表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
道程  作者: 実川
四 開く花編
52/68

開く花編(一)

 話したいことがある、と言って訪ねてきたのは義宣の方だったが、義宣は黙ったまま口を開かなかった。岩瀬の姫に、自分のことを話そうと思ったのだが、自分の胸の内の感情が、うまく言葉にならなかった。

 そもそも、本当に話すつもりがあったのかも疑わしい。自分のことは、あれだけ可愛がってそばに置いている金阿弥にさえ、話したことがないのだ。できることならば、何も話したくはない。

 だが、聞いてほしい。理解してほしい。何も話したくない、という気持ちと、誰かに話したくて聞いてほしくてたまらない気持ちが、義宣の中でせめぎ合う。その結果、義宣は話したいことがある、と言いながら、黙り込んでしまっているのだ。

 義宣が黙り込んでいる間、姫も黙って義宣と向かい合って座っていた。姫には、母に愛されたかった、と言いながら泣くという醜態をさらしてしまっているのだから、自分のことを話すのを恐れる必要はないのかもしれないが、今はまだ言葉にすることができなかった。

 母に愛されなかった、愛されたかった、ということは口にできても、八重が自害したことは言えそうにない。

「お屋形さま」

 姫に呼ばれて、視線を上げた。姫は、義宣がなかなか話しだそうとしないことに、しびれを切らしたのだろうか。だが、そのようには見えなかった。姫は義宣に微笑みを向けていた。

「わたしの話も、聞いてくださいますか?」

「ああ、聞かせてほしい」

 姫の申し出に義宣は頷いた。自分のことは話せそうにない。それならば、姫の話を聞き、姫のことを知りたいと思った。

「ありがとうございます。わたしの父は、蘆名盛隆。母は大御台様の姉であり、養母の妹に当たる伊達家の姫でした」

 姫は、自分の生い立ちをゆっくりと話し始めた。両親のこと、姉や妹や弟のこと、養女に出された時のこと。その時々に自分が何を考え、何を思い、これまでの時を過ごしてきたのか、義宣に伝えようとしているようだった。

「養母は、わたしを養女に迎えて、婿を取らせて、二階堂家を継がせるつもりでした。その時、二階堂には男子がいませんでしたから。わたしが養女に出される前に、父が家臣に殺されました。なぜ父が殺されなければならなかったのか、その時のわたしには分かりませんでした。ただ、恐ろしくて、悲しくてたまらなかった。後になって、父は痴情のもつれで家臣に殺されたのだという噂を聞きましたが、わたしは信じません」

 義宣も、蘆名盛隆が家臣に殺された理由は、痴情のもつれだと聞いている。以前、父が蘆名盛隆をひいきにしていた時は、父が盛隆に懸想したのではないか、などという根も葉もない噂も立ったものだった。盛隆はおそらく男色家であったために、そのような噂が立つのだろうと思っていたが、姫にとっては優しい父親だったに違いない。

「その後、須賀川に養女に出された時は、父の死後まもなくということもあり、わたしはとても悲しく辛かったのです。ですが、養母は厳しくも優しく、本当に母親のように接してくれましたから、悲しみも辛さも、消えていきました」

「そうか」

「けれど、その時も長くは続かず、伊達政宗によって蘆名家は滅亡、二階堂家も滅ぼされました。最初、わたしたちは政宗に保護をされたのですが、わたしはちっとも嬉しくはなかった。政宗は、わたしの実家と今の家を滅ぼした者。それが戦国の世の常といえども、今でも、わたしは政宗を憎いと思います。その後は、ご覧の通り、こうしてお屋形さまのもとでお世話になっております」

 姫が話したことのほとんどは、起こった出来事として義宣も知っていた。姫が今までどのような道を歩いてきたのか、人づてに聞いた話で理解していた気になっていたが、本人の口から話を聞き、その時の思いを聞き、初めてその時起こった本当のことを知ったような気がした。そして、話をするようになってから、まだ数月しか経っていない姫のことまで、理解できたような気がした。

 姫は、感情を交えながらも、淡々と自分の身に起こったことを話していた。だが、話の内容は淡々と他人に話せるようなものではない。姫は、自分の中で過去を消化し、現在を生きることのできる人間なのだろう。義宣は、まだ過去が自分の中でどうすることもできず、くすぶり続けているというのに。

 姫にとって辛かったはずのことも、すべて話してくれたのだから、義宣も話さなければならないだろう。義宣が口を開こうとすると、姫は小さく頭を振った。

「話したくないのであれば、無理にお話しになることはありません。わたしは、あなたにわたしのことを知ってほしかったから、お話ししたまでのこと。お屋形さまが、わたしにお話しになりたいことがあるのなら、ご自分がお話しても良いと思った時に、お話しくださいませ」

「すまない。俺の方から話したいことがあると言っておきながら」

「いいえ」

 姫の手が義宣の手に重ねられた。その手を義宣は握り締めた。姫の手はあたたかかった。義宣の冷たい手も、あたたまるようだった。

「そうだ、大事なことを言い忘れておりました」

「何だ?」

「わたしの名は、祥と申します、お屋形さま」

「さち?」

「瑞祥の祥と書きます」

「良い名だな」

「ありがとうございます」

 女の名は、その女の家族や側近く仕えている侍女など、ごく親しい限られた人間しか知らないものだ。義宣も、名を知っている女は少ない。母と妹、妻のほかには、以前名を聞いた侍女くらいしか知らない。八重に仕えていた吉野も朝霧も、八重がつけたものだろうから、顔を合わせて話をしていても、義宣は名を知っているわけではなかった。そもそも、昔は女の名を問うことは、求婚と同義だったはずだ。つまり、女が自らの名を明かすということは、男に対して心を許したということになるのではないだろうか。

 岩瀬の姫は、祥という名を義宣に告げた。祥は義宣の側室となり、義宣を夫として認めたのだ。

「祥、俺の名は、義宣だ」

「ええ」

「義宣と呼んでほしい」

「え? ですが、それは大層無礼にあたるのでは?」

「俺が、そうしてほしいんだ。もともと、元服の時、俺の名は義憲になり、ともに元服した北家の又七郎が義宣になるはずだった。だが、俺は又七郎の名の方が羨ましく思えて、交換してもらった。父や家臣たちは笑っていたな。義宣という名は、俺が自ら選んだものだ。だから、その名で呼んでほしい」

 祥が自らの名を義宣に預けたからか、義宣も祥に義宣という名で呼んでほしかった。金阿弥に、義宣と呼ばせていたのも、祥に話したのと同じ理由からだった。

 義宣の要望に祥は戸惑っているようだったが、義宣の手を握り返し、少し照れくさそうに笑った。

「では、二人きりの時だけ、そう呼ばせていただきますね、義宣さま」

 その夜、義宣はそのまま祥のもとで過ごした。その夜以来、義宣は以前よりも頻繁に祥の部屋を訪れるようになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ