無垢の子ども編(十一)
琳を妻に迎えてしばらく経ったが、琳が義宣に慣れる気配はまったくなかった。琳のもとを訪れるたびに、怯えたようにびくびくされる。そんな琳と夫婦として夜をともに過ごすことなどない。
幼い妻との今後を思うと気が重くなるが、それ以上に、大地震のために普請中だった伏見城が崩壊してしまったことの方が、義宣の気持ちを重くさせた。秀吉の命で、領内から金を集め普請をしたというのに、崩壊してしまってはすべて無駄になってしまった。ただ、今度は伏見城の再建を命じられないことを祈るばかりだが、佐竹屋敷が地震の被害を受けなかっただけでもありがたいと思うべきなのかもしれない。頼りない琳に代わり、母が奥の女たちを取り仕切り、屋敷の片づけをしていた。琳がしたことは、秀吉のもとへ向かう義宣の身支度を手伝っただけだ。
地震の直後、準備が整うと義宣はすぐさま秀吉のもとへ駆けつけた。秀吉は、大庭に幔幕を引いてその中にいた。城壁はことごとく崩れ倒れていた。この城壁のどれかは、佐竹が普請したものなのだろう、と思った。
秀吉としばらく話をした後、屋敷へ戻ろうとすると、ちょうど徳川家康が秀吉のもとへ駆けつけてきたところだった。
「佐竹殿」
「内府殿」
「殿下にあやまちはありませんでしたかな?」
「あやまちはございませんでした」
「どちらにいらっしゃいますので?」
「大庭に幔幕を引いていらっしゃいます」
「そうですか。では」
会釈をして去る家康に、義宣も軽く頭を下げた。家康は内大臣で、義宣よりも格上の大名だ。だが、義宣は家康のことを好いていなかったため、ただ問われたことにのみ返答をした。あまり深く関わるつもりはない。
家康は源氏を称しているが、何が源氏だ、と義宣は言ってやりたかった。源氏というのは、我が佐竹のようなものを言うのだ、と。そのことを露骨に露わすつもりはないが、家康がどう感じているのかは分からない。
人の良さそうな笑みを浮かべて、何を考えているのか分からない男というのが、家康なのだ。
地震から二月ほど経ったころ、明から和議の使節が秀吉のもとへやってきた。その使節が持参した国書を見て、激怒した秀吉は朝鮮への再び兵を向けることを決意した。年明けに加藤清正、小西行長たちが渡海すると決まったが、義宣は出陣命令が下されなかった。
そのことに義宣は安堵した。加藤清正、小西行長は年が明けて渡海したが、義宣は伏見に残っていた。渡海せずにすんだ、と安心していたところに、親戚関係にある宇都宮国綱が秀吉の怒りに触れ、領地を没収されてしまった。国綱は、常陸の隣国、下野国の宇都宮十八万石の領主である。国綱の妻は義久の娘で、父の養女として宇都宮へ嫁いでいる。しかも、国綱の母は父の妹で、国綱は義宣の従兄弟にあたる。
国綱は子がなく、秀吉の義弟の浅野長政の子である浅野長重を養嗣子とし、家督を相続させようとしたが、国綱の弟の芳賀高武が反対したらしい。そのことが、秀吉の怒りを買い、国綱の所領は没収され、宇都宮家は滅亡となった。
それだけでは秀吉の怒りが収まらなかったようで、宇都宮家が後継ぎ問題で争いを起こしたのは、隣国であり親戚関係にもある佐竹家の監督が行き届いていなかったため、と義宣についても処分を行おうとした。
あまりに突然のことで、義宣はどうすればいいのか判断に困った。宇都宮の争いを止められなかったことは、義宣も悔いている。だが、秀吉がここまで怒っているのは、自分の妻の妹の夫である浅野長政の子を、養子に迎えることを芳賀高武が拒んだからだろう。これがほかの大名の子だったら、秀吉は何も言わなかったはずだ。
最近の秀吉は、何かおかしい。養子の秀次を自害させ、自分の子どもを溺愛している。今回のことも、おかしいと義宣は感じた。
秀吉の怒りを免れ、宇都宮と同じ末路をたどらないためにどうすることが最善なのか、義宣は考えた。毎日険しい顔をしている義宣を心配しているのか、金阿弥は義宣のそばにいた。
「殿」
「何だ?」
「あの、差し出がましいようですが、治部少輔さまにご相談なさってはいかがでしょうか?」
「治部殿に?」
「はい。太閤殿下のお怒りを鎮められるのは、治部少輔さまだけだと伺っております」
確かに、金阿弥のいうとおり、最近の秀吉が話を聞くのは、石田三成だけだ。三成には、小田原以来世話になっており、義宣は三成と懇意にしていた。三成も、義宣を徳川の押さえと期待しているらしかった。
金阿弥の言うとおり、今は三成に頼るしかないようだ。そうと決めたのならば、まずは三成のもとへ使者でも行かせようかと思ったが、政光が来客を告げにやってきた。
「殿、石田治部少輔さまがお見えです」
「治部殿が? 分かった。すぐに参ると伝えておけ」
噂をしていた三成が屋敷に訪れるとは思わなかったので驚いたが、政光が三成だと言うのだから間違いない。政光は以前、常陸の検地の際に三成と行動をともにしている。
三成のもとへ行くと、三成は余裕があるように見えた。宇都宮のことで、三成も気を揉んでいるのではないか、と思ったが、そのような様子は見えない。
「佐竹殿、突然の訪問失礼した」
「いえ、治部殿でしたら、いつでも歓迎いたします」
「今日訪ねたのはほかでもない、宇都宮のことにございます」
「は。その件につきましては、私の監督が行き届いていなかったばかりに、治部殿にはご迷惑をおかけいたします」
義宣が頭を下げると、三成は、気にするな、と言うように笑って手を振った。
「佐竹殿の監督不行き届きである、と考えることもできましょう。しかし、親戚であるとか、隣国であるとか、それだけの理由で佐竹殿までを処罰するのは、こちらとしても痛手が大きい。何と言っても、佐竹殿には江戸の徳川殿を抑え込んでいただかなければなりませんからな」
「では、治部殿」
「殿下には、私の方から話をしておきました。何、佐竹殿まで処罰すると仰せになった時は、虫のいどころでも悪かったのでしょう。佐竹殿に罪はないことを述べたところ、すぐにお許しくださいました。ただし、お父上にも早々に上洛していただいた方がよろしかろう。佐竹殿が殿下に頭を下げるより、お父上とお二人の方がなおよろしい。また、浅野長政の側から何か言ってくるかもしれませんが、関わらないことですな。そうそう、それから、宇都宮からの荷物は、一切ご領内へは入れないこと。宇都宮とは今後一切関わらぬことを示さなければなりますまい」
三成の言葉は信じても良いものだろうか。義宣も佐竹領を没収、佐竹家は滅亡という末路をたどるのかと冷や汗をかいていただけに、すぐには三成の言葉を信じることができなかった。
「治部殿、それはまことですか?」
「ええ。殿下は、佐竹侍従殿は天下の名門、源氏の当主。にわか源氏の誰かとは違う、家を潰すのはまことに惜しい、との仰せ。先ほど私が申した通りになさってくだされば、問題ないかと思います。それにしても、佐竹殿にまで累を及ぼそうとなさるとは、正直私も驚きました」
「治部殿、まことに、何とお礼を申し上げてよいか。治部殿のご尽力に感謝いたします」
再び義宣が頭を下げると、三成は、どうか私の忠告をお忘れなきように、と言い残して去って行った。豊臣一の能吏は、佐竹と宇都宮の問題にばかり関わっているわけにもいかないのだ。政光に三成を送らせて、義宣は国許にいる父にあてて書状を書いた。
宇都宮滅亡と、義宣の処分についての顛末。三成のとりなしで累をまぬがれたこと。秀吉へのご機嫌伺いのために、父にもはやく上洛してほしいということ。宇都宮からの荷物は、一駄たりとも佐竹領に入れないこと。三成から忠告されたことをすべて書き、すべては三成の尽力によるものだということも父に伝えた。
筆を置き、ようやく義宣は安堵することができた。伏見大地震、朝鮮への再征、それに今回の宇都宮の事件。いろいろなことが突然襲ってきたようだった。特に、宇都宮の件は佐竹家の存亡に関わる重大な事件だった。
ここ数年、秀吉は少しおかしくなってきている。それは義宣だけではなく、当然誰もが感じていることだろう。三成の言葉から察するに、三成も秀吉の今の状態をあまりよく思っていないようだった。
秀吉のせいで滅亡かと思いもしたが、三成には感謝するばかりだ。この恩はいつか返さなければなるまい。三成が義宣の力を必要とした時には、必ず三成の力になろう、と義宣は固く心に決めた。




