那須の女と伊達の女編(十八)
朝霧は急いで医師を呼んで来た。医師の指示に従い、朝霧と二人で八重が赤子を産めるように準備をした。だが、ただ手を動かしているだけのような感覚で、頭は麻痺してしまったようだった。
那須家の改易、八重の出産。どれも目の前で起こっている現実だが、信じられなかった。どうすればいいのか、見当もつかない。朝霧は、吉野の隣でうろたえるばかりだ。
その朝霧の様子を見て、ここは吉野がしっかりしなければ、どうにもならないのだと思った。産みの苦しみに耐える八重の手を握り、吉野は八重を励まし続けた。
八重は何とか、赤子を産むことができた。女の赤子だった。無事に赤子が産まれたことに、吉野と朝霧は手を取り合って喜んだが、医師の表情は険しいままだった。医師の顔と赤子を見て、吉野も異変に気づいた。朝霧も気づいたようだったが、八重は疲弊していてまだ気づいていない。赤子は、産声を上げていないのだ。
朝霧の腕に赤子を預け、医師は吉野に耳打ちをした。赤子は、自分で息をすることができないようで、もう間もなく死んでしまうだろう、ということだった。朝霧に支えられながら、自分の腕に赤子を抱こうとする八重を見ると、何と言えばいいものか、言葉につまる。だが、八重も気づいたようだ。
「吉野、赤子が泣かないのは、どういうこと?」
「姫様」
「なぜ、泣かないの? なぜ」
八重の涙が、赤子の顔を濡らす。医師は赤子を見て、首を横に振った。八重の子は、すでに死んでいた。
それから、八重は臥せってしまった。義宣の子は産みたくないと言っていたが、那須の血を引く子だと思えば愛しいと言っていたし、何より自分の子を亡くすのは辛いのだろう。八重の妊娠は知られぬようにしてきたため、佐竹家の姫として葬儀を出すこともできない。涙を流す八重を、吉野は慰めていた。
だが、いつまでも悲しんではいられなかった。赤子のことも、八重の今後のことも、はやく手を打たなければならない。もうすぐ義重が京から帰国する。その前に、すべてを片づけなければならなかった。
義宣の書状によれば、義宣は那須家改易を理由に八重をすぐさま離縁するつもりはないらしかった。ひとまず、八重には城内の局から出ないようにさせ、謹慎させるとのことだった。望みは薄いが、秀吉の怒りが収まることを、義宣は期待しているのだろう。
「姫様、お辛いでしょうが、私の話をお聞きください。朝霧もしっかり聞いてくださいね」
「何、吉野?」
「お殿様からの命で姫様は、この局から出ることはできません。姫様、よろしいですね?」
「ええ、むしろ願ってもないことだわ。誰にも会いとうない」
「お殿様の命なのですから、必ず守ってくださいね。それが、今の姫様にとって最善なのです」
「分かっているわよ、吉野。そなた、様子がおかしいのではなくて?」
「そうですよ、吉野殿。どうかなさったのですか?」
今後どうすべきか、わずかの間に吉野は寝る間も惜しんで考えた。考えた末に出した答えを告げるべく、八重の手を取って、吉野は顔を上げた。
「私は、この城を出奔します。亡き姫君をお連れして」
「吉野、何を言っているの。そなた、正気か?」
「もちろんです。姫君を、佐良土の兄上様のもとへお連れしたいと思います」
もともとは、八重が産んだ子は京の大御台のもとへ連れて行くつもりだった。だが、那須家が改易となり、八重が蟄居謹慎となった今となっては、那須の姫である八重の産んだ子は、大御台にとっては邪魔な存在でしかないだろう。しかも、産まれた子はすでに死んでいる。連れてこられても、義宣も大御台も迷惑なだけだ。
だが、この城にいては葬儀すら出すことはできない。墓を建てて弔うこともできないだろう。ならば、八重の兄の資晴を頼って、佐良土へ行くしかない。そこで、密やかに葬儀を行ってもらい、小さな墓を建ててもらうつもりだ。吉野は尼となって、亡き姫君の菩提を弔って生きていく。
それに、このままでは八重の妊娠と出産を隠し続けることは不可能だ。
そのことを告げると、八重は首を振って吉野の手を握り返してきた。目には涙が浮かんでいる。
「吉野にまで去られてしまったら、わたくしはどうすれば良いの? 幼いころから、ずっと一緒だったというのに」
「だからこそ、私でなければならないのです。那須の方々に受け入れていただくには、朝霧ではいけません」
「吉野殿、しかし、その計画は危険なのではありませんか? 佐良土までの道中、何があるか分かりません。御台様のご実家は、改易なされたのですし」
「ならば、朝霧にはもっと良い考えがあるのですか?」
朝霧も八重も黙り込んでしまった。ほかに考えが浮かばないのだろう。このままでは、近々義重に八重が身ごもっていたことが知られてしまう。それを隠していたこともだ。八重が咎められないはずがない。ただでさえ危うい八重の立場を、さらに危うくしたくはなかった。
「しかし、そなたがいなくなってしまったら、あの男が気づかないはずがない。そなたには、表と奥を取り次いでもらっていたのだから」
「私のことは、原因不明の病で急死したことにしてください。そうすれば、姫様がご病気だったことを疑う者はいなくなることでしょう。あとのことは、朝霧がいれば大丈夫です」
「それしか、方法はないのか」
「はい、私はこれが最善と思います」
「分かったわ。吉野に、すべてを任せましょう」
涙をぬぐい、八重はまっすぐ吉野を見つめた。八重のこうした毅然とした眼差しは、久しぶりだった。吉野がいなくなった後、八重が佐竹家の中でどうなるのか心配だったが、もう吉野は出奔すると決めたのだ。それに、いくら吉野が心配したところで、義宣の決定に口をはさめるわけではないのだから、今自分にしかできないことをする。
「長い間、お世話になりました。お暇をちょうだいいたします」
「吉野、わたくしに尽くしてくれて、ありがとう。そなたは、わたくしの妹のようだった」
「もったいなきお言葉です。私の方こそ、姫様にお仕えできて、幸せでした」
「吉野殿、行ってしまわれるのですね」
「朝霧、姫様を頼みます。それでは、失礼いたします。どうか、お元気で」
手をついて深々と頭を下げ、吉野は八重の子を抱いて、八重の部屋を出た。八重との別れは辛かったが、不思議と涙は出なかった。
一旦、自分の部屋に戻り、必要最低限の荷造りをし、夜が更けるのを待った。夜が更け、城内が静まり返った頃、吉野は部屋を出て、城を抜け出そうとした。月が出ていなければ、吉野の姿を闇が隠したのだろうが、あいにく今夜は月が明るかった。だが、月の明るさを気にしていては、義重が帰国してしまう。
人目を避け、奥を抜け出すことはできた。次は、表を抜けなければならない。物音をたてないように、そっと足を進めた。だが、落ちていた小枝を誤って踏んだ時、ぱき、と枝の割れる音が響いた。
吉野の体は緊張で固まった。この音を聞きつけて、誰かここに駆けつけるだろうか。そんなに大きな音は鳴らなかったはずだが、不安になって視線を動かし周囲の様子を探った。人の気配は感じないような気がする。念のために振り向いた瞬間、吉野は叫びそうになった。だが、口を手で押さえられたため、声は出なかった。
吉野の背後には、義重が立っていた。信じられない。義重は、まだ帰国していないはずだ。
「大殿様」
「こんな夜更けに、何をしている。お前は、確か御台の侍女だったな」
「はい、吉野と申します」
「吉野、ここで何をしていた。しかも、お前が抱いているのは、赤子ではないか。どういうことか、ここに御台を呼んで説明させるか」
「それは、お止めください」
「なぜだ? 御台は、そなたの主であろう」
「御台様は、このことをご存知ないのです。正直に申し上げます。わたくしは、お城を出奔しようとしておりました。この赤子は、わたくしの子です。生まれてすぐに死にました」
この場で思いついた嘘を口にすると、義重は驚いたのか目を見開いた。だが、その表情はすぐに険しいものへと変わった。それにしても、なぜ義重がここにいるのだろうか。帰国の知らせは、まだ奥に届いていなかったというのに。予想外の出来事に、吉野は胸がざわめき、動悸がしたが、頭は妙にさめていた。
「ならば、その赤子は不義密通の子だと?」
「その通りです。御台様にお仕えする身でありながら、不義の子を産みました。ですから、わたくしは出奔しようと思ったのです」
「そなたは御台の一番近くにいたはずだ。御台は、そなたの不義に気づかなかったのか?」
「御台様は臥せっておられました。お殿様はご上洛の最中。その間、御台様とお殿様の目を盗み、不義を働きました。病で臥せっておいでの御台様は、わたくしの身の変化など、お気づきにはなれません」
「相手は誰だ?」
「申せません。どうか、お許しくださいませ」
「まさか、義宣ではなかろうな? 義宣は、一時期奥の女とも関係を持っていたようだが」
「それは違います。それだけは、違うと誓えます。わたくしが、御台様の夫であるお殿様と関係を持つはずがありません」
必死に言い募る吉野に、これ以上問いただしても口を割ることはないと思ったのか、義重はため息をついた。
「本来ならば、お前の相手も同罪だが、奥を取り仕切る御台は病で臥せり、当主である義宣は上洛中。隠居のわしが、あまり出しゃばってものう」
「御台様は、何もご存知ないのです。どうか、御台様にはご内密に。わたくしは、いかなる罰でも受けます」
「分かった。相手のことも見逃してやろう。本来、わしはまだ上洛中だ。わしの帰国を知っているのは、城内の表の者のみ。奥の者は知らぬはずだ。お前も、わしがまだ帰国しておらぬと思って、出奔に踏み切ったのだろうが、惜しかったな。わしは昨日帰国したばかりよ。だが、義宣にはこのことを報告せねばならん。それから、いくらわしが本来はここにいないはずだったとしても、お前まで見逃すことはできん」
「それは、承知しております。ただ、どうかこの子を弔ってくださいませ。お願いいたします」
「子に罪はない。儚く散った命、墓を建てるくらいのことはしてやろう」
「かたじけなく存じます」
何の目的があって義重が帰国を奥に隠していたのか、それは吉野には分からなかったが、義重は吉野が知らない間に帰国していたのだ。あと二日早く出奔に踏み切っていれば、吉野はうまく佐良土まで逃げおおせていたかもしれない。それも、今となってはどうしようもできないことだ。義重は墓を建てると約束してくれた。それだけで、十分ではないか。
おとなしく吉野は膝をつき、義重に首を差し出した。不義を働いた女が出奔しようとしていたのだ。しかも、その女は改易処分を受け、蟄居謹慎を命じられた那須の姫の侍女。討ち首となってもおかしくはない。
義重の抜いた刀を、冬の月が照らしだす。視界の端で、白刃が光った。八重と過ごした月日を思い、吉野は静かに涙を流した。




