは、怒りなのか何なのか茂右衛門にもよくわからない。
「茂右衛門?」
「いい加減にしてください。私のことを、馬鹿にしないでいただきたい。私は貴方の玩具ではありません。都合のいい時だけ構うなんて、やめてください。昼間から呼び出して、何をお考えですか? 私がいつまでも僧形でいるのが不憫だと、貴方は私に髪を伸ばさせたのではないのですか?」
「それは、そうだが」
義宣はきまり悪そうに眉を寄せた。いい加減にしてほしい。なぜ、茂右衛門がこんなことまで言ってやらなければならないのだ。何のために、もう茂右衛門を寝所に呼ばないと決めたのだ。岩瀬御台を愛しているからではなかったのか。それが、義宣が見つけた幸せだったのではないのか。あっさりと茂右衛門を部屋に呼んで、そんなものだったのか、義宣の気持ちは。
「私はもう大人です。貴方だけの子どもではありません。貴方が私に茂右衛門という名を与えて大人にしたのです」
義宣は自分の都合で金阿弥に茂右衛門という名乗りを与えて大人にした。しばらくは金阿弥だった頃の義宣への思いが立ち切れず、床に就いてから密かに泣いた夜が何度あったことか。
「それなのに、貴方は勝手です。私の気持ちを考えたことなどないのでしょうね。今でも、私が貴方だけの金阿弥だと思っていたのですか?」
「俺は今でも、俺のことを一番理解しているのはお前だと思っている」
「私も、今でも貴方のことを一番理解できているとは思います。だからこそ、貴方は酷いお方だと言うのです」
「酷い?」
「ええ。貴方は、私を可愛がってくださいました。しかし、それは貴方を一心に慕う私が可愛かっただけなのです。そして、私も同じでした」
義宣は、本当にどうしようもない人間なのだ。弱くて自分勝手で無神経だ。茂右衛門のことなど、何も考えていない。だが、茂右衛門も同じだ。金阿弥だった頃は盲目だった。義宣と何も変わらない。そんな二人が、これ以上の関係を築けるはずがなかったのだ。義宣に突き放されて、はなと文のやり取りをして、少しずつ分かってきた。
義宣は今後、岩瀬御台と新たな関係を築くのだろう。御台にはようやく子ができた。御台とも、茂右衛門とは違う関係を築くはずだ。茂右衛門も、まだ見ぬ許嫁と義宣とは違う絆を結びたいと思う。
「お呼びになるのなら、私ではなく岩瀬御台様になさってください」
「その岩瀬と、喧嘩のようなものをした。なぜ、このようなことになったのか、俺には理解できない。だから、お前を呼んだ」
「そうでしたか。やはり、貴方は何と酷いお方なのでしょう」
「なぜだ、茂右衛門?」
「ご自分でお考えください。私は仕事に戻ります。許嫁に文の返書も書かなければなりません」
「お前は、まだ見たこともない、何度か文をもらっただけの許嫁を、愛しているというのか?」
「分かりません。殿のおっしゃる通り、まだ相手のことを私はよく知らないのですから。だからこそ、理解したい、歩み寄りたい、そのための努力をしたいと思います。私だけでも、相手だけでも、この努力は実を結びません」
義宣は黙り込んでしまった。眉間に深く皺を刻み、ますます思い悩んでいるようだ。義宣は自分が酷いことをしている自覚がない。おそらく、岩瀬御台との喧嘩というのも、義宣に原因があるのだろう。義宣が自分自身で、何が悪いのか、なぜ嫌われてしまったのかもしれないのか、気づかなければ意味がないと思う。
失礼します、と言い残して茂右衛門は部屋を去った。義宣には散々偉そうに無礼なことを言ったが、そんなことを言えるのも、義宣が茂右衛門を処罰することはないだろう、というおごりのためだ。茂右衛門も、まだ義宣から完全に離れることができていない。これが、純然たる主と家臣としての絆となるように、茂右衛門も義宣も努力をしなければならないだろう。
はなからの文を取り出して、茂右衛門はじっと眺めた。仕事が終わったら、すぐに返書を書こう。まずは、許嫁と新たな関係を築くことから始めるのだ。




