表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
道程  作者: 実川
四 開く花編
58/74

開く花編(七)

 琳の懐妊を知ってから、義宣は常陸に追放していた憲忠を呼び戻すことにした。譜代家臣たちは、憲忠の帰参にあからさまに嫌な顔をしていたが、琳の懐妊による恩赦だと告げると、世継ぎの存在にすっかり舞い上がってしまい、憲忠のことなどどうでもよくなったようだった。伏見の佐竹屋敷に帰参した憲忠を見て、茂右衛門は喜んでいた。茂右衛門はここ最近気落ちしているようだったので、兄の帰参で元気づけることができたのなら良い。

「帰参のお許し、かたじけなく存じます。殿のため、ご恩に報いるため、それがし身を粉にして働きます」

「呼び戻すのが遅くなってしまい、悪かった。だが、追放したはずのお前が、常陸で妻を迎え、子をなしているのが悪い」

「は、はあ。その、何と申し上げればいいか」

 義宣が意地悪く言うと、憲忠は申し訳なさそうに俯いてしまった。政光と宣政は苦笑していたが、茂右衛門は兄のその様子が恥ずかしかったのか、そっぽを向いていた。

「まあ、いい。子の誕生はめでたいことだ。俺にも、ようやく子ができた。そういえば、内膳も妾が身ごもったと言っていたな?」

「はい」

「互いに、男が生まれるといいのだが。いや、女であってもいいんだ。半右衛門、常陸の父の様子はどうだ?」

「北城様は、それはもうお喜びで、それがしに上洛したら燈明寺(とうみょうじ)に寄進をするように命じられました。北城様は、燈明寺に随分と熱心に帰依なさっているご様子。此度のご懐妊も、そのご利益とお思いなのでしょうか?」

「燈明寺か。俺も話には聞いている。父は数年前から、上洛のたびに足を運んでいるらしい。噂では、俺と同じくらいの年の女と会っていて、それは父の女なのだとか、隠し子なのだとか言われているな。くだらん噂にすぎないが」

 憲忠の話によれば、父は京の燈明寺への寄進だけではなく、領内の神社や寺も再建を行っているらしい。孫ができ、何か思うところでもあったのだろう。無事の誕生を願ってのことなのかもしれない。義宣も子が無事に生まれることを願っている。もちろん、琳の体のことも心配だ。

 琳の懐妊によって、義宣は琳の父である多賀谷重経が以前から望んでいた、弟の彦太郎の多賀谷家入りを決めた。今回、憲忠が持参した父からの書状によると、父も異存はないらしい。三成に伺いを立てたところ、そちらも異存はないと許しが出た。まだ彦太郎は正式に多賀谷家の養嗣子になったわけではないが、琳の妹との婚儀を進めているところだ。

 重経は居城である下妻城周辺を自領とし、鬼怒川以西の地を長男の三経に与えるつもりのようだ。三経は佐竹家を頼りにする重経とは違い、結城氏への臣属を望んでいるらしく、彦太郎が養子に入ることで、多賀谷家は二つに分かれることになる。多賀谷家の嫡流は、あくまでも三経なのだそうだ。

 彦太郎と琳の妹との婚儀の話をすると、琳は父の希望が叶ったことを喜んでいた。少しでも心が軽くなったのなら、体にもいいだろう。琳の腹は、よく見ると膨らんでいるような気もする。

 だが、初めての子に喜んでばかりもいられなかった。醍醐の花見以来、床に就くことの多くなった秀吉だが、近頃では起き上がることも難しくなっているのだそうだ。体のあちこちの痛みを訴え、涙を流していると聞いている。誰も口には出さないが、秀吉に死が間近に迫っていることは明らかだった。

 自分の死後のために、秀吉は五人の大老と五人の奉行を新たに置いている。五大老の一人だった小早川隆景亡き後は、上杉景勝が大老となった。上杉家と佐竹家は、先代の謙信のころから誼を通じている。義重は謙信から刀を贈られており、その刀を大層大事にしていた。義宣に家督を譲る時に刀もともに譲られた。その刀は長いばかりで、使い勝手が悪かったため、義宣は刀を短く加工して脇差しにしていた。その方が使いやすかったのだ。そのことを知った時の父の落胆ぶりはすさまじいものだった。武士の魂に何をするのだ、と怒鳴られたものだ。

 そのような縁があって、代替わりをした現在も、義宣と景勝は良好な関係を築いていた。景勝が大老になった時は、祝いの言葉を述べに上杉屋敷まで出向いている。その時の景勝の話では、秀吉はもう一月もつかどうか、というほど病状が進んでいるようだった。

 その後、上洛している大名たちは伏見城に集められ、秀頼への忠誠を示すために血判誓紙を作成させられた。同時に、大名同士の私婚禁止、同盟禁止などの新たな政令も定められた。このような誓紙を何枚作ったところで、どれほどの効果があるものか、とは思うが、義宣も親指を切り血判を押した。秀頼へ変わらぬ忠義を誓うこと自体には、異存はない。諸将が血判を押していくところを、三成が監視していたのだが、三成は以前見た時よりもやつれていた。それに反するように、五大老の中の最有力者である徳川家康は、福々しさを増しているようだった。

 誓紙を提出し、屋敷へ戻ろうとすると、三成に呼び止められた。

「佐竹侍従殿、此度は奥方のご懐妊、おめでとうございます」

「ありがとうございます。こちらこそ、弟の多賀谷家への養嗣子の話、ご承諾かたじけない」

「いえ。この話をした時、ちょうど殿下はご加減がよろしかったのですよ。佐竹侍従の好きなように、との仰せでした」

「殿下のご加減は、それほどまでによろしいのですか?」

 この聞き方は、秀吉に対して無礼にあたるかもしれないが、話に聞いているよりも秀吉の具合がよさそうなので、義宣は驚いたのだ。

「稀には。しかし、ほとんどの場合は佐竹殿もお聞き及びのとおりにございます」

 三成はこめかみを押さえてため息をついた。ほとんど寝ていないのだろう。目の下には隈がくっきりと浮かんでいる。

「殿下は、しきりに内府に秀頼様のことをお頼みしておられるが、内府がどう思っていることやら。涙を浮かべて、殿下のお言葉に頷いてはいるのですが。佐竹殿は、内府と隣国でしたな。内府には、くれぐれもご用心なさいませ。あの狸、何をしでかすか先が読めぬ」

「ご忠告、痛み入ります」

 家康を警戒するようにと告げると、三成は忙しそうにその場を去って行った。おそらく、昵懇にしている大名たちに家康を警戒するように告げて回るつもりなのだろう。秀吉の死期が迫り、三成は秀吉に次ぐ実力者を警戒している。義宣は、家康のことはあまり好きではないが、三成のような警戒心を持ってはいなかった。義宣が家康を好いていないのは、ただ単に源氏を称して大きな顔をしているから、という個人的な感情によるものだった。だが、隣国が家康の治める大国であるということに関しては、義宣も警戒心を抱いている。家康が何か考え起こし、攻め入られたら到底太刀打ちできない。三成に言われた通り、義宣ももう少し家康を警戒した方がいいのだろう。

 屋敷に戻ると、祥の侍女の鏡田から、祥が義宣の渡りを待っている、と告げられた。ここ数日、祥は義宣の渡りを自ら願っている。琳の懐妊が分かってからも、以前と変わらず足を運び、以前と同じ態度で接しているのだが、どうしたのだろうか。祥にも、特に変わった様子は見られなかった。いつも通り、義宣を笑顔で迎えていたはずだ。

 母と小大納言には、祥たちにはまだ琳の懐妊を告げぬようにと口止めしてあるし、琳や昌が祥にわざわざ告げに行くはずがない。こちらも口止めをしてあるのだ。

 秀吉の死が迫り、心に余裕をなくしつつある状況で、祥に琳の懐妊を知られたくなかった。

 今まで、鏡田に祥の願いを告げられても、多忙を理由に断っていたが、そろそろ祥のもとへ行った方がいいかもしれない。今日は登城して身も心も疲れているが、祥の顔を見れば疲れも癒えるだろう。琳の懐妊は嬉しいが、それと祥を愛しく思うことは別だ。

 今夜は祥のもとへ行くと告げると、鏡田は頷いて、急いで奥へと戻って行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ