秋田の国主編(十三)
義隆を養子に迎えて五年。義隆は傅役としてつけた政景とうまくやっているようだったし、政景も義隆のことは若殿として扱っている。
岩城家は義宣の弟の宣家を番代とし、宣家の息子を岩城家の後継ぎとした。今度は多賀谷家に後継ぎがいなくなり、母に多賀谷家の行く末を相談するほど琳は心配していた。多賀谷家の後継ぎにする適当な男子は近親にはいなかったため、家臣の息子を多賀谷家の後継ぎとした。それでも、琳は納得してくれた。
中屋敷の母は自分の孫である義隆のことは非常に気に入っているようで、たびたび中屋敷に義隆を招いているようだった。義隆も母を喜ばせようと、中屋敷を訪れた際には能の舞などを披露しているらしい。琳のことも養母として敬っているようだし、江戸城に連れて行っても義隆の評判は悪くない。
廃嫡した義直には悪いことをしたが、義宣としても義隆は満足のいく後継ぎだった。義隆にならば安心して佐竹家を任せることができる。
そう思ったから、幕府には何度も隠居の願いを申し出ているのだが、幕府はなかなか義宣の隠居を許してくれなかった。隠居が許されないため、六十二歳になった義宣がまだ当主を務めている。義隆は二十三歳になったというのに、部屋住みの若殿のままだ。
いつまでも部屋住みのままの義隆が不憫だったため、所領の中から五万石を義隆に部屋住料として譲り、家臣も義隆の望む者を義隆の家臣としようとしたが、義隆に断られた。義宣の気遣いは身に余る光栄だが自分は未熟者で、家督を継ぐには五年も七年も今のまま部屋住みとして義宣から数々のことを学びたい、と言われたのだ。義宣のことを立ててそう言ったことは分かっているが、心憎い気遣いだ。ますます義隆のことを気に入った。
義隆が優秀な後継ぎであることは嬉しいのだが、幕府に隠居を許されないのは辛かった。最近では足腰の痛みのせいで歩くことが困難になることもあるし、中風や疝気が辛いこともある。持病の寸白も相変わらずだ。幕府の許しを得て何度か湯治に出かけているが、なかなか体の具合はよくならない。老齢によるものだからよくなりようがないのだろう。還暦を過ぎて、体のあちこちが思い通りにいかなくなっている。
老いた義宣が隠居を許されていない間に、義宣よりも若い人間が何人も死んだ。義久の跡を継いでいた義久の息子の義賢は何年も前に死んだし、大坂の戦で討死した政光の息子の宣光も四年前に病死した。二人ともまだ若く、これからの佐竹家を担う家臣になると思っていただけに、若すぎる死に心が痛んだ。
政光の死後、一人家老を務めていた憲忠も去年病死した。半年前には弟の蘆名義勝も急死した。義勝は死の一月前まで元気そうで、窪田の城で義宣に能を披露したくらいだったのだ。
自分よりも若い人間たちの死に、自分もこの年になってはいつ死ぬか分かったものではない、と思うようになった。政景がいる限り、義宣の死後も義隆の心配をすることはないだろうが、政景もよく体の不調を訴えている。
秋田にいる分にはまだいいのだが、江戸に上ることを思うと気が重かった。
「主馬、今度江戸に上る時はお前も一緒に来い。一緒に湯治に行こう。義隆もお前の心配をしている」
「ありがたいお誘いですが、最近では江戸に上るだけの気力もないのですよ。持病の咳に眼病、手足の震えもありますしね。若殿にまでご心配いただいて恐縮です」
「それを言うなら、俺は江戸に上るたびに死にそうな思いをしているぞ」
「それは申し訳ございません」
冗談でそう言うと、政景は笑った。だが、政景の言う通り、政景も持病で苦しんでいるのだ。憲忠の死後、政景を家老に任じて国政と義隆のことを任せているが、それも大きな負担になっているのかもしれない。
「それに、私は国許で孫の養育もしたいですしね。自分の娘が産んだ子だというだけで、孫というのはどうしてあんなに可愛いのでしょう。私の後継ぎとして、立派に育てたいものです」
「お前、娘が生まれた時もそんなことを言っていたような気がするぞ」
「そうかもしれません」
政景の家督は、甥にあたる女婿が継ぐことになっていたが、憲忠の長子が病死したことで娘夫婦は梅津本家の後継ぎとして本家に行ってしまった。その代わりに、政景の跡継ぎは娘の産んだ男子になり、政景夫婦が孫の養育をしている。
娘や孫はそんなにも可愛いものなのだろうか。義宣も義隆は可愛いと思うが、それは息子を可愛いと思う気持ちではなく、当主として後継ぎの優秀さを愛でているだけだ。
この年になるまで、義宣は親が子を愛しく思う気持ちを抱くことはなかった。死んだ徳寿丸や、八重が産んでいたという娘のことを思えば心が痛むが、それは違う気持ちだろう。恐らく、このまま死ぬまで親が子を思う気持ちは実感することはできないと思う。
真っすぐに娘や孫への愛情を語り、表現できる政景のことを少し羨ましいと思った。
「まあ、お前を江戸に連れていくと国許が疎かになりかねない。留守の間、秋田を頼むぞ」
「承知しております」
「お互い年を取ったな。最近、顔を合わせると互いに体調が悪い、どこが痛い、とそればかりだ」
「殿はまだまだお元気ですよ。お元気でいていただかなければ」
「主馬もな」
「ええ、もちろん」
政景は江戸に同行しないということにし、雪が降る前に江戸に向けて出立できるよう準備を進めた。
出立までの間に国許での政務をこなしていると、江戸から急使が届いた。中屋敷の母が倒れたのだ。
貞隆を亡くし、今年の夏に義勝まで失くし、二人の息子を亡くしてから母は随分落胆しているようだったが、そのせいで倒れたのだろうか。母は八十一歳とかなりの高齢だったため、様子が気になる。
出立の準備は万全ではなかったが、急いで秋田を出立した。
義重が死んだ時は、なぜ父が、という驚きが大きかった。だが、母は年齢を考えるとこんな日が来るのも遠くないと思っていた。だからこそ、今母に会わなければ後悔する。
秋田から江戸への遠い道のりが、今はますます遠く感じられた。
母との間には色々なことがあった。母を憎いと思いもした。今でも母に対して名状しがたい思いを抱いている。
それでも、小さく弱々しくなった母を思うと、胸が痛む。
江戸へ向かっている途中、江戸からの飛脚と遭遇した。嫌な感じがした。飛脚の持って来た知らせを見る。義隆からだ。
母が死んだ。
間に合わなかった。義宣が秋田を発ってから六日後、母は死んだのだ。もう少し早く秋田を出ていれば、母の死に目に会えたかもしれない。
今更何を思っても仕方がない。そのまま江戸へ向かっていると、宇都宮で母の霊柩と出会った。吹雪の中、母は秋田へ行くのだ。一度も行ったことのない秋田へ、死後に初めて行くのだ。
宿所で母の霊柩を前にして、ただ茫然と立ち尽くすしかなかった。涙がにじんだ。
母は死んだのだ。あの母が。天寿をまっとうした。そう思う気持ちもあるが、母の死を信じられない気持ちもある。
その夜は、一晩母の霊柩のそばにいた。思い出したのは、義重の死を告げられて泣き崩れた母の姿だった。母の骨は、義重と同じく高野山に眠らせよう。ようやく母は父に会えるのだ。
夜が明けて、義宣は江戸へ、母は秋田へ発った。秋田へ向かう母の霊柩を、見えなくなるまで見送った。
「母上、ありがとうございました」
母が生きている間に言えればよかった。だが、言えなかった。今更遅いのかもしれないが、母に最後にかける言葉は、これしかないように思えた。
母の葬儀は天徳寺で盛大に行うよう、国許の政景に命じた。千人の僧を呼んで千僧の供養をするのだ。義宣はこのまま江戸へ向かうため、母の葬儀には参列できない。
自分でも、母の死にここまで心が動かされるとは思わなかった。少し驚いている。今まで、母に対してどんな思いを抱いたことがあったとしても、やはり母は義宣の母だった。
江戸に到着してから二月後の正月、大御所徳川秀忠が死んだ。母が死に、大御所も死に、義宣もいつ死んでもおかしくないのだと、改めて思った。
死ぬ前に義隆の妻を決めておかなければなるまい。義隆は義宣の甥だが、もとは岩城家の当主だ。妻は一門の娘を選ぶのが無難だろう。適当なのは南家の寿流か。政光の孫にあたる娘でもある。一門衆でありながら新参者の血を引く寿流は新しい佐竹家当主の妻に相応しい。
寿流が年頃になったら結婚するということにして、義隆には許嫁を決めた。これで義隆の今後は心配いらないだろう。
母と大御所の喪に服し江戸で過ごしている間、国許では旭川が氾濫して洪水が起こったという報告が来たが、その洪水以外は平穏なものだった。
秋田に移った頃、山ばかりで豪雪にも襲われる秋田を好きになれるかものか、と思ったものだったが、今となっては参勤していると早く秋田に帰りたいと思うようになった。思えばもう少しで、常陸で過ごした年月と秋田で過ごした年月が同じになるのだ。今でも常陸は懐かしいと思うが、常陸はすでに他人の国だ。義宣の国は秋田だった。義宣が一から作り上げた義宣だけの国なのだ。
年が明ける前に秋田に帰りたかったが、大御所の喪が明けるまで帰国は許されなかった。だが、年が明ければすぐにでも帰っていいと許しが出た。ただし、来春には幕府の巡見使が秋田の視察にやってくることが決まったが。帰国しても巡見使の接待の準備に追われて忙しくなるだろう。政景にももっと働いてもらうことになる。
年が明けて間もなく、屋敷の近くで火事があった。火が屋敷まで及ぶことはないだろうが、気になって屋敷の二階の窓からしばらく家事の様子を眺めていた。
よく燃えている。野次馬も多い。そういえば、国許では花火を打ち上げて義宣の誕生日を祝われたこともあった。そんなことを思い出した。
「養父上、寒風にあたられては体調を崩されますといけません」
「うむ、そうだな」
義隆は二十五歳になった。はやく家督を譲ってやりたかった。この年で部屋住みというのも肩身が狭いに違いない。義宣も六十四歳になって、ますます政務が辛くなってきた。
義隆に言われて気づいたが、正月の寒さで思ったよりも体が冷えていたようだ。下腹がずきずきと痛む。持病の寸白か疝気だろうか。
立ち上がった瞬間、耳鳴りのようなものがした。視界がだんだん暗くなる。ふらり、と体がぐらつく感覚がした。




