開く花編(八)
昌が御台の懐妊を祥に告げに来てから数日後、祥は阿南とともに改めて祝いの品を用意し御台に祝辞を述べに行った。御台は、昌の行動を詫び、昌も謝罪の言葉を口にしていたが、昌の表情にはどこか勝ち誇ったような印象を受けた。
その後、大御台の芳のもとへも祝辞を述べに行くと、芳は祥たちが知るよりも以前から、御台の懐妊を知っていたらしく、早く孫の顔が見たいものだと、喜んでいた。どうやら、奥の女たちの中で、御台の懐妊を知らなかったのは、祥と阿南と鏡田だけだったらしい。義宣が口止めしていたのだろうか。
「まったく、あのお昌という女は、姫様に対して無礼でしたこと。御台様は、ご自分の侍女の監督もできぬのでしょうか」
「鏡田、もうお昌殿のことを言うのはおやめなさい。きっと、鏡田もわたしが同じ立場に立たされたら、お昌殿のことを言えぬようなことをしたと思うわ」
「それは、そうかもしれませぬが。それにしても、お屋形様もお屋形様です。何故、姫様に御台様のご懐妊を内密になさろうとしたのか」
先日の騒動以来、鏡田は昌と義宣に対して腹を立てていた。祥も、昌の言動を良いものだとは思えなかったが、それよりも義宣が祥に御台の懐妊を内密にしていたことが心に引っかかっている。
「お養母さま、お屋形様はなぜわたしに内密になさろうとしたのでしょう? 殿方とは、そのようなものなのでしょうか?」
「さて、それは私にも分かりかねます。亡き夫には側室がいませんでしたし、何より私は女の身ですからね」
阿南に助けを求めたかったのだが、はぐらかされてしまった。これは、自分で考えろ、ということだ。確かに、義宣と祥の問題で阿南に助けを求めたとしても、阿南は義宣ではないのだから、どうすることもできない。
「お祥は、義宣殿に御台様のご懐妊を内密にされて、どう思ったのですか?」
「わたしですか? 最初は、なぜだろう、とひたすらに思っていました。本当に、なぜなのか分からないのです。今は、疑問に思うだけではなく、悲しいと思ってもいます」
「それは、何故ですか?」
「わたしはお屋形様を愛しいと思っていて、きっとお屋形様も同じ気持ちでいらっしゃるのだろうと、思っているからなのだと思います」
「そうですよ。事実、お屋形様のご寵愛が深いのは、御台様よりも姫様です。誰が見ても分かることではありませんか」
「鏡田、そのような言い方は、よろしくありませんね」
「申し訳ありません、後室御前」
鏡田の言うように、義宣にそこまで深く寵愛されているのかは分からないが、少なくとも義宣と祥は、互いのことを他人とは違った存在だと思っているはずだ。少なくとも、祥は義宣を特別な存在だと思っている。腹を立てたこともあったが、母の愛を求めて泣いた義宣を、愛しいと心から思っているのだ。義宣も、祥のことを憎からず思っているということは伝わってくる。だからこそ、義宣の考えが理解できなかった。
義宣が何を考えているのか知るために、義宣と話がしたかったのだが、義宣は多忙を理由に祥と会おうとはしなかった。鏡田に何度も義宣への取り次ぎを頼んでいるが、義宣の渡りは実現していない。確かに忙しいのだろう。奥にも秀吉の病状が悪いという話は聞こえて来ている。だが、多忙だけが理由なのだろうか。芳の話と御台の態度から判断するに、義宣は御台の懐妊を知ってからも、祥のもとへ普段と変わらぬ様子で足を運んでいた。義宣の渡りがなくなったのは、昌が祥のもとへ来てからだ。
偶然なのかもしれないが、御台のことがあり、祥に顔を合わせたくなくなって、義宣が祥の希望に応えてくれないのかもしれない、とも思えた。
だが、祥は義宣と話がしたい。一時でいいから時間を作ってくれないか、と何日も前から頼んでいる。それでも義宣は、なかなか会いに来てくれなかった。何度も義宣へ話を通しに行く鏡田は、日を重ねるごとに不機嫌になっていった。
そのような日を何度か重ねるうちに、毎日不機嫌顔で奥に戻って来る鏡田が、満足げな表情で戻って来た。今夜、義宣の渡りがある。突然のことで驚いたが、祥は自室で義宣を待った。義宣に尋ねたいこと、言いたいことを胸の内で整理しているうちに、足音が近づき、部屋の前でぴたりと止まった。
「祥、久しぶりだな」
襖が開けられ、義宣の声がした。義宣の機嫌は悪くなさそうだったが、どこか疲れているような気がする。
「義宣さま、お話ししたいことがあります」
「突然だな。それは、今夜話さなければならないのか?」
祥が真剣に話があると言っているのに、義宣は面倒そうに苦笑した。疲れているから、祥の話を聞くのは面倒だと思っているのだろうか。祥は、大事な話があるから何日も義宣に来てほしいと頼んでいたのだ。今夜話さずに、いつ話すというのだ。義宣の機嫌が悪くなるかもしれないが、祥は構わず話を続けた。
「御台さまのことについて、お話したいのです」
「御台?」
何事もないようにふるまっているが、一瞬義宣の眉がぴくりと動いた。祥はそれを見逃さなかった。
「御台さまのご懐妊、おめでとうございます」
そう言って頭を下げたため、祥には義宣の顔は見えなかったが、室内の空気が一瞬にして変わったのは分かった。義宣に肩を掴まれ、顔を上げられた。義宣の顔には、焦りと苛立ちが見えた。
「誰から聞いた」
「自然と耳に入りました」
「自然と?」
眉間に深い皺を刻み、不機嫌そうに義宣はため息をついた。もしかしたら、祥の言葉を嫌味だと思ったのかもしれない。そう受け取られても仕方がないかもしれないが、祥は義宣に子ができたことは本当にめでたいことだと思っているのだ。義宣にとっては初めての子で、佐竹家にとっては大事なお世継ぎになるかもしれないのだから、めでたいと思わないはずがない。
ただ、義宣が御台の懐妊を知りながら、それを祥に隠そうとしていたことが問題なのだ。
「義宣さま」
「何だ」
「どうして、わたしに教えてくださらなかったのですか?」
「何を」
「御台さまが、ご懐妊されたことです」
祥が何を言いたいのか分かっているくせに、逃げるように、何を、と義宣は言う。なぜ、そこまでして祥に御台の懐妊を隠しておきたかったのか、理解できない。
「ここ最近忙しかったから、うっかり忘れていたんだ」
「嘘」
「嘘じゃない」
「義宣さまは、御台様のご懐妊を知ってからも、わたしのもとへいらっしゃっていたはずです。その時に、お話しくださればよかったのに」
図星をさされたせいなのか、義宣は祥の言葉を聞いて黙り込んだ。あからさまに不機嫌になった義宣の態度と、この期に及んでも祥に嘘をつこうとすることに、だんだんと腹が立ってきた。
「どうして教えてくださらなかったのですか? わたしが」
「嫌だったからだ」
「え?」
黙り込んでいた義宣が、祥の言葉を遮って口を開いた。何が嫌だったのだろうか。
「お前が、こうして嫉妬をして俺を問い詰めるだろうと思ったから、教えるのが嫌だったんだ。御台が身ごもったのは、祥を側室に迎えた後だ。祥を側室にしてからも、俺は御台のところへ足を運んでいた。そのことについてお前は怒って、俺を責めているんだろう?」
ため息を深々とつきながら、眉間を抑える義宣に、唖然として祥は言葉も出なかった。義宣は何を言っているのだ。祥がいつ、義宣が御台のもとへ足を運んでいたことに対して嫉妬し、義宣を攻めたというのだ。
「祥が怒るくらいなのだから、御台は泣いているかもしれないな。あいつに泣かれるのは困る」
口には出さなかったが、義宣の言葉や態度からは、祥のことも御台のことも面倒だと思っているということが伝わってきた。御台と義宣がどのような関係を築いているのか祥は分からないが、義宣の態度が腹立たしかったし、自分よりも年下の少女のことが気の毒に思えた。
「まさか、義宣さまにそんなことを言われるとは思いませんでした」
「祥?」
「わたしは、嫉妬してこんなことを言っているのではありません。あなたがわたしに何も言ってくださらなかったことが悲しくて言っているの。わたしと義宣さまは、まだ出会って幾月しか経っていませんけど、時など関係なく、わたしはあなたが愛しいと思っているし、あなたもわたしのことをそう思ってくださっていると思っていました。わたしたちの間には、確かに信頼と呼んでもいいものが生まれたと思っていました。それなのに、御台さまがご懐妊しているとわたしが知ったら嫉妬をするだろうから、それが面倒だと思われていたなんて、悔しくて、悲しい」
話している間にだんだんと感情が昂ってきて、涙が滲んだ。だが、祥とは反対に義宣は冷めた目で祥を見つめていた。
「だから、これが嫉妬しているということなんだろう?」
「違うわ」
何も分かっていない義宣の言葉に対して否定の言葉を叫ぶと、浮かんでいた涙が零れ落ちた。一度零れてしまうと、涙はもう止まらなかった。祥の頬を伝い、握り締めた手の甲に落ちる。
「嫉妬ではありません。確かに、義宣さまのお子を身ごもられた御台さまが、羨ましいという気持ちがないとは言いません。御台様にできて、なぜわたしにはできないのだろう、とも思います。けれど、違うの。わたしが言っているのは、あなたがわたしに隠しごとをなさったこと。しかも、知ったらわたしが嫉妬するだろう、などという理由で。それが、悔しくて悲しいのだとわたしは言っているのです」
涙ながらに訴える祥に、義宣はため息をついた。今日だけで、いったい何度義宣はため息をついただろう。祥に一瞥を投げ、義宣は立ち上がった。
「義宣さま」
まだ話は終わっていない。引き留めようとして義宣を呼んだのだが、義宣は振り向くことはなく、ただ襖の前で一度立ち止まった。
「これだから、女は面倒なんだ」
小さく呟かれた言葉には、お前だけは違うと思っていたのに、という響きも含められているような気がした。その言葉は、祥にとって衝撃だった。義宣にとって、祥は一体何だったのだ。
「どうして」
振り向こうとしない義宣の背中に、どうして、と言葉を投げかける。それでも義宣は振り向かなかった。
「どうして、あなたは互いに理解しようと、歩み寄ろうとなさらないの」
祥は、義宣の性格には多少の難があると思いながらも、それも義宣という人間の一部なのだと思い、義宣を愛しいと思っていた。義宣も、祥にどのような面があっても、それも含めて祥を憎からず思ってくれているのだと思っていた。そうでなければ、自分の頬を叩いた女を、側室にするだろうか。だが、義宣は自分に都合が悪くなると逃げようとする。自分の思い通りにいかなければ、もうどうでもよくなってしまうのか。話をする価値すらないと義宣は思っているのか。
悔しい。悲しい。所詮、祥など義宣にとってその程度の存在なのだと思い知らされたようで、悔しくて悲しくてたまらなかった。
襖が開いて、閉じる音がした。急いで廊下に出てみたが、義宣はもう、いなかった




