岩瀬の姫編(六)
城が燃えていた。本丸に駆けつけて、阿南と祥を助けたかったが、火の回りが速く、とても本丸に入れる状態ではなかった。
源一郎が父の盛秀とともに守っていた南ノ原口に向かってきた先陣の中に、二階堂家の一門であるはずの保土原江南斎がいた。そのことが、源一郎は信じられなかった。確かに、保土原は降伏派ではあったが、まさか伊達勢の案内をしてくるとは思ってもみなかった。盛秀も、保土原に激怒しているようだった。
南ノ原口で死ね、と盛秀は叫んだ。その言葉通り、源一郎は討死覚悟で戦った。死ぬつもりで戦っているのだから、討ち取った首を拾うことはなかった。何人の首を取ったのかも数えていない。いくら戦功を立てたところで、死ぬのだから意味がない。阿南と祥のために死ねるのならば、それで良かった。
死を恐れぬ二階堂勢は、伊達勢を押していた。このままでは、もしかしたら勝てるのではないか。源一郎はわずかな期待を胸に抱いた。だが、それは守屋の裏切りによって消えた。
盛秀と同じ二階堂四天王の守屋が、二階堂家の菩提寺である長禄寺に火を放ったのだった。歴代の主が眠る寺に火を放つとは、何を考えているのだ、と思ったが、裏切り者はそんなことを考えもしなかったのだろう。
またたく間に本丸まで延焼した。本丸へ入ることが叶わないと分かると、盛秀は南ノ原口を守る二階堂勢と股肱の家臣をまとめ、居城の和田城を目指した。和田城に籠城し、伊達勢と戦うつもりなのだ。源一郎も盛秀に従った。本丸に入れない以上、どうすることもできなかった。
阿南も祥も、政宗にとっては親戚だ。しかも、女である。殺されることはないと信じるしかない。
和田城に籠城すれば、いつか何かの機会で、二人を救えるかもしれない。そう思ったが、和田城に集まった兵はあまりにも少なかった。このまま籠城したところで、幾日も持たないことは目に見えている。
盛秀は自ら和田城に火を放ち、援軍を送ってくれていた佐竹を頼りに落ちることを決めた。佐竹に頼れば、いつか阿南と祥を救えるかもしれないし、二階堂家を再興できるかもしれない。母と大蔵は盛秀とともに佐竹の城である赤館城を目指すことになった。源一郎は、まだ乳飲み子である末の妹とその乳母、少数の家臣を連れて、盛秀とは別の道から赤館城を目指した。盛秀と源一郎と大蔵がともに行動して、須田家の男がすべて殺されるのを防ぐためなのだと思う。
乳母と乳飲み子の妹を連れて逃げるのは、難しかった。幸い妹が泣くことはなかったが、乳母の脚は源一郎や家臣たちよりも遅い。乳母を助けながら逃げるため、思ったよりも時がかかってしまっている。
「落人だ。二階堂の者に違いないぞ」
声が聞こえた。伊達勢だ。二階堂の落人を探していたのだ。見つかってしまった。
「はやく、妹を連れて逃げろ」
「しかし、若君」
「はやく」
乳母の背中を押し、源一郎は刀を抜いた。斬りかかってくる伊達の兵を斬る。何人斬ったのかは分からない。十人くらいだろうか。伊達の兵は、源一郎に斬られた仲間の屍を越えて、源一郎に迫る。しだいに源一郎は伊達の兵に押され始めた。
槍が源一郎に向かって突き出される。かわしたつもりだったが、具足の隙間を槍の刃が通り、源一郎の腹に刺さった。その瞬間、源一郎が怯んだのを、伊達の兵は見逃さなかった。何人も源一郎の上に重なり、源一郎は身動きが取れなくなったところを生け捕られた。逃げようとした乳母も、兵に捕まっているのが見えた。供の家臣は、源一郎と乳母、妹を救おうとしたが、伊達の兵に返り討ちにされてしまった。
「おい、この落人の羽織の家紋、須田美濃のものと同じではないか」
「確かに。では、須田美濃の息子か?」
「これは、よい獲物を捕まえられた」
伊達の兵たちは、笑いながら源一郎に縄をかけた。二階堂の須田と言えば、伊達でも知らぬ者はいないはずだ。源一郎は自分が須田盛秀の嫡男であると名乗らなかったが、盛秀の近くで戦う源一郎を見ていた者も多かったようで、誰も源一郎を須田家の息子と疑うことなく、政宗の本陣まで連れて来られた。
このまま、首を取られるのだろうか。それとも、盛秀を脅すための人質となるのだろうか。盛秀は、源一郎を人質に取ったところで動じるような男ではない。
乳母を連れて逃げていた源一郎が捕まったのだ。旗本衆に守られていたとは言え、女である阿南も祥も、本丸に籠っていた奥の女たちも、源一郎のように捕まっているのかもしれない。
源一郎の前に、眼帯姿の男が現れた。これが、伊達政宗か。政宗は源一郎を見ると、にやりと笑った。
「須田美濃守の嫡男か?」
「左様」
「そちの父には度々謀られた。そのせいでわしの戦略は大いに狂わされ、合戦の利を失うこともあったな。だが、わしは強運ゆえに須賀川を落とすことができたのじゃ。強敵の子なれば、わしの思うままとしようか」
政宗の口は笑みの形を作っていたが、目は鋭く源一郎を睨みつけていた。燃えるような目だった。
政宗の命で木が運ばれてきた。その木に源一郎を磔にするのだろう。思ったとおり、源一郎は木に結わえつけられた。政宗は家臣に持ってこさせた鉄砲を手にしている。その鉄砲で源一郎を撃つのか。できることならば、この命は阿南と祥のために使いたかった。だが、それは叶わないらしい。
出陣前、戦が終わったらもう一度、箏をともに弾くと約束してくれた祥の顔が浮かぶ。祥はまだ幼い姫だったが、いずれは阿南に似た立派な二階堂家の跡取りになっていたはずだ。そうなった祥に仕えたかった。婿を迎えた祥の姿を見たかったとも思うが、祥が婿を迎えるのも婿になる男も見ずに死ねるのは、ある意味よかったのかもしれない。
政宗が鉄砲を構える。源一郎は、からからと笑った。
「私の運が尽き、こうして捕らえられたからには、御辺が思うままになされよ。戦での一騎討ちならば、このようなことにはならなかったものを」
これは最後の意地だ。死を前にして、何を臆することがある。笑う源一郎を見て、政宗も笑った。
「天晴な剛の者じゃ。気が変わった。わしに仕えぬか? 助けてやってもよいぞ。わしのもとには、そちの主である二階堂後室とその姫もおる」
「後室御前と、姫様が?」
死を覚悟した源一郎の心が揺らいだ。阿南と祥が生きている。政宗に捕らわれながらも生きているのか。何としても救いたい。しかし、これは嘘ではないのか。源一郎を降伏させようとする罠ではないのか。
「ならば、御前と姫様に一目お会いしたい。一目お姿を拝することができたならば、私は御辺に仕えてもよい」
「それはできぬ。伯母上と姫は、仁井田におるのだ。この本陣に連れてくることはできぬ。だが、確かにそちの主はわしの掌中にあるのじゃ。どうだ、わしに仕える気になったか?」
政宗の言葉が嘘か真実か、源一郎には分からなかった。だが、仮に嘘なのだとしたら、政宗に仕えるなど二階堂の恥だ。須田の恥だ。阿南と祥に対する裏切りだ。それだけはできない。本当に二人が捕らわれているとしても、政宗は叔母である阿南を殺さないはずだ。それを信じるしかなかった。
「私の命をお助けくださったのならば、御辺に仕えて、今年か明年のうちには御前と姫様をお救いし、その御首を討ち落としてみせましょう」
源一郎の言葉に、本陣にいた政宗の家臣たちが色めいた。その中で政宗だけが冷静だった。政宗の持つ鉄砲が再び源一郎に向けられた。政宗に対して言いたいことは言った。これでいい。
「残念なことよ。須田の一族は、助け置くべき者ではなかった」
銃声が響く。政宗が再び鉄砲を構えるのが、かすかに見えた気がした。
再び祥とともに笛が吹けなかった。それだけが、源一郎は心残りだった。
政宗に捕らえられてから、祥と阿南たちは仁井田に移された。仁井田の屋敷に入れられたのだが、しばらくしてから今度は福島に移された。政宗が言うには、仁井田は寂しいところなので福島に移したらしい。
だが、祥たちにとっては仁井田も福島も同じだ。阿南は、今でも政宗の用意した食事には手をつけていないし、本陣で言葉を交わして以来、政宗とは口をきこうともしなかった。祥も阿南にならって政宗に話しかけられても答えなかった。それに、祥の気持ちとしても政宗とは口をききたくない。
政宗は、落城後の須賀川の様子を話そうとはしなかった。だから、家臣たちがどうなったのかはまったく分からない。もしかしたら、祥たちと同じように捕らえられている者もいるのかもしれないが、福島にいては分からなかった。
政宗は懲りずに、阿南に政宗の庇護を受けるようにと言ってくる。阿南はすべて無視していた。だが、阿南は政宗がつけた伊達の九人の家臣のことは無視しなかった。この九人は、阿南が二階堂家に嫁入りする前から伊達家に仕えている者たちで、阿南もよく知っている者たちらしい。政宗はそれを知っていて、この九人をつけたのだろう。
九人は政宗と違い、阿南に伊達家に来るようには言わなかった。ただ、昔を懐かしみ、阿南の身を案じていた。九人のその気遣いが養母は嬉しかったようだ。
政宗と阿南の根競べは、どちらもなかなか引こうとしなった。先にしびれを切らしたのは、政宗の方だった。政宗は、阿南や祥たちによくしてくれていた九人の家臣を殺したのだ。自分の家臣だというのに。
「伯母上が、政宗の世話になると言うてくださらぬ故、このような手を取るしかなかった。これ以上、わしの申し出を拒み続けるのならば、次はそこに控えている女がこうなりますぞ」
政宗は刀の切っ先を鏡田に向けた。鏡田は小さく悲鳴を上げた。阿南は怒りをあらわにして、政宗を睨みつけた。
「何という外道。自分の家臣まで手にかけるとは。それでは、伯母殺しの罪は免れたとしても、お前の評判はいずれ地に落ちよう。このような所にこれ以上はおれません。私たちは岩城を頼る。止めたいのならば、この皺首を取るがいい」
「しかし、伯母上」
「さあ、はよう」
政宗は刀を手にしたまま迷っているようだった。迷った後、政宗は、くそ、と呟いて刀を鞘におさめた。
「そこまで政宗の世話になるのが嫌とおっしゃるのならば、よろしい、ご希望通り岩城へ参られよ。だが、わしは顔に泥を塗られたこと、生涯決して忘れぬからな。姫も、よくよく覚えておくことじゃ。わしはそなたのことも忘れんぞ」
政宗は去り、二度と阿南と祥の前に姿を現さなかった。最後に見た政宗の片方しかない目は、阿南と祥への憎悪で燃えていたようだった。
祥は阿南に連れられて、阿南の甥である岩城常隆を頼った。常隆は祥たちを快く迎えてくれたが、祥たちが岩城へやって来て一年も経たないうちに病死してしまった。頼りにしていた常隆の死後、祥も阿南も岩城家にはいられなかった。
「お養母さま、わたしたちこれからどうするのですか?」
「そうですね、常陸へ行きましょう」
「常陸?」
「ええ。私の妹が常陸の佐竹家に嫁いでいます。ですから、今の当主の義宣殿は、お祥の従兄にあたるのですよ。きっと、私たちの面倒を見てくれます」
今度は、阿南の妹が嫁いでいる佐竹家の世話になることになった。佐竹は須賀川での戦でも、援軍を送ってくれていた。佐竹ならば、面倒を見てくれるだろう。
「須賀川からは、また離れてしまうのですね」
「寂しいかもしれませんが、大丈夫。私がついています」
「はい」
須賀川を離れ、親類を頼って生きるしかない身の上に不安を覚えないと言ったら嘘になる。だが、阿南がいてくれるから、祥は平気だった。
阿南はいつも、あたたかい手で祥を守り、導いてくれる。阿南がいてくれるなら、どんなところであろうとも平気に違いない。
祥たちが親類を頼ってさまよっている間、家臣たちはどうなったのだろうか。伊達を出てからも、二階堂の旧臣の話はまったく耳にしなかった。
源一郎との約束は果たせるのだろうか。須賀川城が落城してから、間もなく一年が経とうとしていた。




