岩瀬の姫編(一)
円に並べた貝と、円の中心に置いた貝を何度も見比べ、これこそが円の中心の貝と対をなすものだと思った貝を一つ手に取った。円の中心の貝と手に取った貝の内側を比べると、片方には源氏絵の若紫が描いてあり、もう一方には須磨が描いてあった。二つの貝を合わせてみても、当然二つは重ならない。
二つの貝を見て口をとがらせる祥を見て、姉の鶴千代と、妹の春の乳母は小さく笑った。
「お祥、いくら睨めてもその貝は若紫の対の貝ではないのだから、はやくもとにお戻しなさいな。次は、わたくしの番ね」
「はい、お姉さま」
しぶしぶ貝をもとに戻すと、鶴千代は祥のように長々と迷うことなく、あっさり中心の貝である若紫の貝と対になるものを見つけたようだった。その貝を手に取り、鶴千代が微笑んだ。祥に見せた内側には、どちらも若紫の絵が描かれている。
「若紫が揃ったわ。さて、次は何かしら」
「お姉さまは、これでもう八つ目。ずるいです」
「あら、ずるくないわよ。わたくしの方が、貝覆いが得意というだけ」
確かに鶴千代の言う通りなのだが、面白くなくて祥は頬を膨らませた。貝覆いの遊びは、綺麗な貝を見ているだけでも楽しいから好きなのだが、鶴千代には絶対に勝てないのが、少し嫌だった。そんな祥の顔を見て、鶴千代と春の乳母がまた笑った。
「まあ、鶴千代姫さまもそのくらいになさいませ。姫さまは祥姫さまより五つもお姉さまなのですよ」
「ええ、分かっているわ。けれど、お祥の反応が可愛くて、つい本気になってしまうの。あら、お春。並べている貝を勝手に動かしては駄目」
鶴千代と乳母が笑いながら言葉を交わしていると、まだ二歳の春が並べている貝を勝手に動かし始めた。慌てて乳母が春を抱きあげたが、春は貝が欲しいのか、乳母の腕に抱かれながらぐずっている。
「貝覆いですか。私もよく米沢で姉や妹と遊んだものです」
「母上。亀王丸は眠ったのですか?」
「泣き疲れたのか、よく眠っていますよ」
祥たちが遊んでいるところにやってきた母は、春の頭を撫で、鶴千代と祥の間に座って並べた貝を眺めている。弟の亀王丸が生まれて、まだ一月しか経っていないのだ。母は、最近になってようやく以前のように起きて歩くようになっていた。
「お母さまもご一緒にいかがですか?」
「そうですね。懐かしいわ」
母も一緒に貝覆いをすると聞くと、祥は姉に負けるのが面白くないと思っていたことなど、すっかり忘れた。母にぴたりと寄り添って、母がどの貝を選ぶのか眺めた。
「奥方様」
楽しいひと時を破るように、侍女の声が響いた。その声は、震えているようだった。侍女の声だけではなく、男の声も聞こえてくるし、悲鳴のようなものも聞こえてくる。祥は姉と顔を見合わせたが、姉も何が起きているのか分からないようだった。
「何かありましたか?」
「急ぎ、お越しくださいませ」
「分かりました。鶴千代、祥と春、亀王丸を頼みますよ」
「はい、母上」
せっかく、母と遊べると思ったのだが、母は急いでどこかへ行ってしまった。母と入れ替わるように、亀王丸を抱いて、亀王丸の乳母がやって来た。乳母の顔は、青ざめていた。一体何があったのだろう。分からないが、よくないことが起きていることは、奥の混乱と乳母の顔で祥にも何となく分かった。
「お前、何が起きたか知っている?」
「は、はい。ですが」
乳母は取り乱していて、姉の問いに対してはっきりと答えられなかった。嫌な感じがする。
「わたくしは、何が起きたか知っているのか、と聞いたの。聞かれたことにお答えなさい」
「はっ。と、殿様が、大庭何某に、が、害せられたと」
「義父上が、何ですって?」
「申し訳ございません、鶴千代姫様。私も詳しいことは存じませぬ。ただ、亀王丸様のお世話をしておりましたら、表の男どもが奥までやってきて、奥方様をお呼びせよと叫ぶのです。何事かと思い、話を聞いておりましたところ、殿様がその大庭何某に刺されたのだと申しておりました」
「義父上は、お亡くなりになったの?」
「存じませぬ。しかし、おそらくは遠からず」
乳母の返答を聞くと、姉は何も言わずにその場に座り込んだ。その顔には、まったく表情が見えなかった。春は恐ろしいのか乳母にしがみついて大声で泣いている。その声で亀王丸も起きてしまったようだ。祥は、何があったのかうまく理解できなかった。姉に聞きたかったが、そんな状況ではないことは分かる。父の蘆名盛隆が、家臣に刺されてしまったということも、何となく分かった。だが、信じられなかった。
頭の中も心の中も混乱していた。どうすればいいのか分からず、祥は並べていた貝を黙って見ていた。今までは、いくらじっと見つめても、中央の貝と同じ貝を見つけることができなかったのに、今はすぐに中央の貝と対になる貝が目に入った。
部屋の中では、誰も口を開かなかった。春がしゃくりあげる声と、亀王丸の泣き声が響くだけだ。
奥の女たちはこの部屋に集められているのか、次第に女たちが増えてきた。祥たちは口を開くこともできないのに、女たちは部屋にやって来ると、姉や祥に頭を下げては見せたが、すぐに話を始めた。
「まさか殿様が家臣に害せられるとはね」
「本当。亀王丸様がいらっしゃるとは言っても、お生まれになってまだ一月でしょう? これから、蘆名のお家はどうなるのかしら」
「もともと、今の殿様は二階堂の人質だった方じゃないの。先代様が今もご健在だったならねえ」
「今の殿様は、もとが二階堂のお方だからか、表の男たちの中には好いていない者もいたようだけど、男色のもつれで殺されるとは思いもしなかった」
「ちょっと、姫様方に聞こえるわよ」
二人は慌てて声を落としたが、二人の話は最初からすべて聞こえている。話を聞きながら、そんなことを思っていたが、最後の言葉が引っかかる。男色のもつれとは、どういうことだろうか。
祥の隣で、床を叩く音がした。そちらに顔を向けると、鶴千代が目を赤くして、二人の女を睨みつけていた。
「いい加減黙りなさい。お前たちは、ここにいるのが誰か分かっているのか? わたくしたちは、お前たちが貶めている当主の娘だということを忘れたか? ここにいるのは、次代の当主、亀王丸だと分かっているのか? 義父上はお亡くなりになった。それ以上、何を言うことがあるというの? この部屋から出て行きなさい」
「こ、これは、とんだ無礼を」
「はやく。出て行けと言ったのが聞こえないか? わたくしは、お前たちの顔など二度と見とうないと言っているのだ」
女たちは、小さくなって出て行った。鶴千代は肩を震わせ、涙を流している。気がつくと、祥もぼろぼろと泣いていた。父は、死んだのだ。家臣の大庭という者に殺された。信じられなかったが、父は殺されたのだ。
再び、部屋の中は静まり返った。どのくらい時が経ったのか分からないが、母が戻って来た。母の目は腫れていた。
「父上に、お会いしましょう」
母に手を引かれて歩いた。城の中は、いつも歩いているはずなのに、どこを歩いているのかまったく分からなかった。母に連れられてきた部屋には、父がいた。まるで、寝ているように見えた。だが、顔色が悪い。顔に触れてみた。ぞっとするほど冷たかった。涙が、父の顔に落ちてしまった。
父を囲むように、母と鶴千代と、春を抱いた乳母、亀王丸を抱いた乳母が並んで座った。鶴千代は拳を握りしめ、唇を噛んで泣くのを堪えているようだった。目には涙がいっぱいたまっている。だが、鶴千代は何も言わず、涙を流さず、じっと父の顔を見ていた。祥は、苦しくて仕方がなくて、涙をこぼした。不思議と、声は出なかった。
「父上は、可愛がっている鷹に餌を与えているところを、家臣の大庭三左衛門という者に害せられました。その大庭も、その場で捕らえられ、首を刎ねられたそうです」
母は涙を流しながら、静かに呟いた。鶴千代はますます強く拳を握った。
「この時から、蘆名家の当主は亀王丸です。私が後見となり、亡き盛隆殿、盛興様に恥ずかしくない当主にしたいと思います。鶴千代、それでよいですね?」
「わたくしは、母上とともに亀王丸を支え、蘆名を守りとうございます」
鶴千代の目から涙が流れ、母は姉と祥を抱きしめた。その晩は、皆で父と同じ部屋で眠った。父の葬儀は、蘆名家の菩提寺である天寧寺でひそやかに行われた。母は、家臣に殺された当主の葬儀を、盛大には行いたくなかったのだろう。
父の葬儀が終わり、七日ごとに法要を営みながら、母は亀王丸を当主とし、国政の後見に当たっていた。鶴千代は、母に従い、母を支えようとしているようだった。祥には、何も出来ることがなく、ただ春や亀王丸の遊び相手をするだけだった。
四十九日の法要というものも終わった頃、祥は母に呼ばれた。鶴千代や春は呼ばれず、祥だけが呼ばれたのだ。話があると母は言っていたが、何の話だろう。
「お祥、父上が二階堂家の出身だということは、知っていますね?」
「はい。以前、教えていただきました」
「その二階堂家なのですが、もともと父上が嫡男だったのです。しかし、父上が蘆名家の当主となり、父上の弟に当たる方が当主となっておりました。その方も、先年お亡くなりになり、今の二階堂家は私の姉が須賀川城の城主となっているのです」
「お母さまのお姉さま? 伯母さまということですか?」
「そうですね。しかし、私の姉は父上の母上でもあるのです。お祥にとっては、伯母上でもあり、お祖母様でもあるということ。お祖母様と思った方がよいでしょう」
「では、お祖母さまがどうかなさったのですか?」
祥の問いに、母は浮かない顔をした。どうしたのかと思いじっと見つめると、母は祥を見て目に涙を浮かべた。
「お祥には、須賀川二階堂家の養女となってもらいます」
「養女?」
「須賀川のお祖母様の娘になるということです」
「それは、お母さまやお姉さまたちとお別れするということですか?」
「はい」
父が亡くなり、これからは母と鶴千代と春と亀王丸と五人で支え合って生きていくのだと思っていた。だが、祥だけは須賀川というところへ行かなければならないらしい。須賀川とはどこにあるのだろうか。黒川城からどのくらい遠いところなのだろう。なぜ、祥だけ母のもとを離れなければならないのだろう。
もしかしたら、母は祥のことが嫌いになったのだろうか。だが、母は祥を見て泣いている。嫌われたわけではないと思うのだが、とても怖かった。
「お祥、ごめんなさい。この話は、父上がご存命の間に決まっていた話なのです。父上は、自分の生まれた家である二階堂家を失いたくなかった。お祥に、自分の後を継いでほしいとお思いだった。お祥は、父上にとって初めての子ですもの。お祥、父上が亡くなってすぐに、こんなことを言う母を憎いと思うでしょう。しかし、母はお祥を嫌って言っているのではないことを、どうか分かってください」
「お母さま」
「二階堂の方々は、皆もともと父上の家臣なのです。お祥のことも、きっと敬ってくれましょう。お祖母様も、お祥を可愛がってくれるに違いありません。だから、どうか、父上の願いを叶えるのだと、二階堂家を救うのだと思って、須賀川へ行ってはくれませんか?」
祥を抱きしめて、母は大粒の涙をこぼした。母も、本当は祥のことを手放したくないと思っているのだと思う。鶴千代が養女にならず、祥が養女になるのは、鶴千代は母と先代当主の盛興だ。
祥も本当は黒川城を離れたくなかった。だが、祥よりも母の方が激しく泣くので、見ていて辛くなってきた。
「お母さま、泣かないで。祥は、須賀川のお祖母さまのところへ参ります」
「ああ、お祥」
泣かないで、と言ったのに、母はますます激しく泣いた。祥も一緒に泣いた。
祥が二階堂家の養女になることを母が鶴千代に伝えると、鶴千代も祥のために泣いてくれた。鶴千代は涙をぬぐうと、祥の手に小さな鏡を握らせた。その鏡の裏には、鶴亀松竹の細工があり、蘆名家の家紋である三つ引両の細工もあった。
「お姉さま、この鏡は?」
「わたくしが、蘆名のお祖父様にいただいたもの。お祥にあげるわ」
「大事なものなのではありませんか?」
「いいのよ。それを見て、わたくしたちのことを思い出してちょうだい。この鏡を、どうかわたくしと思ってね」
「ありがとうございます。祥は、一生の宝物として、大事にします」
「うん」
まだ二歳の春と、ようやく生まれて三月目の亀王丸には、祥が二階堂家へ行くということが、よく分かっていないようだった。祥も、養女になると決めたが、実際のところこれからどうなるのか、よく分かっていない。母は、年が明けて父の百箇日が終わり次第、祥を須賀川へ送ると言っていた。
特に何をしたわけでもないのだが、あっという間に年が明け、父の百箇日の法要も終わり、祥は黒川城を出ることになった。
母と鶴千代、春、亀王丸に見送られながら、祥は須賀川城へ向かう輿に乗った。鶴千代から貰った鏡を握り締め、黒川城で過ごした時を思った。輿が城門を出たと、供の者が教えてくれた。
祥は、もう蘆名の姫ではなくなった。




