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道程  作者: 実川
三 那須の女と伊達の女編
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那須の女と伊達の女編(十五)

 三成、大谷吉継、増田長盛らとともに、佐竹と宇都宮の兵は館林城攻めを行った。秀吉の軍勢をもってすれば館林城など簡単に落とすことができ、改めて秀吉への臣従を誓ってよかったと安堵した。

 その分、今回の小田原攻めに参加していない那須家や、江戸家、大掾家が気にかかる。長く佐竹を苦しめていた政宗も、ようやく世の流れを認めたのか、秀吉のもとへ参陣したと三成から聞いた。政宗が遅参だと咎められたのだから、今後那須や江戸が参陣したところで、処罰は免れないだろう。江戸も大掾も佐竹の支配下にあるというのに、義宣や義重の言うことを聞こうとしない。特に江戸は義宣の妹のなすを嫁がせているというのに。

 江戸も大掾も義宣に従って小田原へ参陣しないと分かった時、秀吉に自分の領地を申告する際の書状に、それらの家の領地も佐竹家の領地として書いて申告した。義重に既成事実を作ってしまえばいい、と言われたのだ。秀吉に、義宣が常陸一国の主であると認められれば、義宣に従わない連中を始末する口実ができる。

 その書状を差し出した時、受け取った三成は何も言わなかった。中央にいる三成たちは田舎の常陸の現状など、詳しくは知らないのだろう。そのまま秀吉が認めてくれることを祈るばかりだ。

 館林城を落とした後、勢いに乗じて三成らは忍城攻めに取り掛かった。佐竹も宇都宮も三成や吉継らの兵の後方に陣を構え、指示を待っているだけだ。どうやら三成には、秀吉からの命令があるらしく、忙しそうに陣の間を駆け回っていたが、佐竹の兵は特にやることがなく、士気が下がりかけていた。

 これが上方の戦というものだろうか、と思っていると、三成に軍議を開くから来るように、と呼ばれた。陣を義久に預け、軍議へ参加すると、三成はおし城の絵図を広げて待っていた。

「此度の忍城攻略は、水攻めを行いたいと思います」

「水攻めですか?」

「はい。殿下が高松城攻めで水攻めを行ったこと、佐竹殿も宇都宮殿もご存知でしょう?」

「ええ、関東にもその噂は聞こえています」

 国綱が答えると、三成は絵図を指した。

「これから城を囲む土提を皆さまには築いていただきます」

「しかし、忍城の周りは湿地に沼。水害でも水を被らない城だと聞いておりますが」

「その難攻不落の城を、あえて水攻めにすることによって、殿下のご威勢を関東だけではなく広く天下に示せるというものなのです。土堤の計画は、ここ数日のうちに立てました。この計画通りに動いてください」

 三成は事細かに、どこの兵がどこの堤をどこまで築く、ということを説明していった。三成の計画は驚くほど詳細で、ここまで細かく計画を立てるのならば、陣の間を駆け回らなくてはならないだろう、と思った。これが上方の戦というものか。

 陣に戻り、三成の指示通りに義宣が命令すると、命令を聞いた家臣たちは眉をしかめた。戦に来て、ひたすら堤を築くだけなのか、と言いたいようだ。それは義宣にも分かるが、これが指示なのだから従わざるを得ない。

 三成の指示に従い、佐竹の持ち場で堤普請の監督をしていると、三成がやって来た。

「佐竹殿」

「石田殿、いかがなさいました?」

「せっかく坂東太郎の戦を拝見できるかと思っていたのですが、佐竹殿や宇都宮殿にこのような普請ばかりさせてしまって、申し訳ないと思いまして」

「いえ、私たち田舎者は上方の戦を拝見できて参考になっております。伊達と戦っている時は、このような戦はありませんでしたからね」

「そう言っていただけると助かります。殿下に従うということは、これまでの佐竹殿のやり方を貫くことができないということでもあります。今後もこのようなことは多くありましょうが、ご承知ください」

「心得ました」

 義宣が頷くと、三成は忙しそうに去って行った。実際、忙しいのだろう。おそらく三成はすべての持ち場を見て回っているのだ。感心する。

 連日普請を行っていたが、ちょうど梅雨の時期のせいで、土堤はなかなか完成しなかった。ようやく完成したころには、三成はすっかり痩せてしまったようだった。だが、雨は降りやまず、せっかく完成した土堤もところどころ崩れ落ちる箇所が出てきた。見つけるたびに修復しているのだが、雨の勢いに修復が追いつかない。雨はその後も降り止むどころか勢いを増し、大雨が降るようになってしまった。大雨のせいで土堤は決壊し、濁流が味方の陣に押し寄せた。被害は甚大で、佐竹家でも死者が出た。

 その後の軍議で、三成はすべての責任は自分にあるのだと皆の前で深々と頭を下げた。軍議が終わった後は、立ち去る諸将をひとりひとりつかまえて、自分の失敗を詫びていた。

「佐竹殿にも多大なご迷惑をおかけいたしました。申し訳ありません」

「いいえ、石田殿の責任ではないでしょう。雨さえ降らなければ、水攻めは成功していたはずだ。私には石田殿のような土堤の計画すら立てられません」

「佐竹殿、そういうわけにはいかぬのです」

「どういうことですか?」

「殿下は私の才を評価してくださっています。ならば、私はいかなる条件においても、水攻めを成功させなければなりません。過程が評価されるのではありません、結果のみが評価されるのです」

「水攻めは殿下のご命令だったのですか?」

「いいえ、私の考えです。余計なことは考えないでいただきたい」

 三成の言葉から、もしかしたら忍城の水攻めは秀吉の発想で、三成はただそれに従っただけなのかもしれない、と思ったが、そういうわけではなかったのか。三成は、義宣の言葉を冷たく否定した。

「とにかく、能力と結果が評価されます。それが殿下のやり方です。だから、私のようなものでも出世することができたのですよ。佐竹殿も頭の片隅に留めておいた方がよろしいでしょう」

「能力と結果がすべて、ですか」

 義宣には信じられなかった。佐竹家でももちろん能力のある者は評価しているが、それは一門衆か譜代家臣であることが前提だ。身分の低いものや、新参の浪人者を評価しようとしても、老臣たちはそれに反発する。義宣はそれが嫌で、試しに浪人者を側に置いてみたのだが、老臣たちは、それでは家中に人がいないようだ、と言っていた。

 だが、三成の言うとおり能力と結果だけで評価をするというのならば、義宣が側に置いている浪人者たちも、結果さえ残せば重臣に抜擢できるのだ。三成の言葉は、義宣に新たな考えをもたらした。

 忍城はその後、力攻めをしても落ちることはなく、かえって味方にまたしても死者を出してしまった。睨み合いは続いたが、こちらには決め手がなく、忍城も救援を得られず動くことはできなかった。

 月が明けて七月に入り、小田原城が落ちたという知らせが忍城攻めの陣に届いた。忍城は小田原城開城後、ようやく三成らに引き渡された。

 秀吉の待つ本陣に戻った三成を待っていたのは、城一つ満足に落とせない戦下手、計算しかできない頭でっかち、という諸将の冷たい評価だった。だが、義宣は三成の戦と人柄を間近で見ていて、その評価は間違いである、と思っていた。

 三成は、真面目で優秀な人物だ。ただ、おそらく真面目すぎるだけなのだ。

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