作中年表
※この年表は、あくまでも作中の出来事に関するものです。史実とは異なる箇所もあります。
※西暦の隣の()の中の数字は、義宣の数え年での年齢です。
1570年(1)7月16日 佐竹義宣(幼名:徳寿丸)誕生。
1572年(3)義宣と那須資胤の娘(八重/那須御台)の婚約成立。
1575年(6)弟・喝食丸(後の蘆名義広)誕生。
1579年(10)喝食丸、白川家へ養子入り。白川義広となる。
1580年(11)蘆名盛隆の娘・祥(岩瀬御台)誕生。
1581年(12)梅津政景(金阿弥、茂右衛門)誕生。
妹・なす誕生。
1582年(13)義宣、元服。
1583年(14)多賀谷重経の娘・琳(義宣継室多賀谷氏)誕生。
弟・能化丸(後の岩城貞隆)誕生。
1584年(15)蘆名盛隆(祥の父)死去。
弟・彦太郎(後の多賀谷宣家)誕生。
1585年(16)義宣と八重(18)の結婚。
祥が二階堂家の養女となる。
11月 人取橋の戦い。
1586年(17)義宣、家督を相続する。
蘆名亀王丸(祥の弟)死去。
弟・白川義広、蘆名家へ養子入り。
1587年(18)妹・なす江戸家へ嫁入り。
1588年(19)須賀川出陣。東義久、伊達政宗を逃がす。
1589年(20)7月 摺上原の戦い。黒川落城。蘆名氏滅亡。
10月 須賀川落城。二階堂氏滅亡。祥と阿南は岩城家の世話となる。
1590年(21)琳、佐竹家の人質となる。
小田原攻めに参陣。石田三成に従い忍城攻めに参加。
7月 小田原落城。
祥と阿南、佐竹家の庇護を受けることとなり、下河辺に屋敷を与えられる。
8月 義宣、常陸一国安堵の朱印状を秀吉から与えられる。
八重の兄・那須資晴改易、佐良土に蟄居。
八重、女子を出産。間もなく女子は死亡。
12月 佐竹義重、江戸・大掾攻め。
義宣、従四位下・侍従に、義久、従五位下・中務大輔に任ぜられる。
1591年(22)2月 南方三十三館謀殺。
3月 居城を水戸城に移す。
4月17日 八重、太田城で自害(享年24)。
金阿弥、人見藤道の推挙で義宣に仕え始める。
1592年(23)義宣、秀吉の命で名護屋へ出陣。
1593年(24)6月 義久、朝鮮へ渡海。
義久、鹿島六万石と朝鮮土産の大手水鉢を秀吉に贈られる。
1594年(25)金阿弥の兄・半右衛門、同僚の真崎孫三を喧嘩の末殺害。
1595年(26)義宣と琳(13)の結婚。
1597年(28)10月 宇都宮国綱改易に連座し義宣も改易されかけるが、石田三成の取りなしで難を逃れる。
1598年(29)義宣、祥を側室に迎える。




