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道程  作者: 実川
三 那須の女と伊達の女編
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那須の女と伊達の女編(三)

 八重が佐竹家に嫁いできてから半年以上が経った。半年以上が過ぎても、八重の態度はかたくなで冷たいままだった。

 初めは、実家を離れて不慣れな生活を送ることに対する不安が、八重の態度を冷たくさせていたのかと思っていたが、そうではないようだ。八重は義宣に心を開こうとしていない。八重は体を重ねることを拒みはしないが、義宣の腕の中では心のない人形のようだった。

 義宣は八重が嫁いできてから、時間のある時は頻繁に八重のもとへ足を運んだ。特に何か話があるわけではなかったし、話をするわけでもなかったが、八重の顔が見たかった。いつかは、八重の笑った顔が見られるのではないかと思っていた。那須家から同行している吉野という侍女と話している時の八重は、義宣には見せたことのない柔らかい顔をしていたのだ。

 いつか、八重が義宣にも吉野に見せるような顔を見せてくれるかもしれない。まだ一年も経っていないのだ。

 最近は、伊達との戦で出陣中の父の留守を任されているため、以前のように八重のもとへ足を運ぶことはできていないが、父が戻ったらまた会いに行こう。来るなと言われてはいないのだから、完全に嫌われているというわけではないと思う。

 父の留守中、義宣が父の代わりを務めているが、まだ頼りないと思われているのか、老臣たちは色々と口出しをしてきてうるさかった。義宣が何か一つ決めようとするたびに、五人は忠告という名の指図をしてくるような気がする。父が今の義宣と同じ十六歳の時には、義宣の祖父である義昭から家督を譲られていたのだと、父と比べるようなことも言われた。まるで、父が同じ歳だった頃に比べ、義宣は不出来だと言われているようだった。

 中には、御台様にご懐妊の兆しは見えますか、と言ってくる家臣もいた。お前には関係のないことだと怒鳴りつけたくなった。八重が義宣に心を開いていないことを指摘されたような気持ちになった。

 老臣たちに口出しをされながらも、黙々と父の代わりを務めて毎日を過ごしていたが、出陣中の父が血相を変えて城に戻って来た。義宣が留守を預かっていた太田城の、目と鼻の先にある水戸城の江戸重通えどしげみちが安房の里見義頼さとみよしよりと手を組み、佐竹を攻めてくるという知らせを受け、一夜のうちに兵をまとめて帰陣したのだと父は言った。

 だが、江戸と里見が攻めて来る気配は全くない。留守を預かっていたのだから、そのような気配があれば義宣も家臣たちも気がつくはずだ。父の話に首を捻るしかなかった。

「義宣、わしは急を告げるお前の書状を見て、太田へ戻って来たのだぞ」

「私の書状ですか?」

「そうだ。お前が、江戸と里見が攻めて来る、急ぎ帰られたし、と告げたのではないか。明日は政宗の首を討ち取らん、と意気込んでいたところに、この書状が来たのだ。この書状で、勝利を逃したようなものなのだ」

「私は、そのような書状知りません」

 父と家臣たちの視線が刺さる。父は書状を取り出して義宣に見せたが、全く心当たりがなかった。義宣の筆跡に似せて書いたようだが、義宣が書いたものではない。だが、事実その書状が届いたせいで、父は勝機を逃し、政宗の命を長らえさせてしまったのだ。

「義重殿、ご無事のご帰還、何よりでございます」

 緊迫した空気を破るように、母の声が響いた。にこりと微笑んだ母と、握りしめた書状を交互に見て、父は母を睨みつけた。

「話がある。お前も来い」

 父に連れられ、母の部屋に三人で集まった。父が義宣から送られたという書状を、母に突き出すと、母の表情が能面のように冷たくなった。

「これは、お前が書いたものだろう?」

「義重殿、私は女です。何故この書状のように男字を書けましょうか。義宣からの書状なのですから、義宣が書いたものでしょう」

「義宣は知らぬと言った。大体、太田の留守を預かっている義宣が、江戸や里見が攻めて来るなどという馬鹿げた嘘の書状を、戦場に送るはずがない」

 父の言葉に母は黙り込んだ。父の言うことはもっともだ。義宣は何も知らない。だが、この書状を本当に母が書いたというのか。何のために。義宣は、父と母のやりとりをただ黙って見ているしかなかった。

「お前は、いつも何かあれば伊達のことを口にする。今回の戦も、政宗と戦わないでほしい、と出陣前に言っていたな。この書状が届く前に、小野崎おのざきが死んだ。陣中で刺殺された。我が軍は、小野崎の無念を晴らす意味も込めて、伊達との決戦に意気込んでいたというのに、この書状だ。まさか、小野崎のことも、お前が仕組んだことではないだろうな」

 小野崎というのは、今回の戦で将として軍を任されていた小野崎義昌おのざきよしまさのことだ。その小野崎が陣中で刺殺された。その後に、あの書状が届いた。話が上手く出来過ぎている。だが、まさかいくら母が伊達家の出身だとしても、そこまで露骨なことはしないはずだ。

 母の表情を窺うと、母は冷たい顔のまま小さくため息をついた。

「義重殿の言うとおり、この書状は私が出したものです。私の手では男字が書けませんので、東義久に命じて書かせました」

「お前は、自分が何をしたのか分かっているのか。お前のせいで小野崎は死に、勝機を逃した」

「確かに私は書状を出しました。それは政宗殿の命を助けようとして行ったことです。しかし、小野崎のことは私の関与する所ではございません。偶然です」

 母の言葉に義宣は愕然とした。母は何を言っているのだろう。政宗を助けようとした。しかも、義宣の名をかたって、偽の書状を出した。

 父は怒りを露わにして立ち上がった。手を振り上げ、母を打つのかと思ったが、父は母を打たなかった。ただ、深いため息をついただけだった。握りしめた拳は、怒りで細かく震えていた。

「お前が、政宗を助けたい、伊達家を助けたい、という気持ちは、わしが佐竹を守りたいと思う気持ちに置き換えれば、理解できないこともない。今回の戦は、政宗にとっては亡き父親の仇討ちだった。お前にとっても、兄の輝宗を死に追いやった畠山は憎かったのだろう。それに味方したわしを憎いとも思っただろう。だが、お前の兄の石川殿も今回の戦で政宗と戦っているのだ。お前の気持ちだけで、戦を左右する行動を取るな。分かったな」

 母は何も言わなかった。黙って父の話を聞いているだけだった。自分の行動を後悔しているのか、正しかったと思っているのか、母の表情からは読み取れなかった。

 今回の戦は、もともと伊達家と畠山家の確執が原因だった。畠山義継はたけやまそしつぐは伊達家との和睦の際に、政宗の父親である伊達輝宗を拉致した。政宗は義継を討ったが、輝宗も命を落とした。その仇討ちとして、義継の子どもである国王丸くにおうまるを攻め、国王丸に助けを求められた父や蘆名家が、母の兄である石川昭光いしかわあきみつたちと手を組み政宗と戦ったのだ。

「中務は、わしの妻であるお前の頼みを断れなかったのだろう。今後、自分の立場を利用して家臣に馬鹿げた命令もするなよ」

 母が義久に書かせた書状を丸めて畳の上に投げ捨て、そのまま部屋を出て行った。黙りこむ母をちらりと見たが、義宣も部屋を出た。

 母は義宣の名をかたってまで政宗を助けたかったのか。それほどまでに伊達家が大事なのか。女とはそういうものなのだろうか。八重にも聞いてみたくなった。お前も実家が大事なのか、実家と俺とどちらが大事なのか。

 八重のもとへ向かう途中、義久が前から歩いてきた。義久は、母に協力をした。断れなかったのだろうが、義久が政宗を助けたようなものでもあった。それに、あの書状を実際に書いたのは義久だ。

「中務、小野崎が死んだそうだな。小野崎は、お前の舅だったはずだが」

「小野崎殿のことは、残念なことでした。まさか、陣中で殺されるとは」

「母が、お前に命じたのではないのか?」

「大御台様のお言葉が全てにございます」

 自分の妻の父親が死んだというのに、義久は驚くほどに冷静だった。母は否定していたが、母が義久に命じて小野崎を殺させたと言われても納得できるような気がした。

「ご用がないのでしたら、失礼いたします」

 義久は頭を下げて去って行った。義久の向かっている方向には母の部屋がある。もしかしたら、母に呼ばれているのかもしれない。

 母は、何を考えているのだろうか。

 八重のもとへ行っても、なかなか八重に実家が大事なのかどうか聞くことはできなかった。当たり障りのない話をし、褥に横になってから、ようやく聞くことができた。

「八重、俺がもし那須家と戦をしたら、お前は資晴殿を助けようと思うか?」

 しばしの沈黙。八重は義宣の問いに答えたくないのだろうか。八重の方を見ると、八重は静かに口を開いた。

「思いません」

「そうか」

 八重の答えに義宣はほっとした。八重は、母のように義宣を放り出して実家を取ることはないということか。

「兄上は負けませんもの」

「え?」

「それに、兄上が、わたくしがいる家と戦をするはずがありませんから」

「そうか」

 八重の答えは、どこかずれている。義宣が期待したものとは何かが違う気がする。だが、そのずれと違いを義宣は考えようと思わなかった。考えてはいけない。考えてしまえば、認めたくないものが見えてくるような気がする。

 母のことも、八重のことも、考えないようにすればいい。考えなければ、見えないものは見えないままにすることができるはずだ。

 義宣はそのまま目を瞑った。だが、なかなか眠れなかった。頭の中で、何かがざわめいているようだった。

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