那須の女と伊達の女編(四)
年の瀬に、義宣は突然義重に家督を譲ると言われた。義宣は八重を妻に迎え、初陣も果たしたのだから、自分は隠居すると言いだしたのだ。
突然のことに驚いたのは義宣だけではなかった。家臣たちは口を揃えて、義宣はまだ若すぎると言った。義宣が義重の留守を任された時は、義重は十六歳の時には家督を譲られていた、と言って義宣を義重と比較していたというのに。やはり、義宣では頼りないと思っているのだろう。
だが、義重は考えを変える気はないようだった。自分が家督を譲られた時も、家臣たちは同じことを言っていたと義宣に言った。家臣たちの言葉は気にするものではない、と励ましてくれたのだろうか。
八重に家督相続の話をしても、八重はただ、兄に報告の文を書く、としか言わなかった。形だけでも、祝いの言葉を述べてくれるかと思ったが、期待はずれだった。
年が明けた元日、義宣は主殿の上段に父と共に座った。下座には新年の挨拶に登城した家臣たちが並んでいる。一門の北家、東家、南家を筆頭に譜代たちが続き、義重に従っている多賀谷重経や、八重の兄である那須資晴の使者、親戚関係にある宇都宮国綱からの使者などが座っている。見なれた者ばかりだった。
新年の挨拶と、皆の挨拶や去年の働きに対する礼を述べた後、義重は咳払いをした。その場が静まり返る。空気が重くなった気がした。
「家督相続については、すでに皆に伝えてあるが、この場で正式に告げることにしよう。義宣も十七歳になり、去年のうちに初陣を果たし、妻も迎えている。そこで、わしは隠居をして家督は義宣に譲ることとした」
「僭越ながら申し上げます。お屋形様のご隠居は、まだ早いのではないでしょうか」
一門を代表するかのように、北義斯が父に意見した。家臣たちの目が義斯に集まる。義宣は未熟だと、家臣の誰もが思っていることを改めて思い知らされた。義斯の言葉は家臣たちの思いに違いない。
「何を言うか、わしも家督は十六の時に譲られた。義宣に譲るのが早すぎるということはない。お前も、息子の又七郎に家督を譲って、隠居暮らしをしてはどうだ?」
義重が笑いながら答えたからか、義斯も苦笑した。義斯の息子の義憲は、義宣と同い年だ。元服も共に十三歳の時に済ませている。
「それに、隠居と言ったところで、完全に表へ出ぬわけではない。家督と本丸は義宣に譲り、わしは北ノ郭に移るが、必要な時は義宣を支えよう。皆も、わしと同じように義宣に仕えてほしい」
父に目で促され、義宣も父の言葉に続けて口を開いた。
「至らぬところも多かろうが、皆で私を支えてほしい。よろしく頼む」
「我ら、新しきお屋形様のために力を尽くす所存にございます」
義久がそう言って頭を下げると、他の家臣たちも義宣に頭を下げた。
義久の言葉は、白々しいとしか思えなかった。母の命令で義宣の名を騙ったくせに、よく言う。
ほかの家臣たちも同じだ。父が隠居をしても義宣を支えると言った時、あからさまに安心していた。家臣たちは誰もが、新しい当主となった義宣に頭を下げているのではなく、父に頭を下げているのだ。
祝い酒が振る舞われたあと、ささやかな宴が催され、家臣たちはそれぞれの屋敷へ戻って行った。義宣は、挨拶をしに母のもとへ向かった。宴の席に、母は招かれていなかったのだ。
いくら、母が実家を大事にしていると言っても、息子の家督相続は喜んでくれるだろう。そう思いつつ母に新年の挨拶と家督相続のことを述べると、母は嬉しそうに微笑んだ。その笑みに、義宣は安堵した。
「義宣、家督相続おめでとう。そなたも、従兄の政宗殿のように立派な当主になるのだよ」
嬉しそうに微笑みながら、政宗のようになれ、と母は言った。恐らく、母に悪気はない。本気で言っているのだ。だが、その言葉を聞いて、期待していた自分が愚かだったと思った。こんなことを言われるのなら、父のような立派な当主になれ、と言われた方がよっぽど良かった。
「はい。政宗殿に負けぬよう、努力いたします」
母の言葉に笑顔を返し、今度は八重のもとへ向かった。資晴からの使者には、八重に会って行くように勧めた。懐かしい那須の様子を聞けば、八重が喜ぶと思ったからだ。
八重の部屋の前まで来ると、部屋の中から明るい声が聞こえた。八重と吉野の声だ。こんなに明るい八重の声は、聞いたことがない。部屋に入るのが躊躇われて、義宣はそのまま部屋の前で八重たちの話を聞いていた。
「まあ、本当に? 兄上のお子が今年中には生まれそうだなんて、わたくしも嬉しいわ。念願のお世継だもの。ねえ、吉野、お祝いには何を送りましょう?」
「お世継ぎのご誕生はおめでたいことですけど、姫様が勝手にお祝いを送られてもよろしいのでしょうか? 今回、お殿様が家督を譲られるということは、佐竹家から那須家へ正式にお知らせがあったのですよね。だから、こうして兄上様のご使者がいらっしゃったわけですし。私なんかが口出しすることではないと思いますが、お殿様にご相談なさらなくてよろしいのですか?」
「そんなことは知らないわ。わたくしは、わたくしの気持ちとして兄上へお祝いの品を送りたいのだから」
「でも、姫様」
「吉野、わたくしは那須の女なのよ。どこへ行ってもわたくしが兄上の妹であることに変わりはないのだから、いいではないの」
「でも」
「そんなことより、那須の様子が知りたい。もっと聞かせてちょうだい」
八重に促された使者の話を聞きながら、八重は楽しそうに笑っていた。八重が義宣の妻になってもうすぐ一年が経つ。だが、こんなに楽しそうな八重は知らない。吉野といる時も、ここまで楽しそうに笑ってはいなかった。
八重は、一体どんな顔で笑うのだろうか。見てみたい。わずかに障子を開けると、八重の顔が見えた。義宣の見たことがない笑顔だった。気持ちが沈んだ。見なければよかった。
障子を閉めてその場を去ろうとすると、背後に人の気配を感じた。振り向くと、吉野が立っていた。
「どうした?」
「あの、さっき、お殿様、お部屋の中を見ていらっしゃいましたよね? 御台様をお呼びしましょうか?」
「いや、いい。那須の話で懐かしさに浸っているところを邪魔したくはない」
どうせ、義宣の姿を見れば、八重はあの笑みを消して、いつもの冷たい顔しかしないのだ。そんな顔を見るくらいなら、八重の顔を見ない方がいい。それに、八重は資晴に世継ぎが生まれることに対して祝いの品を送ろうとしているが、義宣には祝いの言葉ひとつ寄越さないのだ。
惨めな気持ちになる。使者は早々に帰してしまった方が良かったのかもしれない。
「使者は今夜、城に泊まっていく。今夜は昔話に花を咲かせればいい」
「でも」
義宣は気を遣って立ち去ろうとしているのだが、吉野はそれが心苦しいらしい。どうすべきか迷っているのが伝わってくる。
吉野、と八重が吉野を呼ぶ声が聞こえた。吉野は八重に返事をしつつも、まだ義宣を見て困った顔をしている。その様子に苦笑しながら、早く部屋へ戻るようにと手で合図をした。吉野は頭を下げて、部屋へ戻って行った。
どうやら、吉野は八重と義宣の中を取り持とうとしているらしい。だが、吉野に気を遣われるとかえって義宣の気持ちは暗く沈んだ。侍女に気を遣われるほど、八重との仲は悪いのだ。誰よりも八重の側にいる吉野だからこそ、八重の気持ちが分かる。八重の気持ちは義宣に向いていない。だから、吉野は何とか仲を取り持とうとするのだ。
家臣には未熟者だと思われている。母には政宗のようになれと言われた。八重は那須の女のままで、義宣に心を開こうともしない。
家督を父に譲られたところで、何も変わらない。それどころか、父の後見があってこその家督相続は空しく、義宣はただ佐竹家の飾りとなったような気がした。




