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道程  作者: 実川
二 岩瀬の姫編
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岩瀬の姫編(九)

 義宣からの書状が来てから、下河辺の館は今までの平穏な日々が嘘のように忙しかった。上洛に伴い荷物をまとめ、新しい打掛や小袖を買い求めている。少しでも義宣に気に入られるように、と鏡田は張り切っていたが、祥たちが使える金子きんすはほとんどなかったので、結局打掛を一枚新調しただけだった。深緋に金糸の刺繍の入った打掛は、祥には少し派手に思えたが、阿南も鏡田もよく似合うと言ってくれた。

 年が明ければ、祥は上洛して義宣の側室になる。祥は義宣から直接その意を告げられていないが、慌てた様子で下河辺の館にやって来た盛秀から、義宣が家臣たちに岩瀬の姫を側室にすると告げたと聞いた。岩瀬とは二階堂家の居城である須賀川城があった地名だ。岩瀬の姫といえば祥のことを指すことは佐竹家中なら誰でも分かる。

 四年以上前、一度だけ義宣に会ったことはあるが、その時のことなどほとんど覚えていない。ただ挨拶をした程度だったのだ。義宣はどのような人なのだろうか。祥を側室に迎えることを、どう考えているのだろうか。阿南のことや、二階堂家のことはどうするつもりなのだろうか。

 出立の日が近づくにつれて、祥の不安は大きくなっていく。祥は、もともと二階堂家を継ぐために阿南の養女になったというのに、結局婿を迎えることは叶わず、義宣の側室になるのか。だが、阿南も祥も佐竹家の庇護下で生きている以上、当主である義宣に逆らうことはできない。

 義宣の御台に子ができたという話は聞かないため、祥は佐竹家の世継ぎを産むことを期待されているのだろう。婿を迎え二階堂家の世継ぎを産むことを期待され、今度は佐竹家の世継ぎを産むことを期待される。そのことに不満があるわけではない。それが女の使命というものだろう。だが、今まで二階堂家の姫として、二階堂家の再興を考え、それが祥の使命だと思っていたのだ。いきなり佐竹家の当主の側室になれ、と言われて、すぐに気持ちを切り替えられるものではない。

 阿南はどう思っているのだろう。祥が義宣の側室になって、二階堂を継ぐ姫ではなくなることを悲しんでいるだろうか。祥には何も言わないが、本当は悲しんでいるのかもしれない。

「姫様」

「どうしたの、鏡田?」

「大蔵殿がおいでです」

「大蔵が」

「姫様にお会いしたいのだそうです。しかし、お輿入れ前の姫様に、いくら幼馴染とは言え大蔵殿をお会いさせるわけには参りません」

 四年前、鏡田に会わないよう言われてから、大蔵とは年始の挨拶でしか顔を合わせていない。大蔵も祥が義宣の側室になることは知っているはずだ。それでもやって来たのは、何か大切なことを伝えるためなのかもしれない。そうではなく、ただ顔を見たいだけなのだとしても、祥も大蔵に会いたかった。久しぶりに、会って話がしたかった。おそらく、これが大蔵と言葉を交わす最後の機会になるのだ。

「鏡田、わたしは大蔵に会います」

「しかし、姫様」

「お屋形様に輿入れをしたら、もう大蔵とは会えなくなるのでしょう? ならば、最後にもう一度話がしたい」

「しかし」

「お願い、鏡田」

 鏡田の手を握り、じっと目を見つめると、鏡田は困ったように眉を寄せ、大袈裟にため息をついた。

「仕方がありませんね。承知いたしました。ただし、姫様はお部屋の中、大蔵殿はお庭と分けてお会いしていただきます。昔のように、大蔵殿をお部屋に上げてはなりません。お話の様子も、わたくしが見守らせていただきます。よろしいですね?」

「ええ、分かっているわ。わたしも大蔵も、もう子どもではないもの」

 鏡田が部屋を去り、しばらくすると庭に人影が現れた。大蔵だ。一年見ないだけで、また背丈が伸びたような気がする。父親の盛秀よりも大きくなったのではないだろうか。大蔵は祥の前までやって来ると、その場に膝をついた。

「大蔵、久しぶりですね」

「はい。お久しゅうございます」

「息災でしたか? 爺も、元気にしていますか?」

「それがしも父も、病気一つせずにおります。特に父は、七十近くとは思えぬほどです」

「まあ、爺はもうそのような年になったのですか」

 他愛ない会話が続いた。大蔵は顔を上げようとしなかった。だが、どこか思いつめているような雰囲気が、大蔵からは感じられた。

「姫様」

「はい」

「お屋形様へのお輿入れ、おめでとうございます」

 ようやく大蔵は顔を上げた。大蔵は真っすぐに祥を見つめている。燃えるような目だった。その目に射ぬかれたような気持ちになって、祥ははっとした。須賀川城が政宗に攻められた時、出陣式の時の源一郎の目と同じだ。

 大蔵はその一言を言ったきり、黙り込んでしまった。黙って祥を見つめている。その目があまりにも真剣だったので、祥も目を逸らすことができなかった。息がつまりそうになるほど、大蔵の視線は強い。大蔵は拳を握りしめている。拳は細かく震えていた。強く握りすぎているのだろう。寒さで震えているわけではないようだ。

 四年前、鏡田は祥と大蔵との間に何かがあるかもしれない、と言った。その時、祥はそんなことはあり得ない、と思った。大蔵との幼いころからの絆を、男女の色恋で汚されたような気持ちすらした。だが、それは祥が子どもだっただけなのだ。

 大蔵の気持ちが、今更になって分かった。分かったところで、どうしようもない。祥は義宣の側室になる。大蔵は祥のことを思ってくれていたから、こうして最後の別れをしにやって来たのだろう。

 ただ、今は大蔵の気持ちがありがたいと思うと同時に、今まで何も気づかなかったことを申し訳なく思うだけだ。

「大蔵」

「はっ」

「わたしは、お屋形さまの側室になります。お屋形さまのお子を産みます」

 大蔵が唇を噛んだ。祥の胸も痛む。だが、視線を逸らすことはできなかった。

「お屋形さまのお子は、確かに佐竹のお子でしょう。しかし、二階堂の子でもあるのです。わたしの子でもあるのです」

「はい」

「大蔵、わたしはお屋形さまのお子を産みます。その子は、二階堂の子です。守ってくれますね?」

 沈黙が流れる。大蔵の目には涙が浮かび、静かに頬を流れ落ちた。鏡田が息をのむ気配がした。

「はい。お守りいたします。姫様と再会を果たした時の約束を、それがしは忘れておりませぬ。姫様も、いずれお生まれになるお子も、それがしがお守りいたします。そのためにも、お屋形様に忠義を尽くす所存にございます」

「ありがとう、大蔵」

 大蔵は涙をぬぐい、立ち上がった。懐から笛が取り出された。その笛を祥は知っている。源一郎の笛だ。源一郎が戦から帰ったら、一緒に箏を弾くと約束した、源一郎の笛だ。

「姫様、それがしの笛とともに、箏を弾いていただけますか?」

「ええ」

 鏡田に目配せをすると、鏡田はほかの女中に箏の準備をするよう命じた。源一郎は八年前に死に、祥は義宣の側室になる。今まで、源一郎との約束を果たせなかったため、大蔵と一緒に箏を弾いたことはなかったが、これが最後なのだ。大蔵が源一郎の笛を吹くのならば、源一郎との約束も果たせるのかもしれない。今思えば、なぜ死んだ源一郎に義理立てするようなことをしていたのだろうか。もしかしたら、幼心に祥は源一郎に恋をしていたのかもしれない。

「大蔵、年が明ければいくつになりますか?」

「二十一にございます」

「わたしは十九歳です。わたしたちは、もう源一郎よりも年上になるのですね」

「はい」

 子どもの頃、源一郎は随分と大人に見えたものだ。年が明ければ、祥はその源一郎よりも年上になる。どうりで、祥も大蔵も、もう子どもではないわけだ。

 箏の準備ができ、大蔵の笛とともに祥は箏を弾いた。源一郎と弾く時は間違えてしまった箏も、もうこの年になっては間違えない。大蔵の笛の音も、幼いころよりも美しくなっていた。

 演奏が終わると、大蔵は祥を見つめて微笑んだ。

「実は、それがしも近いうちに妻を娶ることになりました」

「そうですか。どうか、あたたかい家を築いてください」

「はい。はやく孫の顔を見せて、父を安心させたいと思います。姫様も、後室御前にお孫様の顔を見せて差し上げてください。どうか、お幸せに」

「ありがとう」

 大蔵に阿南を安心させるように言われ、祥の心は決まった。大蔵に告げた言葉は、自分に言い聞かせるようなものだったのだ。祥は義宣の側室になる。義宣の子を産む。その子は佐竹の子だが、二階堂の子でもあるのだ。祥が誰の妻になろうとも、祥が生きている限り二階堂家は失われない。

「大蔵、須賀川城にいた頃も、下河辺にやって来てからも、わたしは大蔵が遊びに来てくれるのが、何よりも楽しみでした」

「そのお言葉を聞けただけで、それがしは果報者にございます」

 深々と頭を下げ、大蔵は去って行った。大蔵の背中が見えなくなっても、祥はその場に立っていた。

 年が明け、須賀川衆から新年の挨拶と、義宣への輿入れの祝いの言葉を受けた。阿南は、どちらも笑顔で受けていた。祥も、須賀川衆に笑顔を返した。大蔵は妻を迎えたと盛秀から聞いた。

 鏡田の用意した深緋の打掛をまとい、祥は輿に乗った。京の義宣のもとへ向かう輿だ。もう二度と、大蔵と会うことはないのだろう。祥は義宣の側室になる。だが、二階堂の姫であることに変わりはないのだ。

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