岩瀬の姫編(四)
祥が二階堂家の養女になってからの四年の間に、二階堂家は佐竹家などと連合して、伊達家と戦をしているようだった。阿南から説明をされるのだが、祥にはよく分からなかった。戦はあったが、源一郎はまだ初陣を迎えていない。元服をして、秀広という新たな名を得てはいるのだが、祥は今でも昔のように源一郎と呼んでいる。源一郎も、その方がいいと言っていた。大蔵は、まだ元服を迎えていない。
一年ほど前、黒川城で母が病死した。父と亀王丸に続いて、母まで死んでしまって、祥は数日塞ぎこんでいた。だが、母の亡き後、迎えた婿とともに蘆名家を取り仕切っている姉のことを思えば、いつまでも泣いてはいられなかった。きっと、鶴千代は父が死んだ時と同じように、泣くのを堪えて気丈に振舞っているのだと思う。
母が死んでから、伊達家は蘆名家の攻略を企んでいるらしかった。鶴千代はそのことにも、頭を痛めているだろう。実の叔母である母が死んで、伊達家の当主の政宗は、良い機会だと思っているのかもしれない。蘆名家がもし落とされたら、次は二階堂、その次は佐竹が狙われるのではないか、という話も聞いている。
阿南は連日、盛秀ら家臣とともに、今後について話し合いをしていて、表は緊迫しているらしかったが、奥はまだ平和だった。祥は鏡田に、箏のほかに裁縫や和歌など、さまざまなことを教えられている。箏は、昔に比べればうまく弾けるようになった。大蔵の笛の腕も、上達した。だが、二人とも源一郎にはかなわなかった。大蔵は、兄にかなわないことをとても悔しがっていた。
大蔵は以前と変わらず祥の遊び相手になっているが、元服を迎えてから源一郎はあまり祥のもとへは来なくなった。だから、たまに源一郎が大蔵とともにやってくると、とても嬉しかった。
祥は、源一郎の笛とともに箏を弾くと、なぜか分からないがいつもよりも上手く弾けなかった。いつもなら間違わないところで間違えて、おかしな音を鳴らしてしまうのだ。
祥の箏にあわせて、源一郎が笛を吹く。だが、祥は今も上手く箏を鳴らせなかった。演奏が終わり、源一郎が祥に微笑みかける。祥は笑みを返したが、祥ばかり間違ってしまって、恥ずかしかった。大蔵とともに演奏すると、間違うことはないというのに。
「姫様、どうなさったのですか? いつも、とてもお上手ですのに」
源一郎と大蔵が退出した後、鏡田に問われたが、祥にも理由は分からないのだ。首を傾げるしかなかった。
「わたしも分からないのだけど、源一郎と一緒の時だけ、間違えてしまうの。自分でも不思議」
「あら」
はっとしたように鏡田が口許を抑えた。祥が首を傾げると、鏡田は意味ありげに微笑んだ。
「姫様も、そろそろ源氏物語や伊勢物語をお読みになった方が、よろしいかもしれまわせんわね」
「源氏物語なら、もう何度か読んでいるじゃない」
「ええ、ええ。けれど、もっと熱心にお読みしましょうね」
鏡田が何を言いたいのか分からないが、鏡田にだけ分かる何かがあったようで、祥は少し面白くなかった。
黒川落城の知らせを受け、阿南は深いため息をついた。自分の息子の盛隆が城主となった黒川城が、盛隆が当主となった蘆名家が、滅亡してしまったのだ。祥は、実家の滅亡を聞けば、また泣くだろう。祥の胸中を思うと、阿南の気持ちも沈む。黒川落城を知ったら、亡き盛隆や妹は何と思うだろうか。
蘆名家の当主である義広は、祥の姉である妻とその妹を連れて実家の佐竹家に逃げ帰ったそうなので、祥の姉妹は無事だ。そのことが、唯一の救いだった。
かつては奥羽に敵なしとも思える勢力を誇り、二階堂家は嫡男を人質に出すしかなかった名門の蘆名家がこうもあっさり滅亡してしまうとは、乱世は何が起こるか分からない。二階堂家の命運も、蘆名家が滅亡した今となっては、風前の灯だった。
二階堂家の後継者は阿南の孫娘である祥だ。だが、祥はまだ十歳の少女で、到底婿を迎えられるような年ではなかった。それに、伊達家の脅威にさらされている二階堂家に、どこの家の男が婿に入ってくれるだろうか。二階堂家も鎌倉より続く名門だが、それに相応しい家格の婿は迎えられないだろう。そもそも、祥が婿を迎えられるような年になるまで、二階堂家が滅亡せずにいられるかも分かったものではない。
祥に蘆名家滅亡を伝えると、思ったとおり祥は涙を浮かべた。だが、母親の死を告げた時に比べれば、ほとんど泣かなかったようなものだ。阿南も心が痛んだが、ただ小さい体を抱きしめることしかできなかった。
蘆名家が滅亡してから、伊達政宗から阿南のもとへ降伏を促す書状が何度も届いている。家臣たちの中には、降伏を望む者もいる。
「政宗は、伯母上とは戦いたくない、などと申しておりますが、何を言っておるのやら。叔母が亡くなったのを見計らったかのように蘆名家を攻めたのは誰ですか。それに、我が息子が当主となっていた蘆名家を滅ぼした者に、二階堂の人間が降ると思っているのか」
「後室御前、お気持ちお察しいたします。それがしも、亡き盛隆様のことを思うと、心が痛みます。しかし、今の政宗と戦って、我らが勝てるとは申し上げられませぬ」
「美濃、それは私にも分かっております。執政であるお前は、今までこの婆をよう支えてくれました」
「後室御前はまだまだお若うございますぞ。それがしの方が、よっぽど爺じゃ」
「いいえ、歳をとったのです。政宗と戦って勝つ見込みがないのは分かっている。しかし、亡うなった夫や、息子たちのことを思うと、降伏などできぬと思ってしまう。これは、私の意地なのです。領民や家臣たち、お祥のためにも、政宗に降った方がよいのかもしれませんが」
「恐れながら申し上げます。それがしは、政宗に降るが良いと存じます」
盛秀は、夫の盛義が少年だった頃から側近く盛義を支えてきた、二階堂家の忠臣だ。四天王の一人でもあり、須賀川城の城代でもあり、執政でもある。盛義亡き後は、阿南のことも盛義を支えるのと同様に支えてくれていた。盛秀がいなければ、須賀川城はもっとはやく落城の危機に陥っていただろう。
「美濃の忠義、私は嬉しく思います。美濃の言うことも分かるのです。しかし、もうしばらく考える時間がほしい。明日も、評定を開きましょう」
「はっ」
政宗から降伏を促されて、家中は二つに割れていた。徹底抗戦を望む者と、降伏を望む者。降伏を望む者の中に、二階堂家の一門や重臣が多いことが、阿南を悩ませていた。
翌日、家臣たちを集め評定を開き、意見を聞くと、まっ先に口を開いたのは二階堂四天王の一人である守屋筑後守俊重だった。
「それがしは、伊達家よりご養子を迎えられるべきと考えまする。伊達家は後室御前のご実家。その伊達家からご養子を迎えられ、後見を頼むことはおかしくありませぬ。ここは、佐竹家よりも伊達家を頼みにして参るべきと存ずる」
「わしも、筑後と同意見じゃ」
守屋の意見に、一門衆の保土原江南斎も賛同した。降伏派の家臣は、口々に守屋と保土原を支持する。阿南は何も言わず、意見に耳を傾けていた。盛秀も何も言わない。盛秀は、阿南には意見を言うが、評定の場では自分の意見を言わなかった。家老である自分が意見を言えば、どうするか迷っている者の意見が聞けなくなると思っているらしい。
「蘆名家から迎えられた姫様もいらっしゃることですし、姫様の婿養子ということにすればよろしいのでは? 姫様は今年で、確か十歳になられたはず。まあ、少々早いとは思いますが、婿を迎えられてもおかしくはないでしょう。蘆名亀王丸様の後継を義広殿と争った、政宗殿の弟御など、年も姫様と近いはずですし」
守屋と保土原に賛同して、矢部下野守義政も意見を述べた。矢部も守屋と同じく二階堂四天王の一人だ。四天王のうち二人も降伏を積極的に唱えるとは、悲しいものがある。それに、まだ十歳の祥に伊達家から婿を婿えろとは、矢部は何を言っているのだろう。
「下野殿、少々お言葉が過ぎるのでは」
「これは。後室御前、失礼いたしました」
盛秀に声をかけられ、矢部は慌てて阿南に頭を下げた。守屋や矢部の様子を見て、箭田野藤三郎義正は怒りの表情を浮かべていた。箭田野は、盛秀と親しい譜代家臣だった。
「二階堂四天王ともあろう者が、何と弱気なことか。ここは武士の誇りを示す時。拙者、後室御前のためにこの命捧げるつもりにございます」
阿南に向かって深々と頭を下げる箭田野に対して、守屋は立ち上がった。守屋の顔にも怒りが浮かんでいる。
「箭田野殿、本気で伊達と戦うつもりか? 今この奥州で伊達家に敵う家などないぞ。それは、我らとて同じこと。箭田野殿は犬死にせよと言っているのか」
「筑後殿、何なのだ、その言い草は。恩ある二階堂家のために死ぬことの何が犬死にだとおっしゃるのですかな」
「犬死にではないか。伊達家より姫様に婿養子を迎えれば、一滴の血も流さず、誰の命も失わず、二階堂家は存続できるのだぞ」
「はてさて、仮に姫様に婿養子をお迎えしたとして、そう上手くことが運びましょうや」
「二人とも、そのくらいにしなさい」
阿南が止めると、守屋も箭田野も口を閉ざしたが、二人とも互いを睨みつけていた。阿南は、箭田野の意見に賛同している。だが、この場で答えを出すことはできなかった。重臣が降伏を望んでいるのだ。もうしばらく考えなければならない。
ひとまず評定を終え、家臣たちを帰らせた。盛秀だけが阿南のそばに控えている。
「美濃、降伏を望む者が多いのかもしれませんね」
「しかし、あの者たちのすすめる降伏と、それがしのおすすめする降伏、どちらも同じ降伏とは、それがしには思えませぬ」
「私もです。しかし、どうしたものか」
阿南が悩んでいる間にも、政宗からは降伏を促す書状が何通も届く。その内容は、次第に脅しのようになってきていた。降伏を促しながらも、政宗の軍が須賀川に近づいていることも知っている。この状況で降伏して、本当に守屋の言うとおり、ことが上手く運ぶだろうか。
阿南がひとり悩んでいると、日が暮れたというのに慌ただしく駆ける足音が聞こえた。何か、異変があったのだろうか。
「後室御前、大変でございます。町の東に火が見えます」
「町の東に? 十日山のあたりではありませんか」
侍女の知らせに、阿南も慌てて町の様子を見に行くと、確かに東の丘に火が見える。まさか、伊達の軍勢が現れたのか。東は田村に面しているため、伊達勢がそこから現れてもおかしくはないが、今は黒川城に政宗が入っているはずだ。東からは攻め入らないだろう。
侍女はすっかり怯えてしまっている。火をじっと見つめていると、その火は一列になり、須賀川城へ向かって来ているようだった。
「後室御前、美濃守様が城門にて御前をお待ちするとのことです」
「美濃が?」
正体不明の火の列が城へ向かっているのだ。盛秀もそれを知り、城門へ駆けつけたのかもしれない。阿南が城門へ行くと、城門は炎で昼のように明るかった。松明を手にした者たちが、大勢城門の前に並んでいる。その先頭に立っているのは、盛秀と箭田野だった。あの列は、この者たちだったのか。
「後室御前、伊達家と戦うことを望む家臣一同と、二階堂家を慕う領民たちで、松明を手に町の東の丘にて話し合いをいたしました。我らの心はただひとつ。後室御前へこの命を捧げ、伊達家と戦うことにあります。その決意を確かめ合いました」
箭田野の言葉に、家臣だけではなく松明を持った領民たちも賛同の声をあげた。
「後室御前、この者たちの、これほどまでの決意を知った以上、それがしも何も申し上げることはございませぬ。どうぞ我らに下知を」
「美濃、藤三郎、皆、ありがとう。私の心は決まりました。大広間に、家臣たちを集めなさい。須賀川城主としての下知を伝える」
盛秀に率いられ、家臣たちは城内へと入って行った。残った領民たちには、阿南を見つめている。領民たちにも家に帰るよう伝えると、領民たちは何度も城門を振り返りながら帰って行った。領民の姿が見えなくなるまで見送って、阿南も大広間へ向かった。主だった家臣たちは、すでに集まっていた。
「私の心は決まりました。そのことを伝えるために、皆に集まってもらったのです」
居並ぶ家臣たちは、黙って阿南の言葉に耳を傾けている。阿南は大きく息を吸った。
「伊達政宗と戦い、籠城いたします」
家臣たちがざわめいたが、阿南が咳払いをすると再び静まった。
「亡き夫、盛義殿がご存命の間、政宗は我らにとって憎き敵である田村家と縁談を結び、二階堂家に敵対しておりました。しかも、政宗は我が養女の実家であり、佐竹家の義広殿が当主となっていた蘆名家を滅ぼしました。佐竹家はことあるごとに我らに援軍を差し向けてくださっていた。どうして、佐竹や蘆名を裏切り、伊達につくことができましょうか。私は女の身ではありますが、もとより城を枕に討死の覚悟はできております。しかし、政宗に降りたい者があったら、降りなさい。それはその者の選んだ道なのですから。ただ、少しでも二階堂を思う者がいるのならば、私とともに戦い、須賀川城と運命をともにいたしましょう」
自分の胸の内を語るうちに、阿南の目からは自然と涙が流れていた。箭田野に言われずとも、阿南の心は最初から決まっていた。ただ、領民たちのことを思うと決断できなかったのだ。その領民も、政宗と戦うことを許してくれた。ならば、阿南は夫と息子の残した城とともにこの身が果てようとも、政宗に城を渡すわけにはいかなかった。
家臣の中から、嗚咽の声が聞こえた。箭田野は流れる涙を拭おうとはしていなかったし、盛秀も涙を隠さなかった。ほかにも、泣いている者は大勢いる。
「皆の者、後室御前のご下知である。いかで政宗に降ろうや。後室御前、我らはどこまでも御前のお供をいたします」
美濃の言葉で、家臣たちの心は決まったようだった。おう、と掛け声をあげ、家臣たちが立ち上がった。阿南は、その姿に涙した。
その夜から、須賀川城は籠城の準備を始めた。千用寺の秀芸と明林寺の明良が、熊野の牛王宝印に起請文を書き、これを灰にして酒に浮かべ、一同決心の者で回し飲み、覚悟を固めた。政宗には、家臣たちに語ったのと同じ内容の書状を送った。それ以降、政宗から書状が届くことはなかった。




