開く花編(四)
金阿弥に茂右衛門と名乗るように言い、山方久定の娘を許嫁にするように命じてからも、義宣の態度は変わらなかった。変わったのは、金阿弥という名が茂右衛門になったことと、それに伴い茶坊主から祐筆に出世したこと、寝所に呼ばれなくなったことだけだ。
それ以外のことで、義宣の茂右衛門に対する態度は変わっていない。今までと同じように、側において重用してくれているし、先輩である宣政や政光と同じように様々な仕事を任せてくれる。そのことが茂右衛門は嬉しかったが、同時に恨めしかった。
いくら義宣の側にいても、茂右衛門は以前の金阿弥ではない。義宣には金阿弥だけで、金阿弥には義宣だけだったあの頃とは違うのだ。茂右衛門は今でも自分には義宣だけだが、義宣には岩瀬御台という人間が現れてしまった。義宣は、茂右衛門だけの義宣ではなくなった。
義宣は、何度も金阿弥だけだと言った。俺にはお前だけだ、と何度も言ったではないか。だから、何も変わらない関係がずっと続いて、金阿弥は義宣のもので、義宣は金阿弥のもので、義宣には金阿弥がいなければ駄目なのだと、ずっと思っていた。
だが、違ったのだ。義宣は変わっていく。岩瀬御台を愛したから、という身勝手な理由で茂右衛門を突き放し、置き去りにして、変わっていく。茂右衛門は何も変わらないのに、義宣は変わってしまう。義宣は、茂右衛門に岩瀬御台のことは何も言わなかったが、岩瀬御台を愛したから茂右衛門が不要になったのだということくらい、言われずとも分かっている。
精一杯の虚勢を張って、義宣が岩瀬御台を愛したことは良いことだと自分に言い聞かせた。事実、良いことだと思ってもいるのだ。これで義宣には世継ぎが生まれるかもしれない。良いことだ。そして、これはごく当たり前のことだ。茂右衛門もいずれは山方久定の娘と正式に夫婦となり、子をなし、義宣だけの金阿弥ではなくなる。久定の娘との結婚は父も喜んで承諾したため、茂右衛門と久定の娘は許嫁となった。
分かっている。いつまでも子どもじみたことを言って、駄々をこねても仕方がない。だが、違う。そのような問題ではない。これは全く違う問題だ。子どもがいずれは大人になるだとか、いつかは終わりが来るのだとか、そのようなことではないのだ。
宣政、政光と茂右衛門を集め、今後の世の流れがどうなるのか議論をしている義宣を見る。義宣は、茂右衛門を突き放したことなど忘れたかのようだった。まるで、金阿弥を可愛がっていたことまで忘れてしまったように見える。
「太閤殿下は、近頃お加減がすぐれぬらしい。寝たきりだという噂も耳にしている」
「しかし、醍醐で盛大な花見が行われた時は、まだお元気だったのでは?」
「ああ。俺も殿下のお姿を拝した。お元気そうに見えたのだが、あの花見以来床に臥すことが多いそうだ。治部殿は心配無用と言っているが、実際のところはどうなのだろうな」
義宣と政光の会話も、茂右衛門の耳には半分ほどしか入っていなかった。秀吉の体調の話をしているということは、秀吉亡き後のことについて義宣は話したいのだろうか、とぼんやりと思った。
「このようなことを申し上げるのは、恐れ多いことではありますが、仮に殿下がお隠れになったとしても、秀頼様がいらっしゃる限り、安心なのではありませんか?」
「右近殿、何をのんきなことをおっしゃるのですか。秀頼様は幼いのです。幼君を奉じるふりをして、自らが権力を握ろうとする輩がおらぬとは限りますまい。古の献帝と董卓など良い例です」
「内膳の言うとおりだ。治部殿が秀頼様の董卓になることはありえないが、董卓や曹操の座を狙う人間は少なからずいるだろうな。茂右衛門はどう思う?」
「あ、はい、そうですね」
政光の指摘に苦笑する宣政を見ていたのだが、義宣に声をかけられて茂右衛門は現実に引き戻された。今は、義宣との過去を回想し、感傷に浸る場ではない。何を考えていたのだろう。そもそも、義宣と茂右衛門の間には何の契りもなかったというのに。たとえ茂右衛門が、自分の義宣への思いは誠なのだと、その証として腕に刀を突き刺したとしても、この結果が変わっていたとは思えない。
「私も内膳殿のおっしゃるとおりだと思います」
「茂右衛門にまでそう言われると、私も立つ瀬がありませぬな」
「まったくだ。右近があの治部殿と同い年とは思えん」
「治部様と比べられては、かないませぬ。殿、どうかご勘弁を」
宣政の一言に義宣は笑っていた。政光もかすかに笑みを浮かべている。茂右衛門も、思わず笑ってしまった。宣政は照れ臭そうに頭をかいている。茂右衛門より二十一歳も年上でありながらも、少し抜けているところのある宣政が茂右衛門は好きだった。義宣も政光も茂右衛門と同じだろう。
「まあ、しかし、今日明日殿下がお隠れになるわけではなし。異変が起きれば、治部殿が知らせてくださるだろう。その際は、俺は治部殿に従うつもりでいる。治部殿には一方ならず世話になっているからな。一門衆や譜代の連中が、その時に何を言ってくるかは分からんが、俺の気持ちはこのようなものだ」
「私も殿のお考えに賛成です。治部様には、私もお世話になりました。頭の堅い連中には、殿や治部様のようなお考えは理解できぬかもしれませんが」
義宣と政光の言葉に、宣政と茂右衛門も頷いた。それを見ていた義宣は、何か思い出したのか、はっとして茂右衛門の方を向いた。それに、茂右衛門は思わずびくりと肩を震わせてしまった。
「茂右衛門、半右衛門のことなのだが、あの喧嘩沙汰から三年が経ったことだし、俺が岩瀬を側室に迎えた祝いに、半右衛門を呼び戻そうと思って常陸の又七郎に書状を出してみた。又七郎からの返書が届いたのだが、半右衛門の奴、常陸ですでに妻を迎え、今では女と男一人ずつ子までいるのだそうだ。まったく、出奔、追放という扱いにしているというのに、何をしているのだか」
「しかし、半右衛門に嫡男が生まれたのはめでたいことでしょう」
「そうだな。俺は、半右衛門にも譜代の娘を娶らせたかったのだが、北家の家臣の娘を妻に迎えるとは。俺の譜代と浪人の融合策はこれで一つ失敗だ」
兄の憲忠の結婚と嫡男の誕生は嬉しかったが、岩瀬御台を側室に迎えた祝い、という言葉が茂右衛門の胸に刺さった。義宣の心は、茂右衛門から遠く離れ、今はもう岩瀬御台のもとにあるのだと思い知らされた気がした。
「半右衛門は見つけ次第切腹、と一応約束しているのだから、妻子を連れての帰参は先送りにせねばなるまい。茂右衛門や梅津家の者には悪いが、半右衛門の帰参はもう数年待ってもらいたい」
「帰参が許されるだけでも、ありがたきことと存じます。半右衛門の命があるだけで、梅津の者どもは喜んでいるのですから」
「ならば良いのだが。ああ、それから、常陸の対馬から茂右衛門宛ての書状が届いている。後で目を通しておけ」
義宣から書状を渡され、茂右衛門は懐にしまいこんだ。その後は、秀吉亡き後の世の流れについての話は出ず、譜代と浪人出身の家臣の融合策や、常陸にいる憲忠の話などで盛り上がった。日が暮れ解散となり、茂右衛門は与えられた部屋に戻り久定からの書状を取り出した。
久定の書状の内容は、茂右衛門が祐筆に出世したことと新たな名乗りをもらったことの祝いと、久定の娘との婚約が成立したことを喜ぶものだった。久定は義宣の傅役だったため、浪人出身の茂右衛門と娘の婚約も、義宣の命だと思えば承諾したのだろうが、内心は喜んでいるはずがない。茂右衛門は義宣に重用され、可愛がられてもいたが、譜代家臣たちがそれをよく思っていなかったことは知っている。
久定の書状を読み終えると、もう一枚紙が入っていることに気づいた。開いてみると、かな文字で書かれた文だった。字のおぼつかなさから考えるに、久定の娘が書いたものだろう。十歳の少女が書いたものであるため、一部読みにくい箇所はあったが、文章の内容は少女らしい明るく初々しいものだった。
いきなり許嫁だと言われて困惑しているが、いずれ茂右衛門に会う時を楽しみにしている。茂右衛門のことをよく知らないので、できれば文を送ってほしい。その前に、まずは自分のことを知ってほしいと思ったので、父の書状と一緒に文を送ってもらった。
久定の娘からの文の内容は、大体そのようなものだった。ほかに、茂右衛門との婚約を告げられてから見た夢の内容が書かれていた。春はとうに終わったのだが、久定の娘が見た夢は春の晴れた景色だったそうだ。
文を読み終えると、最後に、はな、と名が書かれていた。久定の娘は、はなという名らしい。夢に見たという春の景色と、はなという名が重なって、茂右衛門の中で、はなは春の似合う少女のように思えた。
返書を出さなければなるまい、と思い茂右衛門はすぐに筆を執った。久定へ婚約の礼を述べる書状を書き、はなにもやさしいかな文字で文の返事を書いた。その文の最後に、はなの見た夢から連想した句を書いてみた。義宣は連歌が苦手なようで、滅多に連歌の興行はないが、茂右衛門は和歌や連歌が好きだった。
春にはるかさなる世々の久しさよ。
子ども相手に、わざわざ夢想の句まで書き添えて、何をしているのだろうとも思う。だが、これは義宣が茂右衛門に望んだことなのだ。茂右衛門を突き放し、自分は岩瀬御台を愛し、茂右衛門に妻を娶れと言った。茂右衛門の気持ちなど、まったく考えてくれなかった。
それが当然のことなのだとは分かっている。はなへの文を書きながら、義宣への思いを心の底に封じ込めようとした。もともと茂右衛門は義宣の家臣だった。そのことが変わったわけではない。今も昔も、茂右衛門は義宣の家臣で、それ以外の何者でもなかったのだ。ただ、茂右衛門が少し思い違いをしていただけのこと。
義宣と茂右衛門は何も変わっていない。昔から、今でも主と家臣というだけだったのだ。




