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道程  作者: 実川
四 開く花編
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開く花編(二)

 今までは夜が更けてから祥のもとへ通っていたが、あの夜以来、義宣は日中も時間の許す時は、祥のもとへと通った。特に何か用事があるわけではない。多少は自信のある茶の湯を振舞ってみたり、他愛ない話をしたりするだけだが、以前とは違う空気がそこには存在しているようだった。それが義宣は心地よかった。可愛がっている金阿弥と二人でいる時とは、何か違うものを感じる。

 祥のもとへ頻繁に通うようになり、義宣は祥の部屋が質素であることに気がついた。下河辺の館から呼び寄せただけであるため、必要最低限の荷物しか持って来てはいないのだろうが、常陸一国の領主の側室にしては、あまりにも質素だった。

「岩瀬、長持や唐櫃などは、下河辺の館では足りているのか?」

 祥は質素倹約を好んでいるのか、それとも下河辺の館への配慮が今まで足りなかったのか、どちらなのか判断がつかなかったため、直接祥に聞いてみると、祥は首を傾げた。阿南と、側に控えていた侍女の鏡田が顔を見合わせていた。

「わたしは特に不自由ないと思うのですが、お養母さまはいかがお思いですか?」

「そうですね、確かに不自由はしていません。もともと落城後、あちこちに世話になった私たちに持ち物は少ないのですから」

「しかし、そのお荷物が少ないということ自体が、わたくしは問題だと思いますよ。後室御前も姫様も最低限の衣服と調度品しかお持ちではないのです、お屋形様」

「鏡田、そのようなこと、お屋形さまに申し上げなくても良いではないの」

 どうやら、祥は不自由を感じていないらしいが、鏡田はもう少し衣服も調度品も整えてほしいと思っているようだ。それは当然だろう。いくら落城し、滅亡したといえども、祥は二階堂家の姫なのだから、それに見合っただけの整えはほしいはずだ。

「そうですね。せめて、貝合わせの貝桶はほしいと思っていたのですけれど、義宣殿の側室となったのですから、これももう必要はありません」

「貝桶ですか、伯母上?」

「ああ、気を悪くなさらないでください。私は、もともとこの子に婿を取らせて、二階堂家を再興させたいと思っていたのです。婚礼用に、下河辺でも貝桶くらいは用意しておきたいと、以前思っていただけのこと」

 貝桶は、嫁入りの際に重要な役割を果たすものだった。嫁の長持や唐櫃などとともに花嫁行列の前方を行き、婚家に到着してからは、貝桶を嫁の実家の方から婚家へ渡す、貝桶渡しの儀が取り行われる。貝桶は、貝合わせに使う貝が入った桶で、貝合わせの貝は二枚貝であるため、対になる貝がひとつしかない。そのことから、貞淑さの象徴とされている。

 祥の養母である阿南が、いつか祥が誰かと婚姻を結ぶ時のために、貝桶を用意しておきたかったというのは理解できる。その話を聞いて、祥を側室に迎えたものの、目に見える形で祥との関係を示したことはないのだと気づいた。

 側室を迎えたところで、正室を迎えるような嫁入り行列も、三日に渡る祝言も執り行うことはない。だが、祥は本来側室に迎えるような家柄の姫ではなかった。阿南の言ったとおり、婿を迎えて二階堂家を継ぐ立場にある姫だったのだ。しかも、母の姪であり、義宣にとっては従妹でもある。そのことを思うと、形だけでも祝言を挙げて、側室として迎えるべきである気がしてきた。

「分かりました。岩瀬にも伯母上にも、私の配慮が足りなかったようです。急ぎ、必要と思われるものを水戸城へ用意させましょう。今度帰国する時に、姫も伯母上も私とともに帰国し、下河辺の館ではなく水戸城内に住んでもらうことにします」

「まあ、義宣殿、私はそのようなつもりで言ったのでありませんよ。年寄りの戯言でしたのに」

「お屋形さま、わたしたちは今の生活で十分なのです。どうか、お気遣いなさらないでください」

 祥も阿南も慌てていたが、義宣は決めたのだ。祥には、二階堂家の姫として、義宣の側室として相応しい待遇を与えなければならない。衣服や調度品が足りないというのならば、新調させるまでのことだ。祝言も執り行う。もっとも、あくまでも祥は側室なのだから、正室を迎えた時のような盛大な祝言は行わない。貝桶渡しの儀と式三献を、奥の女たちだけで行えば良いだろう。それ以上のことをしては、正室としての琳の立場がなくなってしまう。

 祥のもとを去り、義宣は表の自室に戻った。そこでは、向宣政むかいのぶまさと政光、それに金阿弥が義宣に与えられた仕事をこなしていた。金阿弥は宣政や政光に比べるとまだ子どものように思えるが、二人に質問をしながら、よく働いている。さすが、神童と呼ばれただけのことはある。義宣に気づくと、三人は手を止め、頭を下げた。

「内膳」

「はい」

「街へ出て、貝桶と長持を用意させろ。それに、扇と白い装束も必要だな」

「貝桶に長持、白い装束。妹姫様のご婚儀がお決まりですか?」

「いや、違う。入れる紋は月丸扇ではない。三つ盛り亀甲花菱の紋だ」

 政光が妹のなすの嫁入り道具の支度だと思っても無理はない。なすは、幼いころに江戸家から連れ戻して以来、どこにも嫁がずに常陸に残っている。もう今年で十八歳になった。金阿弥と同い年だ。政光に言われて、なすの嫁ぎ先もいい加減決めなければならないと思い出した。

「三つ盛り亀甲花菱は須賀川二階堂家の紋、岩瀬御台様のためのものでしょうか?」

「ああ、そうだ。形だけだが、祝言を行うことにした。相手は二階堂家の姫だ。それに相応しい礼を尽くさねばな」

「お任せください」

 政光は義宣の命を受け、街へと出て行った。残った宣政は仕事に戻ったが、金阿弥は義宣を見上げていた。その表情は、何か義宣に訴えているようだった。

「どうした、金阿?」

「いいえ、何でもありません。失礼いたしました」

 義宣が声をかけると、金阿弥は目を逸らし、宣政と同じように仕事に戻った。その姿を見て、宣政や政光に比べればまだ子どもだと思っていたが、金阿弥ももう十八歳になったのだと改めて思った。ついこの間まで、小さく可愛らしい子どもだったと思うのだが、今となっては茶坊主にしておくのが気の毒なくらいに成長している。金阿弥と同じ年ごろの譜代の子弟は、とっくに元服を済ませて、新たな名を名乗っているのだ。妻を迎えている者もいる。

 義宣の気持ちとしては、いつまでも金阿弥をこのままそばに置いておきたかった。義宣の心の一番近くにいるのは金阿弥だ。だが、それは無理な話だった。金阿弥はこれから大人になっていく。義宣の我がままで、今までも大人になる機会を失わせてきたのだ。そろそろ、髪を伸ばさせる時期が来たのかもしれない。どこの家から妻を迎えさせるかも、決めておいても良いだろう。

 政光の妻は、義宣の元服の際に神馬を牽く役割を担った馬場政直の娘だ。宣政は、義宣に仕え始めた時には、既に妻を娶っていたため、譜代家臣の娘を妻にはしていない。現在、追放中の金阿弥の兄、憲忠もまだ妻を娶っていないが、政光と同様に譜代家臣の娘を娶らせるつもりだ。金阿弥の妻も重臣の娘にしたい。

 祥との祝言と同時に、金阿弥の将来のことも考えつつ、義宣は母に祥と祝言を挙げるつもりだと告げた。母は大層喜んでいた。琳のもとにも事情を説明しに行ったが、琳は浮かない顔のまま、小さく頷いただけだった。祥との祝言は、祥を正室に迎えるものではなく、二階堂家の姫に対する礼であり、琳の地位を脅かすものではないと言い聞かせたのだが、琳の表情は晴れなかった。国許にいる父には、後で報告の書状を出せば良い。

 祥と阿南に祝言のことを伝えると、祥は琳に悪いと遠慮していたが、鏡田は喜んでいた。阿南も口には出さなかったが、喜んでいるようだった。それは祥にも分かったらしく、阿南と鏡田の様子を見ると笑顔で頷いた。

 義宣が命じたすべての物を政光が整え終えると、吉日を選んで祝言の日取りを決めた。仲人は、祥の侍女の鏡田と、母の侍女の小大納言ということにした。母と阿南以外に、父の名代として伏見屋敷にいる弟の彦太郎を参加させ、一門を代表して義久も祝言に参加させた。奥の女たちだけで行うつもりだったが、家のことであるため、一門の誰かは参加させるべきだと考え直し、ともに上洛していた義久を参加させたのだ。

 祝言の日は、花嫁行列がやってくるわけではなかったが、松を組んで火を焚かせた。鏡田の手から小大納言の手へ、義宣が用意した二階堂家の家紋入りの貝桶が渡され、貝桶渡しの儀が行われた。その後、祥が着座している向かいに義宣が座った。白い打掛をまとった祥は、緊張しているのか、頬をかすかに染めていた。その様が初々しく、好ましかった。

 小大納言と侍女たちの手によって式三献が行われ、義宣と祥の祝言は無事に終わった。本来ならば、返礼、色直しとまだ二日間続くが、側室を迎える形だけの祝言だったため、一日で終えたのだ。

 祝言の後、義宣と祥は寝所に入った。二人で床につき、ようやく祝言はすべて終わった。こうして、祥は改めて、義宣の側室となったのだった。

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