那須の女と伊達の女編(五)
義宣が家督を継ぎ、佐竹家の当主となってから初めての年が明けた。
家督を継いでから、この一年の間に義宣がしたことと言えば、義重が決めたことを承諾することくらいだった。あとは、義宣が当主として家臣に書を授ける程度で、家督を継ぐ前と特に変わりのない一年だった。
義宣が承諾した義重の決めたこととは、弟の義広を蘆名家の後継ぎにすることだ。義広は五歳の時に白川家の養嗣子として太田城を出て行った。母が大層悲しんでいたことを覚えている。
蘆名家は、当主である蘆名盛隆が家臣に殺されるという事件の後、生まれて一月しか経っていなかった嫡男である亀王丸が後を継いで当主となっていた。その亀王丸が病で急死したのが去年の十一月のことだ。わずか三歳という幼さだった。
亀王丸の死後、蘆名家の当主の座を巡り、伊達家と佐竹家の間で争いになった。伊達政宗は自分の弟の小次郎を当主にしようとしていた。義重は、白川家の養嗣子になっていた義広を推した。蘆名家の重臣は義広をぜひ当主に迎えたい、と言ってきたが、政宗も引かなかった。義広は若輩であるため、弟の小次郎のほうがふさわしい、と言うのだ。
義重と政宗の争いはなかなか決着がつかなかった。だが、蘆名家の重臣が、須賀川城から亡き蘆名盛隆の母親を呼び寄せたことから流れが変わった。須賀川の女城主となっている盛隆の母は、伊達家の出身だった。母の姉で、阿南の方と呼ばれている。義宣や義広にとっては伯母にあたる人物だ。
阿南は、反蘆名と思われる行動を取り続けている政宗は信用できない、義広を当主に迎えるべきだ、と主張した。
その主張を蘆名家の重臣たちが支持し、最終的に義広が盛隆の娘を妻にめとり、蘆名家の当主となることに決まった。
佐竹家の代表として、この当主争いに参加し、物事を決定してきたのは義重だ。当主である義宣ではない。
ほかにも、義重は妹のなすを江戸重通の嫡男に嫁がせることを決めた。この縁談は義宣が家督を継ぐ以前から江戸家と話があったことだが、家督を継いだ後も最後に決定を下したのは義重だった。
江戸家は佐竹家の支配下にあるといって間違いないのだが、たびたび佐竹家を攻めようとする姿勢を見せてきた。江戸家の居城である水戸城は、佐竹家の居城の太田城の目と鼻の先にある。危うい江戸家をそのままにしておくよりも、なすを嫁がせて支配を盤石にするべき、と義重は考えたのだ。
昨年の時点では、年が明けたら吉日を選んで嫁がせる、という約束を取り付けた。それを承諾したのは義宣だ。なすは、年が明けた現在、ようやく七歳になったというのに、嫁がせてしまうのは哀れだとも思ったが、義重の決定を拒むだけの力が、義宣にはなかった。
一体、佐竹家の当主は誰なのだ、と言いたくなる。
家臣たちも、父が当主のように重要なことを決定することに、何の疑問も抱いていないようだ。それもそうだろう。家督を継いだばかりの義宣よりも、長年仕えていた父のほうが、頼りがいがあるに決まっている。中には、未だに義宣を「若殿」と呼ぶ者もいるくらいだ。
義宣は深く溜め息をついた。ちらりと視線を横に移すと、涼しい顔をした八重がいる。夫が溜め息をついても、どうしたのか、という一言もないのだ。
八重との関係も、義宣を悩ませる原因だった。
八重が佐竹家に嫁いできて今年で二年目。未だに、八重に懐妊の兆しは見えない。世継ぎはまだか、と遠回しに義宣も言われているのだから、八重も言われているに違いない。
八重の義宣に対する態度は冷たいが、義宣との閨を拒むことはほとんどないのだ。今まで何度も褥をともにしてきた。それでも子ができないのは、義宣に問題があるのか、それとも八重に問題があるのか。側室を迎えればいいのかもしれないし、実際側室をすすめてくる家臣もいるが、義宣は今のところ八重以外の女を側室として迎える気はなかった。
義宣が生まれた時、父は二十四歳、母は二十歳だった。母が佐竹家に嫁いできて、七年目のことだったと聞いている。今、義宣は十八歳で、八重は二十歳だ。まだ二年しかともに過ごしていない。可能性は、まだまだある。
世継ぎについて考えを巡らせていると、ばたばたと廊下を走る音が聞こえた。
「兄上」
足音とともに顔を見せたのは、なすだった。義宣以外に、部屋の中に八重がいることに気付いたなすは、八重に頭を下げた。
「義姉上、こんにちは」
「ええ、こんにちは」
わずかに笑みを浮かべて、八重もなすにこたえた。八重は、義宣以外の人間には愛想笑い程度はする。
「あ、兄上、今日なすの婚礼衣装ができあがりましたの。とてもきれいで、なすはお嫁に行くのが待ち遠しくなりました。兄上が用意してくださったのでしょう? ありがとうございます」
「そうか、それは良かった。俺も、なすの花嫁姿が楽しみだよ」
「宣通殿も喜んでくださると嬉しいのですけれど」
「きっと、喜ぶだろう」
義宣の言葉を聞くと、なすは嬉しそうに笑った。この七歳の妹が、間もなく江戸宣通の妻となるのだ。義宣は、明るい言葉しかかけられなかった。
なすを呼ぶ母の声が聞こえる。なすは、あ、と声を上げた。
「嫁入り道具を見ている最中に、抜け出してきたのです。兄上にお礼が言いたくて」
「母上に怒られる。早く戻りなさい」
「はい」
部屋に来た時と同じように、ばたばたとなすは戻って行った。なすの足音が遠のく中で、ぽつりと小さな呟きが聞こえた。
「白々しい言葉」
「八重?」
「あの姫の嫁入りを祝福する人間など、本当はどこにもいないのでしょう。女たちが、なぜ江戸などに、と噂をしているのを聞きました」
「確かに、そうだろうな」
八重の言うとおり、城内でなすの婚儀を喜んでいる人間はいないだろう。この縁談を決めた父も、仕方がなしになすを嫁に出すのだ。母も家臣たちも、佐竹の姫をなぜ江戸家の嫁に、と憤っている。皆、幼いなすを哀れだとも思っているのだろうが、名門である佐竹の姫を、支配下にある江戸家にくれてやるということに怒りを感じているのだ。
それに、江戸家のほうでも、佐竹の姫を迎えると言うことは、佐竹の支配が一層強くなることを意味しているのだから、喜ばしい話ではないだろう。
もちろん、義宣にも佐竹の姫がなぜ、という気持ちはある。だが、声高に名門を主張する家臣たちには嫌気がさす。
名門という名にしがみつく古臭い、頭の固い家臣たち。これだから、義宣のことも年若い当主だと侮っているのだ。
「家中には困ったものだ。何も知らないなすは、嫁入りを楽しみにしているのだから、祝いの言葉をかけてやればいいのに。名門、名門とそればかり。辟易する」
「次郎殿は、この家を名門だと思っていないのですか?」
「そういうわけではないが、家臣たちとは違う。この家はあまりにも古い。譜代の家臣たちは、佐竹という家しか見ていない。自分たちの祖先の栄光を自慢するばかりで、自尊心が強い、頭の固い連中ばかりだ。それにしても、家中にも相手方にも祝福されないなすが不憫だ」
独り言のように呟いた義宣の言葉に、八重が小さく笑った。顔を上げて八重の顔を見ると、その笑みは、吉野に見せるものとも、先ほどなすに見せたものとも違っていた。
冷たい笑み。ただ冷たいだけではなく、どこか義宣を嘲笑うかのような冷たさがあった。
「八重」
「いいえ、何でもありません」
八重の笑みは一瞬で消え、すぐにもとの涼しい顔があらわれた。だが、義宣は確かに見た。あのような八重の顔は初めて見た。
一体、八重は何を考えているのだろうか。分からない。今日だけではない、八重の考えていることは、この二年間何も分からない。
分かるのは、八重が実家の那須家を大事にしていること。そして、義宣には心を開いていないということだけだ。




