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道程  作者: 実川
二 岩瀬の姫編
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岩瀬の姫編(三)

 祥が二階堂家の養女となって二年目の年の瀬、亀王丸が疱瘡で急死したという知らせが入った。亀王丸は、まだ三歳だった。

 祥が黒川城にいたころ、亀王丸はまだ生まれて半年も経っていない赤子だった。亀王丸は、姉である祥のことなど覚えていなかっただろう。祥も、三歳の亀王丸が想像できない。それでも、自分の弟が病死したことは悲しくて、祥は泣いた。

「お養母さま、お父さまが亡くなって、今度は亀王丸が亡くなって、どうしてこんなに悲しいことが起こるのでしょう?」

「なぜなのでしょうね。それは、私にも分かりません。私も、夫が亡くなり、後を継いだ次男が亡くなり、盛隆まで亡くなった時は、私の前世での業のせいなのだろうか、とも思ったものです。これがさだめなのならば、そのさだめを恨みもしました」

「でも、お養母さまは元気そうに見えます」

「ええ。己の身に起きた不幸を嘆いたところで、何も変わりません。己の不幸を嘆くばかりでは、ますます不幸になってしまいます。なぜ自分ばかり不幸なのだろう、と思うのではなく、少しでも楽しいことを見つけて生きていければ、きっと幸せになれると、私は思うのですよ。それに、私にはなすべきことも多くありましたからね」

「お養母さまは、幸せですか?」

 祥の問いに、阿南はにこりと笑って、祥の頭を撫でた。

「とても。お祥がいるだけで、私はとても幸せなのです。夫や息子たちがいなくても、お祥がいる。そして、私は今も生きている。残された者ができることは、日々を懸命に生きることだと思います」

「祥も、お養母さまや鏡田がいるし、爺も源一郎も大蔵もいるから、幸せです」

「それは良かった。悲しみの中に、少しでも明るさを見つけることが出来ることは、幸せなことです。さて、私は表に戻らなければなりませんが、その前に抱いてやりましょう。おいで」

「はい」

 阿南は須賀川の城主であるため、忙しくてなかなか祥と一緒に遊んではくれない。だから、たまに甘やかされるととても嬉しかった。阿南の胸に抱きつくと、阿南は祥の背中を、ぽんぽん、と撫でてくれた。

「そうだ。美濃が、城下に琵琶法師がいると言っておりました。平家物語を聞いて、気晴らしをなさい」

「お養母さまは?」

「私は、表に戻らねばならないと言ったでしょう。亀王丸が亡くなって、今後の蘆名家がどうなるのか、二階堂家はどうするのか、話合わなければならないのです」

「分かりました」

「お祥、悲しいことが多い世だけれど、いつかお前にも、良いことがめぐってきますよ」

 阿南は祥を膝から下ろし、表へ戻ってしまった。阿南と入れ替わるように、源一郎と大蔵の兄弟が祥のもとへやって来た。源一郎の態度は普段と変わらないが、大蔵は少しおかしかった。祥の顔を見たと思うと、すぐに目をそらしてしまうのだ。

「あ、あの、姫様。その、この度は、あの」

 口ごもる大蔵に、大蔵は亀王丸が病死したことを言いたいのだと分かった。祥を慰めようとしているようだが、どうも言葉が浮かばないらしい。祥としては、何か言われるよりも、何も知らないかのように、そのことには触れてほしくなかった。これは祥の問題で、大蔵には関わりがないのだ。

「姫様、後室御前が琵琶法師を奥に呼ぶことを、お許しくださったそうですね。今、鏡田殿が準備をしています。姫様は、平家物語がお好きなのですか?」

 源一郎は、大蔵をそっと手で制して、亀王丸とはまったく関係のない話をしてきた。源一郎のような態度が、祥には嬉しい。

「いいえ。わたしは、平家物語をよく知らないのです。だから、楽しみです。源一郎は?」

「私は好きです。源氏が平家へ復讐を果たすのですから、武士の鑑と存じます」

「そうなのですか」

 祥と源一郎が話をしている間、大蔵は黙っていた。大蔵の方を見ると、やはり目をそらされてしまう。大蔵は少し気まずいと思っているのかもしれない。

 しばらくして、準備ができたのか鏡田が祥たちを呼びに来た。鏡田の機嫌は、なぜかとても良かった。鏡田は平家物語が好きなのかもしれない。

「鏡田、とても楽しそうね」

「ええ、もちろんです。今日は三位の中将と大納言典侍だいなごんのすけの話を聞くと決めておりますの」

「三位の中将と大納言典侍?」

平重衡たいらのしげひらとその奥方の話です」

 源一郎にそっと耳打ちされたが、祥はその話を知らないし、平重衡もよく分からない。だが、鏡田が楽しみにしているのだから、きっと面白いのだろう。

 琵琶の音ともに、平曲が語られ始めた。どうやら、この話は重衡と大納言典侍の別れの話のようだ。処刑される重衡が、最後に人目妻に会いたいと願い、妻である大納言典侍と再会を果たす。そして、大納言典侍に自分の髪を噛み切って渡し、後の世での再会を願い、処刑へと向かう。大納言典侍は泣きながら重衡を見送った。

 祥の隣で語りを聞いている鏡田は、胸の前で手を握り、目を輝かせていた。源一郎は背筋を伸ばして黙って聞いていたが、大蔵はあまり面白くなさそうな顔をしている。祥も、鏡田がなぜあんなにも目を輝かせているのか、よく分からなかった。

「ああ、本当に三位の中将は素敵。わたくしも、娘のころに三位の中将のような殿方にお会いできていれば、と思いますわ」

 琵琶法師の平曲が終わると、鏡田はうっとりとため息をついた。そんな鏡田を見て、源一郎は小さく笑っている。

「鏡田は、三位の中将が好き?」

「それはもう。平家物語の中では一番好きです。源氏物語の光源氏より、わたくしは三位の中将が好きですね。何と言っても、その姿が牡丹の花にたとえられる美しさ。それに、武勇にも秀でた素晴らしい武士なのですから。しかも、漢詩や音楽にまで長じているのですよ。何て素敵なのかしら」

「多分、素敵な殿方なのだろうけど、わたしにはよく分からない。三位の中将と大納言典侍が、なぜあんなに互いを思っているのかも。夫婦とは、そういうものなの?」

「姫様も、もう少し大きくおなりになったら、お分かりになりますよ」

 そういうものなのだろうか、と思ったが、祥は鏡田の言葉に頷いた。

「後室御前も、亡き殿のために城主をつとめておいでです。後室御前のお気持ちは、契あらば後の世にてはかならず生まれあひ奉らん、一つ蓮に、といったところなのでしょう。たとえ現世では二度と会えずとも、相手を思う気持ちに変わりはないのだと思います」

「何となく、分かるかもしれません」

 源一郎から阿南を例に出されて説明されると、少し分かるような気がした。夫婦の絆があるからこそ、阿南は須賀川の城主になったのだろう。

「わたしも、お養母さまのように、そんなにも思い合える方と出会えるのかしら」

 祥が見上げると、源一郎は目を伏せて微笑むだけだった。鏡田は、祥の手を取って、必ず出会える、と言ってくれた。

「さあ、気晴らしもできたことですし、箏のお稽古をしましょうね」

「はい」

 祥は箏の稽古が苦手だった。鏡田の教え方が下手なのではない。箏が下手な祥が聞いても、鏡田の箏の腕は素晴らしいと思う。養母も、鏡田は奏楽に長けているのだと言っている。だが、祥はどうにもなかなか上達できないのだ。祥が一人では辛かろうと、鏡田は大蔵にも笛を教えているが、大蔵の笛の腕は祥の箏よりも下手だった。楽器が上手くない仲間がいて、祥は安心している。

「大蔵殿も、笛のお稽古ですよ。源一郎殿も、お付き合いくださいますか?」

「そうですね。笛ならば多少お付き合いできると思います」

「多少だなどと。美濃殿から伺っておりますのよ。源一郎殿は笛の名手でいらっしゃると。源一郎殿は元服を迎えられてから、まこと凛々しくおなりだこと。末は三位の中将かしら」

「鏡田殿、あまり買い被らないでください」

 はにかみながら、源一郎は笛を手にした。笛を吹く源一郎の姿は、庭に咲いていた牡丹の花を思わせた。何となく、鏡田が平重衡に夢中になる気持ちが、分かったような気がする。

「それがしも、吹きます」

 兄に負けじと大蔵は笛を吹いたが、相変わらず大蔵の笛は下手だった。祥も箏を鳴らしてみたが、祥の琴も下手だった。大蔵と二人、顔を見合わせて笑った。

 亀王丸亡き後の蘆名家は、阿南の甥であり、白川家に養子に入っている佐竹家の次男が継ぐことになったと養母から聞いた。白川義広しらかわよしひろが姉の鶴千代の婿となり、蘆名を継ぐのだそうだ。義広の母は阿南の妹なので、義広は姉にとっても祥にとっても従兄弟ということになる。

 姉のように、いつか祥も婿を迎える。それは、そう遠くはないことだと思うが、まだ実感がわかなかった。今は、源一郎や大蔵と遊ぶのが、とても楽しいのだ。

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