那須の女と伊達の女編(十二)
那須の資晴から届いた文を、八重は嬉しそうに何度も眺めていた。一体何が書いてあるのだろうか、と覗こうとすると、さっと隠されてしまい、吉野は八重と顔を見合わせて笑った。
「姫様は、本当に那須の兄上様がお好きですね」
「ええ、もちろんよ。甥の藤王丸が順調に大きくなっているようで、わたくしも嬉しい」
「まあ、藤王丸様が。それでは、姫様の頬も緩むというものですね」
「それだけではないのよ、吉野」
八重が見たこともない甥の成長を楽しみにしていることを、吉野はよく知っていた。資晴からの文には、いつも藤王丸のことが書かれているはずだが、今回の文はそれだけではなかったらしい。
「兄上は、伊達や北条と通じて佐竹を討つおつもりなのですって」
「えっ、姫様、それは」
それが八重の嬉しいことなのだろうか。吉野にはよく分からない。首を傾げると、八重が口許に笑みを浮かべた。
「北条は伊達と結んで佐竹を討ちたがっている。伊達が佐竹を滅ぼしたいのは、今までの戦を見ていれば分かるわね? 兄上は、そのことを知って伊達に頻繁に書状を送っているそうよ」
「そして、三方から佐竹家を討つと?」
「ええ。その時には、必ずわたくしを那須に連れ帰ってくださると、この文には書いてあるわ」
「姫様は、そのことが嬉しかったのですね」
「当然じゃない。この家を出て、兄上のもとへ帰ることができるのだから」
八重は、佐竹家に嫁いできた時から、今でも佐竹家を嫌っている。そして、那須の実家が何よりも大事で、兄の資晴とって、佐竹が滅んで那須に帰ることができるというのは、嬉しいことなのかもしれない。だが、そう上手くいくものだろうか。
「しかし、姫様。最近、天下は関白のものになったそうではありませんか」
「それは上方の話でしょう? あの北条と伊達と、兄上が組めば佐竹など取るに足らない。次郎殿は、この間も伊達に負けたばかり。戦に負けて弟が実家に帰ってくる始末なのだから、笑ってしまうわ」
「私も詳しくは知らないのですけど、大御台様のお話によれば、佐竹家はその関白と誼を通じていて、いずれは関白の命で上洛もするのだとか。いずれは北条も関白に屈するのだと伺いました」
「そなた、あの女の言うことを信じるの? そもそも、わたくしの知らない間にあの女のところへ行っていたとは」
本当は大御台のところへ行ったわけではなく、大御台の侍女の小大納言に、ねちねちと愚痴を聞かされただけなのだが、これ以上大御台の話題には触れないでおいたほうが良いだろう。
「まあ、いいわ。関白がどれほどのものかは知らないけれど、近いうちにわたくしは、きっと那須に帰れるのだもの」
八重が嬉しそうにしていると、吉野も嬉しい。だが、八重の那須大事の気持ちは、少々行きすぎではないか、とも思う。佐竹家に嫁いできて、もうすぐ五年になるのだから、もう少し佐竹家に馴染んでも良いのではないだろうか。その方が、八重の立場もずっと良くなるはずだ。義宣の子を産んでいない八重の立場は、佐竹家の中では非常に危うい。
どうしたものだろうか、と吉野が内心首を捻っていると、御台様、と八重を呼ぶ声がした。八重が入るように促すと、部屋に入ってきたのは、朝霧だった。朝霧は、ここ一年ほどで八重に気に入られた侍女だ。吉野とともに、八重の側近くで仕えている。
「御台様、今夜お屋形様のお渡りがあるそうです」
「断りなさい」
「しかし、姫様、先日もお断りなさったではありませんか。今夜は、お迎えなさってはいかがですか?」
「嫌」
断言する八重に、吉野と朝霧は顔を見合わせた。ここ数カ月、八重は一度も義宣に会ってすらいない。
八重の義宣嫌いには困る。一時期、義宣は家臣の娘や侍女、女中など誰彼かまわず手をつけていた。そのことを八重は憎んでいるようだった。汚らわしい、とまで言っている。それが悋気などではなく、八重の本音なのだから困るのだ。もともと義宣に関心がなかった八重が、無関心から嫌悪の感情を抱いてしまった。ほかの女たちに手を出している間は、八重のもとに義宣が来ることはなかったのだが、最近また義宣が八重のもとへ来るようになった。だが、八重は義宣を徹底的に拒もうとしている。
以前は、義宣のことを嫌っていても、褥は共にしていたというのに、いまは最後に共寝をしたのがいつなのかも分からないくらいだ。
「御台様、お屋形様のお渡りをお迎えください。大御台様に叱られてしまいます」
「あの女がどう思うと関係ないわ」
つん、と顔を背ける八重に、朝霧は困り果ててしまっている。これから、朝霧は義宣に断りを入れに行かなければならない。それが憂鬱なのは吉野も分かる。今まで断りに行っているのは吉野だ。朝霧は、今回初めて断りに行く。朝霧が目で吉野に助けを求めているのが分かる。仕方なく、吉野は朝霧とともに義宣のところへ行くことにした。
「吉野殿、申し訳ありません。わたし、ひとりでお屋形様のところへ行くのが怖くて」
「いいんですよ、朝霧。私だって最初は怖かったものです。今は、慣れちゃいましたけど」
「それにしても、どうして御台様はあんなにもお屋形様や大御台様がお嫌いなのでしょう?」
「姫様は、確かに大御台様のことはお嫌いですけど、お殿様に関しては、お嫌いと言うか、何と言うか」
八重が義宣のことをどう思っているのか、真実は吉野にももちろん分からないが、朝霧の言うとおり嫌っていることは確かだ。だが、なぜ嫌いなのか。気づいた時には、八重は義宣も大御台も佐竹家も何もかもが嫌いだった。那須に帰りたい、と泣いていたこともあった。
「うまく言えないのですが、姫様は、初めからお殿様のことも、大御台様のことも、佐竹家のことも好きになるつもりがなかったように思えます。しいて言えば、初めからこのお家のすべてを拒んでいらっしゃったのでしょう。姫様は、実家の那須家が何よりも大事なので」
「それでは、お屋形様もお気の毒ですね。お屋形様が何をお考えなのかも分かりませんが、お屋形様は少なくとも御台様を拒んでいらっしゃるわけではないようですから。ただ、一時期の、あの、奥の女たちとのことは、どうかと思いますけど」
「そうなのです。今も、お殿様はいくら断りを入れても必ず姫様にお会いになろうとなさいます。昔から、お殿様は姫様を嫌ってはいない、むしろ好いていらっしゃるように私は思うのですよ」
「吉野殿がおっしゃるならば、そうなのかもしれませんけど、わたしにはよく分かりませんわ」
「それが問題なんですよね。朝霧と同じように、姫様自身がそうお思いではないのだから」
ため息をつきつつ苦笑すると、義宣が待つ部屋の近くまでたどり着いてしまった。吉野は朝霧とふたり、さらに深いため息をついてから、義宣に声をかけた。




