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道程  作者: 実川
四 開く花編
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開く花編(五)

 近頃、琳の体調がすぐれなかった。吐き気を訴え、何も食べたくないと言う日も珍しくはなかった。琳が人質として佐竹家に送られる以前から、琳に仕えている(まさ)は琳のことが心配でならなかったが、この体調の変化は、懐妊の兆しとしか思えなかった。

 琳に医師に診てもらうようにすすめると、琳は最初嫌がっていたが、昌の説得によって医師の診察を受けた。結果は、昌が思っていたとおりだった。琳は妊娠していた。義宣の子どもだ。男だろうが女だろうが、義宣にとって初めての子ということになる。

「御台様、おめでとうございます。早速、お屋形様と大御台様にお知らせしなくては」

「お昌、ありがとう。でも、私怖くもあるの。お屋形様のお子を私が身ごもったなんて」

「何を仰せですか。このお子は、御台様のお子でもあるのですよ。昌は御台様のお子がお生まれになるのが楽しみ。孫ができるような気持ちです」

「まあ、お昌ったら。随分若いおばあさま」

 昌は琳よりも一回り年上だが、さすがに琳の言うとおり、この年では若い祖母だろう。初めての妊娠に浮かない顔をしている琳を励まそうと言ったのだから、琳の顔に笑みが浮かんで昌は嬉しかった。

 琳が義宣の子を身ごもったことを怖がるのは、初めての妊娠ということもあるだろうが、この子が佐竹家当主にとって初めての子であることも原因だろう。先の御台には子ができなかった。琳は義宣の妻になって、今まで大御台に何度も子ができないのかと催促されてきたのだ。自分の子ができたことに対する喜びよりも、佐竹家の当主の子どもを身ごもったことへの重圧の方が、今の琳の心を占めているのだと思う。

 それに、義宣は新たに迎えた側室と祝言を行っている。そのことも琳の心を痛めさせ、浮かない表情の原因になっているに違いない。側室の姫は名門と言われた二階堂家の姫で、義宣の従妹でもある。それに比べて琳は、佐竹家に従う多賀谷家の姫で、もともとは人質として差し出されていたのだ。肩身が狭い思いをずっとしてきた。義宣は岩瀬の姫を側室に迎えてからも琳のもとへ足を運んではいるが、回数は岩瀬の姫よりも少ないように思える。

「では、昌は大御台様をお呼びして参ります。その後で、お屋形様にもお知らせしましょう」

「お願いね」

 昌が大御台の侍女の小大納言に琳の懐妊を伝えると、小大納言は昌の言葉が信じられなかったようで、間違いないかと聞き返してきた。信じられないのも無理はないだろう。先の御台を迎えて以来、十年以上義宣には子ができたことがないのだから。小大納言から話を聞いた大御台は、小躍りでもしそうなほどに喜んでいた。昌が懐妊したわけでもないというのに、昌の手を取って、よくやってくれた、と言った。そして、急いで琳の部屋へと向かった。その後ろを昌は小大納言とともに従った。

「御台、おめでとう。よくやってくれた。三年前に蘆名の盛重には嫡男が生まれたが、義宣にはまだだろうかと首を長くして待っていたのだよ」

「大御台様、ありがとうございます」

「これでお家も安泰でございますね、大御台様」

「そのとおりだ、小大納言」

 琳に子ができないかと催促していた時の態度が嘘のように、大御台も小大納言も相好を崩している。その喜びように、琳はますます戸惑っているようだった。

「この子が男でも女でも、私は嬉しい。名はなんとつけようか。男ならば徳寿丸で決まりだけれど、女ならばどのような名が良いだろうか?」

「大御台様、お気がはやすぎでございましょう。第一、お子のお名前を決められるのはお屋形様と御台様ですよ」

「ああ、小大納言の言うとおり。すまないな、御台。年寄りの戯言と思っておくれ。義宣の子が生まれるのが嬉しくて仕方がないのだ」

「いえ、大御台様にお喜びいただけて、私も嬉しいです」

「本当に良かった。先の御台には子ができなかった。義宣が手をつけた女たちも、誰も身ごもることはなかった。義宣には種がないのかと思っていたが、それは違ったようだ。あの女たちが石女(うまずめ)だったのだろう」

 大御台は嬉しそうに笑みを浮かべながら話をしているが、琳は口で言うほど嬉しそうではなかった。大御台の言葉が琳の胸に刺さっているのだろう。大御台は悪気があって言っているのではないと思うが、先の御台を石女と言うことはないだろう。琳も身ごもることがなければ、大御台にそう言われていたのだと告げているようなものだ。大御台は琳に対する配慮が足りない。何人もの女と関係を持ちながら、今まで一人も身ごもることがなかったのだから、義宣に何か問題があると考える方が道理だ。

 だが、琳は不義密通を働いてなどいないのだから、義宣の子ができた以上、今までの女に問題があると考えるのも仕方がないのかもしれない。義宣は大御台の息子だ。息子に問題があるとは思いたくないのだろう。

 ひとしきり喜んだ後、大御台は琳に体調に気をつけるよう助言を与え、去って行った。大御台と小大納言が去るのを見送って、昌が部屋に戻ると琳は小さくため息をついていた。

「御台様、お加減がすぐれないのですか?」

「違うの、そういうわけではないけれど。私がお屋形様のお子を身ごもったということが、どういうことなのか。それを思うと、何だか苦しくなってきて。大御台様のお話を聞いて初めて気づいたのよ。お屋形様が、私が不義密通を働いたから身ごもったのだとお思いになったらどうしよう」

「まさか。御台様が不義密通など。お屋形様がお思いになるはずありません。もし、そのようなことを言い出す者がいたら、昌がこらしめてやります」

「うん、ありがとう、お昌。そうよね、お屋形様は、きっとお喜びになるわよね」

 日が暮れた後、義宣に琳のもとへ足を運んでくれるよう話をしに行くと、今夜は岩瀬の姫のもとへ行く予定がなかったのか、義宣はすぐに琳のもとへやって来た。

「琳、俺に話したいことがあるそうではないか。昌から聞いたぞ。何か、奥で不都合でもあったか?」

「い、いえ。そのようなことは、ありません」

「では、何だ?」

「は、はい。あの」

 義宣は琳に対して、高圧的な態度で接しているわけではない。だが、人質時代に佐竹家の当主に逆らってはいけない、と思い続けていたことが今でも琳の心を支配しているようで、琳は義宣の前に出るとおどおどしてしまうのだ。義宣も、そのあたりを理解して、もっと琳に対して優しく接してくれればいいのに、と昌は常に思っている。

「私、お屋形様の子を、身ごもりました」

 絞り出すように琳が告げると、義宣は目をまるくしていた。義宣も琳の言葉が信じられなかったのだろう。

「琳、それは間違いないのか?」

「はい。お医師に診ていただきました。間違いないとのことです」

 義宣の反応がない。琳は恐る恐る義宣を見上げた。昌も義宣の表情を見ている。義宣は、何とも言い難い表情をしていた。琳の懐妊が信じられない、というような、懐妊を喜ぶような、驚きと喜びが入り混じったような表情だった。だが、琳の不義密通を疑っているようには見えなかった。

「琳」

「はい」

「何と言えばいいのか。俺にとっても初めてのことだ。体をいとえよ」

「あ、はい」

「めでたい。すぐに国許にも知らせよう。明日は祝いの宴でも開こうか」

「お屋形様、御台様はお体に気をつけなければならないのです。宴の席は、少々」

「そうか、そうだな。体をいとえと言ったのは俺だというのに。すまん。それにしても、俺の子か。言われても信じられないな」

 小さく笑みを浮かべ、義宣は琳の腹に手を当てた。その様子に、ようやく安心したのか琳も笑顔を見せた。琳の笑顔を見て、昌も安心した。どうやら、義宣は琳との間に子ができたことを、喜んでいるようだ。ただ、長年子ができなかったため、義宣も戸惑っているのだろう。もしかしたら、義宣は大御台とは違い、自分に種がないと思っていたのかもしれない。

「私も、信じられません。私の中に新たな命が宿っているなど」

「まったくだ。腹が大きくなってくれば、実感もわくのだろうか。そういえば、多賀谷の重経殿は弟の彦太郎を養嗣子に迎えたいと以前から父に打診していたな。俺の子ができた祝いに、弟を多賀谷家の養子に出してもいいかもしれない」

「まあ、まことですか」

 多賀谷家は琳の兄の三経(みつつね)が家督を継ぐはずだったが、重経は何を考えているのだろうか。佐竹家から養嗣子を迎えるということは、三経は廃嫡になるのだろうか。琳は父である重経の希望がかなえられることに喜んでいて、兄のことまで気が回っていないようだ。それも仕方がない。琳は人質に出される前から重経を恐れていた。

 夜更けまで琳を起こしていては、腹の子にさわるかもしれない、と義宣は弟の彦太郎の多賀谷家入りについて少し話をすると、琳の部屋を出て行った。昌は義宣を見送るために、義宣に従っていたが、琳の部屋からだいぶ離れると、義宣は立ち止まって振り返った。

「昌、琳の懐妊は母には知らせたのか?」

「はい。大御台様、小大納言殿にはすでにお知らせいたしました」

「そうか。岩瀬は知っているのだろうか?」

「いいえ。わたくしはお知らせしておりません。大御台様が姉上である岩瀬のかみ様にお知らせなさったかもしれませんが」

「母が伯母に、か。分かった。昌、岩瀬には琳の懐妊をまだ知らせずとも良い。しばらくは、内密にしておけ」

 義宣の言葉に、昌は衝撃を受けた。琳の懐妊を知った時の義宣の何とも言い難い表情は、岩瀬の姫へ何と説明するか思案している顔だったのだろうか。内密にしておくということは、どういうことなのだろうか。岩瀬の姫に知られては、何か問題があるというのか。

「はい、仰せのままに、お屋形様」

 義宣に真意を問い詰めたかったが、琳の侍女という立場の昌には、そのようなことは許されない。この場は、義宣の命に頷いて琳のもとへ戻った。だが、義宣への不信感は昌の心に深く刻み込まれた。もともと昌は、琳に優しい態度で接することのない義宣のことが、琳の夫とは言え好きではなかったのだ。

 部屋に戻ると、琳は大御台にも義宣にも懐妊を喜ばれたことで、ようやく少し安心したように見えた。その琳に、義宣が岩瀬の姫には懐妊を内密にするようにと言われたことなど、言えるはずがなかった。

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