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道程  作者: 実川
三 那須の女と伊達の女編
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那須の女と伊達の女編(二)

 佐竹義重は那須に勝てぬと思ったから、自分の嫡男の妻に八重を迎えたいと言い出し、和睦を願ったのだ。

 八重が佐竹義重の嫡男の妻と定められた五歳の時から、父の那須資胤は何度もこのことを八重に言い聞かせた。

 那須家は那須与一の末裔であり、烏山城に居を構える下野の名族だ。佐竹義重は、義重の父である義昭よしあきが資胤ととりかわした盟約を破ってから、ずっと資胤との戦いに明け暮れ、一度も資胤に勝つことができなかった。結城義親ゆうきよしちかの協力を得て資胤に挑戦した時も、義重は勝利を得ることができなかった。那須の三倍近くの兵力を持ち、物量も那須にはるかに勝る佐竹が、那須には勝てなかったのだから、これは実質的に佐竹の敗北だ。

 いつまでも那須と戦っているわけにもいかないと判断した義重は、嫡男の妻に八重を迎えたいと資胤に申し出、数多くの神々に誓って和睦を結んだ。

 資胤は佐竹がついに那須に屈服したのだと、このことを誇りに思っていた。八重がいずれ義重の嫡男と正式に結婚し、佐竹家に輿入れすることになっても、相手が申し出た婚姻なのだから、下手に出る必要はないと聞かされていた。

 だが、義重は資胤と和睦を結んで半年足らずで、那須に兵を向けた。何度戦っても、結局佐竹は那須に勝てなかった。資胤は良い気味だと言っていた。和睦の約束を反故にされても、最初は、こちらにとって都合の良い条件で八重を嫁がせることができるかもしれない、と思っていたようだが、次第に父は怒りだし、八重を佐竹に嫁がせるつもりはなくなったようだった。

 八重には、もっとふさわしい男を探そう、と言われた。資胤は八重に甘かった。兄の資晴すけはるも八重に優しかった。八重は末娘で、八重が生まれた頃、二人の姉はすでに嫁いでいたし、資晴とも十一歳年が離れていた。年を取ってからの子どもだから、資胤は八重に特別甘かったのだろう。資晴も年の離れた妹を可愛いと思ってくれていたのだと思う。

 八重も特に資晴のことが好きだった。

 八重が物心ついた時から、資晴は父に従い出陣し、華々しい活躍をしていた。八重が将来嫁ぐかもしれない佐竹との戦いでも、資晴はいつも勇ましく戦い、佐竹を退けてきた。そんな資晴が幼い八重には眩しく見え、その分佐竹は取るに足らないつまらない存在に思えた。

 資胤は八重を佐竹に嫁がせる気はなくなっていたが、八重も資晴に負け続ける佐竹になど、いくら相手から望まれても嫁ぎたくないと思った。

 資晴が城にいる時は、いつも資晴の後ろをついて歩いていた。資晴はどんなに忙しくとも、八重には優しかったし、可愛がってくれた。資晴のことが大好きだった。

 資晴が妻を迎えた時は、もう八重だけの兄ではなくなったようで、悲しかった。落ち込む八重を気遣ってくれたのか、資晴は家臣の娘で八重と年の近い吉野よしのを八重の側に置いた。

 吉野は明るく素直で、すぐに仲良くなった。だが、八重の口から出るのはいつも資晴の話ばかりで、吉野には笑われてしまっていた。

 八重が十六歳の時、資胤が死んだ。義重と和睦を結んだ資胤が死に、義重の嫡男の許嫁になって十年以上が過ぎても結婚の話が出ないのだから、結婚の話は自然と消滅したものと思っていた。資胤の死後、佐竹との婚姻について、資胤の跡を継いだ資晴も何も言わなかった。

 だが、資胤が死んで一年ほど経った時、突然資晴から、年が明けたらいつでも佐竹家に嫁げるようにしておくように、と言われた。

「何故ですか? 父上は、わたくしを佐竹に嫁がせる気などないと仰っていたのに」

「その父上が亡くなり、私の代になったから、佐竹は改めて和睦を結べると考えたのだろう。頻繁に使者を寄越して、那須との和睦を願っている」

「父上にも兄上にも勝てぬ佐竹など、また兄上のお力で追い払えばよろしいではありませんか」

「八重、私は確かに佐竹に負けない自信はある。だが、勝つことはできないだろう。このまま争いを続ければ、いずれこちらも危うくなるかもしれぬ。ならば、相手が下手に出ているこの時に、和睦を結ぶべきだと思うのだ」

「わたくしは、佐竹に嫁ぐのは嫌です」

 資晴の言うことは分かるが、佐竹に嫁ぐのは嫌だった。我が儘を言うと、資晴は困ったような顔をして、幼いころにしてくれたように、八重の背中を撫でてくれた。

「八重、耐えておくれ。相手からの申し出なのだから、下にも置かぬもてなしを佐竹はするだろう。私も、お前が嫁いだら決して佐竹は攻めぬと約束する。それに、輿入れには吉野も連れていけばいい。吉野がいれば、少しは気が晴れるだろう?」

 資晴の説得に、八重は頷かざるを得なかった。幼い頃から八重を可愛がってくれた資晴は、おそらくこの結婚に乗り気ではない。だが、那須家の将来のことを考えれば、佐竹との縁組は悪いことではないと判断したのだ。仕方がない。資晴は、幼いころの昔のように、八重だけの兄ではない。那須家の当主なのだ。

「分かりました。兄上のためならば、わたくし佐竹に参ります」

 八重の返事を聞くと、資晴は輿入れの準備に取り掛かった。準備は順調に進み、年明けにはいつでも輿入れできるようになっていた。吉野に一緒に佐竹に来てくれるように言うと、常陸はどのようなところか楽しみだ、と吉野は無邪気に笑った。嫁いでも吉野がこうして笑っていてくれたら、心が休まると思った。

 両家の準備が整い、八重は佐竹に輿入れすることになった。兄に別れを告げる時は、泣きそうになった。

 国境近くで佐竹からの出迎えが、八重の花嫁行列を待っていたが、八重は那須からついてきた者たちを常陸まで連れて行った。相手から望まれて、八重が輿入れをしてやるのだから、そのくらいは許されて当然だろう。

 太田城に到着し、八重を出迎えた義重の息子の義宣に、形ばかりの挨拶として頭を下げた。顔を上げた時、義宣の顔を見たが、年下の夫は、八重を見つめて呆けたような顔をしていた。資晴とは全く違うつまらなそうな男だ。

 婚礼の宴は源氏の名門を誇っているせいか、無駄に盛大で、格式張っていて、嫌気がさした。家臣たちは、表面上は喜んでいるようだったが、その中に、なぜ那須の姫などと、と八重を馬鹿にする視線が混じっていることにも気付いた。誰よりも、姑の冷たい眼差しが八重を認めていなかった。

 宴が終わり、夜が更け、夫婦として初めての夜を過ごしても、夫である義宣はつまらない男だと思った。いくら資晴のためとはいえ、これから死ぬまでこの佐竹の中で暮らすのかと思うと、気が滅入った。

 夜が明けて、八重の身支度を整える吉野に、那須に帰りたい、と言いたくなったが、吉野に笑われると思い、言わなかった。だが、それは八重の本心だった。

 佐竹に輿入れをしてから、まだ義重とその妻へ挨拶に行っていなかった。義宣は、八重がとうに挨拶は済ませていると思っているのか、何も言わなかった。八重といる時の義宣は口数が少なく、いまだに緊張しているようだった。だが、吉野が毎日早く挨拶に行くよう勧めてくるので、仕方なく吉野を連れて挨拶に行くことにした。

「私がお屋形様と大御台様に、姫様がご挨拶に伺われるとお伝えしたら、お二人ともお喜びでしたよ」

「吉野、そなたあの夫婦に騙されているのではないの?」

「そんなことありませんよ。もう、姫様。姫様は御台様になられたのですから、もう少し佐竹の方々と仲良くなさっても」

「嫌よ」

「そんな、せめてお殿様とはもう少し仲良くなさってくださいよ。お殿様は姫様のことがお好きなようではありませんか。頻繁に姫様のもとへいらっしゃいますし、私が見ている限りでは、いつも姫様のことを見つめていらっしゃいます」

「年上の女が珍しいだけでしょう」

 もし吉野の言うとおり、義宣が八重に好意を抱いているのだとしても、八重は義宣と仲睦まじい夫婦になるつもりなどないのだから関係ない。それに、八重に対していまだに緊張している義宣のことは、つまらない男としか思えない。夫婦になってからまだ一月も経っていないが、八重の義宣に対する印象は、つまらない男でしかなかった。

 吉野と話をしながら歩いていると、義重と大御台の待つ部屋の近くまで来ていた。吉野に下がっているようにと手で合図をし、部屋に近づいた。

「私は那須の姫など認めません」

 部屋の中から聞こえた女の声に、八重の動きが止まった。この声は姑の声だろう。その声の後に、ため息も聞こえた。これは、義重か。

「何を言っている」

「私は義重殿が、義宣の許嫁に那須の姫を選んだ時から反対でした。義重殿はそれをご存知でしたのに、なぜ今さら那須の姫を義宣の妻に迎えられたのですか」

「それは、近くの那須と和睦を結ばなければ、遠征の時に危ういからだと何度も説明しただろう」

「しかし、もっと名門の姫を迎えるべきだったと私は思います。那須家など、源氏に従った那須与一の末裔ではありませんか。なぜ源氏の名門が那須の姫など」

「芳」

「私は、義宣には伊達の姫を妻に迎えさせたかった。しかし、今の伊達家には姫がおらぬ。ですから、蘆名の姫を迎えればよろしかったのに。確か、義宣よりも七、八歳年下の姫が蘆名にはいたはずです。その姫は、私の姉の子ですから、伊達の血を引いていますし」

「その話は聞き飽きた。大体、久定が言っていたではないか。義宣は八重を気に入っているようだ、とな。義宣が妻を気に入っているのなら、それで良いのではないか? お前も八重を認めろ」

「あの女を、佐竹の者とは認めません」

「いい加減にしないか」

 義重が姑を怒鳴りつけたのと同時に、失礼いたします、と声をかけて八重は部屋の中に入った。

 その場の空気が凍りつくのが分かる。義重は少しうろたえているようだったが、姑は全く動じることなく、八重を見ようともしなかった。

「ご挨拶に伺うのが遅くなりまして、まことに申し訳ございません。那須資胤の娘、八重にございます。佐竹家との和睦がかない、兄の資晴も喜んでおりました」

 八重がにこりと笑ってみせると、義重は安心したのか、笑みを浮かべた。

「わしも資晴殿と縁を結べたこと、嬉しく思っておる。どうか、義宣と睦まじく暮らしてくれ」

 義重の言葉に笑みを返し、それ以上は何も言わず、八重は姑の方を向いた。

「大御台様」

 声をかけても、姑は八重の方を向かなかった。

「わたくし、先ほどのお言葉嬉しく思いますわ」

「八重?」

「だって、わたくし嫁いできてから今まで、一度も自分を佐竹の者だと思ったことなどありませんもの。貴方が実家の伊達家を大事に思うように、わたくしも那須家が一番大事です。ですから、わたくしこれからも佐竹の人間になろうとは思いません。わたくしは、那須の女です」

 にこりと微笑んだまま姑に向かってそう言うと、ずっと八重を見ていなかった姑がようやく八重を見た。八重を拒む冷たさを体全体から感じさせていたが、目だけは燃えるように八重を睨みつけていた。

「八重、すまぬな、こいつの言ったことは気にしないでくれ」

「ええ、わたくし気にしておりません。事実ですから」

 慌ててこの場を取り繕おうとする義重に頭を下げて、八重は部屋を出た。部屋の外で待っていた吉野が声をかけてきたが、それに答えず足早に自室へ戻った。

 やはり、姑は八重を認めていなかった。義重も口では八重を喜んで迎えているように言っていたが、白々しく聞こえた。本心では、義重も那須の姫は迎えたくなかったのかもしれない。

 佐竹がどうしてもと望むから、わざわざ嫁いでやったというのに、この扱いは何なのだ。

 吉野も久定とやらも義宣は八重を気に入っているようだと言っていたが、そんなはずはない。義宣はあの姑の息子だ。義宣も恐らく八重を馬鹿にしているに違いない。

 源氏が何だ。佐竹が何だ。那須とて那須与一から続く下野の名族だ。

 わたくしは那須の女。佐竹の人間などにはならないわ。

「姫様、どうなさったのですか?」

「吉野」

 自室に戻ってから、部屋の中で座り込んでいる八重の顔を、吉野が心配そうに窺った。吉野は部屋から離れたところで待たせていたから、姑の言葉を聞いていなかったのだろう。

「吉野、わたくしは那須の女よね?」

「え? ええ、姫様は那須家の姫様です」

「そうよね」

 八重は那須の女だ。佐竹に嫁いだところで、その事実に変わりはない。姑の言うとおり、八重は佐竹の者ではないのだ。

 嫌みのつもりで、義重と姑に笑顔で告げた言葉は全て八重の本心のはずだ。姑の言ったことなど気にしてはいない。事実だ。それなのに、なぜ息が詰まるような思いがするのだろう。

「那須に帰りたい」

 涙が手の甲に落ちて流れた。なぜか涙が止まらなかった。

 姑が憎い。姑の息子である義宣も嫌いだ。義重も嫌だ。佐竹という堅苦しい名門が嫌で憎くてたまらなかった。

 那須に帰りたい。だが、帰れない。資晴の為に嫁いできたのだ。八重が実家に戻りたいと言い出せば、また那須と佐竹は争いを始めるかもしれない。資晴に迷惑をかけるのは嫌だ。

「姫様」

 八重が泣きだしたのにつられたのか、吉野の声も涙声だった。

 大丈夫、八重には吉野がいる。佐竹が八重を認めないというのなら、八重も佐竹を認めない。八重は那須の女として、好きに振る舞わせてもらう。死ぬまで、八重は那須の女だ。

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