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道程  作者: 実川
三 那須の女と伊達の女編
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那須の女と伊達の女編(十七)

 義宣を見送り、八重のもとへ向かう間、吉野は義宣の命を八重にどう伝えたらいいものか、思い悩んでいた。だが、それ以上に、義宣は納得して戻って行ったようだったが、本当に吉野の言葉を信じたのかどうかが気にかかる。

「姫様、吉野です」

「お入りなさい」

「失礼いたします」

 吉野が部屋に入ると、八重は脇息にもたれかかって座っていた。八重の腹は、大きく膨らんでいる。八重は、義宣の子を身ごもっていた。

 義宣には、八重は原因不明の病で臥せっていると伝えたが、それは吉野が考えた嘘だ。医師にも金を握らせて、口を割らないようにきつく口止めしているため、医師から義宣に情報が漏れることもないだろう。

「吉野、あの男は何と言っていたの?」

「それが、姫様にも上洛をしてもらわねば困る、とのことでして」

「もちろん、承知しなかったでしょうね?」

「もちろんです。前々から決めていた通りに申し上げました。お殿様は、納得して下さったようです。ただ、この次の上洛の際は、必ずご同行なさるように、と」

 八重の妊娠が分かったのは、義宣が小田原へ向けて兵を発した後だった。もともと八重の月のものは安定している方ではなかったが、こない月が続き、体調不良とひどい吐き気を訴えるようになった。吉野も朝霧も八重より年若く、妊娠の経験はなかったが、間違いなく話に聞いていた妊娠の症状だと分かった。

 医師に口止めをし、八重の診察をしてもらった。医師の見立ては、吉野の思ったとおりだった。八重は義宣の子を身ごもった。おそらく、八重が泣きながら子流しの薬を持ってくるように言った夜に、できた子なのだろう。

 八重に医師の見立てを告げると、八重の顔から血の気が引き、その事実を否定するようにゆるゆると首を振った。産みたくない、と繰り返し呟く八重を、吉野はただ抱きしめることしかできなかった。

 どうすればいいのか、まったく分からなかった。大御台に告げることが一番良いのだろう、とは思ったが、それは八重の望むところではないことは分かっている。医師以外には、ともに八重の側近く仕える朝霧にだけ、八重の妊娠のことを打ち明けた。朝霧もただ驚くばかりで、どうすべきか良い考えは浮かばないようだった。八重は体調がすぐれず、妊娠の衝撃からも立ち直れず、寝込んでしまっていた。

 八重は義宣のことを心底嫌っている。名門の当主であることを振りかざし、那須家のことも八重のことも義宣は侮辱している、と八重は思っているようだ。妻を手篭にするような男の子ども、しかも手篭にされた時にできた子どもを八重は産みたくないのだ。

 八重の気持ちは吉野にも理解できる。吉野も八重と同じことをされたのならば、産みたくないと思うだろう。だが、八重は佐竹家の当主である義宣の妻だ。八重が産む子は、男でも女でも佐竹家の嫡子となる。

 八重の気持ちを思うと、子を流した方が良いのだろうか、と思うが、八重の立場を思うと、軽はずみなことはできないとも思う。それに、せっかく授かった命を、こちらの都合で流してしまうのは忍びない。

 八重が寝込んでいる間に、吉野は策を考えた。最善は、すべて大御台と義重に告げることだろうが、それを避けて一番良い道はないものか。考えた結果、吉野は八重に子を産むように説得した。八重には、生まれた子どもは吉野が必ず那須家に送り届けると約束し、八重の兄の資晴の子として育ててもらうのだと説明した。八重は、吉野の説得に何とか頷いてくれた。那須の子になるのならば、産んでもいいと思ってくれたようだ。

 妊娠のことは吉野と朝霧、そして八重の診察をした医師のみで留め、ほかの人間には伝えない。八重を含めた四人だけの秘密とし、八重は原因不明の病で臥せっていることにすると決めた。そうしているうちに、大御台と義重は秀吉の命令で上洛し、太田城からいなくなった。それは、八重にとっては非常に好都合だった。

 だが、吉野は本当に那須家に子どもを送り届けるつもりなどなかった。八重を騙すことになってしまうが、産まれた子どもは大御台に預けるつもりだ。その時に大御台にすべてを話し、義宣にも告げてもらうつもりでいる。当然、大御台も義宣も、子の存在を隠した八重を責めるだろう。その責めは吉野がすべて負う。命を差し出せと言われたら、吉野はそれに従う。このことは朝霧にも教えていない。朝霧に教えたのは、八重の子を那須に連れて行くつもりだというところまでだ。

 この吉野の考えが最善なのかどうかは分からない。だが、佐竹家の嫡子を産んでほしい、と言えば八重が頷かないことは分かっている。ならば、八重も佐竹家の人間も騙して、子を産んでもらうしかない。女の浅知恵に過ぎないかもしれないが、これが吉野の考え得る八重の気持ちと八重の立場を守る策だった。

 子が生まれるまでの間、誰にも八重の妊娠を知られてはならない。だから、上洛前に八重のもとを訪れようとした義宣が、吉野のことを疑っていないかどうかが気がかりだった。

「上洛。わたくしに大御台と同じように人質になれと言うのね、あの男は。どこまで、このわたくしを侮辱すれば気が済むのか」

「御台様、お怒りになっては、お腹のお子に障りましょう」

「そう、そうね、朝霧。あの男は憎いけれど、この子には罪はない。那須の血が流れる子なのだから、慈しまなければ」

 そう言って、膨らんだ腹を撫でる八重は、母親の顔をしていた。それを見ていると、何としても八重も腹の子も守らなければならない、と思う。

 その後、義宣は吉野の言葉を信じたらしく、東義久を伴って上洛した。八重の腹は順調に大きくなり、胸も張ってきている。間もなく、八重の子が生まれる。吉野の考えを知らない朝霧は、純粋に子の誕生を待ち望んでいる。吉野も、いろいろな思いはあるが、八重の子が生まれることは嬉しかったし、楽しみだった。

 だが、義宣と入れ替わりに義重が間もなく帰国するという知らせが入り、吉野たちの間には緊張が走った。この状態の八重を見られたら、誤魔化しようがない。もしかしたら、義重が帰国中に子が生まれるかもしれない。そうなれば、赤子の声ですべてが知られてしまうだろう。

 すっかり失念していたが、子が生まれれば泣き声がするのだ。出産の時もそうだろう。出産の際に城内の人間にはすべてが知られてしまうかもしれない。これは、吉野の策の大きな穴だ。

 どうしたものか、と思っていたところに、京の義宣から吉野に宛てた書状が届いた。吉野宛てということは、八重に宛てて書かれたものだ。書状の内容を確かめるべく目を通したが、読み進めるうちに吉野の指は震え、書状を落としてしまった。

 八重に何と言えばいいのだろうか。那須の兄が改易されたなど、到底言えるはずがない。しかも、城内に蟄居とは。それに、那須にいる吉野の父と母はどうなるのだろう。

「吉野、どうしたの?」

「あ、姫様」

「そなた宛てにあの男からの書状?」

 吉野に用事があったのか、吉野のもとに現れた八重は、足許に落ちている書状に目を留めてしまった。八重の手が書状に伸びる。その書状を八重に見られるわけにはいかなかった。

「姫様、どうか、ご覧にならないでください」

「どうしたの、そんなに慌てて。まさか、そなたわたくしに見られては困るようなやりとりを、あの男としているというの?」

「いいえ、違います。違います、姫様。ですが、それをご覧になってはなりません」

 吉野がいくら止めても、八重は書状を手に取り、目をそちらに向けてしまった。八重の顔がどんどん青白くなる。このままでは倒れてしまいそうだった。八重が倒れる前に、吉野はしっかりと八重の体を支えた。

「兄上が、改易。佐良土に蟄居。まさか、兄上が、こんなこと」

「姫様、お気を確かに。姫さま」

 八重は資晴の改易に呆然としていたが、急に眉をしかめて座り込んだ。座り込み、腹を抱えて苦しげな声を漏らしている。

 実家の改易という衝撃のせいで、腹の子に影響が出てしまったのか。吉野には、苦しむ八重を前にどうすることもできない。医師を呼びに行こうにも、八重を置いて行くわけにはいかない。誰か来てはくれないかと思ったが、八重は原因不明の病ということにしていて、この局には誰も立ち入らないようにしているのだから、誰かが来るはずがない。

「御台様、吉野殿」

 小さな悲鳴とともに、朝霧の声が聞こえた。八重と吉野の姿が見えなかったため、探しに来てくれたのだろう。助かった。

「朝霧、早くお医師を呼んできてください」

「は、はい」

 朝霧が駆けていく足音を聞きながら、吉野は必死に八重を励まし続けた。だが、八重の苦しみは一向に和らがないようで、八重は腹を押さえながら苦悶の表情を浮かべるばかりだった。

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