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道程  作者: 実川
二 岩瀬の姫編
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岩瀬の姫編(十)

 年が明けて、祥は義宣に言われた通り、阿南と共に京へ向かった。少し京見物をした後、佐竹屋敷へ行くと、芳に出迎えられ、義宣は祥を側室にするつもりだと改めて告げられた。

 いずれ義宣から呼び出されるだろうから、それまではゆっくりしていればいいと芳に言われた。しばらくはこの屋敷にいることになるのだから、義宣の御台に挨拶をした方がいいとも言われたので、阿南とともに御台へ挨拶をしに行った。御台は祥よりも三、四歳年下だと聞いていたが、年よりも少し幼く見えた。おとなしそうな少女だった。

 義宣は祥を側室にするために京へ呼んだはずだが、京へ着いてから数日、義宣は祥の元へはやってこなかったし、正式に側室にするという話も祥のもとへはこなかった。もしかしたら、義宣の気が変わったのだろうかと思い始めた頃、義宣の渡りがあると告げられた。

 突然義宣がやって来ると言われても、どうすればいいのか分からず、阿南に助けを求めたが、阿南は、義宣に任せていればいい、としか言ってくれなかった。

 結局、どうすればいいのか分からないまま、祥は寝所で義宣の渡りを待っていた。廊下の軋む音が聞こえ、慌てて頭を下げた。

「岩瀬の姫か」

「はい」

 襖が開く音と同時に男の声が聞こえた。これが義宣の声なのだろう。五年前にも聞いてはいるが、忘れてしまっている。顔を上げろ、とその声に促されて顔を上げると、目の前にいたのは確かに義宣だった。声は忘れたが、顔は覚えている。

「京は見て回れたか?」

「お屋形さまのおかげで、楽しい時を過ごせました。ありがとうございます」

「それは良かった。伯母上はお元気か?」

「はい。大御台さまとお会いすることができて、嬉しそうでした」

「そうか」

 人当たりのいい笑みを浮かべながら、義宣はその後も、下河辺での生活はどうだったか、この屋敷には慣れたか、などと世間話のような話しかしなかった。祥は義宣に問われたことに答えるだけで、これから義宣と閨を共にするような雰囲気とは思えなかった。

 当たり障りのない話をしばらくした後、では、また、という言葉を残して義宣は去って行った。寝所にひとり残された祥は、一体義宣は何のためにやってきたのだろう、と首を傾げたくなった。

 だが、それから義宣は頻繁に祥のもとへやって来るようになった。側室にするという話は一切せずに、ただ当たり障りのない、上辺だけのものとしか思えないような話をして、帰って行く。

 義宣は何がしたいのだろうか。阿南か鏡田に相談したかったが、阿南も鏡田もすっかり祥には義宣の手がついているものと思っているようで、何もないのだとは言いにくかった。それに、祥に義宣の手がついていると思っているのは阿南たちだけではなく、家中の人間も同じようだった。祥に義宣の渡りを告げに来る佐竹家の侍女は、祥のことを岩瀬御台いわせみだい様と呼ぶ。どういうことか尋ねてみると、祥は岩瀬の二階堂の姫で、義宣の側室だから岩瀬御台なのだという答えが返ってきた。

 祥の知らないところで、祥は義宣の側室として認識されていた。下河辺を出立する前、盛秀も大蔵も祥が義宣に輿入れすると思っていた。祥もそのつもりで京へ来たが、義宣からはいまだに側室にすると言われていない。これはどういうことなのだろう。今度義宣がやって来たら尋ねてみよう。そう思っていたところに、ちょうど義宣の渡りがあると告げられた。

 義宣が祥のもとへやって来て、いつものように当たり障りのない話を始める前に、祥は思い切って自分から義宣に話しかけた。

「お屋形さま、お聞きしたいことがあるのです」

「何だ?」

「わたしは、お屋形さまの側室ですか?」

 ずっと気にかかっていたことを尋ねると、義宣は躊躇うように黙り込んで、眉間にしわを寄せた。聞かれたくなかったのだろうか。

「家中では、そのような認識が広まっているようだな」

「そのことはわたしも知っております。ですが、わたしが聞いているのは、あなたのお考えです」

「俺の考え?」

「下河辺を出立する前、須田美濃からお屋形さまは家臣たちにわたしを側室にすると告げたと聞いております。須賀川衆はわたしの輿入れを祝ってくれました」

 はぐらかされた。義宣は祥の問いに答えたくないのか、祥が重ねて問うと、不機嫌そうな顔をした。これまで祥に見せていた人のよさそうな笑みが崩れていく。

「俺も、姫を側室だとは思っている」

「では、なぜ正式にその話をなさらないのですか? なぜ、いつも当たり障りのない、中身のない世間話しかなさらないの?」

 わたしは何のために呼ばれたの、と言葉を続けたかったが、義宣の声が祥の言葉を遮った。

「面倒だろう」

「面倒?」

「俺は、口うるさい譜代連中に、世継ぎはまだかと言われることにうんざりしたから、姫を側室にしようと決めた。連中は、御台に子ができないのなら、側室を迎えろとうるさくてな。だが、姫を側室にしたのは連中を黙らせることだけが目的だ。だから、姫のもとへ足繁く通って、世継を儲けようとしているように見せかけた。連中は、俺が姫を側室に迎えて、うまくやっているとでも思っているようだ。何も言わなくなった」

 義宣は何を言っているのだろう。随分と、自分勝手なことを言っているような気がする。譜代に世継ぎをせがまれるのが嫌だから、祥を仮初の側室にして、その問題から逃げようとしていると言っているのだろうか。

「それは、わたしを利用するということですか?」

「そういうことになるだろうな。だから、姫には正式に話をしなかったし、閨も共にしなかった。連中を黙らせることができればそれでいい。姫も、俺に何もされずとも側室として扱われ、良い暮らしができるのだから、悪い話ではないだろう? 伯母上も下河辺での暮らしよりも丁重に扱われていると思うが」

 本人を目の前にして、利用しているとはっきり告げ、その上、祥にとっても悪い話ではないだろう、とはどういうことだ。義宣は自分が自分勝手な話をしていると分かっているのだろうか。祥がどんな思いで京へやってきたか分かっているのか。いや、分かっていたら、こんなことは言わないだろう。

 側室として迎えられたのだから、義宣が祥を、世継ぎを儲けるためだけの存在、と思っていても仕方がないとは思っていた。だが、まさか譜代家臣を黙らせるためだけの道具として扱われるとは思ってもみなかった。

 唖然とする祥を見て、義宣はため息をつき、そういうことだ、と呟いて部屋を出て行った。

 ため息をつきたいのはこちらの方だと、遠ざかる背中に言ってやりたかった。

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