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道程  作者: 実川
八 秋田の国主編
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秋田の国主編(十二)

 義直が義宣の養子になって五年が経った。義直は十五歳になっている。大人と言っても構わない年齢だ。

 この五年間、義直は一度も秋田に下すことなく江戸に留まらせていた。屋敷にいる琳や家臣たちから教育を受け、諸大名との付き合いのために義直も表に出せば、ぼんやりとした性格も、多少はしっかりするだろうと思っていたが、人の性格はなかなか変わるものではなかった。

 義宣は何度も義直を叱り、立派な後継ぎとなるように教育してきたつもりだが、義直はいつも聞いているのかどうか分からない態度ばかり取っている。義直を見ていて、本当に義直を後継ぎにして問題ないのだろうか、と不安があった。義宣や政景が生きている間はいいだろうが、義宣の死後、義直が何か不始末をしでかし佐竹家は取り潰されてしまうのではないだろうか。

 最近では琳に義直のことを尋ねても、苦笑して詳しいことは語らなくなってしまった。恐らく、琳から見ても義直は頼りない息子なのだろう。教育係にした政景も頻繁にため息をついている。

 義直が後継ぎであることは不安だが、もう義宣が養子にできるのは義直しかいないのだ。何とか佐竹家の当主にふさわしい人間になるよう教育するしかない。

 幕府との付き合い方を覚えさせようと思い、幕府から信頼の厚い天海に義直を引き合わせてみた。義直は神妙な顔をして天海の話を聞いていたが、どこまで理解しているかは分かったものではなかった。今回は、途中であくびをしたり居眠りをしたりしなかっただけでよかった。

 天海と会った三日後、江戸城本丸で九番の長い能が行われ、江戸に参勤中の諸大名が招かれた。以前、義直は長い能の途中で大あくびをしていたそうだが、幕府の招きに後継ぎを連れて行かないわけにはいかない。不安ではあったが、義直をつれて登城した。

 九番の能は、能を好む義宣でさえも長いと感じるのだから、義直が退屈するのも無理はないが、三年前に新たに将軍となった家光の前ではしっかりとしていてほしい。

 招かれた席で、義宣の隣に座ったのは政宗だった。幕府は家康が存命中の頃から、何かと佐竹家と伊達家と上杉家をまとめて行動させようとしていた。今回も佐竹家と伊達家をまとめたのだろう。義直は義宣の隣で、緊張に強張った顔をして背筋を伸ばしている。

 能が始まった。一番、二番と進んで行く。能の最中に、義直がどうしているか頻繁に確認することはできない。将軍に気が散っていると思われたくはなかった。

 能が終わりに近づいてきた頃、隣の政宗が扇で義宣の膝をつついた。将軍の前で何をするのだ、と視線だけ政宗に向けると、政宗も視線だけこちらに向けていた。だが、政宗が見ているのは義宣ではなく、その隣の義直だ。何か面白いものを見ているような目だった。

 はっとして義直を見ると、義直は居眠りをしていた。かすかに首がぐらついている。周りに座っている大名はその様子に気づいているようで、眉をひそめたり苦笑したりしている。

 一瞬の間に、怒りとも羞恥ともつかない激しい気持ちがわき上がった。腹が煮えるとはこのことだ。将軍に気づかれないよう配慮しながら、義直の背中を叩いて起こした。義直は驚いた様子だったが、何が起こっているのか把握したのか顔面蒼白になり、背筋をただした。

 もう一度政宗に視線を向けると、政宗は義宣を嘲笑うように、口の端に意地の悪い笑みを浮かべていた。

 将軍の前で居眠りをした義直にも腹が立ったが、それ以上に政宗に腹が立った。政宗が意地悪く将軍や諸大名の前で義直の居眠りを指摘しなければ、義宣がこんな思いをすることもなかった。なぜ、わざわざこの場で指摘するのだ。

 廃嫡だ。義直は廃嫡するしかない。ただ居眠りをしただけならば、まだ見逃せたかもしれない。だが、よりによって将軍の前で政宗に笑われたのだ。もう義直を後継ぎにはしておけない。

 その後の能は長かった。はやく屋敷に戻りたかった。この場にいるのは、針の筵に座る思いがする。

 能が終わって、すぐに義直を連れて屋敷に戻った。屋敷に戻ってからも義直の顔は蒼白なままだった。義宣の顔は憤りで赤くなっているだろう。

「この、うつけ者めっ」

 義宣が怒鳴りつけても、義直は肩をすぼめて俯くだけだった。嘘でもいいから涙を流して義宣に詫びれば、義宣も義直をあわれに思ったかもしれない。だが、義直の態度は義宣の怒りを激しくしただけだった。

「お前のことはかねがね不安に思っていた。だから色々と申し伝えもしたし、叱りもした。いつか佐竹家の当主に相応しくなるだろう、と思っていたからだ。だが、これほどの大うつけだったとはな」

「養父上、あの」

「俺はもうお前の養父ではない。兄でもない」

「そんな」

「勘当だ。廃嫡だ。お前のようなうつけ者は、髪を下ろして秋田に帰ればいい」

 義直に勘当を言い渡し、憤りで興奮していながらも、義宣はどこかで冷静に今後の佐竹家のことを考えていた。将軍に認められた養嗣子を廃嫡にするなど、幕府に何と思われるか。だが、将軍の前で居眠りをした者を養嗣子にしておくのもまずい。

 義直はいずれにしても勘当し、廃嫡するしかないが、その後の後継ぎはどうすればいい。弟たちには男子がいない。近親の中で義宣の養子に相応しいのは、今は亡き弟の貞隆の子であり、川中島から亀田へ替地となり亀田藩主となっている甥の岩城吉隆(よしたか)くらいだ。他藩の藩主を養子にしてもいいものだろうか。

 蒼白だった義直の顔が赤くなり、目に涙が盛り上がる様子も、義宣はさめた思いで眺めていた。今更、謝ろうとしているのだろうか。

「わたしだって」

「何だ?」

「わたしだって、望んでこんなところに来たわけではありません。お屋形さまが勝手にわたしを北家の当主にして、お屋形さまの養子にして、こんなところに連れて来た。わたしは、わたしはずっと秋田の空が、雪が、海が恋しかった。母上にお会いしたかった」

 義直がこんなにもはっきりと激しく、自分の思いを口にしたのは初めてだった。ぼろぼろと涙を流し、義直は義宣を睨みつけている。この意気地を、なぜほかのところで、もっとはやく発揮しなかったのだ。

「髪を下ろしても構いません。秋田に帰れるのならば、わたしはそれでいいのです。今までずっと、苦しかった。その重荷から解放されるのならば、勘当されてもいい。もともと、佐竹家の当主になどなりたくなかったのだから」

「そうか」

 俺もお前を養子にするつもりなどなかった。お前しかいなかったから仕方なく養子にしたのだ。

 そう言ってやりたい気持ちもあったが、今となってはそんなことを言うだけ無駄だと思ったし、最後まで義直を追いつめることもない、とも思った。義直は嗚咽を漏らし、泣き崩れている。

 琳に義直を廃嫡したことを告げると、驚いた後に、そうですか、と呟いて少し悲しそうな顔をした。義直をあわれだと思っているのだろう。政景にも義直の廃嫡を告げ、秋田の憲忠に書状を送るよう命じた。

 翌日、幕府に義直を廃嫡したこと報告し、昨日の不届きを詫びた。義直は秋田に下すつもりだと告げると、早く帰した方がいいと言われたので、次の日に秋田に帰した。

 義直の処遇は政景と憲忠に任せるとして、次の養子を考えなければならない。幕府に認められた養子を廃嫡にしたのだから、次は簡単に養子を認められないかもしれない。

 義宣としては、甥の吉隆を養子に迎えたいのだが、すでに他家の当主となっている。このわがままを幕府に認めてもらうためには、将軍の家光ではなく、大御所となった秀忠に頼んだ方がいいだろう。大御所の決定となれば、将軍は何も言えないはずだ。

 こうなっては、そもそも吉隆を養子に望むことすら問題かもしれない。

 佐竹家を何とか存続させるために、佐竹家の養子はできれば将軍家ゆかりの人間にしてほしい、大御所にすべて決めてほしい、と願い出た。養子が認められるのなら、将軍家ゆかりの人間でも構わない。そんな人間が入り込めば、佐竹家の内情は幕府に筒抜けになるだろうが、お家断絶よりはよほどましだった。

 念のため、岩城家にも吉隆を養子に迎えるつもりだと告げると、岩城家からはすべて佐竹宗家の命のとおりに、と返答がきた。

 しばらくして、大御所の内意が義宣に告げられた。大御所は、佐竹家は古い家であるのだから、親類や下の者の中から義宣が適当と思う者を養子にすればいい、見当がついたら伝えるように、と言ってくれたそうだ。だが、親類にも下にも跡目を申しつける者はいない。義宣の家臣となった弟の蘆名義勝や多賀谷宣家でも義宣の養子に認めてもらえるものだろうか。残念なことに義勝にも宣家にも男子はいない。

 それでも、大御所がそう考えてくれていることは大きなことだった。幕府の人間が佐竹家の養子になることはない。秀忠の義宣に対する厚情に感謝するばかりだ。

 厚情に甘えるわけではないが、思い切って養子は亀田藩主の岩城吉隆にしたい、と願い出てみた。それに対する返答は、義宣は律儀者であるため義宣の見立てならばそれで構わない、義宣はまだ若いのだから今後子どもが出来たとして、その時はまた義宣次第、とのことだった。

 すべては義宣次第で、大御所から将軍に決定を申し渡してくれるらしい。これで養子は吉隆に決まりだ。それにしても、五十七歳の義宣に対し、まだ若い、とは大御所もなかなか言ってくれる。それほど義宣のことを気に入ってくれているのだろうか。

 岩城家の江戸屋敷にいる吉隆を急いで呼び出した。吉隆は何のために呼ばれたか心得ているようだった。

「佐竹のお屋形様、私を養嗣子としてお迎えくださること、身に余る光栄と存じます」

「すまぬな、吉隆。幼い身で貞隆の後を継ぎ、これまで立派に岩城家の当主を務めてきたお前の才を、これからは佐竹家のために発揮してほしい」

「かしこまりました。しかしながら、お屋形様にお聞き届けいただきたい願いが一つだけございます」

「何だ?」

「私が去った後の岩城家の名跡を、どうかお考えください」

「わかっている。俺から幕府に掛け合おう」

「かたじけなく存じます」

「それから、名も改めよ。お前の名のうち、吉兆の(きち)と書く(よし)の字を、佐竹家の通字(とおりじ)である義理の()(よし)とする」

 大御所から吉隆を養子にする許しが出た翌日、幕府に礼を伝えに登城し、吉隆の名も本人に告げた通り義隆と改めさせた。さらにその翌日、将軍と大御所に拝謁し、老中にも挨拶回りをし、義隆は正式に義宣の養嗣子となった。

「これでお世継ぎのご心配をなさらずともよくなりましたね」

「ああ。何とか宗家を潰さずにすみそうで安心した」

 挨拶回りから戻り、政景を呼んで二人で酒を飲んでいた。政景には秋田に帰した義直のことを任せていたが、義直は一乗院で僧になる、ということに決まった。母の六郷殿も一乗院に移ったらしい。義直は佐竹家から解放されて、晴れ晴れとした思いでいるのかもしれない。

 義宣は義直にとって、よい父ではなかっただろう。重圧をかけ過ぎた。義隆は十二歳で貞隆の後を継いでから岩城家の当主として生きてきたのだから、義直のように細々と叱りつけることはないと思う。それにもう十八歳だ。

 義宣が父に家督を譲られたのが十七歳の時。今から四十年前のことだ。義宣も義隆に家督を譲ってもいいのかもしれない。

「主馬、お前を義隆の傅役にするぞ。だが、義直に対して厳しくあたったように、義隆にあたる必要はない。義隆が佐竹家の中でうまくやっていけるよう気を配るだけでいい」

「はあ、私が傅役ですか」

「俺の死後、義隆を支えるのはお前だ。今から義隆の信頼を得ておけ」

「縁起でもないことを」

「いや、俺はもう五十七だぞ。三年経てば還暦だ。最近は足が痛んで歩くのが辛い時もあるし、腰も痛むし、あいかわらず寸白気味でもある。これを機に、家督も義隆に譲ってしまおうかと思っている。父は俺に家督をゆずった時、四十歳だった」

 義直を苦しめていたことにも気づかず、佐竹家のことばかり考えるようになった自分は、老いたのだと思う。だが、年を重ねるごとに、大御所に言われたように佐竹家は古い家柄で、義宣が絶やしてしまっていいものではないという思いがますます強くなってきた。自分の死後の佐竹家も気になる。これが老いたということなのだろう。

 はやく隠居して、父のように陰から義隆を見守るだけでいいのではないだろうか。

「しかし、せめて岩城家の跡式をお決めになるまでは、殿にお屋形様でいらっしゃっていただきますよ」

「俺もそのつもりだ。岩城家は弟の宣家に継がせようと思っている。甥から叔父への継承だからな、幕府の許しが得られるかどうか。まあ、そこは何とかするしかあるまい。しかし、もうすぐ還暦か」

「私は来年あたり孫が産まれそうですよ」

「お前に孫ができるか。俺も年を取るはずだ」

 今まで生きてきて、多少は自分が変わってきたと思っていたが、実は何も変わっていなかったのかもしれない。

 生きるのは難しい。年を取っても、それは変わらないようだった。

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